西行と璋子(たまこ) ‥ 長い余話(第一話)
おかげさまで拙ブログも丸1年が過ぎ、今日から2年目を迎えます。
とにかく一年間は、毎日書くことを自らの心に決め、何とか一年書き続けることができました。
これからも(できるだけ)毎日「心の時空」を書き続けていきたいと思います。
この一年の中で「西行と璋子(たまこ)」の記事を多くの方が、ご覧くださいました。
西行が、恋い焦がれた待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ、1101~1145没、享年44才))について、もう少し詳しく知りたいと藤原璋子の幼少のころからの出来事を調べましたら、日本史に登場する数ある女性の中でも璋子の存在と生涯は、日本の歴史の中で最も重要な意味をもつ女性でした。 (下写真 : 待賢門院璋子)
幼いころから美人のウワサはありましたが、和歌(うた)の才能に秀でていたわけではなく、それでも宮中内外の男性たちは、上は法皇から下は女院に仕える少年僧まで、彼女に心を奪われ男性にモテモテの女性でした。
平安時代当時の貴族の風潮とはいえ、とにかくいろいろな男性に愛され、その愛を受け入れながら、他の男性との恋愛にも自由でした。
北面武士として御所を警備していた若き日の佐藤義清(西行)も 16才年上の璋子に恋をしたその一人でした。
璋子は、少女の頃から美少女で天真爛漫、間違いなくチャーミングな女性であったろうと想像します。
鳥羽天皇に入内し中宮(皇后)となっても璋子の自由奔放な生活が変わることは、ありませんでしたが、鳥羽天皇とは仲睦まじく、母となった璋子は、自分の子供たちにも他の子供たちにも同じようにやさしかったそうです。
子供たちには聖母のようで、男性には、気品があって色っぽく(今風なら上品かつセクシーで)男心をくすぐる小悪魔のようなキュートな女性‥こんなイメージでしょうか。
先日、訪問先で何気にテレビ(NHK-BS)を見ていたら「平清盛~保元の乱」を放送していました。
NHK歴史ドラマ「平清盛」の時代背景が、西行と璋子(たまこ)の生きた時代と重なるためか「西行と璋子(たまこ)」の記事を多くの方が読んでくださいました。
さて、前置きはこれくらいにして「西行と璋子(たまこ)」の余話ながら少し長くなりますが、璋子の生涯について時代背景を述べて、当時の璋子の存在が、いかに重要であったかを書き加えたいと思います。(第二話に続く)