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心の時空

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a day in my life

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ミルクというその名のとおり、真っ白な毛並みで両耳の内側と鼻先がピンク色のノラ猫です。
目は、黄金色のキャッツアイでその両目でジッと見つめられると美しさでゾクゾクします。
ミルクは、子猫のときから左後ろ足がない三本足で、ノラ母ネコの後を追いかける数匹の子猫たちのさらに後ろからヒョコヒョコと一生懸命に追いかけていたそうです。
私の働く高齢者介護施設近くには、鬱蒼と茂る竹ヤブがありそこを棲み処にして生活しているようです。
五年前まで周りには雑木林もあり、野生のサル・イノシシ・タヌキ・イタチなどの小動物やノラ犬・ノラ猫なども棲み処にしていました。
a0212807_2244472.jpgノラ猫たちは人間をひどく警戒し近寄ろうとしませんし、人が近づくと「ふーっ!」威嚇する声を発し隠れていました。
四年前の冬の寒い日、凍てつく田んぼをヒョコヒョコ健気に走る三本足の白い子猫を見てかわいそうに思ったネコ好きの施設長が、まるでミルクのように白い子猫にミルクと名付け「ミルクちゃん!おいで!」とエサを与えてからミルクは、少しずつ施設のお客様やスタッフたちの「ミルク!」の呼び声に反応するようになり人間との距離を縮めてきました。
いまでは戸を開けていると警戒しながらも家の中に入りお客様やスタッフの差し出す器の中のエサを食べるまでになりました。
しかし、人が器を持ったままではいまでも決して食べようとしませんし、ミルクに触ろうとすると脱兎のごとく逃げていきます。
私はネコ好きではありませんが、近くに来るミルクを眺めているとつくづく美しい猫だと思います。
いわんや愛猫家の施設長にとって真っ白な毛並みで耳の内側と鼻先がピンク色のミルクは愛らしく自宅に連れて帰り一緒に暮らしたいのも分かる気がします。
今日も施設長は、ミルクに向かい「ミルク!ミルクちゃんお願い!一度でいいから抱っこさせて!」と懇願していましたが、どうやら片想いのようです。
# by blues_rock | 2011-06-11 23:02 | 柏原生活/博多叙景 | Comments(0)
シイタケ栽培用の原木の種類は、たくさんあります。
落葉広葉樹のコナラ・クヌギ(いわゆるドングリの木)を中心に、クリ・シデ・ミズナラ・アベマキ・サクラなど日本の自然の山にある雑木がシイタケの原木になります。
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秋の紅葉(黄葉)シーズンに、樹齢15年~20年の木を伐採したら一ヶ月くらいそのまま山に放置し葉を枯らし水抜きします。
伐採した木の根元(切り株)から春になると新しく萌芽(ほうが)して再び成長しますので植林する必要はありません。
「ひこばえ」とは、切り株の根元から萌芽した新しい木のことを意味します。
また15年~20年後に伐採すれば同じように萌芽再生しますので原木資源が枯渇することはありません。
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一ヶ月過ぎたら1m(90cm~120cm)くらいに原木を玉切りし“梅の開花から桜の散る季節”の候に植菌します。
冬場山の作業は寒さ厳しく、作業がし辛いことや降雪・積雪などによる山での事故の危険が大きいことなどにより、梅の開花が始まる早春まで待って植菌作業を行います。
a0212807_12342620.jpgそして、桜の花が散り始める季節になると外気温が上がり、日によっては初夏の陽気にもなりますので高温に弱いシイタケ菌は種菌の活着率が低下します。
反対に高温に強い菌トリコデルマ菌は、シイタケ菌の最大の敵でシイタケ菌は害菌の繁殖したところでは死滅します。
そのために原木に早くシイタケ菌を活着させ成長させて榾木(ほだぎ)にします。
シイタケ菌は、セルロースを分解し栄養源にして成長します。
