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心の時空

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ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた   シネマの世界<第958話>

ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた   シネマの世界<第958話>_a0212807_20263101.jpg
人と人とのコミュニケーションで「絆」と云うとき、どうも押し付けがましい感じと、お互いを縛り合うような響きが、あり、その点「寄り添う」と云う言葉の響きは、さらりとした自発的な思いが、感じられるので私は、コミュニケーシハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた   シネマの世界<第958話>_a0212807_20275831.jpgョンと云う場合、こちらのほうを選んで使います。
いつも自分の頭で考え、自由に感じ、自分の意見や価値観をもち、同時に他者のそれを認めるオープンマインドが、大事で、そして自立・自助・自己責任に徹した生き方を貫く、そんな人生でありたいと私は、念じつつ毎日反省ばかりしています。
ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた   シネマの世界<第958話>_a0212807_20280240.jpg私が、拙ブログをせっせと書くのは、自分にできるわが未病(の可能性のある)認知症発症の事前チェックと併せ、さらに艶に云えば、自分の内に渦巻く、様々な喜怒哀楽を鎮静する行為(カタルシスの自慰行為のようなもの)かも ‥ 自分でもよく分かりませんが、たぶんそうだろうと思います。
ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた   シネマの世界<第958話>_a0212807_20285292.jpg前置きの駄文が、長くなってしました。
アマンダと僕」を見た翌日、音楽映画の新作をレイトショウで二本続けて見ました。
一作目は、アメリカ映画で若いころの夢を捨てきれないモラトリアムな父親とそんな父親より、ずっとしっかり者の、17歳の娘とのハートフルな音楽映画「ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた」(原題「Hearts Beat Loud」 心の高鳴り、ときめき)です。
ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた   シネマの世界<第958話>_a0212807_20285545.jpg二作目は、ポーランド映画で、第二次世界大戦後、冷戦(Cold War)下のポーランドと東欧を舞台に、当時の社会主義国家と政治体制の理不尽な現実に翻弄されていく音楽家(ピアニスト)と歌手の激しくも切なく哀しいロマンス(悲恋)を描いた音楽叙事詩映画「COLD WAR あの歌、2つの心」です。
まず、今夜は、AOR(アダルト・オリエンティド・ロック、大人向けのロックの意)ロックと心温まる映画が、好きと云ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた   シネマの世界<第958話>_a0212807_20291180.jpgう方にピッタリの音楽映画「ハーツ・ビート・ラウド」を紹介します。
音楽映画と云ってもミュージカルの類ではなく、音楽を人生の ‘心の糧’ にして生きている人たちが、主人公の映画(ヒューマン・ドラマ)です。
映画にアメリカにごまんといる悪意ある人(ほら何とかという大統領のような)は、一人も登場せず、ニューヨーハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた   シネマの世界<第958話>_a0212807_20560465.jpgク、ブルックリンの下町レッドホークを舞台に、閉店を決意したレコード店主のシングルファーザーと父想いながら、しっかり者の一人娘(母親は、父親のバンドメンバーでアフリカ系アメリカ人女性、娘が、幼いころ自転車事故で亡くなっている)との情愛を軸に 認知症の祖母、レコード店のある建物の大家の女性、場末のバー店主にして父親の旧いロック仲間でゲイの友人、娘の恋ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた   シネマの世界<第958話>_a0212807_20292188.jpg人(彼女たちも同性愛)などが、この父娘にからみながら「ハーツ・ビート・ラウド」の物語は、展開していきます。
主人公の父娘が、自宅アパートでのジャムセッションで、映画のタイトルにもなっている主題歌「ハーツ・ビート・ラウド」(劇中何度も流れます)ほか数曲歌い、劇中やラストシーンのレコード店内で開催されるワンナイト・ライブでも父娘デュオは、数曲歌い、二人が、歌うハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた   シネマの世界<第958話>_a0212807_20293490.jpg楽曲を聴いているだけで AORロック好きは、楽しくハッピィになります。
そして最後のシークエンスでの、O・ヘンリー短編集にある「賢者の贈り物」を想わせるエンディングが、これまたすばらしく ‘胸キュン’ 映画の好きな方にも必見の映画です。
ブレット・ヘイリー監督(1983~)は、主人公の大人になれない(若いころ憧れたロックバンドの夢を諦められないモラトリアムな大人ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた   シネマの世界<第958話>_a0212807_20295086.jpgである)シングルファーザーのフランク(ニック・オファーマン 1970~、楽器も歌も上手い)、その17歳の愛娘サム(カーシー・クレモンズ 1993~、黒い清んだ瞳が、きれいで、歌も上手い)、この二人に関わるレコード店の大家レスリー(トニ・コレット 1972~、穏やかな女性役も好い)、認知症の祖母マリアンヌ(ブライス・ダナー 1943~、70歳半ば
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ながら艶やかで美しい)、父親の旧友で ‘ウッドストック’ から巣立ちできないデイブ(テッド・ダンソン 1947~、渋い不良老年ぶりが、魅力的)など名優陣が、脇をしっかり締めています。
ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた   シネマの世界<第958話>_a0212807_20295764.jpgヘイリー監督は、まだ30代半ばなのに相当オールデイズ・ロックへの愛着が、あるようで劇中さらりと見せる「バーの壁にかかったステイタス・クォーのレコード・ジャケット」や「閉店セールで娘サムが、トム・ウェィツの名盤 ‘レイン・ドッグス’ を手に、こんなに安く売っては、ダメ」と云うシーンなどに、それを感じました。
映画ストーリーの骨子は、亡き愛妻の音楽才能を娘に感じる父親が、ロサンゼルスの医大へ進学しようと猛勉ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた   シネマの世界<第958話>_a0212807_20302460.jpg強している娘のジャマをし(巣立っていく娘との一緒の時間を惜しむように)唯一の生き甲斐(人生最大の喜び)である娘とジャムセッションするところから映画は、始まり、父と娘それぞれの過去(むかし)と現在(いま)のエピソードを挟みながら最後に二人の未来を暗示して(二人の行く末は、見る者の想像に託されて)終わります。 (上写真:ヘイリー監督とニック・オファーマン)
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父親役のニック・オファーマンと娘サム役のカーシー・クレモンズ二人の才能のケミストリーが、生んだ すばらしい音楽映画でした。
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異人種間結婚、ゲイ(同性愛)、オープンマインド(自由な精神)などを隠し味(アイロニー)に分断アメリカ社会に対するアンチテーゼをアピールしたヘイリー監督の才気は、なかなか秀逸です。

by blues_rock | 2019-07-07 00:07 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
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