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心の時空

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アマンダと僕   シネマの世界<第957話>

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フランスのミカエル・アース監督(1975~)長編映画三作目となる「アマンダと僕」(原題「AMANDA」)には、‘これ見よがし’のハデさは、ないものの東京国際映画祭でグランプリと最優秀脚本賞を受賞したのが、納得できるよ
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うな(他の作品を見ていないのでそうとしか言いようは、ありませんが)そんな秀作映画でした。
映画のプロットは、突然、降って湧いたような理不尽極まりない不幸な事件(イスラム教過激派の銃乱射による
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無差別テロによる殺人事件、死者130名、負傷者352名という2015年11月のパリ同時多発テロ事件が、下敷きとなっている)で犠牲となった7歳のアマンダの母にしてダビットの姉サンドリーヌの突然の死という不条理な現実
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を受け入れられないでいる二人それぞれの悲痛な心情と決して癒せない喪失感が、テーマながらアース監督(脚本も)の演出は、市井の多く人々が、犠牲になった銃器乱射による無差別殺人テロ事件の残忍さを感情的アマンダと僕   シネマの世界<第957話>_a0212807_03295991.jpgに告発するのではなく、被害者遺族である主人公の7歳の少女アマンダと24歳のアマンダの叔父ダビットの心に寄り添いながらも間合いをとって二人の悲痛と喪失感を丁寧に描いています。
映画は、冒頭、アマンダ(イゾール・ミュルトリエ 2008~)とアマンダの叔父ダビット(バンサン・ラコスト 1993~、2014年「ヒポクラテス」)、そしてアマンダ母でダビッドの弟であるシングルマザーのサンドリーヌ(オフェリア・コルブ 1982~、2011年アマンダと僕   シネマの世界<第957話>_a0212807_03300280.jpgゲンスブールと女たち」)、三人の仲陸しい母娘姉弟(きょうだい)の、何の変哲もない普段の生活を描きながら突然、アマンダとダビットにサンドリーヌの死が、唐突に告げられるところからドラマは、始まります。
そして、この二人にダビットと同じアパートに住むレナ(ステイシー・マーティン 1991~、2013年「ニンフォマニアック Vol.1、2」女優デビュー、2015年「パレス・ダウン」同2015年「シークレット・オブ・モンスター」、2017年「グッバアマンダと僕   シネマの世界<第957話>_a0212807_03300611.jpgイ・ゴダール!」と今や引っ張りだこ)、ダビット姉弟の叔母モード(マリアンヌ・バスレール 1964~)、二人が、幼いころ出奔したロンドンに住むダビット姉弟の母アリソン(グレタ・スカッキ 1960~)など絡ませながら起承転結、実に手際よく、被害者の決して癒せない心のダメージと不意に襲ってくる深い悲しみの喪失感をことさら大袈裟に描くのではなく、私やあなた、どこの誰にでもある、いつ壊れるか分からない 予想できない現実
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と意識していなくても付きまとう不安、いつ失うか分からない大切な人 そして愛 ‥ 最愛の人を失くしたアマンダとダビットの深く傷ついた心にそっと「寄り添う」ミカエル・アース監督の脚本と演出は、云うに及ばず、人間世界
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の不条理をパリの夏の柔らかい日射しが、いつもと同じように穏やかに包み込む景色を16mmフィルムで撮った名撮影監督セバスティアン・ビュシュマンの美しい映像さらに名匠オリヴィエ・アサイヤス監督作品を多く手がけアマンダと僕   シネマの世界<第957話>_a0212807_03303993.jpgる名編集者マリオン・モニエの巧みな構成は、映画のラスト、感動のシークエンスを見れば、良く分かります。
エンディンクのシーンをほんの少し紹介すると、生前サンドリーヌは、姉弟を捨てた母のアリソンに孫のアマンダを会わせたいこと、母を決して許そうとしない弟のダビッドに和解して欲しいとロンドンのウィンブルドン・テニス大会に行く約束をしていました。
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ダビッドは、姉サンドリーヌとの約束を果たすためロンドンに向かいます。
そして、ダビッドは、わだかまりのあった母アリソンと会いアマンダを紹介します。
アマンダと僕   シネマの世界<第957話>_a0212807_03304880.jpgウィンブルドンのセンターコートでアマンダとタビッド二人が、試合を見ているラストシーンは、美しく(アマンダをエクストリーム・クローズアップで捉えた奇跡の映像は、美しく必見!)心を打ちます。
主人公の少女アマンダを演じたイゾール・ミュルトリエは、偶然体育の習い事を終え教室から出てきたときオーディションのチラシをアマンダと僕   シネマの世界<第957話>_a0212807_03305313.jpg渡され、受けると演技経験が、まったくなかったにも関わらずアース監督は、直感でアマンダ役に抜擢しました。
冒頭、母サンドリーヌは、娘アマンダに「エルヴィスは、建物を出た」という読んでいる本の意味を教えますが、映画の最後、ウィンブルドンのセンターコートで試合を見ていたアマンダは、その本の意味を理解しました。
アマンダのその時の表情をカメラは、エクストリーム・クローズアップで捉え、スクリーンに映し出します。
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映画を見てあまり泣かない私ですら、このシーンは、感動の涙なくして見ることが、できませんでした。
(備考) 青文字をクリックすると記事に飛びますので参考にしていただければ幸いです。

by blues_rock | 2019-07-05 23:59 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
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