成長した菌糸体が集合し、キノコの卵である原基(げんき)を形成すると日中の寒暖の温度変化が15度を超える季節‥春と秋に榾木からキノコ(シイタケ)が発生します。
榾木を榾場(原木シイタケ栽培地)に伏せこみ栽培管理(水管理)をきちんと行えば、5~6年の間毎年春秋にシイタケを収穫することができます。(良かったらこちらも参考にご覧ください。)
# by blues_rock | 2011-06-10 13:40 | 自然/農耕/食料 | Comments(0)
「水」は、地球に生きるすべて生命(いのち)の源です。
化学記号ではH2Oと表わし水素二つと酸素一つが、結合してできた物質です。
宇宙天体の中で地球を「水の惑星」と呼び、宇宙から地球を見た宇宙飛行士は「地球は青かった」と表現しています。
地球上の生物体は70%~80%が、水でできています。
人体も60%~70%が水、海水と同じ濃度です。
太古の昔人類が生まれた故郷(ふるさと)海の濃度をいまでも人体は、記憶しているのでしょう。
水の常識として水を温めると湯となり沸点100度で水蒸気になります。
水は、融点0度で結晶し氷となります。
水の比重は、摂氏4度で最も高く1gの基準となっています。
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水の惑星地球のすべて水を1リットルのペットボトル1,000本に換算し淡水は、わずか3本(0,3%)です。
ほとんど海水で972本(97,2%)氷河21本(2,1%)その他4本(0,4%)です。
残り3本(0,3%)の淡水のうち、人類は2本を農業用水として使用し最後の1本から工業用水・生活用水と利用、70億人の人類に残された飲料水は、ペットボトルから落ちる一滴しずくに等しい微量しかありません。
水は、大気の中を循環しています。a0212807_23264659.jpg
太陽の熱により蒸発した水は、水蒸気となり大気圏で雲となり降水(雨や雪)して地表を流がれ(河川・湖水・海)あるいは地中深く浸透して数千年数万年の地下水として蓄えられます。
水は、地表に噴出した火山を冷やし、岩石を侵食しながら土砂を運搬さらに有機物を堆積して肥沃な大地(表土)を生成しています。
1日あたり普通の人で2,300mlの水分‥1,200mlの尿・200mlの糞・900mlの汗を排出しています。
一方1,200mlを飲料水として、800mlを食事で300mlを呼吸で吸収しています。
日本人の一日平均(成人)の水使用は242ℓ、なんと1ℓペットボトル242本を一日に使っています。(ちなみにアフリカの水のない地域は、1日2ℓで生活しています。)
日本では毎日トイレに68本(28%)、風呂に58本(24%)、炊事56本(23%)、洗濯41本(17%)‥の順で飲める水を生活用水として浪費しています。
なんと贅沢な暮らしをしているのでしょう。
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私たち日本人は、古くから水にまつわる多くの言葉を使ってきました。
水くさい・水商売・水に流す・水かけ論・水もしたたる・水を注す・湯水のように・水入らず、などなど、日々の暮らしに溶け込んだ言葉ばかりでした。
温帯モンスーンの気象は、日本列島に四季折々の雨・雪を降らせ、全国いたるところに豊かな河川・湖(池)・地下水(湧水)をつくりました。
そんな私たち日本人の豊かな水のある暮らしも過去の話になりました。
# by blues_rock | 2011-06-09 22:58 | 自然/農耕/食料 | Comments(0)
漆工芸(陶芸)用語で、ヒビ・ワレ・カケなど壊れた陶磁器を修理する技術(の総称)を意味しています。
「金継ぎ」とは、壊れた道具に新たな生命を与えて、道具としてまた使えるよう補修する仕事・趣味のことで、金(青金)や銀(錫・梨子地)継ぎ、赤漆・黒漆だけのシンプルなもの、金の蒔絵を施した華麗なものまであります。
「金継ぎ」の技法には、壊れた陶磁器‥割れ・欠け・ヒビ・ニュウのある陶磁器を糊漆(のりうるし)や錆漆(さびうるし)で繕うものと「呼継ぎ」と呼ばれる陶片で欠けた部分を補う技術があります。
