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心の時空

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a day in my life

私の最も若い友だちで、ロンドンに住まうミズキちゃん5歳(友人夫婦の長女)に妹が、誕生しました。
私には、子供も孫もいないので、幼い子供のいる暮らしは、今まで異次元(別世界)でした。
親戚、同僚、隣近所に子供たちは、たくさんいますが、いままでそう身近に感じることはなく、さして関心もありませんでした。
a0212807_23294247.jpgそんな私のパラダイムをガラリと変えてくれたのが、友人の娘さん(日本人のお母さん)とイギリス人の友人との間に生まれたミズキちゃん(2012年9月生まれ)でした。
イギリスの友人家族が、日本に来たら友人宅に押しかけて、無邪気(やんちゃ)で、元気なミズキちゃんに会うのをいつも楽しみにしています。
彼女は、おしゃべりで天真爛漫そのもの、お母さんとは、博多なまりの日本語をペラペラ、横にいるお父さんとは、ロンドンなまりの英語でペラペラ(何言っているのか私には、さっぱり分からない)なので、生来のバイリンガa0212807_23294727.jpgル少女です。
私が、英語で話しかけても無視されて返事は、いつも博多なまりの日本語です。
私が、流暢な英語で 「Why don't you speak to me in English?」と質問すると、「だって、ヘタやもん!」と強烈なご指摘、そして博多なまりの日本語で、「なん言いよると? 分らんと よ、だけん ‥ 」と一方的にペラペラ返されると私は、おし黙るしかありません。
ところで、私のまわりに自分の子供のために自分のことは、さておいて一生懸命、お母さんをしている友だちが、何人かいます。
a0212807_23295417.jpg日々の子育て生活のたいへんさは、私に分かりませんが、私は、相手に迷惑にならないよう配慮しつつ私にできることがあれば、少し応援しようと思っています。
さりとて私にできることと言っても、時おり声かけしたり、季節イベントでささやかなプレゼントをしたり、ほんのたまに食事に誘い 一緒にさわいだり ‥ そんな他愛ないこと、それも子供たちが、思春期(十代)になるまでの、ほんのわずかな時間(数年)です。
子供たちは、やがて自立し家族の愛を支えに社会人として一人で生きていきます。
a0212807_23392775.jpgそれでも、「母と子(娘であれ息子であれ)」は、永遠に親子、精神のへその緒で、しつかり結ばれています。
私は、いま子育てしている若いお母さんとその子供たちが、どうか幸せであるようにと心から願っています。
(付録) 私の知人、学習障害児を持つ親のブログ なので、よかったら読んでくださり親同士の連帯を呼びかけていますのでぜひ連帯してあげてください。

# by blues_rock | 2018-09-05 00:05 | 柏原生活/博多叙景 | Comments(0)
a0212807_00064444.jpgイギリスの名匠アンソニー・ミンゲラ監督(1954~2008病没、享年54歳、1999年作品「リプリー」は、ルネ・クレマン監督の1960年作品「太陽がいっぱい」のリメイク版、2003年作品「コールド・マウンテン」も秀作、後半参照)が、1996年に発表した「イングリッシュ・ペイシェント」(The English Patient)は、アカデミー賞の監督賞・作品賞始め、オーストラリアの撮影監督 ジョン・シール(1942~)が、撮影賞、フランスの音楽監督(レバノン出身の作曲家) カブリエル・ヤレド(1949~)は、作曲賞を受賞するなど全9部門でアカデミー賞を受賞した傑作映画です。
a0212807_00093768.jpg主演は、レイフ・ファインズ(1962~、出演時34歳)、クリスティン・スコット・トーマス(1960~、出演時36歳)、ジュリエット・ビノシュ(1964~、出演時32歳、アカデミー賞 助演女優賞を受賞)、ウィレム・デフォー(1955~、出演時41歳)、コリン・ファース(1960~、出演時36歳)と今やイギリス・フランス・アメリカを代表する名優・名女優が、皆な30代a0212807_00072597.jpg(ウィレム・デフォーだけ41歳)の魅力的な成熟期に同年代のミンゲラ監督(製作時42歳)は、キャストしたひとり一人の役柄を見事に演出しています。
