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心の時空

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a day in my life

鉄腕アトムが誕生して60年‥1951年生まれのアトムは、今年還暦を迎えました。
アトムとは原子のこと、鉄腕アトムは「原子の力」つまり原子力エネルギーで活動する高機能知能ロボットです。
a0212807_10514588.jpg3月11日の東日本大地震に端を発した原子力発電所事故で、いま世界は「反原発」・「脱原発」で侃々諤々とヒステリックに騒ぎ、実に滑稽な茶番劇を繰り広げています。
大震災直前までは、地球環境問題で「脱化石(石炭・石油)燃料」を高らかに謳(うた)い、原油高騰と相俟って、世界は炭酸ガス(CO2)を大量排出する「火力発電」にノー!と宣言していました。
原子力発電こそクリーン・エネルギーと挙(こぞ)って持ち上げ、脱原油のホープ未来エネルギーとして人々の脚光を浴びていました。
ウラン鉱山の権益をめぐっては、各国ともレアメタルと同じように熾烈な利権争いをしていました。
さて今を思うと未来エネルギーの景色は一変し、世界的に「反原発」・「脱原発」の感情論ばかりで、メリットとデメリット、リスクとリスクヘッジの冷静な分析もないまま、思いつきだけの百花繚乱、電力エネルギー政策も歴史的経過(原油高・環境破壊)の検討もなく、大衆心理の右へ倣いに政治は翻弄され、国家として5年10年、20年先のエネルギー需給設計・国民経済プランもないままダッチロールしています。
つまりは「反原発」・「脱原発」の人々の心理に「放射能(放射線)」に対する忌避反応が強いからです。
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放射線(X線)をレントゲンが、発見したのは1895年ですから、まだ100年とちょっと‥現在では医療に絶対欠かせないレントゲン撮影の始まりでした。
今から73年前の1938年に原子核分裂が発見され、66年前の1945年、一瞬にして人類を大量殺戮する核分裂反応による悪魔の兵器=原子核爆弾が発明されました。
そして同年8月人類史上初めて「広島」・「長崎」と悪魔の核兵器が、アメリカ軍により日本国民に対して使用されました。
原子力発電が始まったのは、わずか57年前の1954年です。a0212807_1121265.jpg
アトムが、まだ6才の時でした。
32年前の1979年にアメリカ(スリーマイル島)で原発事故があり、25年前の1986年ソ連(チェルノブイリ)にも原発事故、そして今年3月11日福島原発事故‥と原子力発電所の大事故が、世界を震撼させました。
何はともあれ、増え続ける世界人口(今年の秋にはついに70億人を突破!)、減り続ける原油など地球資源、地球の自然環境悪化、世界的食料・水資源の不足という重要な問題をかかえ、私たちは短絡的な感情論でぶつかり合い先送りする時間など人類に残されていません。
国内問題としては、原子力発電所のある地域と電力の恩恵を受ける大消費地域とが、地方と都市部に二極分極していますので、自らの未来生活の問題、国の将来の社会経済問題として2年3年かけて万機公論し、「反原発」・「脱原発」・「抑原発」・「推原発」なのか国民投票で原子力発電の方針を決すれば良いと思います。a0212807_111828.jpg
人類にとって「新しい火」というべき原子力の技術は、数百万年前に火を手に入れた人類の歴史で、まだ生まれたばかりの子供と同じ、長所も短所も数多くあり、まだヨチヨチ歩きです。
長所と短所への理解度も解決へのアプローチも人によって重要視する論点や見解が、まるで違います。
現在の原子力の情報は、肯定・否定の二者択一どちらかの立場で発信されているので‥0%か100%かの感情論ばかりが、氾濫しています。(参考 : 原子力発電所 ‥もっと皆なで考えよう
原子力発電は、熱核融合反応エネルギーを利用したものです。
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地球の自然も太陽光発電も太陽核反応である太陽光線(赤外線)エネルギーの恩恵あってのことですが、人は太陽光線(紫外線)を浴びすぎると皮膚ガンになるリスクが大きくなります。
宇宙空間は、人類の未知の幾千幾万種の放射線(放射能)が溢れていることでしょう。
今年還暦を迎えた鉄腕アトムは、体内に原子力を抱き、百万馬力のパワーを発揮しながら宇宙(そら)にある幾多の放射線を浴びて今日もジェットのスピードで飛びまわっています。
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ギリシャ神話のイカロスは、翼を得て宇宙(そら)を飛び、太陽に向かい翼を焼かれ大地に墜落しました。
太陽を科学的に知らなかったからでした。
人類が「火」を生活の道具にして50万年‥それでも火災は、発生します。
だから「火」は危険なので、「火」のない暮らしをしようと言う人は、いないでしょう。
