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心の時空

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a day in my life

収斂(しゅうれん)する人生 大浦天主堂

a0212807_12025999.jpg学生のころ美術部の友人たちと長崎へ、よくスケッチ旅行に出かけました。
250年余の長い鎖国時代、唯一外国に門戸を開いた交易港(出島)で、キリスト教の教会や異人屋敷が、点在する坂の街長崎の異国情緒は、私の幼い創作意欲を刺激してくれました。
ひとり、キャンバスを抱え、絵具箱・イーゼルを肩から下げて長崎へ行き、人の行き交う街中にイーゼルを立て、油絵を描いた(旧く洒落た公衆トイレを描いた記憶)こともありました。
‘隠れキリシタン’ の心の拠りどころであった日本最古のキリスト教(カトリック)教会「大浦天主堂」は、長崎を訪ねるたびにモチーフ(制作対象)としてスケッチして帰りました。
大浦天主堂の名称は、日本二十六聖殉教者天主堂といい、1953年(昭和28年)国宝に指定されています。
天下人となった豊臣秀吉(1537~1598)は、成り上がりの俗物ではありましたが、国家経営のガバナンスに秀(ひい)でa0212807_12030532.jpg、利に目敏く、嗅覚鋭い独裁権力者でした。
そのころ世界は、スペイン・ポルトガル・イギリス・フランスの専制国家(植民地主義帝国)が、地球上の領土支配と覇権を競い ‘キリスト教布教を大義名分’ にした新大陸争奪の大航海時代、秀吉は、明朝中国への侵攻(唐入り)を準備しながら東アジア(とくに朝鮮半島と琉球諸島)さらにすでにスペイン・ポルトガルの植民地となっていたフィリピンやインドに対し日本に従属(服属入貢)するよう覇権の圧力をかけました。
織田信長は、フランシスコ・ザビエルに始まるキリスト教イエズス会の布教を認めていましたので、西国(中・四国、九州)大名にクリa0212807_23324130.jpgスチャンが、多く、絶対服従を求める 天下人秀吉の命令も 面従腹背の信仰ネットワークのもとでは、ザルで水汲むも同然でした。
スペイン・ポルトガル王国の用意周到な日本征服の謀略を疑った秀吉は、1587年キリスト教禁止令~バテレン(宣教師)追放令を出し、先手必勝とばかり、1592年16万の、1597年14万の大軍を朝鮮へ出兵し大陸侵攻の足がかりにしようとしました。
さらに1597年には、いかなる拷問をされようとキリスト教を棄教しない宣教師と信者の26人を見せしめのため磔(はりつけ)処刑(逆に殉教者 二十六聖人と崇拝された)しました。
翌1598年秀吉死去、豊臣を滅ぼし最高権力者となった徳川家康は、徳川幕府の命を絶対のものとするため 外国の情報・干渉を徹底して排除する鎖国政策をとり、キリスト教も長崎奉行に命じ厳しく弾圧(こちら 参照)しました。
その後、敬虔なクリスチャンは、隠れキリシタンとして身を隠し封建社会の奥深くで息をひそめ信仰を捨てずに250年余り潜伏、先ごろこの隠れ(潜伏)キリシタンの遺構と遺産が、世界文化遺産に登録されました。

by blues_rock | 2018-07-15 00:15 | 柏原生活/博多叙景 | Comments(0)