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心の時空

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a day in my life

カテゴリ:人生/愛(Love)( 42 )

a0212807_19055385.jpg人生とは、自立・自助・自己責任で 孤独な時間を生き切ることです。
分かっちゃいるけど、かく云う私も未だに 無為で無益な徒労を繰り返す愚か者のひとりです。
人の孤独を救うのは、慈愛(つまり他者からの無垢の愛)です。
最も分かりやすい慈愛(献身愛)は、親とくに母親の無償の愛ながら近年その母性愛も女の性愛に負け、ジャマな我が子を虐待する事件が、多発していますので、これも怪しくなりました。 (上写真 : 根来椀 20年経った今も修理しながら使用。)
a0212807_19060456.jpg私たちの人生に大切なものは、心の安寧(あんねい)です。
安寧(あんねい)とは、和寛安穏(わかんあんのん)の心境、つまり心が、和(なご)み、寛(くつ)ろぎ、安らかで、穏やかであること、を意味します。
これは、私が、勝手に造った四文字熟語(造語)です。
どうしたら 安寧 でいられるか、それは、感動する心を持ち続けること(決して失わないこと)、感受性を劣化させないことです。 (上写真 : テーブルの上で 果物・チーズ・ケーキなどをカットする「変塗り漆のプチ俎板」です。)
a0212807_19061489.jpg感動のない人生に価値(生きる意味)なし、これが、私の哲学です。
感動している自分を自覚できれば、自分(人格=自己を認識できる存在)でいることが、できます。
いま6割強の高齢者(3人に2人)が、自宅から一歩も外にでない「ひきこもり」状態なのだとか、さらにその「ひきこもり高齢者」の10人のうち7人つまり7割は、男性であるという痛ましい調査結果(政府の調査だから怪しいけれど)が、発表されました。
「ひきこもる」心に感動は、ないでしょう。
家にひきこもり うずくまる高齢者の生活の面倒は、いったい誰が、看るのか ・・ 我が国では、家族です。
家族と同居あるいはスープの冷めない距離に住む家族が、あれば高齢者(老いた親)の介護(世話や介助)は、可能でしょう。
されど、高齢者(老いた親)の子供たちには、家庭が、あり夫婦それぞれ自分の老いた両親の世話だけで手一杯、そのうえ育ち盛りの子供もいて、さらに働いていたら過重ストレスで「自分の親の面倒くらい自分でしろ」と爆発、お互い啖呵(たんか)を切り夫婦の諍いは、絶えることが、ありません。 (右写真 : 陶胎壁かけ花入れ もう少し地肌を粗くして 朽木のようにするつもりです。)
a0212807_19062414.jpgそして、働き盛りで退職するはめになり、自分の老いた親を看とると、‘明日はわが身’です。
人生とは、自立・自助・自己責任で、孤独な時間を生き切ること、と分かっちゃいるけど「どうしたらいい?」‥なんて愚問に良い答なんて見つかるはずもありません。
指をパチンと鳴らす間(ま)に 65の刹那(生きている時間)が、あると古来より仏教の法話は、教えます。
ならば、私は、刹那の感動も65あると信じています。
神仏は、細部に宿り、些細なことに感動する者を救います。ほら、天は、自ら助ける者を助ける、と云うでしょう n'est₋ce pas !?

(左写真 : 未完成の「蓑虫殻 かんざし」ながら 結上げた黒髪に妙齢の妖しげな女性が、これを挿していたらシュール過ぎるかな、とまだ思案中です。)
(備考) 青字部分を クリックすると過去の関連記事に飛びますので、よかったらご参考にしてください。

by blues_rock | 2019-06-16 00:06 | 人生/愛(Love) | Comments(0)

アイデンティティ とは、 ‘自分’が、何者で何を考え、どう在りたいのか、自己同一性(自我を認識する=自分を知ること)を意味する心理学の専門用語です。

人の場合「個性」、企業の場合「CI(コーポレート・アイデンティティ)」が、概念としては、一番近いと思います。

a0212807_00360158.jpgつまり、心理学と社会学において、ある者が、何者であるか について、他の者と区別しようとする概念、信念、性質、そしてそれを表現、主張することです。

