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心の時空

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a day in my life

a0212807_235502.jpg西日本新聞の一面に「九州の限界集落が、1,094か所になった。3年前の1.3倍となり限界集落が進んでいる。全国では10,000か所となった。(‥以下省略)」という記事がありました。
「限界集落」とは、お役所用語で、その意味するところは「もうすぐ住む人がいなくなる過疎地、廃村寸前の集落」のことです。
お役所の「限界集落」の定義は、満65歳以上の高齢者が、人口の半分以上を占める地域のこととか‥お役所のいう「限界集落」は、介護保険制度の高齢者である満65歳など、まだ青二才で80歳代は言うに及ばず90歳代でも、今でも山仕事の現役という方が、数多くおられます。
a0212807_23543675.jpg大分県玖珠郡の山道脇で、乾シイタケを直売している高齢の椎茸生産者の方と話したら「アタシも七十超えたばってん、ここらじゃまだ若手ですたい。ワッハッハッ!」と豪快に笑い飛ばされました。
先日も福岡県星野村の山間(やまあい)で感じたのですが、木々の緑が美しい自然の中で、風に揺れる木の葉の音、かすかに届く渓流のせせらぎ、小鳥がさえずる声の他に聴こえる音のない静寂な時間と豊かな空間を満喫できる贅沢な場所は、山奥の「限界集落」まで行かないとないでしょう。a0212807_23551865.jpg
昔むかし、人のいなかったところに人が移り住み、生活を営みながら家族をなし、地域経済を作り、多くの世代を重ねた長い時間の中で、また人がどこかへ移動していくだけのこと‥「限界集落」とは、地域にやがて人がいなくなり無人となって、太古の自然に還ることを意味するのだから、そう大騒ぎすることもないと思います。
a0212807_23553484.jpg自然の悠久の時間の中で、生活を営み暮らしてきた人たちは、自然の摂理をわきまえ自分には、どうすることもできないこともあるということを知っています。
「限界集落」が増えることで困るのは、川下で生活するおおぜいの都市住民たちです。
山に住む人が、居なくなれば山は荒れ、棚田は失せ、豊かな水源もなくなるでしょう。a0212807_23554644.jpg
そして、川の下流で生活する都市住民も、やがて流れの止まった川の川底を見ながら、全国各地に無数に点在する都市の「限界集落」を知ることでしょう。
人類歴史の中で、最も栄え豊かであったと伝えられるローマ帝国の滅亡の原因は、ローマ帝国の人々による家屋と燃料消費のための森林伐採と、農地開墾のために、ローマ近隣の森を破壊し尽くしたことによる自然環境の悪化であったと自然科学者・歴史学者が、今に伝えています。a0212807_23561068.jpg
廃村寸前の集落で老いていき、高齢者となっても子供と別れ、長く住み慣れた山間(やまあい)の地を終の棲家と決めた人たちにとって、「限界集落」の呼び名は、人口過密地の大都市で喘(あえ)ぎながら暮らしている人々が、勝手にそう呼んでいるだけのお役人言語で、何の意味もありません。
# by blues_rock | 2011-06-21 23:53 | 社会/歴史/思想 | Comments(0)
筑紫郡那珂川町の渓流に、ホタル(蛍)を見に行きました。a0212807_2356169.jpg
自宅から車で15分くらい走った山道沿いに、ホタルの群生する渓流があり、漆黒の暗闇の中でホタルの美しい群舞を見ることができました。
清流のせせらぎと河鹿(カジカ)の楚々とした鳴き声に聴きいりながら、ホタルの淡い光をぼんやり眺めしばらく幽玄の世界に浸りました。
突然目の前に一匹のホタルが、ふわりふわりと舞うように現れました。
そおっと手を伸ばすと手のひらに留まりました。
ホタルは、私の手のひらで蛍の光を点滅‥逃げる気配を見せません。
ホタルを見ながら走馬灯のように子供の頃を懐い出しました。
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ホタルをたくさん捕まえてきて蚊帳の中に放ち、裸電球を消して淡く点滅するホタルの光を寝転んでいつまでも眺めていましたっけ。
蝶々の季節には蝶々を、トンボやヤンマが、飛翔する頃はトンボやヤンマを、夏は蝉やカブトムシを、大きな虫カゴいっぱいに捕まえてきては、寝転んで眺めていました。
