
韓国映画の新作「連鎖」は、人の心にある「信頼と偏見」について問いかける作品で、 キム・ジョンシク監督(プロファイル不詳)の長編映画 デビュー作品です。

キム・ジョンシク監督は、多くの 日本映画監督をリスペクトし、小津安二郎、黒澤明、溝口健二、今村昌平、成瀬巳喜男、川島雄三、小林正樹、大島渚、伊丹十三、宮崎駿、高畑勲、是枝裕和などの監督作品を愛しているとの

ことです。
ジョンシク監督デビュー作の「連鎖」も 知的障碍をもつ青年と云う主人公は、いますが、主人公に関わる(あるい

は、絡む)登場人物たちの中にある “偏見” と “信頼”(先入観や思い込み、認識の誤り)を 群集劇(人間ドラマ)として見せる ジョンシク監督の演出は、日本映画の人情劇のようです。
韓国のとある小さな村で起きた センシティブ(sensitive 過敏に反応するそれぞれの感情的こと)な事件を通じて、人間(人々)は、真実にどこまで近付け、自分の 信念と 価値観を貫いて、事件の

事実(目撃情報も含め)を冷静に捉え、迎合する大衆心理に背を向けて 真実を省察する力が、私たちにあるのだろうかと ジョンシク監督は、問いかけています。
「
はちどり」の撮影監督 カンクヒョン(プロファイル不詳)の映像も秀逸です。
「連鎖」の原題「Stone Skipping」とは、主人公の知的障碍をもつ青年 ソック(キム・デミョン 1980~)が、時おり家の近くの池で

平たい小石を投げ 水面を滑らせる遊びのことながら、やがて “偏見”の池に沈んでいく 彼の心への ‘メタファー’だろうと思います。
プロットは、まったく違いますが、‘少女と青年’を主人公とする韓国映画では、「
声もなく」もまた “偏見” と “信頼” (こちらは、裏切りが、隠し味になっていますが)を描いています。

知的障碍をもつ青年 ソックを演じる韓国の キム・デミョンを見ていたら 2010年中国映画「
海洋天堂」で 同様の知的障碍をもつ青年を演じた中国の ウェン・ジャン(1984~)を憶い出しました。

キム・ジョンシク監督は、きっと1962年映画「
シベールの日曜日」への オマージュとして撮ったのかもしれません。
村外れで 親の遺した小さな精米所を営む青年 ソックは、30代ながら知能が、8歳ほどの知的障碍者でした。
村の人々は、彼を優しく見守り、中でも村人からの信頼が、厚い神父(キム・ウィソン1965~)は、ソックを我が子のように愛していました。

この平穏な村に 家出少女 ウンジ(チョン・チェウン 2005~、映画初出演)が、突然現れ、少女を保護することになった児童養護シェルター所長の キム先生(ソン・ユナ 1973~)は、持ち前の強い正義感で彼女を守っていました。
ある日、恒例の村の祭りが、開催され、村人に連れられ ソックも、児童養護シェルターの ウンジもまた友だちと

一緒に参加しました。
その祭りの最中、イスにかけられていた上着からサイフが、盗まれ、祭りに来ていた村人たちは、身寄りのない家出少女 ウンジが、犯人だと疑いました。
しかし、盗みを目撃し 真犯人の顔を知るソックは、盗んだ男を捕まえ ウンジを救いました。
それを機に、ソックとウンジは、友達となり、仲良くなりました。

心配する所長の キム先生に神父は、「二人を見守ろう」と声をかけ宥(なだ)めました。
ある雷雨の夜、シェルターを抜け出し、ソックの精米所を訪ね、彼のいない暗い精米所の スイッチを入れた時、感電事故が、起きました。
そこに来合わせたソックは、気を失い倒れている ウンジを見つけ驚き、気が、動転し 彼女を介抱しました。

シェルターを抜け出した ウンジを捜していた キム先生は、雷光で時おり光る暗い精米所内で 必死に ウンジの介抱している ソックの行為を目撃、彼を少女への性犯罪者として警察に通報しました。
ここから映画は、見ている人たちへ キム・ジョンシク監督から “偏見と信頼”について「私たちの普段の暮らしにもたくさんあるはずです。」のメッセージになります。
ソックの心は、深く傷付き、身寄りのない彼に残ったのが、絶望でした。