幼児期の他者は、母親です。

幼児期の自己主張(本能やわがまま=自己中心)は、母親が、丸ごと受入れ受け止めてくれます。(このところネグレクト=育児拒否・虐待する母親も増えてはいますが)

やがて、子供から思春期を経て成長し大人になる人生の初期に ‥ 自我が、生まれると母親や父親への反抗、友だちや異性とのコミュニケーションに悩むようになり自我に目覚め、自分を意識する、つまり自己認識するようになります。

私は、‘人間の資質’で最も大切なことは、「問題(トラブル)解決能力」だと考えています。

a0212807_00360690.jpgいま世界中、この「問題(トラブル)解決能力」ない人たち(‘悪しき風潮’に大衆迎合する人々)が、増え、そのポピュリズム(大衆迎合)は、いまから(わずか!)74年前の1945年以前の、暗黒の戦争時代に バック・ツゥ・ザ・フューチャーしようとしています。

今まさに “戦前”の予感 ‥ だが、次の戦争の時代のあとに、もう戦後は、ない(つまり、世界の消滅しかない)でしょう。

あれ、あれ、「個性と発達障害のこと」を書くつもりが、デストピア(ユートピアの真逆)世界の話になりましたので、閑話休題いたします。

私の知人が、開いている「学習障害児を持つ親のブログ」を読んでいたら、いまさらながら私は、‘発達障害’だっa0212807_00361544.jpgたかもしれない(今でも成人性アスペルガーかも?)と気付かされ 思い当たるフシが、たくさんありました。

とくに十代半ばに発症し苦しんだ「強迫観念症」は、自分の感情や衝動をコントロールできないので本当に悩まされました。

私は、そのころ、精神医学者 森田正馬(18741938、「森田療法」の創始者)先生の「神経質の本態と療法」(こちら参照)と出遭い、私の座右の書として先生の「あるがまま」の教えを実践し自分の心(精神、感情)と向き合って来ました。

私は、子供のころから興味や関心が、ないものへ適応能力に劣り、他人との協調もニガテで自分の価値判断と行動基準は、生理的な感情(つまり好き嫌い)でした。

‘壊れたラジオ’みたいに おしゃべりな今の私を知る人たちは、いつもの冗談と、信じてくれませんが、私は、子a0212807_00362003.jpg供のころ 吃音(どもり)に苦しみました。

吃音(どもり)コンプレックスが、あるので言いたいことを早く言おうとして早口で どもるので ますます劣等感、そしてそれに押し潰され「強迫観念症」を発症しました。

大学に入学するとすぐに美術部に入り、大学のアトリエか、自宅の狭い部屋にこもり、絵ばかり描いていました。

学生時代、友人から面と向かって「おまえは、いいやつだが、気難しいからなあ」とか「変わっているからなあ」と変人扱いでした。

大学を何とか卒業し就職‥次第に、絵は、描かなくなりましたが、三つ子の魂、百までなのか私の居場所(和め寛げる場所)は、美術館・博物館・映画館の三館にあるよう思われ入り浸るようになりました。

a0212807_00454363.jpgそして、秀逸な作品は、皆な個性(アイデンティティとオリジナリティ)にあふれ、それこそが、芸術の魅力(感動の本質)と気付きました。

そうか だから、芸術家に奇人、変人が、多いのか、そうか ‥彼らは、皆な「発達障害・学習障害・ADHD(多動性障害)などの‘アスペルガー性向’を芸術に昇華したのだ」と妙に納得するも私の場合、時すでに遅く、ずっとアスペルガー性向を引きずったまま(成人性アスペルガーとして)今に至りました。

生来、希薄だった私の「問題(トラブル)解決能力」は、年追うごとにさらに劣化、気難しさや生理的な(好き嫌いの)感情だけが、昂じるばかりながら、いまさら奇人、変人を隠しても始まらないので、私の中で問題(トラブル)を解決できないこと(や人たち)とは、距離をおき、近付かない、もし運悪くニアミスしたらすぐにそこを立ち去る(静かに拒否する)などして物事(しがらみ)に対処、だから私は、大の冠婚葬祭ギライでもあります。

