ハンナ・アーレント(後編) シネマの世界<第293話>
ハンナ・アーレントは、アイヒマン裁判の傍聴レポートにナチスのユダヤ人大量虐殺に関して「ユダヤ人指導者の中にもアイヒマンに協力した者がいた。それによってユダヤ人の犠牲が増えた。」と記述しました。この記事が、ユダヤ人社会と反ナチスの人たちの逆鱗に触れ、イスラエルやアメリカ、ヨーロッパのユダヤの人たち‘ナチスの犬、裏切り者’など、口汚く罵られ、ハンナ・アーレントは、酷(ひど)い中傷に曝(さら)されました。
電話や手紙による脅迫や嫌がらせを受け社会的に孤立したハンナは、孤独の中で苦悩しますが、彼女の思考と信念は、些(いささ)かも揺るぎませんでした。
ハンナは、部屋に籠もり夫や数の友人に支えられながら「悪の本質」を考え続けました。
アルゼンチン政府は、イスラエルに対し自国領土内で諜報機関モサドが、アイヒマンを拉致し強制連行したの

これについてハンナ・アーレントは、ナチスドイツ滅亡後、身を隠しアルゼンチンに逃亡、不法滞在していたアイヒマンを拉致しイスラエルで裁判することの正当性に疑問は残るが、公平な裁判ではないからと言ってアイヒマン裁判の結果が、無効であると述べていないし映画の中でもアイヒマンの死刑は、妥当であると述べています。
ハンナは、ユダヤ社会と反ナチスの人たちの誹謗中傷に当初「私の裁判傍聴レポートを最後まで読めば、一方

映画ラストの8分間、ハンナ・アーレントが、大学の教室に集まった学生や聴衆を前に冷静に自論を述べるシー

ハンナは、「私にアイヒマンを罰するという選択肢も許す選択肢もありません。彼は‘自分は自発的にユダヤ人の虐殺を行ったことはない、善悪を問わず将校の自分に意志は介在しない。ヒトラーの命令に従っただけなのだ’と検察に主張しました。世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪なのです。そんな人間には、悪への動機もなく信念も邪推も悪魔的な意図もありません。(アイヒマンのような犯罪者は)人間であることを拒絶した者なので

さらに、彼女は「アイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。思考する能力です。その結果、モラルまで判断不能となったのです。思考ができなくなると平凡な人間が、極めて残虐行為に走るのです。‘思考の嵐’が、齎(もたら)すのは、善と悪を区別する能力であり、美と醜を見分ける力です。私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても考え抜くことで破滅に至らぬように。」と続けて話を終わりました。

映画「ハンナ・アーレント」を見て、彼女の言葉を自分の心に収め感銘された方も多いと思います。
アイヒマンのような小心な人間は、思考を停止し上官(上司)の命令に従うだけの凡庸な小役人にすぎないとハンナ・アーレントは‘凡庸の悪’を喝破しました。

この映画が、中高年層に好評なのは‘アイヒマンのような人間がどこにでもいる’からではないでしょうか?
マルガレーテ・フォン・トロッタ監督は、思考停止して唯々諾々とヒトの考えに追従する人たちに対し「現在と過去

暴力に支配された状態では、考えることより従順に行動するほうが、はるかに簡単である(ハンナ・アーレント)