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今懐えば、酷(むご)いことをしていたものだと、幼い子供の好奇心(エゴイズム)に心が痛みます。
自然の中で正にただ懸命に生きている昆虫たち、小さな動物たちのありのままを眺めているのは、心地よいもの‥そんな気持ちにさせてくれた今夜のホタルたちに感謝します。
# by blues_rock | 2011-06-20 23:15 | 柏原生活/博多叙景 | Comments(0)
「自分の感受性くらい」

ぱさぱさにかわいていく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

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苛立つのを
近親のせいにはするな
何もかもへたくそだったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

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駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

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この詩を初めて知ったのはもう三十年も前‥遠い昔のはずなのに、いつ読んでもグサグサと言葉が心に刺さり、神経がヒリヒリします。
自分という得体の知れない魔物も、この詩を読むとおとなしくなり、しばらく静かにしています。
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茨木のり子さんは、西東京市東伏見の自宅に一人暮らし、2006年2月17日病気で亡くなられた時も、自宅寝室で一人亡くなられました。
枕元には、遺書(手紙)があり日付と病名を空欄にし‥自分が死んだこと、生前のお礼、自分の弔いへの一切の辞退などが、書かれていたそうです。
一人暮らしの生前から、自分の強い意志で自らの死を準備されていたのでしょう。
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茨木のり子さんの詩から感じる人生への凛とした覚悟は、この世の孤独も寂寥も受け入れて深山の草庵で暮らす尼僧のように思えます。
心よりご冥福を申しあげます‥などと言えば、他人のことより自分の心配をしなさいとお叱り受けそうです。
# by blues_rock | 2011-06-19 10:48 | 詩/短歌/俳句/小説 | Comments(0)
a0212807_22463898.jpgビートルズが、1962年にデビューして49年、1970年の解散から41年になります。
私には、今でも正しく親愛なるビートルズ‥わが人生のビートルズです。
ビートルズを書こうと思いながら、なかなか書けないでいました。
初めてビートルズを聴いた時のことを懐い出すと、いつもそこでストップしていました。
いつも十代半ばの自分にタイムスリップ、福岡県南部の田舎町でダサい青春時代(中学~高校の頃)の自分を懐い出だしてしまうからです。
そんな頃にビートルズ(1962~1970)の「抱きしめたい」をラジオで聴き、ビートルズのレコード(EP・LP)を持っているクラスメートの家に放課後いつも押しかけ、聴かせてもらっていました。
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時には、放課後の理科室に電蓄を持ち込んで教室の暗幕を引き、級友たちとビートルズが歌う「ロックンロール・ミュージック」でツイストを踊ったりもしていました。
それから現在まで(これからもきっと)私の音楽の原点はビートルズで、ここからロック(HR・HM)・ブルース(R&B)・スカ(レゲェ)・ジャズ・ワールドミュージック・クラシックへと興味が広がりました。
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ビートルズの歴史は、1957年ジョン・レノン(1940~1980享年40才)のクオーリーメンに始まり、1959年ポール・マッカートニー(1942~)とジョージ・ハリスン(1943~2001享年58才)の三人が揃い、1960年リンゴ・スター(1940~)の加入で1962年にビートルズはデビューしました。
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1970年に解散するまでに、12枚のオリジナル・アルバムを発表(マジカル・ミステリー・ツアーを入れると13枚)しています。
