道 シネマの世界<第159話>
フェリーニ監督は、20代にロベルト・ロッセリーニ監督のもとイタリア・レアリズモ映画の象徴「無防備都市」(1945 こちら)の脚本に参加していますので、30代で自ら脚本を書き監督した「道」にその経験が、生かされました。
私は、今までにも「道」を何度か見ましたが、見るたびにフェリーニ監督の映画センスの良さに驚き「巧いなぁ‥これが映画だよなぁ」といつもながら感心しています。
フェリーニ監督は、レアリズモ映画の「道」を撮ったあとは、独自のフェリーニ映像とも言うべき映画を撮るようになりました。
「道」は、1956年のアカデミー外国語映画賞を受賞しています。
私の名作映画3条件(監督・脚本・俳優)を拙ブログにしつこく書いていますが、「道」は、3条件に加えて映画音楽(サウンドトラック)も印象深く、作曲家ニーノ・ロータ(1911~1979)の「ジェルソミーナ」の哀愁あるメロディも映画への貢献大と思います。
映画音楽作曲家としてのニーノ・ロータは、「映画音楽は趣味にすぎない」とインタビューに答えていますが、「太陽がいっぱい」(1960)、「山猫」(1963)、「ロミオとジュリエット」(1968)、「ゴッドファーザー」(こちら)など映画史に残る名曲の数々を考えると‘趣味’で作曲したとは、到底思えません。
ニーノ・ロータは、フェリーニ監督との相性抜群で、フェリーニ作品すべての音楽を担当しています。
「道」は、「無防備都市」・「自転車泥棒」(こちら)・「鉄道員」などイタリア・レアリズモ映画を象徴する傑作映画の1本なので、BSテレビの衛星映画劇場ですでにご覧になられた方も多いと推察しますが、見ておられない方のために簡単なストーリーを紹介します。
旅まわりの大道芸人ザンパノ(アンソニー・クイン 1915~2001)が、助手として少し知的障害のある純真なジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ 1921~1994 フェリーニ監督夫人)を母親からタダ同然の安い値段で買い取るところから始まります。
ザンパノは、ジェルソミーナにピエロの恰好でドラムを叩かせ、トロンボーンを吹かせて助手としての大道芸を仕込みました。
旅の途中出遭ったサーカス団の綱渡り芸人のやさしさに心を癒され、密かに好意をもったジェルソミーナでしたが、乱暴者のザンパノは、旧知の綱渡り芸人との長年の因縁で相手を殴り殺してしまいました。
その一部始終を見ていたジェルソミーナは、そのショックで精神を病んでしまいました。
心神喪失したジェルソミーナが、足手まといになるとザンパノは、冬の寒い日、廃屋の外で蹲(うずくま)る彼女の元に欲しがっていたトランペットを残して立ち去りました。
それから数年が経ち、ザンパノは、大道芸で小銭を稼ぐために小さな海辺の町を訪れました。
どこからともなくザンパノの耳に聴き憶えのあるメロディが、流れてきました。
歌っていたのは、洗濯物を干していた若い主婦で、精神を病んだジェルソミーナが、海岸を彷徨(さまよ)いながら、この曲をいつもトランペットで吹いていたこと、食べ物も飲み物も取らず数年前に死んだことを知りました。
その夜ザンパノは、酒場でヤケ酒を飲み、酔って大暴れし、外に追い出され、暗い海岸の砂浜でひとり、自分の孤独とジェルソミーナを懐いながら声をあげて嗚咽するのでした。