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わがまま? ジコチュー? いいじゃないですか!
自分の人生です。
自立・自助・自己責任の原則さえ全うすれば、何も 嫌なことを我慢して生きていくこともありますまい。

by blues_rock | 2019-03-11 00:01 | 人生/愛(Love) | Comments(0)
a0212807_21380961.jpg先日、偶然インターネットで見つけた子育て記事「幸せは遺伝する / 世界最高の子育て」を読んでいたら、今月半ば、ロンドンに帰国した友人母子のことを思いました。
5年前、生まれて一年にもならない赤子の娘(ミズキちゃん)を抱いて、私に「この娘には、徹底的に甘えさせたい。 甘やかすのとは、違う。 娘には、どんな時も自分が、いると安心させたい。」と言ったことを憶い出しました。
この本の著者、ボーク重子さんは、福島県出身の方で、年少のころから学業優秀、時に福島県内5位の成績になるなど、勉強以外考えず、良妻賢母になることを目指していたそうです。
重子さんは、青春時代から人生に悩み、心折れたまま外資系の会社で働き30歳のとき挫折、自分を探すためロンドンの大学院に留学、そして結婚しアメリカで出産 ‥ 一人娘を育てる中で「私と同じようになって欲しくない。 私は、いつも自信がなく、何かを始める前から諦めてしまうような人間だった。」と振り返り、高校まで一貫教育のワシントンの小学校に通う娘を見て「九十九を知らない」・「簡単なスペルも間違える」・「宿題もない」ことに不安を覚えたそうです。
すると先生から「ダレもが、できるようになることを早くできたからと言って大した意味は、ありません。
a0212807_21381878.jpgどうしても宿題が、欲しければ、自宅で20分間空想させ自由に考えさせてください。」とアドバイスされたそうです。
その小学校の教師たちは、毎朝、生徒一人ひとりの目を見て「おはよう」と挨拶し出迎えるのだとか、重子さんは、「子供は、好きだからこそ続けられ 、何か困難に面しても好きなことなら乗り越えようとするパッション(情熱)が、生まれ、好きだからこそ謙虚に他の人から学ぶ姿勢も自然と生まれます。 飽きることも大切、自分の本当に好きなことを探すチャンスです。 好きだから好奇心もわき、それに対応することで本当の思考力と学力も身に付くと思います。」と述べておられます。
さらに、親のアドバイスは、親のエゴや欲求が、絡んでおり、子供にとっては、最適でないことが、多いとも述べておられ、子供の相談には、自分の意見(アドバイス)を言わないで「あなたは、どうしたいの?」と逆に質問し、意見の相違が、あれば 良く話し合うそうです。
宗教差別をしない(宗教に束縛されない)日本人は、世界的に見るとかなりオープンマインド(自由な精神)な国民なんだそうです。
あるがままに子供を認め、その子の存在を認めてあげること、まず何より親が、幸せになり、子供の安心できる場所(=家族)で子供の幸せを願えば、その子は、きっと幸せになるでしょう。
a0212807_21463430.jpg「幸せは、遺伝する、不幸もまた遺伝する。 幸せじゃない親の子供は、幸せにならない。」は、けだし名言です。

(写真 : ロンドンに住む友だちの ハナ=ミズキ・T・ラムナラインちゃん 5歳)

by blues_rock | 2018-05-29 00:29 | 人生/愛(Love) | Comments(0)
技術や表現力(個性)は、ともかくも、二十歳のころ、絵描き(ラ・ボエームな生活)を夢見て、毎日、キャンバスの前で熱病にうなされるような日を送るも、やがて我が才能のなさと情熱を貫徹させる持続力のなさに気付いて、
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いつしか絵を描かなくなりました。
それから数十年、グウタラ人生を送るなか 金継ぎと漆芸に出遭い、再び人生に浅き夢を見るようになりました。
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ずっと封印していたためか、自分の絵と思われず、誰か知らない人の絵のようで短所も長所もよく見えます。
金継ぎと漆芸には、背中を見せないで、息絶えるまで挑み続けてみたいと思います。

