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心の時空

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a day in my life

カテゴリ:柏原生活/博多叙景( 145 )

福岡市のチベットと揶揄(からか)われる私の村、柏原からマイ・カーで、長丘~小笹~福岡市 動・植物園を経由し、天神や薬院へ向かう(朝夕の通勤・通学時間を外せば、最短距離の最短時間)とき、あるいは、福岡市 動
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・植物園から桜坂経由で六本松に出るときなど県道555号線ルートで出かけます。
この県道555号線を桧原から小笹(右折し平尾に向かうと山荘通り)への両沿道には、いろいろな飲食店や日用
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品を商う店が、並び賑わっています。
私は、‘とんかつ’を食べたくなると、長尾中入口交差点そばにある「とんかつ 廣(ひろ)」に立ち寄ります。
a0212807_10450852.jpgヒレかつ、ロースかつ、おろしかつ、かつカレー、かつどん、などメニューにあるもの どれを選び 何を食べても ‘美味しんぼ’ です。
豚肉は、厚切りで柔らかくジューシィで、さくさくとしたキツネ色の衣が、口当たり良く、食味感満点です。
行きでも帰りでも食事時間に県道555号線を車で通られる(バスなら56~59番「上長尾」停下車すぐ)ことあれば、お薦めいたします。

by blues_rock | 2018-04-14 00:04 | 柏原生活/博多叙景 | Comments(0)
a0212807_02471132.pngあなたに昔のことを話そう   大人にならないと 分からないかもしれない   そのころのモンマルトルには、リラの花が、二人のアパートの窓辺まで 覆っていた
備え付けの粗末な家具が、あるだけの部屋で 二人は、暮らしていた
私が、腹減ったと叫び、あなたは、ヌードモデルになってくれていた
ラ ボエーム、 ラ ボエーム   二人は、幸せだった   ラ ボエーム、 ラ ボエーム   二人には、二日に一度しか食べるお金しかなかった
近くのカフェで、若い二人は、不思議そうに見られていた   いつか有名になろうと、貧乏で腹を空かしながら、a0212807_02471530.jpg二人は、明日を夢見ていた
どこか食堂で 温かくて美味しい食事をするために、絵を売った   二人は、詩を朗読しながら ストーブの前で寄り添い、冬の寒さを忘れていた
ラ ボエーム、 ラ ボエーム   とてもきれいだったあなた   ラ ボエーム、 ラ ボエーム   私たちは、情熱にあふれていた
画架の前で夜が、明けるまで 絵を描いていた   デッサンの胸や腰の線に手を入れていると朝が、来ていた   仕事が、終わり 二人は、カフェオレを飲んだ
徹夜で疲れていたけど、満ちたりていた   二人は、愛し合うことで生きていることを実感していた
ラ ボエーム、 ラ ボエーム   二人が、若かったころ   ラ ボエーム、 ラ ボエーム   二人は、青春の夢a0212807_02472192.jpgに生きていた
ある日、二人が、暮らしていた界隈を訪ねてみた   もう旧いアパートは、壁すらなかった   若い二人が、暮らした街は、なくなっていた
私は、屋根裏部屋のアトリエを探してみたが、もう何も残っていなかった   新しい建物になり、モンマルトルは、寂しそうだった
リラの花は、枯れていた
ラ ボエーム、 ラ ボエーム   二人は、若かった、二人は、無我夢中だった   ラ ボエーム、 ラ ボエーム   今となっては、もう何もない   青春の日々
(注 : 「ラ ボエーム」の詩の意味にできるだけ副うよう 少し私が、意訳しています。)
a0212807_02472554.jpg私の暮らす福岡市南区柏原は、樋井川の源流で桜が、この季節 美しく、油山の山麓から流れ出た水は、支流を作り樋井川の本流と合流し博多湾に流れていきます。
福岡市の貫線である海岸沿いに住む旧友は、ジョークで「柏原は、福岡市のチベットだ。」と私をからかいますが、東京暮らしの長かった私は、それが、うれしく私の自慢です。
その柏原にて3月31日、桜満開の春うららかな日、柏原公民館で 荒木陽一さんのシャンソンのライブ(1時間40分)が、ありました。
鄙には稀な シャンソン・コンサートに感激し、いそいそ出かけると公民館ホールいっぱいの来場者でした。
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途中休憩のとき、私の好きなシャルル・アズナブール(1924年生まれ御年94歳で現役、5月に東京と大阪でコンサートを開催、各1回ずつ 2時間のライブだとか、すごい!の一言)をリスペクトしている 荒木さんに声をかけ、アズナブールの「ラ ボエーム」をリクエストしたところ、セットリストを変更して後半すぐに歌っていただけました。
a0212807_02234015.jpg目を瞑り 聴いていると涙が、あふれてきました。
このところ絵や映画、音楽など感動する作品に出遭うとめそめそ泣くようになり、認知症初期周辺症状の ‘感情失禁’ かもしれないと自分を疑っています。
荒木さんは、来る7月7日 天神のアクロス福岡でコンサートをされるとか、チケットを申し込むドサクサに、アズナブールの「イサベル」をセットリストに入れていただくようお願いしたら「あれは、気恥ずかしくて歌えません。」と笑いながらスルーされました。
荒木さんには、「イサベル」が、歌えるシャンソン歌手になって欲しい(日本にいないので)と思います。