ビートルズのアイデアとセンス溢れる新しいロック音楽は、1960年代~70年代の世界のロックミュージシャンに刺激を与え、ロックの多様化の原動力になりました。a0212807_22181632.jpg
ビートルズが、ここまでやったからここまでは行ける(OK)というロック進化は、LP「ラバーソウル」・「リボルバー」に始まりLP「ホワイト・アルバム(二枚組30曲)」以降顕著となりました。
1966年のサンフランシスコ野球場でのコンサートを最後にビートルズの4人は、コンサート(ライブ)活動を止め、スタジオに籠もり音楽活動を始めました。
ビートルズのロック音楽は、技術的にライブによる演奏できなくなっていました。
内面的な歌詞、各自の作曲、多様な楽器演奏、多重録音による音楽実験、最新器材によるレコーディング(ミキシングの技術)、斬新な音楽映像(元祖MTV)など色々な種類の音楽をベースにした自分たちのオリジナリティ溢れる曲を次々に発表しました。a0212807_22194589.jpg
この間の情報や記録は山のようにありますので省略します。
歌詞も難解なものもありますので内田久美子訳詩「ヒートルズ全詩集」を参考にされると良いと思います。
前衛音楽のような「レヴォリューション9」は、ジョンがただこのセリフを単調に繰り返すだけで、最初聴いた時「なんだ‥こりゃ?!」でしたし、ヘヴィメタルの前兆ともいえる「ヘルター・スケルター」などポールが叫んでいる(としか思えない)歌詞の意味が、さっぱり分かりませんでした。
この曲の最後に「I've got blisters on my fingers!!(指にマメができたぞぉ!!)」と叫んでいるのは、リンゴでその意味も最近まで分かりませんでした。
「ヘルター・スケルター(らせん状の滑り台)」は、1969年レッド・ツェツペリンの登場から本格的に始まるヘビィメタルロックの幕開けでした。
正真正銘のロックンロールバンドであったビートルズを聴く(知る)には、1962年~1965年にBBCラジオのライブ
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を記録した音源が近年発見され、2枚組CD「ザ・ビートルズ・ライヴ!!アット・ザ・BBC」としてリリースされ、69曲のロックンロールが収録されていますので若い世代でビートルズに興味ある方に最適なCDです。
チャック・ベリー、エルヴィス・プレスリー、リトル・リチャード、レイ・チャールズ‥が歌ったロックンロール創世期の名曲をカバーしており、併せて初期ビートルズのロックンロール・R&Bも聴くことができます。
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鮮度抜群!「イエスタディ」・「レット・イット・ビー」・「イマジン」(ジョン・レノン)を聴いて育った若い方々に、ぜひ聴いていただきたい「ザ・ビートルズ・ライヴ!!アット・ザ・BBC」です。
# by blues_rock | 2011-06-18 22:27 | ビートルズ(Beatles) | Comments(0)
人間国宝(無形文化財)の加藤唐九郎(1898~1985)が、なぜ古陶を巡る贋作事件(1960年永仁の壺事件)に関わったのか‥目的はなんであったのか‥古陶贋作のメリットとリスクを推理してみました。
1.はじめに
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私は、古い陶器が好きで、六古窯のやきものを中心に、各地の美術館・博物館・資料館で多くの古陶(甕・壺・茶碗など)を見てきました。
古陶には、古美術品(骨董)としてずいぶん高価なものもありますが、そもそも昔の人たちの生活道具(日用品)として、当時の窯元で働く無名な職人たちが、土を練りロクロを回し、登り窯で焼いて生成したもので、普段の暮らしに使いやすいよう自然に創りあげた容器でした。
古陶がもつ用の美に、茶人や大名・数寄人たちは心奪われ、茶の湯の道具として見立て、逸品を得ると銘をつけ桐の箱に入れて、後生大事と身近に置いて愛でてきました。
私個人も、桃山陶それも古志野に魅了されますので、彼らの気持ちは理解でき‥さもありなんと思います。
2.古志野
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志野といえば、荒川豊蔵(1894~1985)が、美濃(岐阜県可児市)山中の古窯跡で見つけた陶片は、志野は古瀬戸という従来の常識を覆(くつがえ)す歴史的大発見となりました。
