その昔、狂ったみたいに 絵を描いていたころ、どこへ行くにもクロッキー帖を持ち歩き、みさかいなく目の前のものを描いていました。
今なら注意されるか、訴えられるかもしれないくらいに 厚かましく電車の中でも 喫茶店でも目の前に座っているか、立っている人を描いていました。
いつも何か描いていないと不安で仕方なく まさしく強迫観念症でした。
だから、作品にするためと云うより 見えるものを瞬時に観察し表現するクロッキーの技法 つまり線描デッサンの訓練をして気を紛らわせていました。
なかなか上手くならず 観察力=表現力=描写力の 技量不足を痛感し、足繁く美術館や画廊に行き感動するデッサン探しをしました。
鯨飲するように見ましたが、イタリア・ルネッサンスの御三家、
ダ・ヴィンチ、
ミケランジェロ、
ラファエロのデッサンには、ため息が、出てひれ伏すのみで、話にならず、私の目に飛び込んで来たのは、‘
マチスのクロッキー’でした。
美術大学を受験するわけでもないのに 観察力と描写力を付けようとせっせと石膏像を前に木炭デッサンにも挑戦しましたが、表現する能力の刺激には、なりませんでした。
そのころ油絵に夢中で、
山口薫の絵に心酔していたこともあり、次第に デッサンもクロッキーもしなくなりました。
やがて油絵を描かなくなり、好きで彫っていた木版画もしなくなりました。
それ以来、私は、‘自分の絵’を描かなくなると、それまで何かに囚われていた(束縛されていた)私の精神が、解放され自由になりました。
するとどうでしょう、それまで見えていなかったものが、鮮やかに見えるようになりました。
私は、絵を描いているころ、頭で絵を描き、頭で絵を見ていた呪縛から解き放たれました。
それ以来、私は、「自分の心が、躍動し、わくわくするもの、感動で胸が、どきどきするもの、精神が、浮き立たつものだけ」を見るようになりました。
その時から、私にも線が、少しずつ見えるようになりました。
紙の上に、たくさんの線を描いて、カタチを創る一本を残し 後は、全部消してしまいます。
この時の描く道具は、消しゴムです。
消しゴムは、余計なもの(無用な線)を削り取るためのノミや彫刻刀のような道具、つまり絵の描写(クロッキーや
デッサン)に必要なのが、鉛筆と同等に描く道具としての消しゴムで、大切な役割を担っています。
そんな ‘発見’ もまた絵を描く魅力、絵を見る楽しさです。