クリスティン・スコット・トーマスの美しいこと、ジュリエット・ビノシュのチャーミングなこと、レイフ・ファインズ、ウィレム・デフォー、コリン・ファースの若々しいこと、彼らを見ているだけでも楽しめる映画です。
a0212807_00072946.jpg物語は、第2次大戦末期のイタリア、カナダ人看護師ハナ(ジュリエット・ビノシュ)は、空襲で破壊された修道院に住み着き、全身大火傷をした「イングリッシュ・ペイシェント」(イギリス人患者)と呼ばれる男性患者(レイフ・ファインズ)の看護をしていました。
彼は、酷い火傷を負っており英語を話すが、自分の名前は、憶い出せませんでした。
a0212807_00110720.jpgそこにカナダ軍スパイのデヴィッド(ウィレム・デフォー)が、現われ、ナチスドイツの拷問で両手の親指を切り落とされ、復讐するためにナチスドイツの将校を追っていました。
直感で患者と会ったことが、あるのではないかと思うデヴィッドの問いかけに患者は、少しずつ記憶を取り戻していきました。
a0212807_00104115.jpg患者は、ハンガリー人伯爵アルマシーで、1930年代後半、英国人のジェフリー(コリン・ファース)と妻のキャサリン(クリスティン・スコット・トーマス)たちとエジプトやリビアで考古学調査を行うため ‘サハラ砂漠の地図’ を作成していたと語りました。
ここからドラマは、患者の伯爵アルマシーが、激しい愛憎の入り交じったロマンス(三角関係)を看護師のハナにa0212807_00110922.jpg少しずつ語る構成で(過去をフラッシュバックさせながら)展開していきますので詳しくは、ぜひ映画をご覧ください。
患者のアルマシーは、話し終えると、看護人のハナに「自分が、戻ってくるのを待っていた最愛の人(キャサリン)を死なせた自分に、もう生きている意味はない。」とモルヒネ注射で安楽死させてくれるよう強く要望しました。
アルマシーの話を聞いたハナは、彼の願いを叶えてやろうと廃墟の修道院にあるモルヒネを一度に注射、アルa0212807_00113038.jpgマシーの眼差しが、穏やかになり、ハナは、キャサリンが、洞窟で書き残した最期の日記を読んであげながら患者アルマシーの死を看取りました。
そしてハナは、親しくなったイギリス将校のシーク教徒インド人兵士と一緒にフィレンツェへ向かうのでした。

# by blues_rock | 2018-09-03 00:03 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
a0212807_19483813.jpgイギリス映画の新作「追想」(原題「On Chesil Beach」 チェジル・ビーチにて)に話を戻します。
資産家階級の令嬢でバイオリニストのフローレンス(シアーシャ・ローナン)は、自分の四重管弦楽団の編成を夢見ていますが、労働者階級の歴史学者を目指すエドワード(ビリー・ハウル 1989~)と出遭い、お互い一目惚れし愛し合うようになりました。
a0212807_19485280.jpg旧い階級制度と道徳規範が、厳然と残るイギリス社会にあって二人は、愛を育み結婚するも性経験のない処女と童貞でした。
1962年夏、二人は、結婚しイギリス南部ドーセット州のチェジル・ビーチへ新婚旅行に行き初夜を迎えました。
愛し合う二人ですが、初夜への興奮や期待そして不安の綯(な)い交ぜになった感情と相俟ってお互い過去の様々なことを憶いa0212807_19485616.jpg出したことで会話は、止切れ、気まずくなりました。
初夜の興奮を抑えつつエドワードが、フローレンスの服を脱がせ、やさしく彼女の体に触るとフローレンスは、How to Sexの本で学んだ知識で彼女の手が、エドワードの性器に触れたとたん彼女の脚に射精してしまいました。
a0212807_19491203.jpgその瞬間、フローレンスは、少女時代に厳格で口うるさい父親から受けた性的虐待の記憶が、よみがえり(ショット映像で暗示)パニックとなりホテルを飛び出しました。
失態に茫然自失のエドワードは、気持ちを落ち着かせると後を追い、チェジル・ビーチの海岸にいたフローレンスと仲直りしようとしますが、彼女を愛する気持ちより、これまで我慢していた些細なことを言い始め、またa0212807_19491557.jpg口論となりました。
フローレンスは、エドワードへの愛を伝え、パニックになった自分を詫びますが、当惑したエドワードの怒りや羞恥心は、治まらず一緒にいたいと願うフローレンスの気持ちを拒否しました。
