ニンフォマニアック 第一部/第二部 シネマの世界<第497話>
「私は色情狂よ。そんな自分が好き」と色情狂を自認するジョーの回想シーンは、当然のことながら赤裸々なセックスの連続(場所、相手選ばず、そのセックスたるや何でもあり)なのでハードコア・ポルノ(局部のボカシが反って猥褻に見える)のような映像ですが、市販ポルノやAVのような卑猥さはなく、その手を期待して見るときっとがっかりするでしょう。
「映画は、靴の中の小石でなければならない。」を旨(モットー)とするトリアー監督が、憑依した「色情狂」のジョーは、男を待たせながら次々とチェーン・セックスを行ない「私は悪い人間なの?」と自問いたします。
「色情狂」のジョーにとってセックスの相手は、そこに居合わせた男ならダレでも良く、セックスに愛など微塵も求めない奔放な彼女の性(セクスタリティ)に翻弄される男たちが、哀れになって来ます。
ジョー(ジョーに憑依したトリアー監督自身)の“孤独と空虚”が、重低音のように私の心に響き、「愛とは、嫉妬交じりの性欲にすぎない。」とこの映画で喝破する映像哲学者ラース・フォン・トリアーの真髄を見た思いがします。
「鬱(ウツ)三部作」すべてに主演、この映画の主人公「色情狂」のジョーを演じるフランスの名女優シャルロット・ゲンズブール(1971~ こちら参考)の気迫溢れる演技が、すばらしい映画です。
若い頃のジョーを演じたフランスの新人女優ステイシー・マーティン(1991~)もまた体当たりの演技でポルノチックなセックスシーンを熱演しています。
路上に倒れていたジョーを助け介抱し彼女の回想するニンフォマニアック人生に耳を傾け、数学・哲学・宗教・文学などの博識な知性を用いてジョーのニンフォマニア(異常性欲)を分析するセリグマン役をスウェーデンの名優ステラン・スカルスガルド(1951~)が、初老の童貞独身男の哀愁を漂わせ好演しています。
映画のラスト‥セリグマンの最期が、無性に切なく哀れで、男として身につまされる思いです。
この映画に出演した他の男性俳優たちも名優ぞろいながら、如何せん添え物のような存在なので「ニンフォマニアック 第一部/第二部」の公式サイトを貼付しますので出演者と映画の詳しい内容をご確認ください。 (上写真:Pを演じたイギリスの新人女優ミア・ゴス 1993~ 眼差しが魅力的な女優)
「色情狂」ジョーを熱演した名女優シャルロット・ゲンズブールと新人女優ステイシー・マーティンのすばらしさは、云うまでもありませんが、第一部3章のミセスHを演じたアメリカの名女優ユマ・サーマン(1970~ 上中ほどの写真)は、「愛とは嫉妬交じりの性欲にすぎない」を象徴するような典型的な‘女の嫉妬心’を表現、ユマ・サーマンの狂気迫る演技に唸りました。
(左写真:ラース・フォン・トリアー監督)