by blues_rock | 2018-04-04 00:04 | 柏原生活/博多叙景 | Comments(0)
二月の福岡市南区柏原は、雪国のように寒かったものの三月になり、私の住まうマンション前の梅が、満開となり見ごろ(下写真)となりました。                    
a0212807_14534758.jpgロンドンに住む私の一番若い友だちからは、ラインで元気との雪便りが、届き幸せなほっこりした気分です。
東油山の丘陵地区にある柏原には、梅林が、至るところにあり、寒さの緩むこの季節は、まさしく早春賦の風情を漂わせます。
余談ながら、西油山の丘陵地帯の城南区「梅林」(地下鉄「梅林」駅もある)に、梅の林が、まるでなく、市街化のために梅林を伐採したのだなと私は、長い間思い込み、憤慨していましたが、友だち(元大学教授)から、地名「梅林(うめばやし)」の由来は、大雨による土砂崩れ防止策として丘陵の凸の土砂を利用して谷の凹みや山裾をさっさと埋めた「埋め早し(うめはやし)」にあると聞き、胸の痞(つか)えが、とれ妙に納得しました。
a0212807_14535315.jpgまさに今 目の前の春夏秋冬 移ろう季節の美しい自然の景観を愛で、大気に浸ることこそ日本芸術の真髄「侘び寂び雅び」に触れて体感する最良の術かもしれません。
来年もまた桜を見たいな・・と、想うとき、今日一日大事に暮らしているかな、とふと自問自答している私が、います。
ならば、そう想って毎日暮らせば良いものを、桜の季節だけとは、嗚呼、情けないなあ。

(左写真 : ロンドンから雪の便り、ハナ=ミズキ・T・ラムナラインちゃん、5歳)

by blues_rock | 2018-03-03 00:03 | 柏原生活/博多叙景 | Comments(0)
私の住まう福岡市南区柏原は、二月になって寒くなり、降雪続きで三瀬峠の向こうへ行けず 三瀬街道探訪 の続きが、できないで意気消沈していました。
寒さで近くの梅林で膨らんだまま開花しなかった梅の花の蕾が、三寒四温の兆しを受けて一斉に咲き始めまa0212807_21483610.jpgしたので、思い立って梅屋の新春企画展(2月10日~25日)に行きました。
梅屋で、鉄製のおもしろい壁フック2個、東南アジアのどこかで使われていたものであろう木製の塗り鉢(カシュー系塗料と推察)3椀、インドの木製の柄杓(ひしゃく)、信楽の小振りな茶碗など手に入れ、今日の次の目的地は、三瀬峠の向こうにある三瀬そば街道の「そばとそばの芽料理 木漏れ陽(こもれび)」でした。
a0212807_21484208.jpgこの日、木漏れ陽で食べた手打ちそばは、自家そば圃場(そば畑)で収穫された北山そば(在来種の地域そば)の新そばでした。
薄い緑白色した北山そばの艶は、見た目にも美しく、「いただきます」と食べ始めると、しっかりした歯応えと独特のそばツユの味が、そばにマッチして美味しく、あっという間に喉を通り食べ終えました。
そば猪口に残ったツユにそば湯を入れて「ごちそうさま」と大満足、そばとそばの芽(スプラウト)の「木漏れ陽コーa0212807_21484662.jpgス檜」は、手打ちの新そば、そばの芽スムージー、そばの芽の和え物、そばの芽サラダ、そば豆腐、そばの実雑炊、そばの芽ゼリーと続く7品のコースです。
そのあと三瀬そば街道の道筋にある ‘やまびこの湯’ で、ひとっ風呂浴びて帰り スヤスヤ安眠、邯鄲 邯鄲 夢の枕 ‥ 嗚呼、極楽極楽。