映画は、二人の新婚生活が、新婚旅行先のチェジル・ビーチに滞在した6時間で破局する様子を丁寧に描き、二人それぞれの過去や家族との関係を交錯a0212807_19493892.jpgさせながら展開していきます。
名撮影監督 ショーン・ボビット(1958~、2008年「ハンガー」、2011年「シェイム」、2012年「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ」、2013年「それでも夜は明ける」、2015年「ロック・ザ・カスバ!」など)のカメラワークが、すばらしく映像にヒンヤリした透明感もあって秀逸です。
a0212807_19493178.jpg共演のキャストも、エミリー・ワトソン(1967~、1996年「奇跡の海」、1997年「ボクサー」)、アンヌ=マリー・ダフ(1970~、2009年「ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ」、2014年「リピーテッド」、サミュエル・ウェスト(1966~、2017年「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」)と名女優、名優が、しっかり脇を固め、主演のシアーシャ・ローナンとビリー・ハウルの好演もa0212807_19494743.jpgあって優れた心理劇映画になっています。
私見ながら ‥ 新婚初夜の些細な諍(いさか)いで別れて以来45年、一度も会わなかったフローレンスとエドワードが、2007年彼女の引退コンサート会場で再会し涙するラストシーンは、少しメロウ過ぎます。
エンディングは、ステージでバイオリンを演奏しているフローレンスが、客席にいるエドワードを見つけ、二人静a0212807_19495227.jpgかに見つめ合うだけにして欲しかったと私は、思いました。
私の意見をついでに、もう一つ、原題(オリジナル・タイトル)やプロットを無視して日本語字幕上映タイトルを「追想」や「旅愁」など映画ファンをバカにしたような安直なタイトルは、字幕翻訳家の責任なのか、配給会社の低レベルの営業センスなのか、もういい加減、止めてもらいたいと思います。

# by blues_rock | 2018-09-02 00:02 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
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イギリス映画の新作「追想」(原題「On Chesil Beach」 チェジル・ビーチにて)を見ようか見まいか逡巡するも、2007年のイギリス映画「つぐない」の原作者 イアン・マキューアン(1948~)が、自分の原作「初夜(On Chesil
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Beach)」を自ら脚本にしていること、ならびに初めて長編映画を撮る舞台監督のドミニク・クック(1966~)は、‘どのような演出’をするのだろうかと二つの好奇心で見ることにしました。
a0212807_19470329.jpgさらにもう一つ、13歳のとき「つぐない」で思春期の性に敏感で残酷な少女という難しい役どころを名演した少女のシアーシャ・ローナン(1994~、2011年SF「ハンナ」主演時17歳)も あれから10年、成人(現在23歳)した彼女が、この「追想」(On Chesil Beach)で 無垢で純粋な主人公のフローレンスをどう演じるだろうかとの関心もありました。
そして、もう一作、1975年製作のフランス映画「追想」(原題「Le vieux fusil」 旧い猟銃)と同じタイトルながら、a0212807_19470715.jpgまったく異なる「追想」を二夜連続で紹介します。
フランス映画「追想」は、オーストリア(ウィーン)出身の美人女優ながらフランスで名女優になったロミー・シュナイダー(1939~1982病没、享年43歳)と名優 フィリップ・ノワレ(1930~2006、1988年イタリア名作映画「ニュー・シネマ・パラダイス」のアルフレード役で有名)が、主人公を演じています。
ロミー・シュナイダーは、1972年 名匠ルキノ・ヴィスコンティ監督の名作「ルートヴィヒ」に出演、当時、33歳のa0212807_19472474.jpgロミー・シュナイダーが、演じた美しく品格ある皇后 エリーザベトをヴィスコンティ監督は、絶賛しました。