by blues_rock | 2018-01-25 00:05 | 人生/愛(Love) | Comments(0)
信仰は、人の心を安らかにする祈りです。
宗教は、人を幸せにする道具です。
a0212807_112245.jpg無宗教の私でも容易に分かるのは、神を信仰する者や神の僕(しもべ)たる宗教の徒らがお互い殺し合う愚劣さは、信仰と宗教の対極にいる悪魔が、愚者たちに憑依し、魂を乗っ取った証左としか思えません。
祈るのに言葉は、要りません。
祈りは、人の心にあります。
宗教に武器は、不要です。
真の宗教ならお金(喜捨・お布施)も無用です。
真の宗教には、権威や権力など世俗の欲望に関わるものは、ありません。
まして徒党を組んで行なう暴力と殺戮は、宗教と無縁の犯罪です。
もし宗教に神がいるなら、その神は、決して暴力と殺人で血に塗れた信徒を許さず厳しく罰することでしょう。
by blues_rock | 2015-02-26 00:06 | 人生/愛(Love) | Comments(0)
1995年1月17日5時46分、兵庫県尼崎市稲葉荘2丁目、武庫川の東河川敷すぐ横にある鉄筋3階建社宅の1階自室で熟睡している時に、マグニチュード 7.3の阪神・淡路大震災が、発生しました。
あれから20年‥記憶も少しずつ薄れていますが、‘マグニチュード 7.3 の体感’は、しっかり憶えています。
a0212807_17422022.jpg真冬の未だ明けやらぬ寒い朝‥ズドンという地響きと当時にカラダが、下から上に突然胴上げされたように突き上げられました。
ズドン、ズドン、ズドン‥どれほどの時間が、過ぎたのか、東京から尼崎に転居して10か月あまり、それまで関東地域(東京都・神奈川県)で生活していたとき頻繁に経験した地震とは、大違いの体感でした。
強烈なタテ揺れのあとすぐ激しいヨコ揺れがあり、しばらくしてシーンと物音一つしない無音の世界‥犬・猫すらa0212807_13365173.jpg恐怖で鳴くこともできない不気味な闇の世界で覚醒した私は、当初1階の自宅に得体の知れないものが、突っ込んできたと錯覚(最初の大音響のズドンで覚醒した時とっさに大型ダンプの衝突と現実的に推測)、その後瞬時にズドン、ズドン‥と続いたタテ揺れで途轍(とてつ)もなく大きな地震が、発生したと感じました。
フトンから出ると暗闇の中で自室の辺り一面に散乱した物にぶつかりながら電灯のスイッチを探しオンにしてもa0212807_13404412.jpg点きませんでした。
手探りしながら廊下に出ると足裏でガラス破片を踏み、スリッパを探してリビングへ行き、じっと夜が明けるのを待ちました。
1時間余り過ぎたころ突然点灯、室内が明るくなり目に飛び込んできたのは、前夜と違う室内の光景でした。
無事だったテレビで臨時ニュースを見ながら自分の住まう場所が、大地震の震源地と知りビックリ‥つい1、2時間前に体感した‘激しい揺れ’を妙に納得しました。
遠くで臨時ニュースを見て心配しているかもしれない家族・友人・同僚にてきるだけ多く「被害は大きいが大丈a0212807_1343493.jpg夫」と自宅から電話(携帯電話がない時代)しましたが、電話もすぐに不通になりました。
日が昇り、外に出て辺りを見渡すと玄関向かいにある立派な旧家の2階が1階を押しつぶし崩壊、路地を挟んだ木造アパートは、今にも倒壊しそうに傾きガスの臭いがしていました。
阪神・淡路大震災のあと私は、辛いことも善いことも、人のやさしさも人生の無常(震災犠牲者6,434名)も含め多くのことを学びました。
20年前の今日、生きている偶然の奇跡を実感したことを改めて憶い出しました。
7年暮らした尼崎市稲葉荘(自宅)と西宮市鳴尾浜(職場)は、武庫川の両河川敷が、自転車で片道7㌔の通勤路でした。
焼き肉の美味しいお店、ホッペタ落ちる美味しいキムチ屋、絶品の長崎チャンポン屋、南京街鯉川筋の中華料理店‥行きたいなぁ。