その証拠を徳川美術館(名古屋市)に所蔵されている古志野茶碗(銘筍)に見ることができます。
志野は、江戸時代初期忽然と歴史から消え、荒川豊蔵が古志野を再興するまで、どこの窯で作陶されたかさえ分からず、長い間古瀬戸の窯とされてきました。
古志野の窯が消えたのは、志野に不可欠な陶土「もぐさ土」が、何かの理由で当時の職人の手に入らなくなったからではないか‥志野にとってもぐさ土が命であることから、そう推理しています。
荒川豊蔵は、古志野の陶片があったその古窯跡近くに自分の窯を設営(水月窯と命名)し、古志野を再現して多くの志野の名品を残しました。
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水月窯に隣接して、現在荒川豊蔵資料館ができ一般公開されています。
加藤唐九郎にも志野茶碗の傑作(銘紫匂い)があり、他に数多くの傑作名作を残し、それは名古屋市守山区の翠松園(加藤唐九郎作品館)で見ることができます。
このお二人は、桃山時代の古志野窯に引けをとらない志野を創ることができた数少ない名陶工と思います。
3.加藤唐九郎
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加藤唐九郎について書きたいと思っていましたら、友人が、「永仁の壺事件」に関するメールをしてきました。
加藤唐九郎は、稀代の名匠(陶工)であり、真摯な陶器研究家でした。
彼が、編纂した原色陶器大事典には、陶器のすべてが網羅されており、その内容たるや半端ではなく、驚嘆すべき質と量です。
陶器を知りつくした知識と陶器への情熱、求道者でないと決してできない見事な大作事典です。
加藤唐九郎は、土を知りつくし弄りつくして暮らし生きてきた人であり、人物も相当ユニークな人だったろうと推察いたします。
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当時すでに人間国宝(無形文化財)の加藤唐九郎は、1960年永仁の壺贋作事件渦中の人として世の中の批判を一身に浴びます。
永仁二年(1294)と銘のある瓶子(へいし)が、瀬戸の古窯跡から発掘され、鎌倉時代の古瀬戸であるとして国の重要文化財に指定されました。
この指定を推薦したのが、当時文部省にあって古陶磁研究の専門家で第一人者でもあった小山富士夫(1900~1975)でした。
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この古陶の真贋について、美術界・骨董界がマスコミを巻き込み騒ぐ中、加藤唐九郎の長男峰男(当時まだ十代)が、瓶子(へいし)は自分が作り、父唐九郎が銘を入れたものだと名のり出たからたいへんです。
加藤峰男は、その後父唐九郎と対立し、名前を岡部嶺男と変え陶芸家となります。
驚くのは、当時まだ十代の彼が、真贋で専門家を惑わすくらい父親ゆずりの作陶技術をすでにもち、早熟な名陶工であったと思えることです。
加藤唐九郎は‥永仁の壺(瓶子)は、自分が作ったと主張し、以後一切口を閉ざします。
これにより人間国宝(無形文化財)の称号は剥奪されますが、唐九郎はそんな世俗世事に我関せずと、風評などお構いなく「無一物」と号し、自らの作陶に専念し志野・唐津・織部・黄瀬戸‥と傑作を次々に残し、ライフワークの原色陶器大事典の編纂に没頭し、生涯を終えました。
4.加藤唐九郎の悪戯
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当時すでに人間国宝であった加藤唐九郎には、陶芸界の重鎮として地位も名誉もコレクターも数多であったと思いますので、お金のために古陶の贋作を作る必要は、まったくなかったはずです。
では、なぜ鎌倉時代の永仁の壺(瓶子)の贋作に銘を入れ、世に送り出したのか‥時代を超えた名陶を知り、作陶できる技量をもった稀代の陶工加藤唐九郎の悪戯ではなかのだろうか‥と推理しています。
古陶の贋作の出来映えをおもしろがり、どうせいずれバレるだろうと茶目っ気たっぷりのことだったのではないかと推理しています。
あなたならいかが、推理されますか?
5.あやうきにあそぶ
a0212807_22333380.jpg古美術骨董の世界で一流の目利きや数寄人は、真贋の間にある「あやうきにあそぶ」ものとか‥贋物を弄(いじ)られない者に、本物も分からないのだそうです。
値札や箱書き・鑑定書で真贋論争をするなどは、金銭欲にかられて自分の審美眼を他人に預け委ねることと同じ、もし値札・箱書き・鑑定書などが真っ赤な贋作(精巧な贋物)であったら、あなたはどうしますか?
