別離(べつり) シネマの世界<第126話>
この映画は、有名な国際映画祭、たとえばドイツの「ベルリン国際映画祭」でグランプリ(金熊賞)さらに女優賞(レイラ・ハタミほか出演女優陣に銀熊賞)・男優賞(ベイマン・モアディほか出演男優陣に銀熊賞)を受賞、アメリカでは「アカデミー賞」外国語映画賞ほか全米映画批評家協会とニューヨーク映画批評家協会の外国語映画賞など多数受賞しました。
日本での一般公開は、2012年4月ですが、2011年9月開催のアジアフォーカス福岡国際映画祭にイラン代表映画として上映され「別離」は、福岡ほか九州の映画ファンに称賛されました。
監督・脚本・製作をアスガル・ファルハーディー監督(1972~イラン)が、一人で担当しこの傑作映画を作りあげました。
これに先立つ2009年映画「彼女が消えた浜辺」でも一人で監督・脚本・製作を担当しファルハーディー監督の映画才能は、世界の映画批評家・映画ファンに認められ、イランを代表する映画監督として、今まで映画製作へ宗教的弾圧・政治的妨害をしてきたイラン政府もその存在を無視できなくなりました。
「別離」のストーリーは、子供の教育(11才の一人娘)を巡る夫婦の意見対立が、離婚の危機を迎え別居し、裁判で子供の養育権を子供に選択させる映画です。
映画は、現代イランが、抱える深く重層した社会問題を通して「別離(Separation)」の本質的な意味に迫ります。
‘Separation’という言葉には、様々な意味があり、夫婦間であれば別居(離婚)、階級間であれば選別(分離)、宗教なら隔絶(対立)、思想(価値観・良識)なら区別(区分)など多義にわたる社会的な意味合いがあります。
自分の人生を決めるのは自分、運命を選択するのも自分、家族のためにウソをつくか自分の信仰への従順か、それを選択するのは自分‥その結果は、すべて自分の負うべき責任(価値観のリスク)であるとファルハーディー監督は、映画「別離」の登場人物の言動に託して世界中の人たち(の理性と情感)にメッセージしているように思います。
映画は、首都テヘランに暮らす中産階級のイラン人家族が抱える家庭内問題(子供の教育・老父の認知症介護など)を中心に展開しながら、現代イラン社会の抱える宗教(イスラム教義)・失業(格差)・風俗(聖俗)・民族(言語)などが、日常生活の出来事で、水底に溜まった滓(おり)のように沸き立ち、人の心を濁していきます。
ベイマン・モアディ(夫シミン)、レイラ・ハタミ(妻ナデル)、サリナ・ファルハーディー(娘テルメー、ファルハーディー監督の実娘)ほか配役された俳優陣のファルハーディー監督演出に応える演技の良さに驚きました。