私のアーカイブ写真 上から
1.自宅からそう遠くないところにある倒壊した
  阪神高速道路
2.1月16日、大震災の前日映画(確か「スピー
  ド」でした)を見た神戸三宮阪急会館
3.崩壊した神戸三宮の旧そごうデパート
4.震災後の大変な暮らしの中でも整然とならび配給品を受け取とる被災者たち‥「辛く苦しいのはお互いさま」
  という相手の痛みが分かる精神
by blues_rock | 2015-01-17 05:46 | 人生/愛(Love) | Comments(0)
私は、常々「人は、道理を頭で理解するが、感情で動く」と思っています。
あの人の言うことは、理解できるけど‥やる気にならない、そんなこと日常生活の中にありませんか?
a0212807_5452012.jpgそして、もしその人から、一方的にあなたは、あの時やると言ったじゃないの、何でやらないの? ウソつき、などと言われたら、きっとあなたの感情は、ムカついてソッポ向くことでしょう。
軽いウソは、他人との関係(コミュニケーション)をスムースにする潤滑油で、まさしく‘お世辞’は、軽いウソの典型です。
改革を阻む‘面従腹背’には、人の心底に蠢(うごめ)く、保守性や狡(ずる)さ、やっかみやジェラシーによる裏切り、悪意を感じる背任行為などいろいろ原因があります。
しかし、そこまでの意志や反感はなくとも、リーダー(上司・指導者・社長・首相)の言うことが、メンバー(部下・スタッフ・社員・国民)に伝わらないのは、頭で理解したものa0212807_5492975.jpgのリーダー(上司・指導者・社長・首相)の品格や情熱にチカラがなく、メンバー(部下・スタッフ・社員・国民)の心に届かず感動しないからです。
そんなリーダー(上司・指導者・社長・首相)の指導・命令が実行に移されることはなく、むしろウンウンと頷く表情に騙され、結果として無視され面従腹背と同じ背任行為になるでしょう。
人は、安易(やすき)に流れるもの、一旦手に入れた安易は、捨てたくないというのが、人間の保守的な生業(なりわい)です。
感情と理性は、家庭のコミュニケーションを良くするためにも、会社発展の事業改革にも、まして国家100年の大計と安寧のために取組む変革にも不可欠な要素です。
a0212807_5521112.jpg子供たちは、親の言うことに感動すれば、素直に心を開いて言うことを聞くもの、部下は、部下で、普段から上司をしっかり観察しているもの、日ごろから何事にも率先垂範し、人の先頭に立って行動しているリーダーの一言なら厳しい指導でも命令でもスタッフは、素直に言うことを聞き、積極的に動くもの‥「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かじ」です。
a0212807_5543065.jpgさて感情よりも、もっと厄介なものが、理屈抜きの生理感(好き嫌い)です。
生理的な好き嫌い、これは、まったくどうにもなりません。
生理的に好きの典型が、恋心で、生理的に嫌いの典型が、暴力です。
生理的に嫌いな相手の言葉や立ち振る舞いを我慢するのは、凡人にとって至難の業です。
相手への不愉快な嫌悪感にキレて罵(ののし)り‥とまあ、そこまで至らなくとも黙って早くその場を立ち去ることが、感情の平穏を保つベストの方法で、私は、不愉快で生理的にガマンできないことやガマンできない人に遭遇するとそうするようにしています。
しかし、政治だけは、別‥どんなに不愉快で生理的にガマンできなくても、納税者として選挙権を有する主権者として投票場でガマンできるギリギリの政治家を選ぶか、NO!の投票をしています。
by blues_rock | 2014-09-01 00:01 | 人生/愛(Love) | Comments(0)
人生に定年は ありません
老後も余生もないのです
死を迎えるその一瞬までは(自己認識あれば) 人生の現役です
人生の現役とは 自らの人生を悔いなく生き切る人のことです
そこには老いや死への恐れはなく尊く美しい老いと安らかな死が あるばかりです
a0212807_21351684.jpg
