北海道立三岸好太郎美術館
1983年(昭和58年)、北海道立三岸好太郎美術館として北海道立近代美術館の東(知事公館の北側北3条通り)に、新しい美術館が設立(現在250点収蔵)されました。 (上写真:北海道立三岸好太郎美術館外観、下写真:同美術館展示室)
三岸好太郎(1903~1934享年31才)は、北海道札幌市出身で、明治の後期・大正・昭和の初期を生き、前衛のまま画風は変転し旅先の名古屋で胃潰瘍と心臓発作に倒れ亡くなりました。
初めは岸田劉生の影響を受けた作風でしたが、1929年頃から道化(ピエロ)をモチーフにルオー調の絵を描き始めました。 (下写真 : 道化 1931年)
1931年(昭和6年当時28才)独立美術協会の設立に参加したことで、ヨーロッパから帰国したばかりの画家たちと交流、彼らから当時ヨーロッパの前衛であったフォービズム・キュービズムの表現法を学び、それまでのルオー風からフォービズムに向かい、彼の才能は、道化(ピエロ)・マリオネット・人物画(少年や少女)などの作品に開花しました。
「黄服少女(1930)」・「少年(1931)」などは、彼が遺した傑作です。
1934年31才で亡くなるまでの3年間に彼の作風は、目まぐるしく変転していきますが、三岸好太郎の才能は、1930年~1931年に描いた「黄服少女」や「少年」にあるように思います。
参考ブログ : 今年の1月26日に「夭折の画家三岸好太郎と天寿の画家三岸節子」を掲載しましたので併せてご覧いただければ幸いです。
(右写真 : 黄服少女 1930年)