「新しい火」である原子力には、もうしばらく冷静な科学的検証が必要と思います。
# by blues_rock | 2011-07-24 01:03 | 社会/歴史/思想 | Comments(0)
西行(1118~1190没72才)といえば
願はくは / 花の下にて / 春死なん / そのきさらぎの / 望月のころ
と桜を詠んだ歌が、有名な平安時代末期の歌人です。
西行の歌が、好きで、書籍・雑誌・新聞記事などで西行の名を見つけるとつい読んでしまいます。
先日「良寛と貞心尼‥恋愛のかたち」で良寛の恋愛について書きました。
西行も待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ1101~1145没44才)への叶わぬ恋の物語(悲恋)がありました。
a0212807_10473073.jpg西行と待賢門院璋子とは、17才の年の差がありましたが、西行は17才も年上の中宮(皇后)璋子に恋こがれ、想い叶わぬと知ると出家し、それでも彼女が亡くなるまで慕い続けました。
西行は出家しても、中宮璋子の居る京の都から離れられず、京に近い畿内の山中で草庵をあみ、叶わぬ恋の寂しさ、哀しさを歌にして詠みました。
璋子は、皇后ながら宮中内外の男性たちと自由奔放な恋愛をしていたようで、ずっと年下の若い西行もその一人でした。
当時の西行は、出家前で北面武士(ほくめんのぶし:御所の警護役)でした。
史料文献によると、幼い頃から自由奔放であった中宮璋子は、宮中でも何かと艶聞(えんぶん)の絶えない女性だったようで(西行の場合たぶん)‥璋子は、自分を恋慕う17才年下の類まれな歌の才能をもつ若者(西行)に興味をもち、一度は西行を受け入れたものの、すぐに飽きてポイ捨てしたのだろうと思います。
失恋した若い西行は、山中の庵でひとり璋子への切ない想いを歌に託して詠みました。
待賢門院璋子は、藤原名の幼女のころから48才年上の白河法皇(1053~1129没76才)に可愛がられ、法皇が添い寝するほど寵愛されていました。
平安時代公家の世界では、自由恋愛は普通の習慣でしたが、それでも還暦過ぎの老人と十代の少女が、褥(しとね、ベッド)を一つにする仲睦まじさは、傍目(はため)に普通ではなかったことでしょう。
璋子は、幼少より相当わがままで早熟な少女だったようです。
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白河法皇は、16才になった藤原璋子(当時)を自分の孫である鳥羽天皇(1103~1156没53才)の中宮(皇后)にしました。
23才で待賢門院となるまでの7年間に、璋子は鳥羽天皇との間に5男(親王)2女(内親王)の子供を産みました。(7年に7人の子供はすごい!の一言です。)
鳥羽上皇は、わが子である崇徳天皇(1119~1164没45才)を白河法皇と璋子が、密通して生まれた子と疑っていましたので、崇徳天皇を「叔父子(おじご祖父の子供)」と呼んで遠ざけ忌み嫌ったそうです。
やがて鳥羽上皇は、次第に璋子を遠ざけ、美貌の誉れ高い藤原得子(なりこ:美福門院得子1117~1160没43才)を皇后に迎え寵愛しました。a0212807_10565286.jpg
鳥羽上皇は法皇となり、嫌いな崇徳天皇を無理矢理退位させ、得子との間に生まれた親王を2歳で天皇(近衛天皇)にしますが、16歳で亡くなりました。
璋子の夫である鳥羽法皇と崇徳上皇(璋子と白河法皇との子)は、近衛天皇の後継皇位をめぐって激しく対立し「保元の乱」という内戦が発生しました。
その政変で璋子(と鳥羽上皇)の4男親王であった後白河(1127~1192没65才)に白羽の矢が立ち、後白河が後継天皇として即位しました。
朝廷を二分する内戦にまで至った天皇の皇位継承争いが、すべて璋子の血縁者により行われたのは非常に興味深いことです。
璋子の4番目の親王であった後白河は、自分に天皇の皇位継承が回ってくるなど予想しておらず、4男坊親王の気楽さで昼夜「今様(流行歌)」に熱中し、放蕩三昧の暮らしをしていました。a0212807_1057401.jpg
しかし後白河は、天皇在位3年・法皇34年計37年という長い期間、朝廷の中枢にあって宮中の公家を上手く使い、新興豪族の関東武士集団には、朝廷の権威(官位)と権勢(勅令)を駆使しながら見事な政治的才能を発揮しました。
中世の歴史にその名を残す豪族武力軍勢のリーダーたち‥平家の「平清盛」、源氏の「源頼朝」・「源義経」、地方豪族の「木曽義仲」などに朝廷の威光(権威)を示しながら、官位と勅令の乱発で牽制し従属させました。
平家vs源氏、頼朝vs義経とを対立させ、朝廷の権威でお互いを煽り戦わせた老練な政治的センスは、後白河法皇が朝廷史上ナンバーワンだと私は思います。
西行の恋愛について書くつもりでしたが、西行の悲恋の相手であった「待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)」という女性の波乱万丈の人生の物語になってしまいました。
恋に身を焦がし、京の山中を彷徨った西行に比べ、老いたその晩年に「貞心尼」のような健気(けなげ)で純真な女性に介護され看取られたた良寛は、幸せな人だったと思います。