品性ある美貌の女優としてオーストリア=ドイツ圏で、人気抜群のロミー・シュナイダーでしたが、1958年 奔放な雰囲気をもつ当時無名のアラン・ドロンと共演したことをきっかけに、恋に落ちアラン・ドロンのいるフランスに移住、ドイツ語のできないアラン・ドロンとフランスで女優に
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なるためにフランス語を特訓、そしてアラン・ドロンと婚約しました。
二人は、長い婚約期間を経て別れることになりますが、やがてロミー・シュナイダーは、‘フランス最高の女優’とa0212807_19474443.jpg称賛されるまでになります。
一方、オーストリアとドイツでは、彼女が、人気絶頂たっただけに ‘祖国を捨てた女優’のレッテルを貼られ、排斥されました。
ロミー・シュナイダーの人生は、華やかな印象と違って幸薄いものでした。
多くの男性に愛されましたが、1981年、生き甲斐のように溺愛する14歳の息子を事故で亡くすと、精神のバラa0212807_19474721.jpgンスを壊し、睡眠薬とアルコールに依存、その一年後、愛息のもとへ旅立つように亡くなりました。
「追想」(原題「旧い猟銃」)出演時、ロミー・シュナイダーは、36歳(凛として美しい)でフランスに侵攻したナチスドイツ軍に娘を目の前で殺され、集団レイプされたあげく火炎放射機により焼き殺されるという医者の妻を壮絶なリアリティで名演しています。
a0212807_19475279.jpgフランス映画の「追想」は、追想なんて甘っちょろいものではなく、愛する家族をナチスドイツ軍に惨殺された男(医者)による怨念の復讐劇です。
ストーリー(プロット)は、1944年ナチスドイツに占領されたフランスの田舎モントーバンの古城を舞台に、外科医のジュリアン(フィリップ・ノワレ)が、愛する妻クララ(ロミー・シュナイダー)と娘フロランスをナチスドイツ兵らに嬲(なぶり)り殺され、張り裂けa0212807_19474943.jpgる怒りと復讐心に燃え、家にある狩猟用の旧い散弾銃を持ち出しナチスドイツ兵を一つずつ殺しながら復讐していく物語です。
監督は、フランスの巨匠 ロベール・アンリコ(1931~2001)で、1967年のアラン・ドロン(1935~)とリノ・バンチェラ(1919~1987)主演の「冒険者たち」が、代表作として有名です。(後編に続く)

# by blues_rock | 2018-09-01 00:00 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
今日は、八月の晦日(最後の日)です。
今年の夏の思い出にと「拭き漆と陶胎茶碗」の新作を掲載しましたので、ご覧いただけたら光栄です。
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今年(七・八月)は、私の住まう柏原にも避難勧告が、発令されるくらいの豪雨と普段の台風進路を逆走する(地球自転に逆らう動きの)台風、そして猛暑 ‥ いま異常気象を‘異常’と言わず「気象変動」と呼ぶそうな、つまり
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地球(日本)の気象や天候は、誰も予想できない現象(異常)が、常態化しているので気象庁は、もう責任持てないから “そこのところを日本国民の皆さんもよく承知しといてね” と、私たちに宣言しています。
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子供のころから私は、夏日 25℃以上、真夏日が、30℃以上、猛暑日は、35℃以上‥と思っていました。
いまや35℃以上の猛暑日は、当たり前、今年40℃以上の気温が、日本列島のあちらこちらで記録され
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ましたので、新たに 40℃以上を ‘熱暑日’ とでも呼ぶ必要に迫られています。
さりとて、人間の体温が、40度の高熱になったら緊急入院で、命(生死)に関わる“異常”事態なんですけどね ‥
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やっぱり“異常気象”でしょう。
ご参考までに 6年前に拙ブログに書きました「2012年9月の異常気象」を掲載します。
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じりっ、じりっと 確実に温暖化していく地球 ‥ 私たち地球人は、ゆでがえる になるのでしょうか?