a0212807_16355559.gif完成までの作業は、「金継ぎ」の下地が、できたら、呂色漆を塗り、乾燥したら砥ぎ成らすを何度か繰り返し、下地が、きれい整ったら、赤漆を塗り、金(の粉)を蒔いて、乾燥させ、生正味漆(拭き漆)を塗り、すぐにふき取り乾燥したら最後に磨き粉できれいに磨き上げて、作品が、一つできあがりです。
その間早くても,1か月あまり‥漆を「塗り/乾かし/磨ぐ」という一つの工程に、それぞれ1週間くらい必要なので、焦りは、禁物です。
古来より、茶人・趣味人(数寄者)は、自分の愛用した貴重な道具が、壊れると、金継ぎ職人に依頼し、再生させて愛でつくすほど執着してきました。
大切な道具への先人の恐るべき愛着と執念、またその美的センスに驚くとともに恐れ入ります。
古陶には、優れた金継ぎ作品があります。
◇ まず「馬蝗絆(ばこうはん)」 国立東京博物館所蔵、重要文化財、中国南宋の龍泉窯の青磁の名品~室町時代の将軍足利義政所有の青磁茶碗にヒビが、入ったので、中国の龍泉窯に送り、これと同じものを送って欲しいと所望するも、これ以上の青磁茶碗は、ないとヒビを鎹(かすがい)で修理し送り返されてきました。
この鎹を蝗(いなご)が、馬にとまっている景色に見立て、茶の湯の席でその風情を楽しみました。
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詳しくは、東京国立博物館(こちら) ◇ 青磁茶碗(せいじちゃわん)‥銘 馬蝗絆(ばこうはん) をご覧ください。
◇ 大井戸茶碗「十文字」 古田織部の破格の美意識が分かる逸品~大振りな大井戸茶碗を嗜好に合うよう十文字に割り一回り小振りし漆で接いだ大井戸茶碗です。
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◇ 「五十三次」 古志野の呼び継ぎ 筒茶碗、すばらしい芸術作品です。
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◇ 古伊賀名物水指「破袋」 五島美術館所蔵、重要文化財~古田織部は書状に‥誠に威厳があり力強い、大割れも大割れで窯の中でよくぞ崩れなかったものだ、今後またと出まいとその破格ぶり絶賛しています。
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◇ 伊賀水指「慾袋」 川喜田半泥子(1878-1963)作~「破袋」に感動、それに倣い自ら伊賀水指を作陶し見事な蒔絵金継ぎに仕上げました。
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(付録) 「金継ぎ工芸」(こちら)のほうも参考にしていただけると光栄です。
# by blues_rock | 2011-06-08 00:08 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
1年半前、私たちの高齢者介護施設のメンバーに、白と黒の毛並みの捨て猫が、一匹加わりました。
拾われてくる1か月くらい前、友人の住むマンション階段の下で寒さに凍えながら、小さなダンボール箱にうずくまるようにして棲んでいました。
犬猫を飼うことを禁止するマンションの規則なので、誰もが可哀想にと思いながら、親切な誰かに拾われることを願いエサを投げ与えていました。
まだ成猫ではなく子猫の時から人に飼われていて、きっと飼い主のエゴで捨てられたのでしょう。
そんな冷酷な人間の都合など知るはずもなく、人懐っこく人を見るとニャンと微かな声で鳴き擦り寄ってきます。
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施設のスタッフも動物を飼うことを禁止されたマンションかアパート住い、あるいはすでに自宅で犬か猫を飼っていて、もうこれ以上飼えない人ばかりです。
しかしながら阿吽(あうん)の呼吸とはこんなことをいうのでしょう。
誰が提案するでもなく、ここ(通所介護施設)で飼おう、人がいない夜や日曜日には皆なで世話すれば何んとかなるのでは‥とその場の空気に、スタッフリーダーの女性が大きな布バッグを肩に飛んで行き、捨て猫をバッグに入れて連れてきました。
