‘その場の空気を感じる’とか、‘行間を読む’、さらに ‘忖度する’などという 曖昧な、時として 好い加減な コミュニケーションのもとに成り立っている日本と違い、ロジック(論理)とロゴス(言葉)で 社会が、成り立ってきた国
フランスでも、いまや 衆愚の悪しき ポピュリズムの氾濫に苦労しているらしく、フランス映画の新作「私は確信する」(原題「Une intime conviction」 ある内なる確信)は、それを良く表現した秀作です。
「私は確信する」は、フランスの新鋭 アントワーヌ・ランボー監督(1978~)の 長編初監督作品ながら ‘編集’出身だけあってストーリー構成が、秀逸です。
この映画をランボー監督が、長編映画初演出とは、思えないエッジの利いたすばらしい 心理劇として描けたのも、登場人物たちの 深層心理を巧みに取り入れた脚本を書いたイザベル・ラザール(ランボー監督と共同脚本)と、それを ヒンヤリした映像で撮影した ピエール・コットローの力量にも支えられ、さらに主人公の異常な執念で被告(失踪した妻殺しの容疑者)の 冤罪を頑なに主張する女性 ノラを演じた マリアナ・フォイス(1970~)、司法や ゴシップ好きの世論(マスコミやそれを鵜呑みで信じる庶民)から 何の物的証拠もないまま
推測と予断を以って妻失踪事件の犯人と決めつけられて 傷付き、心を閉ざした大学教授 ジャックを演じたローラン・リュカ(1965~)の無表情な演技、ノラと共にこの映画の主人公である弁護士 デュポン=モレッティを演じたベルギーの名優 オリヴィエ・グルメ(1963~) 三者三様の心理描写は、必見です。
現在フランスには、年間 4万人の失踪者が、いて、自分の意思で 行方不明になる失踪者は、1万人くらいと映画の最後にランボー監督が、クレジット、いまフランスで現実に発生している失踪者データを映画の冒頭に表示すると、見る者の好奇心は、「えっ!? そうなの?」となり、映画のサスペンス性と面白味が、欠けると先刻承知で、冒頭から主人公の中年女性 ノラについての説明を一切しないで見る者に ‘この女、いったい何者なの?’という姿を見せながら ストーリーを構成し 演出していく ランボー監督の手腕は、長編初監督ながらお見事です。
シングルマザーの主人公 ノラ(マリアナ・フォイス 1970~)は、仕事(レストランのシェフ)も、一人息子の世話(や学校の送迎)など私生活の何もかも放り出して、異常なくらいの執念で、突然失踪した 38歳で 3人の子供をもつ女性スザンヌ(大学で法学を教える大学教授の妻、映画には 登場しません)の夫、大学教授 ジャック(ローラン・リュカ 1965~)を 司法当局(裁判所・検察・警
察)ならびに世論(マスコミのゴシップ記事や人の不幸を喜ぶ大衆)が、スザンヌ失踪事件の容疑者とする説に、ただ一人、10年前のスザンヌ失踪当時、離婚調停中で 悪い夫婦仲だけでスザンヌ失踪(=殺人)の容疑者と推定するのは、物的証拠もなく「冤罪である」と 真っ向からジャック容疑者説を否定、憑かれたように 自ら冤罪を主張するノラの姿が、映画「私
は確信する」 を見ている者に「信用できない語り手」との印象を抱かせながら展開していきます。
この映画のプロットは、何の証拠もないのに 他人からの情報やメディアが、一方的にタレ流す映像を見て 抱いた感情に流されていくことの そら恐ろしさ、怖さ、また仮説(思い込み)に翻弄されることの 危うさ、司法だけの問題ではなく、大衆受けを狙うメディアや 警察の怠慢による機能
不全などが、絡み合っていくと、もう歯止め(明白な証拠と論理的思考)の利かない不条理の恐怖は、サイコホラーの世界です。
映画は、2000年 2月、実際に トゥールーズで起きた ヴィギエ事件(大学の法学部教授ジャック・ヴィギエが、妻スザンヌを殺し死体遺棄(隠した)容疑で逮捕された事件)を元に 2010年、トゥールーズの裁判所重罪院で繰り広げられるミステリータッチの法廷
劇です。
2009年 4月、ジャックは、10年という長い第一審の結果、証拠なしとして陪審員評決で無罪となったものの、検察のメンツで 2010年に控訴され、第二審が、始まりました。
シェフのノラ(映画のために創られた架空の女性)は、そのニュースを知り激怒、強引とも言える懇願で弁護士 デュポン=モレッティ(無罪請負人と呼ばれた実在の弁護士、現フランス政府
の法務大臣)に ジャックの弁護士を依頼し引き受けてもらいました。
ノラは、裁判所に提出された証拠の中から 自分の時間のすべてを注ぎ込み 短時間で 250時間分の通話音
声データを分析、弁護士に提出しました。
デュポン=モレッティ弁護士は、ノラのその優秀な分析能力に驚くと共に 彼女をこの失踪事件の動機究明に駆り立てものが、何なのか、ノラは、スザンヌの愛人 オリヴィエの通話記録から スザンヌの失踪事件の真相を知る唯一の人物が、オリヴ
ィエという自分の推論を過剰なくらい頑なに弁護士に認めさせようとして彼を怒らせます。
ここが、この映画「私は確信する」の核心です。
ランボー監督は、法廷劇としての緊張感を高めるため 被告のジャックや 彼の三人の子供たちの心理描写(情緒的な描写)を排し 「傍聴席の視点」を重視、映画を見る者それぞれに 様々な思いや考え、疑問を抱いてもらうランボー監督の演出が、冴
えています。
シドニー・ルメット監督の名作「
十二人の怒れる男」、黒澤明監督の「
羅生門」が、描いた「疑問」、ここにすべての
真実、真理の原点が、あるとの 法廷劇の神髄を「私は確信する」でも感じました。
鵜呑みや噂話は、‘思考の弱点’です、まずすべてを疑いましょう。
(付記) 青文字をクリックしていただくと その記事が、表示されます。