私の尊敬する「地球環境学者 レスター・ブラウン博士」の記事(2011年12月30日)を貼付しますので、興味ある方(ゆでがえる になりたくない方)は、ご覧ください。

# by blues_rock | 2018-08-31 00:01 | 柏原生活/博多叙景 | Comments(0)
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中国は、国体が、共産党一党独裁国家(中国政府を支配する権力組織)で ‘言論の自由’のない抑圧社会ながら、時々びっくりする傑作映画を製作します。
a0212807_01330050.jpg先に二日連続で ご紹介したソンタルジャ監督(1973~、2015年「草原の河」)は、チベット族ですが、漢族のジャ・ジャンクー監督(1970~、私が 中国で最も敬愛する監督)、この2016年「長江 愛の詩」(原題「長江図」Crosscurrent逆流)が、長編第2作目となるヤン・チャオ監督(1974~)と1970年代生まれの中国映画第6世代の若い監督たちに私は、“ヌーヴェルa0212807_01324763.jpgヴァーグ・シノワーズ” を感じます。
映画は、長江の河口 上海で出遭った男女が、少しずつ時間を遡っていくというシュール(幻想的)なラブロマンスながら、チャオ監督の詩情豊かな演出を台湾の名撮影監督 リー・ピンビン(1954~ 2009年是枝裕和監督作品「空気人形」ほか名作の撮影多数)は、美しい長江(揚子江)の風景をバックに亡き父親が、旧い貨物船とともに遺した長a0212807_01325622.jpg江図をもとに長江を遡上していく船長の若い男と停泊する先々で出遭う謎の女との 出遭いと別れ を叙事詩のように描いていきます。
中国一の大河 揚子江(長江、全長6、300㌔、世界3位)で、亡き父が、貨物の運搬をしていた小さなオンボロ貨物船の船長となったガオ(チン・ハオ 1978~)は、ある日、機関室で「長江図」と記された一冊の詩集を見つけました。
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ガオは、20年前の1989年(天安門事件の年)に父親が、「長江図」に書いた創作詩を読み感動、揚子江の河口上海から大河長江を遡る旅に出発しました。
a0212807_01334791.jpg彼は、「長江図」の詩に導かれるように行く先々の停泊地で謎めいたアン・ルー(シン・ジーレイ1986~)という女性に出遭いました。
しかし、三峡ダム(2009年完成)を境に彼女が、現われなくなったことを不思議に思いました。
ガオは、三峡ダムを越え長江の水源(青海省=チベット高原アムド地方、「草原の河」参照)へ、謎の女性アン・ルーを探して遡上、その旅の果てにたど
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り着いた処は ‥ これは、誰の記憶なのか ‥ 現実と虚構、現在と過去が、交錯しながら展開していく見ごたえのある傑作映画です。
a0212807_01333127.jpgチャオ監督は、長編第2作となる「長江図」を10年かけて製作、そのために何度もシナハン(シナリオハンティング~脚本のための取材)とロケハン(ロケーションハンティング~撮影現場探し)を行ない、真冬の長江を中心に2か月あまりかけて、オールロケで撮影しています。
全長6、300㌔の揚子江(長江)は、中国悠久の歴史、古代文化、雄大で神秘的な自然を育み、大河流域に暮らa0212807_01333395.jpgす庶民の暮らしに恵みをもたらしてきました。
2009年、世界最大の三峡ダムが、揚子江中流(重慶の下流域)に完成するころから中国社会も急激に変化、長江流域もまた大きく変貌していきました。
このことは、ジャ・ジャンクー監督の2006年作品「長江哀歌」(山峡ダムのために強制移住させられる110万住民、悲喜交々の物語)をご覧いただくと理解できます。
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ヤン・チャオ監督の2015年作品「長江 愛の詩」に登場する名優 ワン・ホンウェイ(1969~)が、9年前のジャ・ジャンクー監督作品「長江哀歌」にも出演、ワン・ホンウェイは、ジャンクー監督の2000年作品「プラットホーム」でデa0212807_01340112.jpgビューして以来、ジャンクー監督作品の常連でありチャオ監督が、共演にワン・ホンウェイをキャストしたのは、ジャンクー監督作品「長江哀歌」へのオマジュを感じました。
ジャ・ジャンクー監督の「長江哀歌」繋がりで、この映画の撮影助手を務めたルー・ションが、撮影監督した鬼才 ワン・ビン監督(王兵 1967~)の2010年長編デビュー作品「無言歌」も傑作なのでぜひご覧くだa0212807_01335347.jpgさい。