拾われてきた猫は、バッグの中から顔だけ出して、グッタリしていました。
白と黒のツートーンでオセロ(ゲーム)のようだから、名前はオセロにしようと全員一致ですぐに決まりました。
あれから1年半、お客様の足元にまとわり付き、下からジッと見上げニャンと甘える素振りに人間を疑う様子はありません。
人懐っこいので声をかけてもらうとうれしいのか、ジッとお客様を見つめます。
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応接イスに座られているお客様のヒザの上で安心しきったように眠るオセロを見て、スタッフが「お疲れになりませんか?下ろしましょうか?」とたずねました。
日ごろ気難しいお客様もいつにない穏やかな顔で「この子(猫)ここに来てやっと安心できたんよ‥そっとしとこう、可愛いね」とオセロを見つめておられました。
捨て猫オセロは、これからもお客様と私たちスタッフの癒しの猫になるでしょう。
もしかしたらオセロが、私たちの心を救ってくれたのかもしれません。
# by blues_rock | 2011-06-07 21:53 | 柏原生活/博多叙景 | Comments(0)
いまたくさん買い込んだ白洲正子さんの本を少しずつゆっくり読んでいます。
10数冊のうちやっと2冊目です。
毎日数ページ数行ずつ読んでいます。
読む時間は、朝目が覚めてすぐだったり夜寝る前だったり、深夜に目覚めた時だったりします。
いつもは本屋から帰るとあれこれ買った本を手当りしだいに喰らいつくように読み散らすのが私の癖でしたが、今回ばかりは少し違います。
美しい玉を撫でるような、美味しいワインを惜しんで少しだけ飲むような、気に入った小物を一人ひそかに手にして楽しみむような、そんな感じです。
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まだ白洲正子さんをよく知ったとは言えませんが、こういう方に本を通じて出会ったことがしみじみと嬉しく思い誰にともなく感謝しています。
何度も言うようですが、2冊目の本を読んだばかりだから白洲正子さんの生きかたや考え方思想・価値観などが分かったというのは、恥ずかしいし厚かましい不遜さを思います。
それでも私は私なりに感動しています。
昼間の仕事に疲れ、夜遅く日課のジョギングに出てシャワーを浴びているとそうするうちに自分の時間はどんどんなくなりますが、焦り慌てることもありません。
一日の全てが終わって、やっと本を手にすると昼間の疲れもあってその頃は読みたいと眠たいとが混ざり合い、数行読むとうっとり瞼が蕩けてしまいます。
それでもいい、一生かかって読めばいい本と思っています。
いま生きていることが良かったと生きていくことはどういうことか理屈でなく押し付けられたものでもなく、わがこの身に染み入って来る感じを味わいます。
乾布に水滴が落ちたときの感じを自らに感じています。
それにしても白洲正子さんという方は、人生というものを絶対肯定され、それはビクとも揺るぎがなく生きているのは当たり前のことなのです。
ご自分自身の人生のことは言わずもがなですが、白洲正子さんに出会い白洲さんと交流した方たちのお一人お一人の人生に対しても大切にされ愛情深い目で見ておられます。
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人間には好きな人もいれば相性の良くない人もいますが、白洲さんはご自分と交わった方の世間の評価には関係なく、ご自身の目で見られ相対してその人となりを知りお付き合いをされ世間の賛辞や評価・美醜とは別のところで交流しておられます。
骨董を観る目と同じものなのでしょうか。
精神の根底に肯定という確固たる大きい川が流れ人間賛歌を太く低いトーンで静かに語りかけてくる文章です。
埋もれた才能や壮絶な歴史の渦のなかに消えた人の哀しみやその美しさを称えそこに生きて人生を送った事実を掬い上げています。
白洲正子さんは「遊鬼」の中で早川幾忠氏の死を悼んで「彼らが教えたのは命ある限り生きることだった。生を楽しむことであった」と書いておられます。
白洲正子さんは、私に人生の歩み方終わり方を教えてくださいます。
