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心の時空

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a day in my life

未明にドキドキする夢を見ました。
ときめきでドキドキする夢ではなく、不安でドキドキする夢でした。
眠りの中で見る夢に、時として不思議で奇妙なものがあります。
フロイトのように、夢は潜在意識にある意識うんぬんが、具現されてなどと難しいことは抜きにいたします。
私の見た夢は、きっと認知症の方が襲われる不安感に近いのではないかと勝手に推測しました。
普通ヒトは、眠りから醒めると夢を見たことすら忘れています。
夢を見たことを憶えているヒトも、その夢の詳細はほとんど忘れています。
今日の夢は、目覚めも悪く夢の痕(あと)が、心の中に残りました。
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夢はこんなものでした。
「私は、ダレかと会う約束をしていました。そのダレかが、分かりません。大切なヒトとの大事な約束であり、約束の時間が迫っていました。私は焦りで心臓がバクバクドキドキしていました。しかし約束の場所が分からないのです。憶い出せないのです。必死で憶い出そうとしますが、まるで分かりません。どこへ行くのかも分からないまま車を飛ばし行き止ると、車を降りて走りながら、憶い出せない約束の場所を探していました。そしてハッと気付いた時、今度はいま自分のいる場所が分からなくなっていました。突然、不安と恐怖に襲われパニックになり‥」とここで夢が醒め、ああ夢だったとホッとしました。
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認知症の方の不安と恐怖もきっと‥自分に何が起きているのか?いま自分がいるところはどこなのか?これから自分はどうなるのか?自分はどうしたらいいのか?とパニックになられるのだろうと推察します。
認知症の方の表現された言葉に「どこまでもどこまでも広がる白一色の雪原にポツリと私ただ一人が残されたような恐怖」というのがありました。私の見た夢は図らずも‥認知症の疑似体験だったのかもしれません。
これがもし認知症発症の予兆だったとしたら‥考えないようにします
# by blues_rock | 2011-07-18 06:19 | 高齢者介護(認知症) | Comments(0)
CCR(クリーデンス・クリアーウォーター・リバイバル)は、ジョン・フォガティ(1945~)の個性的なヴォーカルが、強烈な印象として残るアメリカン・ロックバンドでサザンロック(スワンプロック)の先駆けです。
1968年CCRは、アメリカ南部の泥臭い音楽(スワンプ)のカヴァー曲「スージーQ」が全米ヒット、サザンロックを歌うバンドが西海岸(サンフランシスコ)のヒッピームーブメントから登場したことで異色の存在となりました。
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そして「プラウド・メアリー」・「ダウン・オン・ザ・コーナー」・「雨を見たかい(Have you ever seen the rain)」と大ヒット曲を次々リースしました。
この「雨を見たかい」は、当時アメリカの若者の間にベトナム反戦運動が広がり、ベトナムの大地にナパーム弾が炸裂し破壊され、空に舞い上がった粉塵が雨のように降る光景を歌っています。
ロックのベトナム反戦運動は、1969年ジミ・ヘンドリックスがウッドストックでアメリカ国歌「星条旗よ永遠なれ」をギターの歪み(アーミング演奏)で表現したり、映画「地獄の黙示録」に挿入されたジム・モリソンの「ジ・エンド」など当時のロックミュージシャンたちの魂と社会変革への情熱を感じます。
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そしてCCRを追いかけるように、全米からオールマン・ブラザーズ・バンド、リトル・フィート、38スペシャル、レオン・ラッセル、デラニー&ボニーなど次々に70年代初頭に活躍するサザンロックの雄たちがロックシーンに登場しました。
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ロックの歴史に大きな名前を残したCCRですが、実質的な音楽活動は1968年~1971年の4年くらいと意外と短い期間でした。
a0212807_22385333.jpgCCRはオリジナルメンバーで7枚のアルバム(LP)をリリースしています。
6枚目のアルバム「ペンデュラム」(1970)が、ジョン・フォガティのヴォーカルをフューチュアした最後のアルバムです。
ジョンの強烈なブォーカルがCCRの個性でしたが、ジョンが目立つバンドの中に次第に軋みが始まります。
7枚目(最後)のアルバムではメンバーが、公平・平等に歌うというジョン色を抜いたものでした。
しかしジョン色のないCCRは、皮肉にも失速1972年実兄トムがバンドから脱退しあっけなく解散しました。
ジョン・フォガティ(CCR)の歌を聴くたびに、ロックは才能ある個性が創るものという当たり前のことを感じます。
# by blues_rock | 2011-07-17 09:59 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)
舟越保武(1912~2002)の彫刻・彫塑は、岩手県立美術館に多くあります。
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舟越保武作品展示室のとなりに、盛岡中学校の同級生松本竣介(1912~1948)作品展示室があり、万鉄五郎のコレクションと併せ充実した美術館です。
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舟越保武の彫刻は、クリスチャンとしての信仰に裏打ちされた女性の清楚な美しい作品が多く、見ていて安堵します。a0212807_028033.jpg
この美しさも、ほんの少し緩くなるときっと陳腐なつまらない俗なものに堕ちてしまう危うさはありますが、彫刻家舟越保武の才能にはそれはありません。
芸術作品の名作と凡作・駄作との格差は‥それはきっと見る人個人の感受性の差の問題で、見る人の心がドキドキ感動するか、ワクワクした気持ちになるか、ならないかの単純なことと私は思います。
芸術へのアプローチは、その作品が好きか嫌いか‥好き嫌いに理由などありません。
原口統三は「思想とは趣味の問題、好きか嫌いか、皮膚の感覚がすべてだ」と表現していますが、芸術も同じことと思います。
長崎市にある26殉教者記念像(1962)は、彼の彫刻を見るうえで重要な作品と思います。
デミアン神父像や島原の乱で殉教した武者像を見ていると信仰に支えられた表現‥力強い造形を感じます。
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生涯の友であり、同年齢の彫刻家佐藤忠良も多くの女性像を残しています。
女性を対象とした二人の彫刻を見て、その作品から彫刻家がモデルの女性から感じとるインスピレーション(イメージ)を想ってみるのもおもしろいかもしれません。
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舟越保武の随筆「巨岩と花びら」(ちくま文庫)も名文集です
# by blues_rock | 2011-07-16 00:28 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
良寛(1758~1831)については、多くの人が、無欲恬淡で高潔な人柄を語り、有名な作家は、自らの人生の理想として多くの名著を残しています。
良寛は、道元(1200~1253)の「正法眼蔵」を生涯の教えとし、寺を持たず、民衆に仏法を説かず、山里の草庵での座禅と乞食(こつじき)により暮らしました。
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生涯、身を立つるに懶(ものう)く
騰々、天真に任す
嚢中、三升の米
炉辺、一束の薪
誰か問はん、迷悟の跡
何ぞ知らん、名利の塵
夜雨、草庵の裡
双脚、等間に伸ばす
号を「大愚」、揮毫(サイン)には、「南無阿弥陀仏」と書いたそうです。
良寛は、短歌・漢詩・書の達人でしたが‥歌詠みの歌、料理人の料理、書家の書を選ばず、そして好まず、遠ざけていました。
人から書を所望されても筆を取らなかった良寛ですが、子供たちから凧(たこ)に字を書いて欲しいと頼まれると喜んで「天上大風」・「いろは」・「一二三」などすぐに書いてあげたそうです。
晩年の夏目漱石は「則天去私」の心境に至り、禅を求め良寛の書を愛して‥大愚到り難く、志成り難し、と良寛への思慕を強くしています。
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融通無碍で、自由な良寛は、般若湯(酒)も嗜み、乞食で山を下りる時は懐に手マリを入れて日暮れまで子供たちと遊び、マリ突きやかくれんぼをしていました。