西行と璋子については、「西行と璋子(たまこ)‥長い余話(六話シリーズ)」で二人の人生と時代背景を詳しく書いていますのでご関心あれば、続けてご覧ください。
# by blues_rock | 2011-07-23 10:57 | 人生/愛(Love) | Comments(0)
骨董や古美術を扱う店には、なかなか入りにくいもの、通りすがり外からウインドウ越しに店内に並べてある骨董品・古美術品を眺めるのが、常でした。
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時々勇気を出して、冷やかし(買う気はないのに)に入ることもありますが、ノドから手が出るくらいに欲しい品(もの)に出遭うことは、あまりありませんでした。
東京の日本橋・京橋・青山や大阪の老松町には、有名な骨董・古美術店が並んでいます。
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界隈の店には、勇気を出して入ろうにも懐に相応の金子がないと気おくれがして、冷やかす気持ちでは(買う気のない者には)なかなかは入れません。
骨董・古美術・古道具を扱う店は、全国にゴマンとありますが、ほとんどは古物ガラクタの類(たぐい)を売買する店です。
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勇気を出してドアを開け、店内に入ると室内の空気で骨董や古美術を扱う方(店主)のセンスが分かり、店内の骨董のレベルや価値を感じます。
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私は“好き嫌い”だけで、骨董・古美術・古道具を見る独り善がり者なので、ドキッとする品(もの)に出遭うとそっと手に取りし、げしげと眺めてそっと元に戻します。
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もちろんお店の方にお断りしてからですが‥その時骨董品の裏に小さく「時代・古窯名・価格など」も見ることができるので、驚いて取り落とさないよう、そっと(しっかり)元に戻します。
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先ごろ福岡金継ぎ工芸会でご一緒する方が、店主の骨董店「骨董じじばば」(福岡市早良区室見1-1-1)を訪ねました。
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突然の訪問でしたが、ゆっくり2時間‥古陶類や仏像などの骨董を多数拝見させていただきました。
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僭越ながら、店主は相当の目利きと推察、長年時間をかけ、自分のお目がねに適った骨董ばかりをコレクションされてきたのが、良く分りました。
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骨董品は、それぞれ適度の間を空け並べられていますので、一点を集中して見ることができます。
私は、古陶類の趣味の良さに感服、とくに心魅かれたのは、古唐津・李朝の陶器類‥酒盃や大振りな器は、欲しくて仕方ありませんでした。
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願えば叶う‥どうかいつか願いが叶いますようにと、日ごろ信心のない私もこんな時にはお祈りします。
(付録)
写真は「骨董じじばば」のコレクションの一部で、転載許可を受けています。
古美術に興味があり「骨董じじばば」に関心ある方は、こちらをご覧ください。  
# by blues_rock | 2011-07-22 21:12 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
私の友人の展覧会を紹介します。
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彼は、自分の絵を土彩画と呼び、天然の土の色を生かした顔料で絵具をつくり、障子紙を幾重にも張り合わせたカルトンや板に絵を描いています。
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見ていてホンノリする楽しい絵でした。
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福岡市天神の新天町南通りにある「ギャラリーおいし」で今月末(7月31日)まで開催されています。
福岡市在住で絵が好きな方は、楽しくご覧いただけると思います。
# by blues_rock | 2011-07-21 20:40 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
日本語の「金」という文字は、ユニークな字と思います。
