無防備都市 シネマの世界<第151話>
1945年(昭和20年)、今から68年前、イタリアで「無防備都市」が、公開された時、ドキュメンタリー映画を見ているような生々しい迫力に評判は、あまり良くなかったようです。
今見ても白黒フィルムの映像に少し難がある(68年前の撮影フィルムなので当然のこと)ものの名作となる映画のすべての特質をもった作品です。
ロッセリーニ監督の演出もリアリズムに徹していて、結婚相手の反ナチス印刷工が、ドイツ軍に逮捕され、トラックで連れ去られるとき叫びながら後を追う女性(アンナ・マニャーニ)をドイツ軍が銃撃、もんどり打って倒れる
他にも、レジスタンスの指導者(マルチェロ・パリエロ)が、ゲシュタポの残忍な拷問にも口を割らず、レジスタンスを陰で支援する神父(アルド・ファブリーツィ)の前で息を引き取るシーン、映画のラストでゲシュタポから逮捕された神父が、ゲシュタポ隊長から、なぜ神を否定する共産主義者と手を結ぶのかと詰(なじ)られても“悪魔と
この処刑の光景を金網フェンス越しに神父から愛された少年たちが、じっと見詰めています。
この銃殺処刑シーンは、キリスト磔刑のゴルゴダの丘を想わせるすばらしい場面です
少年たちは、皆肩を落とし絶望してその場を去って行きますが、殺された指導者や神父の魂は、生き続け、少年
他にも「無防備都市」には、映画としての見どころが、多くあります。
ナチスドイツ軍占領下の緊迫した状況で善と悪の人間ドラマが、確かな存在感を持って見る者に迫ります。
ゲシュタポの隊長に対し別のドイツ軍将校が「もしレジスタンスの指導者が、喋らなかったらイタリア人もドイツ人と対等ということになる。そして種族としての優劣の差、人間としての能力の差がないということになる。そうすれ
フランスのヌーヴェル・ヴァーグもアメリカン・ニューシネマも「無防備都市」から始まりました。
イタリア映画の名匠フェデリコ・フェリーニ(1920~1993)も脚本に参加、この時24才の青年でした。
イングリッド・バーグマン(1915~1982)は、「無防備都市」を見て感動、夫と子供を捨ててロベルト・ロッセリーニ監督と結婚しました。(右写真)