ティエリー・トグルドーの憂鬱 シネマの世界<第710話>
哀愁を漂わせ鬱屈した雰囲気のある渋い中年男(高齢男性)を演じさせたら世界中見渡しても、フランスの名優ヴァンサン・ランドンに敵う俳優は、そういないと思います。
「ティエリー・トグルドーの憂鬱」の主人公ティエリー・トグルドーを演じられるのは、ヴァンサン・ランドンを於いてないというくらい実在感のある適役でした。
その証左にティエリー・トグルドーを演じたヴァンサン・ランドンは、カンヌ国際映画祭とセザール賞で主演男優賞をダブル受賞しています。
映画は、51歳にして長年働いていた会社から長引く不況のため解雇されたエンジニアのティエリー・トグルドーが、障害者の息子を抱えローンの返済もままならない厳しい現実に直面しているところから始まります。
彼は、お役所仕事の雇用促進センター(=職安)で、理不尽なたらい回しをされながら、ようやくスーパーの警備業務の仕事に就きました。
警備員の仕事は、監視カメラを常にチェックし買い物客の万引だけでなく同僚のスーパー従業員たちの不正も監視する業務でした。
携帯の充電器を万引きしたアフリカ系の若者、肉を盗んだ初老の男など貧困社会の底辺で暮らす人たちの惨めで小さな悪の描写は、あまりにも切なく、現在のフランス社会の不穏さを良く表わしています。
警備員のティエリー・トグルドーは、人を監視するという業務に就き、短い間に不毛で屈辱的な現実にぶつかりながらも人生の辛苦に不平不満を言わない妻とともに障害者の息子の自立に希望を託して不条理な現実に耐えていました。
ある日、監視カメラによりレジ係のベテラン女性が、お客の不要な買い物ポイントを出来心で自分のカードに打ち込み、永年勤続による会社への貢献も考慮されず解雇されたことに抗議し社内で自殺しました。
この映画「ティエリー・トグルドーの憂鬱」の出演者たちは、演技経験のない素人たちで、映画のシーンに登場する職安、スーパー、銀行などで実際に働いている人たちなのですこぶるリアリティが、あります。
ブリゼ監督は、イギリスのローチ監督作品やベルギーのダルデンヌ兄弟監督作品に見られる長回しカメラによるドキュメンタリーのような撮影で往年の‘イタリア・ネオリアリズモ’を彷彿とさせる秀作を撮りました。
とくに、トラッキングとフォローのカメラが、ティエリー・トグルドーを追っかけ、多様なクローズアップで彼の悲哀を見事に捉えています。
「ティエリー・トグルドーの憂鬱」は、名優ヴァンサン・ランドンの表情が、最大の見どころと云ってよい映画です。
(上写真 : ステファヌ・ブリゼ監督とティエリー・トグルドー役の名優ヴァンサン・ランドン)