この里に/手まりつきつつ/子供らと
遊ぶ春日は/暮れずともよし(良寛)

良寛の歌と書を知り、人柄に感銘を受けた貞心尼は、良寛に弟子なりたいと願い出ます。
良寛70才、貞心尼30才の時です。
貞心尼が会ってくれるよう願い出ても、歌詠みの尼僧である貞心尼に会おうとしなかったので、ついに貞心尼は草庵に良寛を訪ねました。
良寛は不在でしたが、貞心尼は持参した手マリと歌を庵に残して帰ります。
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これぞこの/ほとけの道に/遊びつつ
つくやつきせぬ/みのりなるらむ(貞心尼)

このことがあってから良寛は、貞心尼に興味をもち歌を返します。

つきて見よ/ひふみよいむなや/ここのとを
とをとおさめて/またはじまるを(良寛)

貞心尼は、初めて良寛に会った時の喜びを素直に歌にしています。

きみにかく/あひ見ることの/うれしさも
まださめやらぬ/夢かとぞおもふ(貞心尼)

良寛と貞心尼は、良寛が死ぬまでの数年間、お互いを慈しみ敬愛する恋愛が続きました。

天が下に/みつる玉より/黄金より
春のはじめの/君がおとづれ(良寛)
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良寛の恋の歌に貞心尼は、良寛の恋心を茶化し遊ぶように返します。
墨染法衣姿の良寛が、自分はまるでカラスのようだと笑うと、同じ法衣姿の貞心尼は、ならば自分は子ガラスですと返し笑い合ったことを歌にしました。

鳶はとび/雀はすずめ/鷺はさぎ
烏はからす/何かあやしき(貞心尼)
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村人は、二人の仲を噂し心配しますが、二人は一向に意に介する風ではありませんでした。
二人は、度々会って花鳥風月を愛で、仏を語り、歌を詠みました。
そして良寛は、貞心尼に看取られて亡くなりました。

形見とて/何か残さむ/春は花
夏ほととぎす/秋はもみじ葉
(良寛)

