にぎわう博多(東アジアの現実)
博多っ子は、昔より‘お祭り’好きで、一年中市内のどこかでお祭りをしています。

人々は、仕事を求め暮らしやすく楽しそうな街に集まるものです。
博多港には、外国の大型クルーザー客船が、中国・韓国の観光客を乗せて、3日に1隻の割合で入港、2012年は、112隻しました。
クルーザーから降りた観光客は、観光バスに乗り、大宰府天満宮観光とデパート・電器店・アウトレットショップでのショッピングとお決まりのコースに、楽しそうに出かける彼らの表情に‘反日’の険しさはありません。
福岡市役所前と中央公園の間は、観光バスの発着所になっていて、バスから乗り降りする若者たちの一寸見

先日の金継ぎ教室でも、中国(旧王朝時代)や韓国(旧朝鮮時代)の骨董・古美術品は、中国・韓国で売るより日本で売る方が、中国・韓国のコレクターに信用され、はるかに高く売れるので、日本の同業者を通して、日本

要するに彼らは、自国内の骨董店や古美術店が、扱う商品を信用せず、日本で売られている骨董・古美術品を信用している証し、どうやら自国の古美術市場や骨董店に陳列された商品には、紛い物や贋作が、多いことを先刻承知しています。

1945年(昭和20年)8月、日本は、アメリカ軍主力の連合国に無条件降伏し敗戦、第二次世界大戦(東アジア・太

1945年以降の戦後に生まれ‘あの戦争に無関係の日本人’の最年長者は、現在68才、敗戦時10才の子供だった人も78才‥ほとんどの日本人が、‘あの戦争に無関係の日本人’です。
先の戦争は、皇国史観の軍事勢力が、国家経営の先見性も当時の国際社会との強かな駆け引き(国家戦略

ともあれ、どれもこれも戻れない過去の歴史問題で、1945年以降の戦後に生まれ‘あの戦争に無関係な’中国

戦後生まれの私たち日本人は、過去の歴史問題で外国、とくに中国と朝鮮半島2国から何を言われても臆することなく、自虐史観も傲慢史観も排除してジタバタしないで、「日本は‘人権と自由を尊重する民主主義国家’として自由世界の中で、世界各地の抑圧された人々の人権問題と解放のために世界の先頭になって戦って行きます。」と主張し、堂々と東アジアの人々にそして世界の国々に胸を張って宣言しましょう。
(付録:博多湾を航行するクルーズ客船の写真は、すべて九州ロマンチック街道からお借りしました。)

今年に入って、豪華客船の入港がめっきり少なくなってますね。
僕の楽しみも減ってがっかりです。
自国の骨とう品を観光に来た中国・韓国の富裕層に高値で転売しているとは知りませんでした。
さすが中国人。
商売上手な国民です。