福井県の曹洞宗永平寺を訪ねたとき壁に貼られた紙に認(したた)められていた言葉です。
永平寺を開山した道元禅師(1200~1253)が、記(しる)した‘正法眼蔵’からのメッセージで道元禅師は、ひたすら坐禅する姿こそ仏であると‘只管打坐(しかんたざ)’の禅を伝えました。
良寛和尚(こちら)は、道元禅師の‘正法眼蔵’で禅を学び、生涯‘只管打坐’(ひたすら坐禅すること)を実践しました。
by blues_rock | 2014-08-07 23:41 | 人生/愛(Love) | Comments(0)
‘衣食住’足りても、いまだ礼節なき豊満ニッポン、コクミンの欲望は、欲そのままに、いとも簡単に手に入り、働ける若者たちは、働かずに部屋に引きこもり、いずれ必ず訪れる老後(介護生活)資金となる「年金」の掛け金すら払わず、やがて年金給付のない無収入者になったとき、哀れを乞い‘生保(ナマポ)’に命の糧を求める少子a0212807_2093579.jpg化っ子たちの祖国日本国に未来はあるのでしょうか?
そんな世界に冠たるパラサイト福祉国家ニッポンの愚かな親たちは、子供のしつけが一番大切な幼少年期に放任し、学校教育は、モンスター・ペアレンツとのイザコザを避け事なかれ主義‥人として最も重要な‘権利と義務’という自由と民主主義の要諦を子供たちは、ダレからも教わらず、そのまま未成熟な大人(欲情性人)になります。                   (写真:九州ロマンチック街道から)
a0212807_20115874.jpg十代で妊娠し望まぬ出産で生まれた子供は、若い親に虐待され‘ほんの二つで死んで逝く’、そんな悲しい星の下に生まれた幼い子供たちの魂を一体ダレが、救済するというのでしょうか?
先日のニュースで、産んだ母親は、子育てを放棄し家出したまま行方知れず、親の自覚なき父親からは、虐待され水も食べ物も与えられず一週間放置された挙げ句、最期にかすかな声でひと言「‥パパ」とつぶやき、死んでいった幼い子供のことを伝えていました。
a0212807_22163416.jpgこの無垢な幼子の魂は、ダレが、救済するのでしょうか?
神さま?仏さま?‥いえ、いえ、このままでは、来世の地獄で、業火に焼かれるであろう現世の衆生(すじょう)たちが、この幼子の魂を救済せねばなりません。
「ほんの二つで死んでゆく」(こちら)は、残酷な親(鬼のような大人)に虐待され死んで逝ったすべての子供たちに捧げる鎮魂歌です。 
by blues_rock | 2014-07-10 00:10 | 人生/愛(Love) | Comments(1)
私が、子供のころの筑後平野は、夜ともなると辺り一面真っ暗闇で、道と田圃(たんぼ)の区別付かず運動靴のまま田植えの終わった水田に足を踏み入れたものでした。
夏の盛りも過ぎ夏休みが終わるころになると、農道と畑の境に埋められた大甕(おおがめ、‘肥溜め’のこと)のまわりには夏草が、背高く生い茂り、遊びに夢中の子供たちにとって‘肥溜め’は、いつも死角でした。
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チャンバラやトンボ捕りに夢中な子供の私は、畑の有機肥料として農家の厠(かわや、汲み取り式便所のこと)から汲み出された屎尿(しにょう)が、発酵熟成した大甕(おおがめ、肥溜めのこと)に一度ならず落ちました。
肥溜めに胸まで浸かり、熟成した屎尿の匂いが鼻を突く中、やっとのことで這い上がり家に帰ると母親が、「キャー!」と悲鳴をあげ、近くの堀(クリーク こちら)まで野良犬を追うように、シッシッと言いながら私を連れて行き
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まるで汚物を洗うかのように(確かに‘汚物まみれ’でしたが)ゴシゴシと全身を洗ってくれました。
私は、発酵熟成した肥溜めの中が、温泉のようにとても温かったことと母親に連れて行かれた堀(クリーク)の水が、やけに冷たかったことを憶えています。
by blues_rock | 2014-01-31 23:50 | 人生/愛(Love) | Comments(0)