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心の時空

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俺たちに明日はない(ボニーとクライド)  シネマの世界<第106話>

アメリカン・ニューシネマの最初の作品が、1967年公開の映画「俺たちに明日はない(ボニーとクライド)」で、アメリカン・ニューシネマの誕生を記念する代表的な作品です。
俺たちに明日はない(ボニーとクライド)  シネマの世界<第106話>_a0212807_1573371.jpgアメリカン・ニューシネマもフランス・ヌーベルヴァーグと同じようにイタリア・ネオレアリズモの影響を強く受けています。
1960年代のアメリカは、1963年ケネディ大統領が暗殺され、ベトナム戦争は泥沼化、黒人差別撤廃公民権運動も過激化する中で、アメリカ社会の疲弊と矛盾が、噴き出していました。
そんなアメリカ社会の病巣や若者の閉塞した虚無感を表現したニューシネマは、1967年の「俺たちに明日はない」から1976年の「タクシードライバー」までの9年間に、アンチ・ヒーロー、アンチ・モラル、アンチ・ハッピーエンドを主題にした多くの名作・秀作を生みだしました。
「俺たちに明日はない」の主人公‘ボニーとクライド’は、1930年代のアメリカ大恐慌時代に実在した銀行強盗カップルが、モデルです。
ボニー役で主演したフェイ・ダナウェイが、若く魅力的で演技もすばらしく、銀行強盗を重ねるうちに次第に大胆過激になり、映画の最後に警察の待ち伏せに俺たちに明日はない(ボニーとクライド)  シネマの世界<第106話>_a0212807_15153069.jpg合い、無数の銃弾を全身に浴びて白いドレスを血だらけして死んでいくシーン(「死のバレエ」)は、何度見ても切なく胸キュンとなります。
フェイ・ダナウェイは、無数の銃弾を浴びながら身体をよじらせ崩れ落ちるシーンでは、車から滑り落ちないよう足首をギア・シフトに固定して撮影したとのこと‥実にリアルな死のバレエでした。
クライド役の主演ウォーレン・ベイティは、プロデュースも担っています。
「俺たちに明日はない(ボニーとクライド)」の製作にあたって、配給会社ワーナー・ブラザーズは、B級映画(早撮り低予算の映画)扱いでプロデューサーのウォーレン・ベイティと低額の製作費の代わりに興行成績の40%配当する契約(映画の斬新さにリスクを恐れた)をしました。
ボニー役は、最初ウォーレン・ベイティの実姉で女優のシャーリー・マクレーンが、熱望し候補に挙がっていました。
しかし、当初プロデューサーに専念するはずであったウォーレン・ベイティが、映画製作の事情でクライド役を演じることになり、急きょボニー役を当時20代半ばであったフェイ・ダナウェイが演じることに決まりました。
俺たちに明日はない(ボニーとクライド)  シネマの世界<第106話>_a0212807_15161944.jpg監督にウォーレン・ベイティは、ヌーベルヴァーグのトリュフォー監督か、ゴダール監督を迎えようとしましたが、日程の調整つかず、アメリカン・ニューシネマ運動の中心にいたアーサー・ペン監督(1922~2010)に白羽の矢が立ちました。
アーサー・ペン監督は、1962年に「奇跡の人」(アカデミー賞主演女優賞アン・バンクロフト、同助演女優賞パティ・デューク)で知名度も上がり、ボニー役をフェイ・ダナウェイにすることで監督を引き受けました。
「俺たちに明日はない(ボニーとクライド)」は、公開されるや否やその斬新な映画づくりが、映画批評家に絶賛され、さらに映画の主人公‘ボニーとクライド’の心情に共感した若者たちの熱狂的な支持により、ワーナー・ブラザーズは、大あわてで上映館を拡大しました。
日本でも大ヒット、1968年「キネマ旬報」外国映画ベストテン第1位になりました。
アーサー・ペン監督作品の中で「ミズーリ・ブレイク」(1976)は、社会派サスペンス映画の秀作なのでサスペンス映画が好きな方にお薦めいたします。
by blues_rock | 2012-11-14 00:06 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
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