良寛は、貞心尼の愛に心からの感謝をこめた辞世の句を贈りました。


うらを見せ/おもてを見せて/散るもみじ(良寛)
良寛の死後、貞心尼は良寛の旅した跡を追い、良寛の遺した歌を集め「はちすの露」という良寛の歌集を自ら編み、それを生涯肌身離さず持っていたそうです。
# by blues_rock | 2011-07-15 22:45 | 人生/愛(Love) | Comments(1)
a0212807_2325579.jpgシャンソンの名曲に「ロマンス」という歌があります。
自分が暮らしてきたパリを恋人のように愛し、旧き街パリへの思いを情感豊かに歌ったシャンソンです。
このシャンソンの入ったLPレコードを2枚持っています。
ジュリエット・グレコと金子由香利のレコードです。
ジュリエット・グレコは、当然フランス語で‥訳詩を見ないと意味は分かりませんが、哀歓をこめて切々と恋人に語るように歌います。
金子由香利は、日本語で人生の哀愁を漂わせて旧き友を懐かしみゆったりと歌います。
ジュリエット・グレコは、若いころ両親と共にレジスタンス活動をしていて、戦後はサンジェルマン・デ・プレに集うサルトルたち実存主義の思想家・詩人・ミュージシャンたちと行動を共にし、サンジェルマン・デ・プレのミューズ(女神)と呼ばれました。
長く黒い髪と黒いセーターに黒いパンタロン‥黒のシルエットに美しい顔と白く長い手、歌う時長い指がまるで言葉(詩)を放つような動きを見せ、歌の表現に力を持たせます。
a0212807_22174635.jpg若い頃マイルス・デイヴィスと結婚していたようで‥マイルス・デイヴィスは、いままで出会った女で彼女以上の美しい女はいないと述懐していたそうです。
二十代後半、金子由香利の歌を聴くまでは、日本人の歌うシャンソンに興味ありませんでした。
その頃の日本のシャンソン歌手は、どこか浮世離れした宝塚のような出し物か、パリ愛好家の表現のウソっぽさ‥裕福なのに貧乏な暮らしを歌うなど、歌にリアリズムがなく言葉(詩)も軽薄でウソっぽいと当時の和製シャンソンをそんな風に思っていました。a0212807_2257086.jpg
銀巴里は今はもうありませんが、当時銀座通りの路地裏ビルの地下にあった銀巴里に良くひとりで金子由香利を聴きに行きました。
東京での懐かしい思い出のひとつです。
# by blues_rock | 2011-07-14 22:58 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)
a0212807_2255330.jpgミュシャ(1860~1939)展を見た時のこと‥ずいぶん以前のことなので、どの美術館であったかも懐い出せませんが、ミュシャの作品を直(じか)に見るのは初めてでしたので彼の数々のアールヌーヴォー作品の美しさに目を奪われました。
同時に私の耳が、会場に流れていた音楽に吸い込まれ‥視覚と聴覚のシンクロ感覚というか、実に不思議な心地好い体験をしました。
優美なミュシャ絵画とスメタナ(1824~1884)作曲「モルダウ」の雄大で美しい旋律に惹きつけられことを今でもはっきり憶えています。
二人の芸術家、画家と音楽家の共通点は19世紀末ヨーロッパで、常に大国に支配されてきた祖国チェコを深く愛し、自己のアイデンティティをスラブ民族と祖国の解放に求め芸術活動を行なったことです。
パリに出たミュシャは、女優サラ・ベルナールのポスターで一躍有名になり、ガラスのエミール・ガレと共に20世紀初頭のパリで成熟したアールヌーヴォー様式芸術作家の象徴となりました。
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モルダウは、スメタナが作曲した6つの交響曲連作「交響詩わが祖国」の二番目の作品で、祖国のモルダウ河を美しい旋律で奏でた音楽のスラブ叙事詩です。
スメタナ自身は、梅毒で苦しみながらこの美しい旋律を生み、やがて精神を病み1884年精神病院で没しました。
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同胞のドヴォルザーク(1841~1904)は、スメタナ音楽の影響を強く受け、「交響曲第9番新世界より」は、アメリカで聴いた黒人音楽が、故郷ボヘミアの音楽に似ていることにインスピレーションを受け、アメリカという新世界から古い祖国への熱い想いを交響曲に託しました。
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この三人の芸術家が、時代で重なる共有した24年の間に、彼らはプラハの街のどこかで出逢ったのでしょうか。