by blues_rock | 2018-02-19 00:09 | 柏原生活/博多叙景 | Comments(0)
私の住まう柏原は、福岡市南区油山の東裾野に位置し樋井川の源流となる糠塚川へ湧き水が、流れ出る山の麓にあります。
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その昔、油山一帯が、椿の木に覆われ、椿油は、日本髪や美肌(スキンケア)、食用油として日本人の生活に欠かせない必需品であったころ油山が、昔その椿油の大生産地であったことに地名は、由来しています。
a0212807_04002052.jpg椿の実を絞ったとき流れ落ちた椿油が、樋井川に流れ浮いた椿油は、延々博多湾まで続いていたそうな ‥椿油の山が、油山の名前の由来というわけです。
さて、柏原から早良区石釜にあるクラフトの店 梅屋へは、福岡市立油山牧場から那珂川町を経由する裏ルートなら、ずいぶん近く20㌔、30分くらいで行けます。
梅屋を初めて訪れる人は、三瀬街道(国道263号線)沿いとはいえ、人里離れたこんな辺鄙なところに ・・なんで?と、きっと感じられる脊振山系麓(ふもと)の石釜集落にあります。
佐賀市に抜ける三瀬街道は、三瀬峠にループ橋と三瀬トンネルができ少しずつ賑わいながらもまだローカル、「クラフトの店 梅屋」は、そのまま福岡市中心街の天神や博多駅構内デパートに移しても遜色ない店舗です。
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しかしながら、梅屋室内の窓から眺める自然の静謐な景観は、如何せん市街地へ運べないのでこの辺りの自然と一体化した梅屋が、在る場所は、やはりここにしかないのでしょう。
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全国の工芸作家の作品や全国各地の消えていく民芸の日用品類を紹介している梅屋は、鄙にも稀な工芸と民芸の店です。
a0212807_04003893.jpg梅屋の扱う作家の作品は、毎日の生活で使い続けながら生涯を伴にする美しい器や味わい深い日用品ばかり ・・ もし使い込んで痛みキズついても壊れても作家の方や後継者の皆さん方が、永久(とわ)にきちんと修理していただけるのだとか、ならば、自分の一番お気に入りの食器や日用品類で一度しかない大切な人生を大いに楽しんで欲しいと思います。