致命的な中国の病巣をこれほど的確、明晰に描いた映画は、ありません。
当然、中国では、上映禁止です。
拙ブログ(シネマの世界)をご覧になった方の近くに、国の行く末を憂う中国人の友人ならびに知人が、おられれば、ぜひこの「無言歌」をご覧になるようお勧めください。


# by blues_rock | 2018-08-30 00:03 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
私の通う博多漆芸研究所(2階)の下にカレー店が、オープンしました。
a0212807_13135176.jpgカレー・ラーメン・うどんの店は、福岡市内どこにでもありますが、私のお好みカレー店は、天神の「Tiki」(チキンカレーとキーマカレーの2タイプ)、唐人町の「ヤドカリ」(グリーンカレー)でしたが、新たに裏六本松の「モリトネリ」(チキンカレー、ポークカレー、キーマカレーの3タイプ)を加えたいと思います。
天神の「Tiki」は、昼時にもなると いつも行列で当日分の仕込みが、終わると閉店さらに不定休、唐人町の「ヤドカリ」は、ワインバー「パファム・ドュ・ヴァン(PduV)」が、ランチタイム(11:30~13:30の2時間、15食限定)だけ、カレー店‘ヤドカリ’に変身し営業(木・土日・祭日、店休)、オーナーの専門(本業)は、知る人ぞ知るパイプオルガン奏者なので 11月開催のコンサート準備(参考 4年前のリハーサルの様子)のために現在 ‘ヤドカリ’ 臨時休業中です。
今日ご紹介する「モリトネリ(moritoneri)」は、3年前まで浮羽市吉井町にあったカレー店が、福岡市六本松に移転、オープン(木・日・祭日、店休)した店、オーナーは、薬院近く大宮でチャイ専門店「チャイティ ヘロン」も営業しています。
昭和レトロな裏六本松情報に関心ある方は、他にも博多漆芸研究所のサイトで適宜 紹介されていますので ぜひご覧ください。
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写真は、私が、オーダーしたチキンカレー、店内は、8席のこじんまりした雰囲気です。
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# by blues_rock | 2018-08-28 00:08 | 柏原生活/博多叙景 | Comments(0)
a0212807_19262749.jpgヤンチェン・ラモの母親ルクドルは、夫のグルが、山中の洞窟で修行している僧侶(行者)の義父(グルの父親=ヤンチェン・ラモの祖父)と、4年前に母親(祖母)の臨終を巡り対立、以来グルは、父親(ルクドルの義父=ヤンチェン・ラモの祖父)を頑なに拒否、夫婦仲は、良いのにギクシャク、二人の間に「河」が、あります。
a0212807_19263575.jpg6歳のヤンチェン・ラモは、オッパイを欲しがっても母親が、応じてくれなくなったのは、お腹の中に赤ちゃんが、いるからだと拗(す)ね、駄々を捏(こ)ねるようになりました。
どこかに出かける時、ヤンチェン・ラモをいつもオートバイの後ろに乗せてくれるやさしい父親グルが、大事にしお供えしている天珠(細長い玉、チベットの護符)のおかげで赤ちゃんができたと喜ぶ母親を見て、a0212807_19264204.jpgある日 ヤンチェン・ラモは、天珠をこっそりパオ(遊牧テント)から持ち出して 草原に隠しましたが、どこか分からなくなりました。
盗まれたと大騒ぎする父親とどうせ模造品だからと冷ややかな母親、両親から天珠のことを訊ねられても「知らない」と答えるヤンチェン・ラモ ‥ 幼いヤンチェン・ラモも両親との間に ‘小さ
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な河’ が、できました。
映画の主題(テーマ)は、人間、つまり「人と人との間(あいだ)」にある「河」です。
a0212807_19552350.jpgこの河を日々の暮らしの中で、母と幼な子、父と娘、夫婦、父と息子が、一生懸命渡ろうとします。
河に橋は、なく、自分の「愛」や「コミュニケーション」、「誠実さ」や「真心」という舟で愛する人のいる「河」向こうへ行くしかないのです。
ソンタルジャ監督は、映画の中で多くの“珠玉のエピソード”を映しながら家族の「河」と「合流」を描いていきます。
a0212807_19265770.jpgソンタルジャ監督は、登場人物たちの ‘在りのままの姿’ をドキュメンタリーのように演出、それを息もピッタリの撮影監督 ワン・モンが、チベット高原の厳しい冬から春へ移ろう雄大な自然、そしてそこで暮らす牧畜民たちをロングショットの長回しで撮り、6歳のヤンチェン・ラモの表情(甘えたり、拗ねたり、怒ったり、泣いたり、の喜怒哀楽)、ならびに父親グルや母親ルクドルの表情をa0212807_19270292.pngクローズアップの長回しで撮影、さらにヤンチェン・ラモの手や指の動き、パオ室内の光と影、室内外の空気の動きなど モン撮影監督のカメラワークは、お見事! 陰の功労者と云えるでしょう。
