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心の時空

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a day in my life

絵の話‥□△○(仙厓)

私の働く高齢者通所介護施設(こちら)のお客様方に「仙厓の絵」について話しました。
禅僧仙厓の書画でもっとも有名なのが、□△○(出光美術館)の墨絵です。
絵の話‥□△○(仙厓)_a0212807_20425137.jpg
博多にある聖福寺(下の写真)は、日本で最も古い禅寺で、仙厓が住職として22年間務めた寺でした。
仙厓は、博多所縁(ゆかり)の禅僧で絵師ということもあり皆様方興味津々の表情でした。
絵の話‥□△○(仙厓)_a0212807_20392379.jpg
仙厓義梵(1750~1837、88才没)は、江戸時代後期の臨済宗の禅僧です。
臨済宗は、1195年に栄西が開祖した日本最初の禅宗です。
仙厓は、美濃(岐阜県)に生まれ、1789年40才の時、聖福寺の住職となり22年間を博多で暮らしました。
絵の話‥□△○(仙厓)_a0212807_20412179.jpg小男で、自分の顔を猿の日干しと笑い、身なりかまわず、襤褸(ぼろ)のような袈裟(けさ)をまとって乞食(こつじき)していたので、弟子たちでさえよく乞食(こじき)と間違えたそうです。
人柄は、高潔で清貧な暮らしと併せ、門弟はもちろん殿様・庶民・子供の分けへだてなく接したそうです。
荒れ朽ちかけていた聖福寺を復興した仙厓は、61才の時、住職を弟子に譲り虚白院に引退しました。
住職から解放された仙厓は、暮らしの中でさらに多くの人たちと交わり禅僧「仙厓義梵」から「仙厓和尚」と呼ばれ、いつしか「仙厓さん」と親しまれ禅を極め多くの人たちから慕われました。
権威を嫌った仙厓は、本山から紫衣(しえ、最高位の袈裟)を与えられても断り続け、生涯黒の袈裟(けさ)で通しました。
軽妙洒脱なセンスと墨絵を得意とした仙崖は、風刺やユーモア溢れる絵を描きながら、やさしく禅を説き人の心を打つ歌を詠みました。
仙厓の墨絵は人気があり、多くの人たちが墨絵や法話を求めて虚白院を訪れました。
仙厓臨終の言葉は、大ぜいの弟子に囲まれ「死にとうない、死にとうない。」でした。
悟りを極めたはずの禅師の言葉に、弟子が驚き聞き返すと「ほんまに、ほんまに」だったそうです。
ある日、豪商の家に招かれた仙厓は、揮毫(きごう)を所望され「ぐるりと/家を取り巻く/貧乏神」と紙にさらさら書くと、それを見た主人は、びっくり仰天し肩を落としました。
仙厓和尚は、青ざめた主人を見てにこりと笑顔で「七福人は/外に出られず」と書き加えたそうです。
絵の話‥□△○(仙厓)_a0212807_20471051.jpg
六十才は人生の花
七十才でお迎えがきたら「留守だ」と言え
八十才でお迎えがきたら「まだ早すぎる」と言え
九十才でお迎えがきたら「そう急ぐな」と言え

これも仙厓和尚の言葉です。
by blues_rock | 2011-11-02 21:08 | 美術/絵画/彫刻(オブジェ) | Comments(0)
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