やはり自分の眼で選んだものが、本当に美しく価値ある本物です。
自分の好き=数寄を育てるためには、真贋構わずたくさんの現物を見ることでしょう。
その中ににはつまらない本物もあれば、すばらしい贋作・贋物もあることが、自ずと分かってくると思います。
加藤唐九郎の作陶した贋古陶が他にもあり、古美術骨董の世界にあるとしたら愉快と思いませんか。
小山富士夫も永仁の壺贋作騒ぎの責任をとり文部省関係の仕事を辞め、この事件について一切沈黙します。
小山富士夫の偉業は、出光美術館(丸の内)の陶片室に所蔵されている日本・中国・朝鮮をはじめ世界の古窯跡から発見された膨大な陶片コレクションにあり、その古窯発掘と収集は彼の手によるものです。
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日本のやきものでは、瀬戸・美濃・唐津・肥前磁器など代表的な古窯跡の陶片を収蔵しています。
古代エジプト・中近東の古代遺跡から出土した中国・東南アジア古窯の陶片もあり、古代交易の意外な広がりの歴史を実感することができます。
陶片室で古い陶片を眺めていると、時間の経つのを忘れます。
(付録)写真は、すべて加藤唐九郎作陶によるものです。
# by blues_rock | 2011-06-17 22:34 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
先日、デイサービス施設にみえられた12名の皆様に「放浪の天才画家長谷川利行」の絵の話(絵の時間)をしました。
長谷川利行の絵は「すばらしい」としか言いようがなく、敬愛する白洲正子さんの言葉を借りれば‥どきどきさせるものだけが美しい、そのものです。
長谷川 利行(1891年、明治24年~1940年、昭和15年、享年49才)は、京都府に生まれました。
和歌山県で育ち、十代に短歌・詩に興味を持ち歌集「長谷川木葦集」を発行しています。
1921年上京し小説などを書いていましたが、いつの頃からか絵を描き始め独学でフォービスムを彷彿させる色彩鮮やかな作品を数多く残しています。
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絵の才能(センス)と情熱の溢れるまま速い筆のタッチで一気に描きあげ、人物画・風景画に多くの傑作を残しています。
生涯家(アトリエ)を持たず、場所を選ばず、放浪しながら情熱のまま絵を描いていました。
展覧会で受賞(二科展樗牛賞など)するなど少しずつ評価を高めていきました。
しかし、彼の日常生活は、浅草などの貧民街で一日中絵を描いているか、絵を売り少しの金を得て酒を飲んでいるかでした。
彼と付き会いのある知人の絵を描いて、本人に送りつけ借金したり、岸田國士ら著名人宅に押しかけて絵を描いては、金をせびったりするなど彼の私生活は、荒れ果てていました。
彼を知る人たちは、後世まで彼のことについてあまり話題にせず(このために彼の行動経歴には分からないことが多く)長谷川利行の才能が、評価されたのは彼の死後数十年たってからでした。a0212807_16323273.jpg
40才を過ぎても木賃宿・公園での野宿・救世軍救済所など転々として絵を描きながら安酒を飲み暮らしていました。
彼を理解する友人天城俊彦の主宰する画廊で個展をしていましたが、安酒の飲み過ぎで胃潰瘍を悪化させ次第に身体を衰弱させていきました。
1940年(昭和15年)上野近く三河島の路上で倒れ療養施設に収容されました。
胃潰瘍は、胃ガンとなり治療が必要でしたが、彼は拒否し49才で亡くなりました。
彼の絵・スケッチブック・画材等の所持品は、この施設の規則ですべて焼却されたそうです。
翌年、彼の死を知った天城俊彦により施設から長谷川利行の遺骨が、引き取られました。
1969年上野不忍池に「利行碑」(字は熊谷守一書)が建てられ、それに彼の短歌が刻まれています。
2009年2月TV番組のお宝探偵団で長谷川利行の油絵(カフェ・パウリスタ)が、彼と交流のあった安宿経営者の自宅押入れから発見されたと安宿経営者の遺族の方から鑑定依頼が出ていました。
長谷川利行には偽物も多く鑑定依頼のあった絵は地味な色彩の風景画でしたが鑑定の結果、長谷川利行の作品でした。a0212807_16324856.jpg
この絵も宿代が払えずに、代わりに置いていったものと推察いたします。
放浪しながら、毎日浴びるように安酒を飲み、絵を描いては、人に手渡していた長谷川利行の絵が、まだどこかの家の押入れの奥か、納屋の片隅にホコリを被り、遺されているかもしれません。
# by blues_rock | 2011-06-16 21:24 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
3年前、東京での生活も残り少ないとき、幸運にもこの二人の展覧会を見ることができました。
◇アメジオ・モディリアニ(1884~1920)◇