by blues_rock | 2018-02-04 04:04 | 柏原生活/博多叙景 | Comments(0)
いまインフルエンザが、世界的に猛威を振るって(パンデミック=大流行して)います。
a0212807_12041929.jpgちょうど100年前の1918年、インフルエンザ(A型)が、世界中いたるところで猛威を振るい当時‘スペイン風邪’と呼ばれ1億人くらいの人が、亡くなりました。(こちらを参考にしてください。)
1918年のインフルエンザ・パンデミックは、カナダの渡り鳥(カモなどの水禽類)が、国境を越えてアメリカ北西部へ飛来、そしてアメリカの豚に移し、豚から人へ ‥ 当時、世界は、第一次a0212807_12041397.jpg世界大戦中(1914~1918)で、参戦していたアメリカが、アメリカ北西部にあった陸軍基地からインフルエンザ病原体に感染していた兵士たちをヨーロッパ各地の戦線へ出兵させていたことで一気にアメリカ発生源の‘スペイン風邪’は、ヨーロッパから世界中の植民地へ拡散しました。
a0212807_12044267.gif第一次世界大戦は、ドイツ帝国を相手にドイツと仲の悪いフランスとイギリスが、中心となってアメリカも巻き込んだ戦争、ヨーロッパ諸国は、少なからず戦場となっていましたが、当時の大国で、第一次世界大戦に参戦しなかったのは、スペイン王国だけ、戦渦に巻き込まれた国々が、インフルエンザの猛威(パンデミック)に対応できず混乱しているとき唯一スペインは、インフルエンザの情報収集や医療行為に対応できました。
というわけで‘スペイン風邪’と呼ばれたインフルエンザの感染者は、人類の5億人以上と推定され死者が、a0212807_12044703.jpg5,000万人から1億人に及ぶと言われています。
当時100年前の世界人口は、18億~20億人であったことから、全人類の30%近く(3人に1人)が、インフルエンザに感染していたことになります。
高病原性インフルエンザ ウイルスは、A型、B型、C型の3タイプが、あり A型は、突然変異を容易に行ない長期間潜伏する攻撃性の強いウイルスで、B型が、突然変異a0212807_12045130.jpgは、するものの短期間潜伏型のウイルスで攻撃性もさほど強くありません。
C型に至っては、ウイルス感染しても幼い子供や衰弱した病気の大人、抵抗力のない老人以外あまり心配する必要もないでしょう。
インフルエンザとは、イタリア語で「星の影響」という意味だそうな ‥ ‘自然の神秘’という意味合いのことなのでしょう。
a0212807_12062145.jpg確かに「アヒルなどの水鳥は 鳥インフルエンザになりません」が、カモなどアヒル類の渡り鳥(水禽類)は、鳥インフルエンザ病原体(ウイルス)と共生していて高病原性鳥インフルエンザ病原体にもヘッチャラです。
ではなぜ、高病原性鳥インフルエンザに感染している多種多様な水鳥が、インフルエンザにならないのか? ‥ それを‘自然の神秘’と先人たちは、a0212807_12061751.jpg呼びましたが、鳥インフルエンザ ウイルスは、宿主(ホストである水禽類の腸管にホームステイ)を攻撃することは、ありません。
日本の場合、ユーラシア(中国とロシアの)大陸から渡って来る水鳥(渡り鳥)が、病原体(インフルエンザ ウイルス)を体内に抱え日本列島に飛来、日本各地の水場(湖・河川・沼池・湿地)で野鳥にウイルスを感染させ、ウイルス汚染された野鳥a0212807_12062658.jpgは、エサの多い養鶏場で多数の鶏に感染させ養鶏農家に大きな被害を与えています。
その高病原性鳥インフルエンザが、やがて豚を介して、ヒトウイルスに突然変異すると私たち日本人を攻撃 ‥ 流行性感冒として蔓延し時として死に至らしめるインフルエンザとなります。
a0212807_12440622.jpg自然の中で有機給餌による放し飼いやオープンな鶏舎での平飼いは、鳥インフルエンザのリスクが、高く、採卵養鶏、ブロイラー養鶏は、ウイリス汚染リスクを避けるため外界との接触を断ったウインドレス鶏舎によるゲージ飼いが、主流となりつつあります。
長くなりますので、この続き‘自然の神秘’に、興味のある方は、こちら を、さらに「食の安全と安心(安全≠安心)」に関心のある方は、こちら をご覧ください。

by blues_rock | 2018-01-31 00:01 | 柏原生活/博多叙景 | Comments(0)
昨年10月、「博多漆芸研究所」に移籍し(金継ぎ工芸会から移り)、早4か月、光陰矢の如し です。
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今年2018年の1月から「博多漆芸研究所」は、天神の金継ぎ工芸会(の間借り)から福岡市中央区六本松一丁目の裏六本松と呼ばれる昭和レトロな界隈に移転、装いも新たにオープンしました。
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今から一万年前、日本列島で縄文人が、生活していた時代すでに彼らは、漆を使う技術(智慧)を持っていたことが、縄文遺跡から出土する漆工芸の遺物から証明されています。
a0212807_04510572.jpgその漆芸の智慧は、弥生人から倭人(やまとびと)、そして今につながる古代日本の先祖を経てわが国の伝統工芸として受け継がれています。
漆工芸は、漆という一筋縄では、いかない‘天然素材’のご機嫌を窺いながら、塗り(または拭き)、乾かし(漆は、温度25℃前後&湿度70%前後でないと乾かない)、研いで磨いて完成させます。
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金継ぎは、漆工芸技術のひとつで‘茶の湯’が、生まれた室町時代に端を発し、茶道具を愛する茶人たちにより育てられた漆芸です。 (参考 : 鮨の のっている織部長皿は、拙 色漆直しです。)
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私は、8年間余り金継ぎばかりしてきましたが、余技にしていた漆遊び(遊戯)から少しウィングを広げ金継ぎも含めた漆工芸に余生の時間を充てようと「博多漆芸研究所」の研究員になりました。
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何かひとつ自己満足できる傑作を地球土産に私のふるさとアンドロメダへ旅立ちたいと思っています。
博多漆芸研究所の並びには、私が、時おり訪ねる「節魚(せちざかな)すし宗」もあり、宗俎預り人の握る美味し
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い‵博多前鮨’ をいただきながら大の先代自然坊(じねんぼう)窯ファンであるご主人と延々、器の話をする(勝手に私がオシャベリしているだけでご迷惑かも)のは、無上の喜びです。
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下の写真は、先代自然坊窯の小皿です。
ほかにも数多、先代自然坊窯のコレクションが、あります。
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博多漆芸研究所と節魚すし宗の間に、洒落たコーヒーショップ(Day's Cup Cafe)やサンドイッチハウス(SOS)など昭和レトロな裏六本松ならではの、いろいろな店が、ありますので、のんびり散歩して、ホッコリするのに好い
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かもしれません。
そうそう、博多漆芸研究所前のステーキハウス「跳牛(HANEUSHI)」のメンチカツランチもヤミヤミです。
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by blues_rock | 2018-01-19 00:19 | 柏原生活/博多叙景 | Comments(0)