お腹の大きな母親のルクドルにオッパイをねだり、甘えて拗ねるヤンチェン・ラモが、父親と一緒に母親から祖父の病気見舞いに食料品を持って行くシーンで、オートバa0212807_19271312.jpgイの後ろにから「お父ちゃんは、おじいちゃんが、嫌いなの?」とたずねるところから映画の劇(ドラマ)は、動いていきます。
子供の視点から大人の世界を描いた 1973年「ミツバチのささやき」、1982年「エル・スール」、1999年「蝶の舌」などに並ぶ 不朽の名作が、またひとつ チベットから誕生しました。

# by blues_rock | 2018-08-27 00:07 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
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福岡市総合図書館の映像ホールで開催された‘8月のシネラ’で、チベット映画「草原の河」(原題「河」 River、2015年)が、3回上映されましたので、うち2回見ました。
a0212807_19253612.jpg製作国は、中国ながら監督と脚本が、チベットのソンタルジャ監督(1973~)で 製作スタッフおよびキャストも全員チベット人の皆さん方なので これは、正真正銘の ‘チベット映画’(映画冒頭のクレジットは、チベット文字で会話もすべてチベット語)と云ってよいでしょう。
「草原の河」は、ソンタルジャ監督の長編第2作でチベット人監督の作品が、日本で公開されるのは、これが初めa0212807_19254928.jpgてとか、もしこの映画が、今年のカンヌ国際映画祭に出品されていたら「万引き家族」とパルムドールを競ったかも、もしかしたら「草原の河」に軍配は、上がっていたかもしれません。
日本初公開のチベット映画「草原の河」が、いきなりこんな大傑作ですから 私は、心底驚きました。
a0212807_19255331.jpgさらにもっと驚くのは、出演しているのが、演技訓練を受けていないチベット高原アムド地方の住民たちで、皆なびっくりするくらい見事な演技(演じていると思えない演技)を披露しています。
とくに主人公の、牧畜民の少女 ヤンチェン・ラモ(6歳、本名で、‘小さな女神’という意味)の、素のままの演技をしない天才的演技(存在感=リアリティ)が、また何ともお見事で、ソンタa0212807_19255701.jpgルジャ監督は、故郷のチベット高原アムドで この幼女ヤンチェン・ラモ(監督の親戚の子供とか)に出遭ったことが、この映画製作すべての始まりだったと(映画のインスピレーションとイメージをヤンチェン・ラモから受けたと)コメントしています。
ソンタルジャ監督にとって6歳のヤンチェン・ラモは、まさしく‘小さな女神’で、主人公牧畜民の少女 ヤンチェン・ラモは、チベット高原アムドに住む6歳の幼女 ヤンチェン・ラモ、そのものだったのです。
子役経験もない素人で映画初出演の6歳のヤンチェン・ラモは、その年の上海国際映画祭で、何と史上最年少新人賞ならびに主演女優賞のダブル受賞、この映画を見た方なら、さもありなん!と 大いに納得すると思います。
映画のプロットは、標高3千㍍のチベット高原で、牧畜をしながら暮らす3人家族、ヤンチェン・ラモと父親のグル(グル・ツェテン~監督の親戚で幼なじみ)、2番目の子供を妊娠中の母親ルクドル(ルンゼン・トルマ~監督のa0212807_19262026.jpg友人、チベット語で歌う歌手)、さらに村人たちが、行者さまと崇めるチベット仏教の修行僧で、ヤンチェン・ラモの祖父を入れると家族4人の、世界どこの家族にも共通する ‘普遍’ の物語です。
ソンタルジャ監督演出のキーは、このチベット高原の4人家族それぞれの間を流れる「河」にあります。
a0212807_19262466.jpg映画のタイトル「河 River」が、出る前にヤンチェン・ラモの父親グルは、ヘベレケに酒に酔ってオートバイを運転し転倒、顔から血を流しながら「4年前‥」と独り言を言い、そしてスクリーンにチベット文字のクレジットが、流れて映画は、始まります。(後編に続く)

# by blues_rock | 2018-08-26 00:06 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
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フジコ・ヘミングさん(年齢非公開はご本人談)は、‘遅咲きのピアニスト’ (1999年、NHK-ETVドキュメンタリー番組「フジコ~あるピアニストの軌跡」で大ブレイク、この時67歳)と呼ばれ、86歳の現在(いま)でも、リサイタルのa0212807_03420219.jpgオッファが、あれば北半球は、言うに及ばず南半球のどこであっても出かけて、年間60コンサートの演奏活動を続けておられます。
