生活保護考(前編)
現在の‘生活保護制度’には、生活保護に起因する功罪両面があり、現実とのアンマッチによる制度疲労も発生しています。
生活保護制度の改革は、いまや日本国民が、避けて通れない目下の国民的課題です。
1950年の生活保護制度実施から63年が経ちましたので、初心に還り現在の社会に相応しい‘制度改革の議論’を感情的にならず国民全体で行なう必要があります。
生活保護を受けなければ命の危険のある人を個人攻撃したり、一方的に非難するのは、非人間的で卑劣な行為で許せるものではありませんが、国民を守るセーフティ・ネットとして生活保護の実態を知るのは、国民の義務であると思います。
生活保護制度は、1950年に制定、1945年の敗戦から5年目であり日本社会は、まだ戦争の爪痕(つめあと)生々しく、街には傷痍(しょうい)軍人、浮浪者、孤児、売春婦(当時売春は公認)、失業者が溢れていました。
当時の日本国民は、皆貧困に苦しみ、食べるのが、やっとという窮乏生活に喘ぎ「衣・食・住」を手当てすることが、何よりの優先事項でした。
当時の大人は、モノを欲しがるわが子たちに‘衣食足りて礼節を知る’と諭し、働く大切さを教えましたが、今やこの言葉を聞いても子供も若者も哄笑するだけ‥日本人の心に虚しく響く、日本社会の暗い現状です。
敗戦から68年、廃墟であった日本は、世界が驚く奇跡の国家再興を成し遂げました。
その現代日本に在って、63年前に国家が、正直な国民を救済しようとした生活保護制度に「制度疲労」があることは、衆目の一致するところです。
日本国憲法(こちら)第25条では、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 2.国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と明記しています。(右写真:敗戦直後の新橋駅前、闇市)
さらに生活保護法第1章1条には、「国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長すること」と記述しています。
生活保護は、「日本国民(日本国籍を有する人)」に与えられた「‘生存’を保障する最後のセーフティーネット」であることを私たちは、認識しなければなりません。
生活保護(困窮者支援)は、就労・住宅・教育の3つを基本にしています。
生活保護を受ける人は、毎日増え続け今年2013年8月時点で、全国で216万人、なんと‘日本国民の60人に1人(大阪市は市民18人に1人が生活保護)’が、国(私たちの税金)から生活保護を受けていることになります。
その生活保護費の支給総額は、3兆7千億円と10年前の1.5倍です。
生活保護が、本当に必要な人に支給するのは、大切なことながら生活保護法第1章1条に表記されている「自立を助長」つまり自立支援が前提になることは明らかです。
国家予算(税金=納税者のお金)を財源とする生活保護費の‘不正受給’、これは‘明らかに犯罪’です。
この‘不正受給’を悪用する‘生保(なまぽ)ビジネス’の横行は、刑事犯罪として厳重に取り締まらなければなりません。(後編に続く)