イタリア人、エコール・ド・パリの伝説的画家、貧困と持病(肺結核)さらに飲酒で35歳病没、夭折の天才です。
彼の生涯は、その波乱に満ちた人生により伝説となりました。
映画「モンパルナスの灯」(1958年フランス)は、モディリアニをジェラール・フリップが、妻ジャンヌをアヌーク・エーメが演じていて名作映画です。
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とくにリノ・バンチェラ演じる画商の獲物を狙うような演技が見事で、モディリアニの才能を高く評価していながら、生きている時には冷淡で、モディリアニが慈善病院で死の床に就くと知ると直ちにモディリアニのアトリエに行き、アトリエの絵を全部購入するという役どころを快演して印象に残ります。a0212807_22201797.jpg
彫刻家を目指していたイタリア時代は、アフリカ民族彫刻に影響を受けたことが当時のデッサンやエスキースで分かり、後年ののモディリアニが描く絵のフォルムと線に美しく表現されています。
どんな絵描きも残された数多くの作品の中にはどんなものかなと思う凡庸な作品もありますが、モディリアニにはそれがありません。
やはり天才だからでしょうか。
(右写真:名古屋市立美術館所蔵「おさげ髪の少女」)

◇モーリス・ド・ヴラマンク(1870~1985)◇
フランス人、フォービズム画家の一人と書いたら、彼は「オレは違うぞ!勝手に決めるな!」と怒鳴られそうな大柄で厳つい風貌の人でした。
若い頃は、ヴァイオリン演奏家・競輪選手で生活費を稼いでいたそうで、パリに行く汽車の中でドランと運命的な出会いをし、パリで共同生活を始めヴラマンクは本格的に絵を描き始めます。
マチスをヴラマンクに紹介したのもドランで、そのことからフォービズムが誕生します。
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ヴラマンクは、自由奔放な人で自分の感性以外を信じず、束縛されたり服従させられることが大嫌いでした。
絵画についても伝統や教育を拒否し、少年時代に受けた絵の手解き以外は独学でした。
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ただ一人ゴッホだけには強く影響され、画家として尊敬していました。
日本の画家では、佐伯祐三がヴラマンクの影響を大きく受けました。
ヴラマンクとの出会いで佐伯祐三の絵は一変、書を想わせる自由自在な絵筆のタッチで、パリの街角を描き数多くの傑作を生み出しました。
# by blues_rock | 2011-06-15 22:22 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
通所介護(デイサービス)施設の窓から竹林の森が、見えます。
四季折々の竹林の森は、自然のまま美しい景色を映します。
山ぶどうは、つかの間の陽射しを浴びて風にそよぎキラキラと輝いて笑っているようです。
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私たちの通所介護(デイサービス)施設には、毎日10数名の80歳代から90歳代の高齢者がお見えになります。
年間延べ3千数百名の方が、利用されています。
皆様方は、戦前・戦中・戦後の日本の激動期を生き抜いて今日まで暮らしてこられました。
艱難辛苦の人生であったろうと想像いたします。
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家族との同居生活・老夫婦二人暮らし・1人暮らしと今の生活は、それぞれ違いますが、私たちのデイサービスでお過ごしの時は、皆様方大きな声でよく歌い、「アハハハ‥オッホホホ‥ワッハッハ」と屈託なく本当によく笑われます。
そんな皆様方の笑顔と団らんの風景を写真に記録し、毎月のニュースに掲載したり生活レポートに添えたりして家族に報告しています。
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写真をご覧になった家族の方々は、最初「えっ!?うちの母が、笑うんですか?うちで笑った顔を見たことないのです。」とか「頑固でしかめっ面ばかりの父が、歌を唄うんですか?」と驚かれていました。
高齢者の皆様の大方が、程度の差はあれ認知症という脳の病気を患っておられます。
私は、多少病気があっても、大声で笑われない高齢者、歌を唄われない高齢者はおられないと思っています。a0212807_321718.jpg寝巻から衣服に替え、家を出て人(ともだち)と集い、他愛ないおしゃべりをして、大声で笑い、時には大声で歌を唄う「あなた声の外れているよ。」「ほんと!?そお?」と言いながらまた外れる‥その絶妙の掛け合い漫才に居合わせた全員が大笑いです。
皆様方きっと他人(ひと)には言えない家庭の事情や問題、悩みや苦しみがあると思います。
