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心の時空

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a day in my life

西行と璋子(たまこ)

西行(1118~1190没72才)といえば
願はくは / 花の下にて / 春死なん / そのきさらぎの / 望月のころ
と桜を詠んだ歌が、有名な平安時代末期の歌人です。
西行の歌が、好きで、書籍・雑誌・新聞記事などで西行の名を見つけるとつい読んでしまいます。
先日「良寛と貞心尼‥恋愛のかたち」で良寛の恋愛について書きました。
西行も待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ1101~1145没44才)への叶わぬ恋の物語(悲恋)がありました。
西行と璋子(たまこ)_a0212807_10473073.jpg西行と待賢門院璋子とは、17才の年の差がありましたが、西行は17才も年上の中宮(皇后)璋子に恋こがれ、想い叶わぬと知ると出家し、それでも彼女が亡くなるまで慕い続けました。
西行は出家しても、中宮璋子の居る京の都から離れられず、京に近い畿内の山中で草庵をあみ、叶わぬ恋の寂しさ、哀しさを歌にして詠みました。
璋子は、皇后ながら宮中内外の男性たちと自由奔放な恋愛をしていたようで、ずっと年下の若い西行もその一人でした。
当時の西行は、出家前で北面武士(ほくめんのぶし:御所の警護役)でした。
史料文献によると、幼い頃から自由奔放であった中宮璋子は、宮中でも何かと艶聞(えんぶん)の絶えない女性だったようで(西行の場合たぶん)‥璋子は、自分を恋慕う17才年下の類まれな歌の才能をもつ若者(西行)に興味をもち、一度は西行を受け入れたものの、すぐに飽きてポイ捨てしたのだろうと思います。
失恋した若い西行は、山中の庵でひとり璋子への切ない想いを歌に託して詠みました。
待賢門院璋子は、藤原名の幼女のころから48才年上の白河法皇(1053~1129没76才)に可愛がられ、法皇が添い寝するほど寵愛されていました。
平安時代公家の世界では、自由恋愛は普通の習慣でしたが、それでも還暦過ぎの老人と十代の少女が、褥(しとね、ベッド)を一つにする仲睦まじさは、傍目(はため)に普通ではなかったことでしょう。
璋子は、幼少より相当わがままで早熟な少女だったようです。
西行と璋子(たまこ)_a0212807_10532196.jpg
白河法皇は、16才になった藤原璋子(当時)を自分の孫である鳥羽天皇(1103~1156没53才)の中宮(皇后)にしました。
23才で待賢門院となるまでの7年間に、璋子は鳥羽天皇との間に5男(親王)2女(内親王)の子供を産みました。(7年に7人の子供はすごい!の一言です。)
鳥羽上皇は、わが子である崇徳天皇(1119~1164没45才)を白河法皇と璋子が、密通して生まれた子と疑っていましたので、崇徳天皇を「叔父子(おじご祖父の子供)」と呼んで遠ざけ忌み嫌ったそうです。
やがて鳥羽上皇は、次第に璋子を遠ざけ、美貌の誉れ高い藤原得子(なりこ:美福門院得子1117~1160没43才)を皇后に迎え寵愛しました。西行と璋子(たまこ)_a0212807_10565286.jpg
鳥羽上皇は法皇となり、嫌いな崇徳天皇を無理矢理退位させ、得子との間に生まれた親王を2歳で天皇(近衛天皇)にしますが、16歳で亡くなりました。
璋子の夫である鳥羽法皇と崇徳上皇(璋子と白河法皇との子)は、近衛天皇の後継皇位をめぐって激しく対立し「保元の乱」という内戦が発生しました。
その政変で璋子(と鳥羽上皇)の4男親王であった後白河(1127~1192没65才)に白羽の矢が立ち、後白河が後継天皇として即位しました。
朝廷を二分する内戦にまで至った天皇の皇位継承争いが、すべて璋子の血縁者により行われたのは非常に興味深いことです。
璋子の4番目の親王であった後白河は、自分に天皇の皇位継承が回ってくるなど予想しておらず、4男坊親王の気楽さで昼夜「今様(流行歌)」に熱中し、放蕩三昧の暮らしをしていました。西行と璋子(たまこ)_a0212807_1057401.jpg
しかし後白河は、天皇在位3年・法皇34年計37年という長い期間、朝廷の中枢にあって宮中の公家を上手く使い、新興豪族の関東武士集団には、朝廷の権威(官位)と権勢(勅令)を駆使しながら見事な政治的才能を発揮しました。
中世の歴史にその名を残す豪族武力軍勢のリーダーたち‥平家の「平清盛」、源氏の「源頼朝」・「源義経」、地方豪族の「木曽義仲」などに朝廷の威光(権威)を示しながら、官位と勅令の乱発で牽制し従属させました。
平家vs源氏、頼朝vs義経とを対立させ、朝廷の権威でお互いを煽り戦わせた老練な政治的センスは、後白河法皇が朝廷史上ナンバーワンだと私は思います。
西行の恋愛について書くつもりでしたが、西行の悲恋の相手であった「待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)」という女性の波乱万丈の人生の物語になってしまいました。
恋に身を焦がし、京の山中を彷徨った西行に比べ、老いたその晩年に「貞心尼」のような健気(けなげ)で純真な女性に介護され看取られたた良寛は、幸せな人だったと思います。
西行と璋子については、「西行と璋子(たまこ)‥長い余話(六話シリーズ)」で二人の人生と時代背景を詳しく書いていますのでご関心あれば、続けてご覧ください。
by blues_rock | 2011-07-23 10:57 | 人生/愛(Love) | Comments(0)
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