東京に住んでいたころ、仕事に疲れ、しんどくなると当時銀座5丁目の東芝ビル 5階にあった「相田みつを美術館」に行き、深呼吸していました

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相田みつを(19241991)の詩と書を見ていると肩の力が、抜けて心も次第に解(ほぐ)れていくように感じられました。

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‘相田みつを’の詩をいつも笑顔で接してくれるあなたに贈ります。
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by blues_rock | 2018-01-15 15:15 | 柏原生活/博多叙景 | Comments(0)
a0212807_13512258.jpg三瀬そば街道めぐりの三箇所目は、「そば処三瀬 松玄」です。
年越しそばのつもりで昨年暮れ(12月30日の午後)に訪ねたのですが、早々に‘終了しました’の告知にがっかりして帰りました。
そして、年明けの初そばにと出かけ「十割そば(せいろ)、三瀬鶏と野菜のてんぷら」を食べて来ました。
a0212807_13542191.jpg十割(玄そば1と丸抜き9)手打ちそばの松玄では、前日玄そばと丸抜きを店内の石臼で挽き当日朝、生粉を手打ちし提供しているのでお客様が、多ければ早く売り切れるのも仕方のないことでしょうね。
席に案内され供された‘そば茶’を啜ると香ばしいそばの香りが、鼻を抜け、しばらく待つとせいろとてんぷらの登場、当日のそばa0212807_13561536.jpgは、茨城産の新そばでした。
マイルドな出汁の味と細切り十割そばの相性が、すばらしくあっと云う間に食べ終わりました。
とろりとしたそば湯も美味しく、それもそのはず、松玄のそばに使用する水は、地下103mから汲みあげた脊振山系の地下水(ミネラルウォーター)で、一年を通して15℃ ‥ 食の素材と水の良いところ美味いものあり、正にそのとおりを実感いたしました。
帰りは、いつものとおり、ヴィレッジ アンティークならびにアンティークモール(左の2点を180円!で ‘金継ぎ’用に購入するも金のほうがずっと高く、新たな悩み)、さらにもう一箇所、クラフトの店 梅屋に寄りながら帰宅しました。
by blues_rock | 2018-01-10 00:10 | 柏原生活/博多叙景 | Comments(0)
a0212807_850546.jpgいつの頃から大晦日に年越しそばを食べるようになったのか、私は、知りませんが、普段の暮らしは、盆も正月もないだらだら生活をしていながら大晦日になる年越しそばを、正月になると焼き餅を無性に食べたくなるのは(普段食べているのに)、長年の生活習慣ゆえのことでしょうか?
というわけで、三瀬そば街道に年越しそばを食べに行きました。
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先日、<西国御領 風羅坊>に行きましたので、今回は、今年友だちになったパイプオルガン奏者の方のイチオシそば処「松玄」に直行 ‥ するも午後2時を回ったばかりながら駐車場入口に「終了しました」の告知版を見てa0212807_9371017.jpgがっかり、営業時間が、短い(11時半から15時まで)のは、知っていましたが、大晦日を前に近年とみに人気スポットとなった三瀬そば街道へ私のように前倒しの年越しそばを食べに行く人たちも多いのでしょう。
というわけで、引き返し次回行こうと思っていた三瀬街道の人気そば処<三瀬そば>に向かい‘板そば’を注文、その食感と喉越しに満足しました。
年越し板そばを食べたあとは、いつものようにヴィレッジアンティークとアンティークモールに立ち寄り‘見るだけ’のつもりが、金継ぎと拭き漆用の‘掘り出し物’(アンビリーバブルな価格でした)を三つ四つ見付けるといつもの悪いクセで衝動買い、年越しの宿題(上写真2枚)まで抱えて帰りました。
拙ブログを一年ご覧くださりありがとうございました。
良いお年をお迎えください。
by blues_rock | 2017-12-31 12:31 | 柏原生活/博多叙景 | Comments(2)