フランスのミカエル・アース監督(1975~)長編映画三作目となる「アマンダと僕」(原題「AMANDA」)には、‘これ見よがし’のハデさは、ないものの東京国際映画祭でグランプリと最優秀脚本賞を受賞したのが、納得できるよ
うな(他の作品を見ていないのでそうとしか言いようは、ありませんが)そんな秀作映画でした。
映画のプロットは、突然、降って湧いたような理不尽極まりない不幸な事件(イスラム教過激派の銃乱射による
無差別テロによる殺人事件、死者130名、負傷者352名という2015年11月のパリ同時多発テロ事件が、下敷きとなっている)で犠牲となった7歳のアマンダの母にしてダビットの姉サンドリーヌの突然の死という不条理な現実
を受け入れられないでいる二人それぞれの悲痛な心情と決して癒せない喪失感が、テーマながらアース監督(脚本も)の演出は、市井の多く人々が、犠牲になった銃器乱射による無差別殺人テロ事件の残忍さを感情的
に告発するのではなく、被害者遺族である主人公の7歳の少女アマンダと24歳のアマンダの叔父ダビットの心に寄り添いながらも間合いをとって二人の悲痛と喪失感を丁寧に描いています。
映画は、冒頭、アマンダ(イゾール・ミュルトリエ 2008~)とアマンダの叔父ダビット(バンサン・ラコスト 1993~、2014年「
ヒポクラテス」)、そしてアマンダ母でダビッドの弟であるシングルマザーのサンドリーヌ(オフェリア・コルブ 1982~、2011年
「
ゲンスブールと女たち」)、三人の仲陸しい母娘姉弟(きょうだい)の、何の変哲もない普段の生活を描きながら突然、アマンダとダビットにサンドリーヌの死が、唐突に告げられるところからドラマは、始まります。
エンディンクのシーンをほんの少し紹介すると、生前サンドリーヌは、姉弟を捨てた母のアリソンに孫のアマンダを会わせたいこと、母を決して許そうとしない弟のダビッドに和解して欲しいとロンドンのウィンブルドン・テニス大会に行く約束をしていました。
ダビッドは、姉サンドリーヌとの約束を果たすためロンドンに向かいます。 そして、ダビッドは、わだかまりのあった母アリソンと会いアマンダを紹介します。
ウィンブルドンのセンターコートでアマンダとタビッド二人が、試合を見ているラストシーンは、美しく(アマンダをエクストリーム・クローズアップで捉えた奇跡の映像は、美しく必見!)心を打ちます。 主人公の少女アマンダを演じたイゾール・ミュルトリエは、偶然体育の習い事を終え教室から出てきたときオーディションのチラシを渡され、受けると演技経験が、まったくなかったにも関わらずアース監督は、直感でアマンダ役に抜擢しました。 冒頭、母サンドリーヌは、娘アマンダに「エルヴィスは、建物を出た」という読んでいる本の意味を教えますが、映画の最後、ウィンブルドンのセンターコートで試合を見ていたアマンダは、その本の意味を理解しました。
アマンダのその時の表情をカメラは、エクストリーム・クローズアップで捉え、スクリーンに映し出します。
映画を見てあまり泣かない私ですら、このシーンは、感動の涙なくして見ることが、できませんでした。 (備考) 青文字をクリックすると記事に飛びますので参考にしていただければ幸いです。