先週の俳句教室は、全部で15句でした。
写真は、そのうちの4句ながら皆さん認知症を患っておられる80代後半の高齢者です。
「私、お昼ご飯、食べた?」と訊ねる方、自分の句を憶えていない方(まあ、ほとんどかな)など、十人十色の認知症状ながら、お相手している私は、皆さん方それぞれ脳のどこかに感受性や感動する心が、残っているのを感じます。
認知症(関心ある方は、黄文字をクリック願います)は、脳細胞の衰えに起因する病気なので治らないものの まわりの方、例えばご家族、親しい友だち、日ごろ付き合いのあるご近所住まいの方が、早くその方の認知症発症に気付き、間違いのない診療(認知症を知らない医者が、多いので要注意)と、適切な薬の投与(服薬管理)ならびに発症した当人の生活習慣や生活態度次第で人生を全うすることは、十分可能(つまり自己責任)です。
「自分の意思で生きられない人生なんて、まっぴらごめん」と言えるのも自意識が、あるからこと云えるのです。

認知症を私が、怖れるのは、この自意識を次第に喪失して、やがて自分が、何者か分からなくなることです。
私のまわりにも将来への漠然とした不安からでしょう、「死にたい」とか「死んだほうがまし」などと口走る高齢者もおられますが、認知症患者は、それ(自死)すらもできなくなるのです。
まあ、何はともあれ、すべての人が、年を重ねて歳をとり高齢者となり、ただひとりの例外もなく死んでいきます。
であるならば、生きている今、自分のまわりに在るものに感動し、森羅万象の小さなものや日々の出来事(神は、細部に宿ります)に感謝する心さえ失わないよう(そう感じるだけでよいのです)自らの認知症の対症療法に励んでいけば、自分を見失わずに生きていけるし、人生を全うできると私は、信じて暮らしています。
この世にぞ 何を遺さん 春は花