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心の時空

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麗しき 奥高麗茶碗

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茶碗と云えば、室町時代以前、倭国(わこく、邪馬台国など大和王権国家の時代、未だ大和朝廷に至っていない)が、当時 皇帝(王朝)の支配する律令国家 中国の文明と 文化を学ぶため 遣隋使(600~618)・遣唐使(630~894)を派遣していた時代から 中国は、天目茶碗(宋時代の茶産地、天目山で多く焼成された茶碗の総称、、中国茶盌の代名詞)で茶を嗜んでいました。
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760年、唐時代きっての 茶のスペシャリスト陸羽が、「茶経(世界最古の茶の専門書)」を著し、当時の茶碗は、100㍉程度しか湯を注げない「茶盌(小ぶりな茶器)」であったろうと推察、福岡の鴻臚館(6世紀、那の津や大宰府にあったゲストハウス)の遺跡からは、少し後の宗時代の天目茶碗(こちら 参考)が、発掘されています。
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室町時代(1336~1573)になると 禅宗由来の喫茶(きっちゃ)が、茶の湯として広く禅僧以外の武将や商人たちにも嗜まれるようになり、禅の精神を表わす 侘び寂びの趣向と相俟って、朝鮮半島の穴窯で焼成された高麗茶碗を 茶人たちは、競って愛でるようになりました。
茶の湯は、次第に隆盛を極め、その頃 秀吉の命で朝鮮出兵していた茶人の大名たちは、秀吉の死により朝鮮半島か麗しき 奥高麗茶碗_a0212807_08154284.jpgら引き上げるとき、一緒に朝鮮人陶工たちを渡来させ、唐津に移住した朝鮮陶工たちが、様々な古唐津茶碗、いわゆる ‘高麗茶碗’を唐津から平戸にかけての広い松浦地域で焼成し始めました。
それより以前(秀吉の朝鮮出兵以前)から、この松浦地域には、すでに 松浦党波多氏傘下の朝鮮人陶工たちが、朝鮮半島の作陶技術で窯を営み、日常生活用の茶碗を始め様々な陶の雑器を地道に焼成していました。(詳しくは、こちらをご参照ください。)
この時代(秀吉朝鮮出兵の以前と以後が、ポイント)、この唐津岸岳より西の松浦で焼成された茶碗を「奥高麗茶碗」と称し、数寄者の茶人たちは、古唐津の高麗茶碗と区分して愛でています。
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麗しき 奥高麗茶碗_a0212807_08154878.jpg「奥高麗」の「奥」は、‘古い’という意味で、古唐津の高麗茶碗よりさらに古く、数も非常に少ないので珍重され、途轍もない価格(上写真の価格は、1500万円)で取引されるのです。
古唐津の奥高麗茶碗も 高麗茶碗も 土モノで山の傾斜を利用した登り穴窯の焼成なので、焼きの温度も今のように高温度(1200度以上)ではなく、さらに愛用され続けたことによる経年劣化は、避けられず、ほとんどの茶碗に「金継ぎ」 が、施されています。
これもまた古唐津茶碗の景色として、無疵の茶碗と同格で数寄人たちに愛でられ大切にされていますので 古唐津陶は、実に不思議な世界です。 (付録 : 極めて珍しい 古唐津の天目茶碗 ⇐ クリック願います。)

by blues_rock | 2020-07-01 01:07 | 金継ぎと古陶/漆と蒔絵 | Comments(0)