「フジコ・ヘミングの時間」の監督(ならびに企画・構成・撮影・編集)は、ドキュメンタリー作家 小松莊一良(1964~)で、2年間フジコ・ヘミングさんに密着、1年のうちの半分を暮らすパリほか 東京・ニューヨーク・ベルリン・ブェノスアイレス・ロサンゼa0212807_03421079.jpgルス・京都の自宅での暮らしと その都市でのリサイタルの模様をリアルに撮影しています。
2年もの間、ドキュメンタリー撮影のカメラが、終始まとわりついているので煩わしい時もあったでしょうに、フジコさんは、カメラが、あろうとなかろうと、一日4時間の練習(クリスチャンの彼女は、天国での出番の準備なんだとか)、猫や犬と戯れ タバコをふかし 酒を飲み おしゃれをし お気に入りのアンティークを愛で、どこの街でもふらりと散歩に出てa0212807_03420769.jpg彼女は、街路に物乞いが、いれば、必ず立ち止まり小銭をあげるというその自分のライフ・スタイル(フジコ・ヘミングの時間)は、変わらないのだろうと思います。
そのために世界各地に自分の家を持ち、マネージメントは、すべて自分で行い「いつも気分は、16歳のままよ。」と笑顔で語り、「残された時間は、わずかだもの。」と屈託のないフジコさんですが、その人生は、波乱万丈a0212807_03422294.jpgで、少女のころ天才ピアニストと絶賛され東京藝術大学在学中、新人登竜門のピアノ・コンクールで数々受賞、しかし1932年(昭和7年と推察)、スウェーデン人の父親(グラフィック・デザイナー)と日本人の母親(ピアニスト)の間にベルリンで出生しているためフジコさんは、戦後日本の混乱で赤十字認定の難民扱いされ、1961年、駐日ドイツ大使の助力で、やっと国立ベルa0212807_03425349.jpgリン音楽大学(現ベルリン芸術大学)への留学が、叶いました。
その時、フジコさんは、すでに30歳になろうとしていました。
小松監督は、フジコさんの母親が、彼女に遺してくれた下北沢の家から発見された14歳(終戦直後)当時 少女時代の絵日記(文章力といい絵の描写力といい14歳の中学生とは思えない)を挿入することで上手く構成、自ら編集しているので波乱万丈にして艱難
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辛苦の人生であったフジコさんの語る「いつも気分は、16歳のままよ。」の精神(心、魂)は、この絵日記のままであることが、映画を見ていて良く分かります。
a0212807_03430907.jpg「フジコ・ヘミングの時間」は、2018年6月16日の「ピア」の初日公開満足度ランキング調査で第1位になったとか、福岡のKBCシネマでは、1か月を超えるロングラン公開中ですが、見に行く方は、世代を超えてまだ多いようです。
フジコさんは、16歳のとき患った中耳炎で右耳の聴力を失い、さらにベルリン留学中に世界デビュー・リサイタル直前、風邪をこじらせ(真冬にも暖房のなa0212807_03425762.jpgい貧乏生活ゆえ)左耳の聴力を失いうという不幸に襲われました。
フジコさんは、将来あるピアニストとしてのキャリアを断たれ失意のどん底にいましたが、ストックホルムの病院でリハビリし左耳の聴力は、40%まで回復、たとえ耳が、聴こえなくても彼女は、ピアノの練習を続けていたそうです。
a0212807_04153903.jpg不遇なフジコさんでしたが、ピアノの教師をしながら毎年コンサートを開催していたそうなので、‘遅咲きのピアニスト’どころか “人知れず咲いていたピアニスト”と称するのが、正確です。
フジコさんの口から「いま、恋してるの。 2年ぐらい楽しければいいじゃない。 片想いでも ワクワクすればいいじゃない。」と発せられる言葉の何と みずみずしいことか、映画のラスト、2017年
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12月、東京オペラ・シティでフジコさんが、演奏された「ラ・カンパネラ」の何と美しいこと!
フジコ・ヘミングさんは、「この曲(ラ・カンパネラ)は、すべてを捧げなきゃ弾けない曲、誰とくらべられたっていa0212807_03431433.jpgい。」ときっぱりと言い、「音には色が、ある。」とも‥、音が、氾濫する現在(いま)の世界に色彩豊かな音楽は、どれくらいあるのでしょうか?
美しい音楽が、聴こえる現代絵画は、どこへ行けば、目することが、できるのでしょうか?
(予告編 こちら

# by blues_rock | 2018-08-24 00:04 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)