# by blues_rock | 2011-07-13 22:00 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)
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ルキノ・ヴィスコンティ(1906~1976享年70才)は、私の好きな映画監督の一人です。
1943年に映画監督としてデビューし生涯で17本の映画(オムニバスも含む)を撮りました。
映画人生の前半は、イタリアのネオリアリズムの旗手として名作を残しています。
私は晩年の5本の作品を見ただけですが、1969年の「地獄に堕ちた勇者ども」を見て以来 、ルキノ・ヴィスコンティ映画の大ファンになりました。
ヴィスコンティ監督の品格ある滅びの美学(頽廃と耽美)が、格調高い美意識を生み、老と死を自覚した刹那の表現は、万(よろず)の言葉で説明するより映画を見ていただくが一番です。
私の見た5本の映画を見ていただくだけでも、ヴィスコンティ監督映画は映像芸術であることが良く分かっていただけると思います。
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「地獄に堕ちた勇者ども(1969)」 ・「ベニスに死す(1971)」・「ルードリッヒ(1972)」・「家族の肖像(1974)」・「イノセント(1975)」‥どれも映画のテーマに哲学的なところはあるものの、どれも映像オペラのようで見ごたえのある不朽の名画です。
ヴィスコンティ映画は、多くの名優も輩出しました。
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マルチェロ・マストロヤンニ、アラン・ドロン、ソフィア・ローレン、シルバーナ・マンガーノ、ロミー・シュナイダー、クラウディア・カルディナーレ、ヘルムート・バーガーなど名だたる男優・女優が、ルキノ・ヴィスコンティ監督の演出に個性ある最高の演技で応え映画の役柄を見事に演じています。
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# by blues_rock | 2011-07-12 21:25 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
暑中お見舞い申しあげます。
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暑い日本の夏が到来しました。
a0212807_1101511.jpg高齢者在宅介護施設の猫オセロに‥私が、お前は空調の効いた涼しいところで寝てばかりでいいな、少しは働けよと声をかけたところ、イヤミに聞こえたのか、ヘソを曲げたのか、暑いさなかプイと外に出かけトカゲを捕まえて運んで来ました。
そして活きているトカゲをお客様が、くつろがれているホールの真ん中にポイと投げ捨てました。
介護員の女性がすぐ気付き「きゃー、やめてー!オセロちゃん‥ダメー!」と声を張り上げ叫んでいました。
オセロは、お客様を巻き込んでの大騒ぎにも、我関せずとばかりにそ知らぬ顔でシッポをピンと立てトコトコトコと立ち去り‥あー、忙しい!と言わんばかりにまた外へ散歩に出かけました。
蚊アレルギー体質の持病も忘れ夏草の中に分け入るので、ヤブ蚊に刺され両耳に乾性湿疹ができています。
先日見るからに痒そうなので、私がオセロの耳を掻いてやったら、耳を掻いている私の手の甲を後ろ足で一生懸命掻いていました。
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今日も一日‥高齢者のお客様お相手にセラピー介護猫の役割をしっかり担い、施設から朝夕支給される介護報酬(キャットフード)を美味しそうに食べていました。
今年の夏は電力不足で格別暑い日となりそうです。
くれぐれも熱中症にならないよう皆さま方もご自愛ください。
# by blues_rock | 2011-07-11 01:11 | 柏原生活/博多叙景 | Comments(0)
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私にとって音楽のない暮らしは考えられません。
なかでもブルースとロックは、良く聴きます。
ブルースハープ、ブルースギターの音色に、シブイ歌声が重なるとグッと胸に迫ります。
「ブルースのどこが好いんですか?」と時々質問されることがあります。
しかし正直どう答えて良いのか分かりません。
ただ聴いて私にグッときた音楽が、ブルースというものであったというだけなので、質問した方には、私の好きなブルースマンを紹介しています。