どの箇所も肯定的で‥それでいいんですよ‥地道に美しく真面目に精一杯生きればいいんですよ‥それより他に人生になにがありますかと教えてくださいます。
精一杯生きられればそれでいいんだと確かにずっしりと思うこの頃です。
# by blues_rock | 2011-06-06 22:23 | 時空序章(Preface) | Comments(0)
福岡市郊外の山裾にある「森の家」という高齢者在宅介護事業所の記念行事のお祝いにと生まれて初めて作詞に挑戦してみました。
お祝い行事のイベントにと友人のライブをプロデュース、彼が作曲しライブ当日ライブの最後に歌ってくれました。
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彼の唄のうまさもありますが、美しいメロディの歌で感激しました。
早いものであれから4年半が、過ぎました。
「森の家」に毎日通われる高齢者の皆様方のほとんどが、多少なりとも認知症です。
顔を会わせるたびにお互い軽口・冗談を言い合いながら‥アハハハと大声で笑っていると歌詞の「今ここに君はいる」の“君”は高齢者の皆様方であり、他ならぬ私自身であることに気がつきました。
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「森の家」にいると‥今日ただ今、正になすべきを熱心になせ、を素直な心で感じます。
# by blues_rock | 2011-06-05 12:51 | 高齢者介護(認知症) | Comments(0)
「心の時空」の新しいブログへようこそお越しくださいました。
どきどきさせるものが美しい‥私の敬愛する白洲正子さん(1910~1998)の言葉です。
白洲正子さんは、芸術・歴史への造詣深く卓越した見識で多くの書物を著されました。
古美術の世界(骨董)では、抜群の審美眼を持たれ稀代の目利きでもありました。
「どきどきさせるものだけが美しい」とは、白洲正子さんの到達された究極の審美眼であると私は思います。
音楽や絵画などの芸術においては、知識ではなく自らの心が感動したものこそ自分にとって一番大切な作品なのです。
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偉大な芸術家の魂(心)は、作品・楽譜・文字に宿り時空を超えて感動する人の魂(心)に甦(よみがえ)りどきどきと感応(あるいは官能)させてくれます。
子供の頃より音楽や絵が好きで、この歳になるまでいろいろな音楽を聴き、たくさんの絵を見てきました。
勝手気ままに聴いてきた音楽、見てきた絵ばかりなので自分の部屋にあるLP・CDや画集・絵はがき類も他人(ひと)が見たらきっと相当片寄っていると思われるでしょう。
自分が、すばらしいと感じる音楽だけを聴き、どきどきする絵画だけを見てきました。
a0212807_1118259.jpgその感動の記憶が、心にたくさん蓄積されています。
私には、音符の類は解りませんし、楽器は何一つできません。
自分を感動させるような絵を私は、描けません。
自分の耳と目が、喉の渇きのように天才たちを追い求めます。
天賦の才能には、ダレも聴いたことのない音(メロディやハーモニー)が聴こえたり、見たことのない絵(色や形)が見えるのでしょうか?
人は、皆好きなことには集中でき夢中にもなれ、夢中になれば目指した芸術への意思を持続するし、自らの表現技術を高める努力もします。
しかし、多くの音楽家や画家に、日々研鑽の持続や努力はできても、その道に秀でたセンスや資質がなければ、名曲・名作は創れるはずもありません。
古今東西の優れた名曲や絵画の多くは、その時代の有名無名を問わず天才たちにより生まれてきました。
音楽や絵画が、好きな自分は黙々と受け取るばかり、各時代の芸術の官能を享受し至福に浸っています。
時代を越えて人の心の中に残る楽曲や絵画はほんのわずかです。
どの時代でも当時流行った作品のほとんどが、消え忘れられていきます。
感動を創る才能のない芸術家は、歳月という時間から残酷な扱いをされるものだつくづく思います。
# by blues_rock | 2011-06-04 23:31 | 時空序章(Preface) | Comments(0)