しかし、ここでは、一言の愚痴もなく、どなたもうれしそうな顔をして過ごされておられます。
いつまで私たちのところに見えるのか‥それは、分かりません。
それまでいつも笑顔で平安であって欲しいと願います。
私たちも自宅を終の住処とされた皆様方のために、新しい施設を6月1日に開所しました。
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昼間の通い(デイサービス)・自宅生活の手伝い(ホームヘルプ)・泊まり(ショートステイ)の三つを組み合わせた在宅介護の「小規模多機能居宅介護ホーム」です。
住み慣れた地域で暮らし続け、時には家族と離れ仲よしや友だちと夜が更けるまで語らいあい、そしてゆっくり眠り爽やかな朝を迎えていただける場所にしたいと思います。
明日はわが身‥人は老いて病み、いつか必ず死んでいく‥窓から見える竹林の風景をぼんやり眺めながら、そんなことを考えていました。
# by blues_rock | 2011-06-14 02:50 | 高齢者介護(認知症) | Comments(0)
140年前の1872年(明治5年)創設された最も古い国立博物館です。
上野公園にある国立西洋美術館・国立科学博物館の前を通り北の方角に抜けると道路の向う側に大きく立派な建物が現れます。
広大な敷地内に本館他4館があり、古美術・古工芸・古民芸などカテゴリー別に同館所蔵の骨董品コレクションを展示しています。

◇志野茶碗(しのちゃわん)‥銘 振袖(ふりそで)
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自分の好きな作品展示ギャラリーなら一日居ても厭きることはありません。
ここでは古えの天才も無名職人も等しく時代を超えた作品としてしっかり存在しています。
傑作か名品かは、いつの時代も見る側が決めること、ただ目の前にある作品をじっと見ていると創った古えの職人たちの魂(美意識や感性)が、作品を通して心に染み入ってきます。

◇鼠志野鶺鴒文鉢(ねずみしのせきれいもんはち)
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いま目の前に見てドキドキする物がある‥それに出遭えた、私にはそれだけで十分です。
もし、古今東西の作品が、時代を超えいつか人々から芸術品と呼ばれるのは、見る人の心に「トキメキの感動」を与えてくれるから‥ではないでしょうか。

◇志野橋文茶碗(しのはしもんちゃわん)‥銘 橋姫(はしひめ)
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芸術の品質は、見る人の感受性(美意識や感性)を超えて存在することはありません。
芸術なんて‥好きか嫌いかです、私はそう思います。

◇青磁茶碗(せいじちゃわん)‥銘 馬蝗絆(ばこうはん)
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# by blues_rock | 2011-06-13 20:06 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
ルネッサンス期のイタリアで活躍したヴィンチ村出身のレオナルド(1452~1515)は、万能人で天才を超える天才でした。
当時のフィレンツェには、天才芸術家たちが、何人もいました。
なかでも天才を超える天才の彫刻家ミケランジェロ(1475~1564)・画家ラファエロ(1483~1520、少し年長ながら画家ボッティチェリ(1444~1510)と、人類史上二度と現れることのない美神(ミューズ)の申し子が、4人もいて、何んと27年もの間フィレンツェという同じところで同じ時代を共有し暮らしていました。
これを奇跡と言わずして、他に奇跡はありません。
ダ・ヴィンチの絵は、各国どの美術館でも国宝級の扱いなので、なかなか日本で見る機会ありません。
幸いなことに「白テンを抱く貴婦人」を東京でじっくり見る機会がありました。
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単眼鏡(少し離れたところから絵を拡大して見る望遠鏡のようなもの)持参し、絵の前で大勢の列をなしている入場者の頭越し肩越しに、時間をかけゆっくり見ました。
絵を見ると言うより、絵を観察したと言ったが良いでしょう。
「白テンを抱く貴婦人」は、完璧と思わず唸るくらい美しい絵です。
「受胎告知」を見た時にも同じ感激、感動を覚えました。
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美術館に単眼鏡を持参して行くと名画の楽しみ方が、ずっと増えます。
# by blues_rock | 2011-06-12 20:57 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)