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シカゴ・ブルース、セントルイス・ブルース、メンフィス・ブルース、ニューオリンズ・ブルース、デルタ・ブルースなどなどアメリカ南部を中心に黒人ブルースマンのすばらしい名曲・名演奏がたくさんあります。
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ぜひ一度聴いて欲しいと思います。
ブルースなんぞ聴いたことがないという方にはウォーミングアップとしてホワイトブルース(白人演奏のブルースでロックっぽいもの)から聴いてみるのも良いかもしれません。
例えば初期のエリック・クラプトン(ヤードバース・クリーム時代)や60年代のローリングストーンズ、70年代のオールマン・ブラザーズ・バンド、ジョニー・ウインター、スティーヴィー・レイ・ヴォーンなどを聴いてもらうと彼らが心酔しているブルースにきっと出遭えると思います。

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              <スティーヴィー・レイ・ヴォーン(弟)とジミー・ヴォーン(兄)>
# by blues_rock | 2011-07-10 08:12 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)
a0212807_947118.jpgディレクターズ・カット版(完全版175分)では、劇場封切り時にない感動的な場面(シーン)を40分くらい入れて編集していますので見ごたえがあります。
私はいつでも好きなシーンを見ることができるようDVDを購入しました。
ジュゼッペ・トルナトーレ監督(1956~55才)弱冠33才の時の作品ですが、封切り当時(1989年)から「ニューシネマ・パラダイス」は、新作にしてすでに旧作名画のような風格がありました。
映画の物語は、イタリアの片田舎(シチリア)の小さな町の広場にあるニューシネマ・パラダイスという名前の映画館が舞台です。
この映画館の映写技師アルフレードとサルヴァトーレ少年(愛称トト)との交流をヨコ糸に、サルヴァトーレの人生をタテ糸にして悲喜交々(こもごも)の人間模様が編まれていきます。
サルヴァトーレの恋人エレナ(少年トトの幼なじみ)を演じたアニェーゼ・ナーノが美しく、さらにディレクターズ・カット版に登場する中年のエレナを演じたブリジット・フォセー(封切り時の劇場版には登場しません)の艶っぽさにも見とれました。
a0212807_94969.jpgブリジット・フォセーは、往年の名画「禁じられた遊び」(1952)で主人公の少女ポレットを演じた女優です。
この映画の本当の味わいは、アルフレードの計略でエレナと別れさせられたサルヴァトーレがローマに出て映画の才能を開花させ、映画監督として名声を得て成功しアルフレードの葬式のため数十年ぶり故郷に帰るところにあります。
彼は故郷の街角で若い時のエレナそっくりの若く美しい女性に偶然出遭います。
彼女の後をついて行くと彼女を出迎える母親の姿が、遠くから見えました。
その母親こそかっての自分の恋人であったエレナでした。
エレナを忘れられないサルヴァトーレは、エレナに会い一緒にローマに行こうと求愛しますが、すでに結婚し家庭をもつエレナにはもう人生を戻せないことは分かっていました。
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そしてエレナはサルヴァトーレの愛を一度だけ受け入れ別離(わかれ)を決意しました。
傷心のサルヴァトーレは、一人ローマに帰ります。
亡きアルフレードが、形見としてサルヴァトーレに残したフィルム一巻を映写室で見た彼は、アルフレードが如何a0212807_9532934.jpgに自分を愛し、自分の映画への情熱と才能を早くから見出し密かに応援していたアルフレードの深い愛情に、ただ涙するのでした。
ディレクターズ・カット版で最後の40分に編集されたシーンの数々は、この映画のテーマである「恋愛への感傷・人性への郷愁・映画への愛情」を的確に表現しており、いつ見ても感動の涙があふれてきます。
# by blues_rock | 2011-07-09 09:53 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)