棟方志功 ‥ わだばゴッホになる
私の働く福岡市南区の高齢者在宅介護事業所(デイサービスと小規模多機能ホーム)では、毎週火曜日の午後「絵画教室」を開いています。その週によって画題も画材も違いますが、いつも共通するのは「自由に描くこと」がテーマです。
私たちの高齢者介護施設に来られて、初めて絵筆を取ったという方がほとんどで、ゴシゴシと屈託なく描いておられるので、絵が伸びやかです。
「絵画教室」に参加された10数名の高齢者の方々が、一心不乱に集中されている表情を見ていたら、板画家棟方志功(1903~1975没、享年72才)の表情を憶い出しました。
棟方志功は、青森県の刀鍛冶職人の三男として生まれました。

極度の近視で、分厚いレンズのメガネをかけている彼を見て、近所の人たちは、そう感じたのかもしれません。彼の極度の近眼は、少年時代に囲炉裏(いのり)の煤(すす)で眼を病んだためと言われています。
21才の時上京し、極貧の中、靴の修理や納豆売りをしながら本格的に絵の勉強を始めました。
回りの人たちが、棟方志功にダレか有名な画家に師事したらどうかと助言されても「ゴッホは独学で絵を描いたから」と一切耳を貸さなかったそうです。
30代に版画家となり、1956年ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展で、日本人初の国際版画大賞を受賞し、世界的な版画家になりました。
前年のサンパウロ・ビエンナーレでは、「釈迦十大弟子図」(1939年制作)で版画部門の最高賞を受賞しています。この10枚の大作は、下書きせず板に直彫りし「私は、ホトケサマの手足となって、転げまわっているだけです。」とコメントしています。
棟方志功は、自分の版画を「板画(はんが)」と呼んでいました。
軍艦マーチやベートーベンの第九を口ずさみながら制作していたそうです。
50代に左目の視力を失いましたが、まだもう一つ目がありますからと、悪い右目を板にすり寄せて、板画の制作を続けました。
「わだばゴッホになる」
詩:草野心平
鍛冶屋の息子は
相槌の火花を散らしながら
わだばゴッホになる
裁判所の給仕をやり
貉(むじな)の仲間と徒党を組んで
わだばゴッホになる
とわめいた
ゴッホにならうとして上京した貧乏青年はしかし
ゴッホにはならずに

Munakataになった
古稀の彼は
つないだ和紙で鉢巻きをし
板にすれすれ獨眼の
そして近視の眼鏡をぎらつかせ
彫る
棟方志昴を彫りつける(志昴、原文のまま)
(付録)
2011年8月30日拙ブログ「高齢の画家たち」で、毎週火曜日午後の「絵画教室」作品を紹介しました。
認知症の方、九十才半ばの方など老アーチストたちの感受性の素直さ、感性の瑞々しさに驚きました。