同じ字ながら、訓読み・音読みの読み方で、まったく別の意味を持つ言葉に変わります。
金(きん)は言わずと知れたゴールドのこと・・ニューヨークの市場で金の相場は、現在史上最高値を更新しています。
アメリカの不動産バブル崩壊(サブプライムローン破綻)は、世界の金融バブル経済も崩壊させ世界同時不況に陥りました。
この不況の対症療法に、各国とも競って金融緩和を急ぎ公定金利をゼロ・ベースにまで下げました。
a0212807_22463320.gifさらに覇権国アメリカは、世界の基軸通貨であるドル紙幣をジャンジャン印刷し国内外にバラまきました。
景気回復のための消費拡大対策のひとつの方策かもしれませんが、過剰に出回り余り余ったお金(かね)は、世界的なマネーの過剰流動性を引き起こしました。
お金(かね)は、実体経済に投資されず投機筋(ヘッジファンド)に吸い取られ、過剰流動マネーは、商品市場に流れ込みました。
溢れたお金(かね)は、金(きん)の購入マネーになり、買いが買いを呼び、現在の金(きん)の高騰になっています。
お金(かね)にも、二つのカタチがあります。
ひとつは貨幣である硬貨です。
硬貨には、金貨・銀貨・銅貨・・ほかにニッケル・真鍮・アルミなどの硬貨があり、金属(メタル)でできています。a0212807_22474176.jpg太古の昔には、石や貝殻の通貨もあったようで、現在では人類の文化遺産として残っているだけです。
二つ目は、各国の中央銀行(日本銀行など)が発行する紙幣でご存知のとおり紙(ペーパー)に図柄を印刷したお金(かね)です。
しかし、この紙幣こそ毒入りジュースです。
日本の場合、日本銀行が発行する日本銀行券のこと、私たちのサイフの中にある1万円札・5千円札・2千円札(いまでは余り見かけませんが)・千円札のことです。
中央銀行といっても日本銀行は株式会社で新興市場のジャスダックに株式を上場している会社です。
筆頭株主は、日本国政府財務省(つまり国)なのでお金(かね)が足りなくなったら、政府は日本銀行に命令して造幣局の印刷機械をフル回転させ、ジャンジャン紙幣印刷すれば良いのです。
だから、金(かね)持ちも金融機関も投機筋も・・そんな紙切れより、金(きん)の延べ棒を信用しているというわけです。
信用は、お金(かね)の命、金融事業のことを信用事業と言いますが、信用されない国のお金(かね)は投げ売られ、やがて貨幣価値を失くし、紙クズ(ハイパーインフレ)となるでしょう。
# by blues_rock | 2011-07-20 00:23 | 経済/政治/世界 | Comments(0)
昨日「夢の傷痕(あと)」を書きながら‥その昔見た映画のラストシーンを憶い出しました。
1974年に公開されたスウェーデンの映画「ある結婚の風景」です。
監督は、20世紀を代表する世界的な名匠イングマル・ベルイマン(1918~2007)で長編映画(2時間48分)ながら見ごたえある秀作でした。
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映画「ある結婚の風景」のオリジナル版は、スウェーデンTVのドラマとして制作された作品で5夜連続全5時間の長編ドラマでした。
ドラマは“延々と続く夫婦げんか”‥激しい口論の末にお互いつかみ合い殴りあう中年夫婦の諍(いさか)い合うストーリーでした。
こんな他愛のない犬も喰わない夫婦ゲンカ物語を5夜連続の5時間ドラマとしてTVで放送したらスウェーデンでは、相当の高視聴率だったそうです。
1960年~1970年代のスウェーデンは、フリーセックス(福祉社会の自由な思想がそう誤解されていた)の国と思われていましたが、当時からすでに成熟した大人の社会(成人の男・女が均等な社会)だったのです。
私は、TV・映画ともに見ましたが、いやいやズシリと心に応えました。
映画は、ベルイマン監督がTVドラマ用に撮影したフィルムを劇場用に編集カットし、長編の秀作映画に仕上げました。a0212807_2424543.jpg
まるで実の夫婦のようなリブ・ウルマン(妻の役)とエルランド・ヨセフソン(夫の役)の演技がすばらしく、夫婦ゲンカの感情むき出しのリアルな演技にじっと見入りました。
映画の夫婦には、娘二人がいて四人家族‥平和で満ちたりた幸福な家庭生活を送っていました。
ある日、このオシドリ夫妻の家族は模範的な家庭として地元新聞の取材を受けました。
その新聞記事を見た夫妻は「自分たち夫婦のあまりのつまらなさ」に愕然としました。
やがて夫婦の間に次第に亀裂が生じていきました。
ベルイマン監督は「神の存在と沈黙」・「愛と憎しみ」・「生と死」など、人間の根源に迫る主題で映画を撮り続けた名映画監督でした。
「ある結婚の風景」では≪結婚≫を忍耐・惰性・諦め・孤独などヒリヒリするような痛みをともなう切り口で鮮烈な映像にしました。
夫婦二人それぞれに、個(ひとり)の人間の本性(欲望とエゴ)を剥(むき)き出しにさせ、愛(という曖昧な感情)を持続させることの難しさを、ベルイマン哲学としか言いようのない執拗(しつよう)さで、男と女の本性を抉(えぐ)り出しています。
a0212807_2433457.jpg私はこの映画のラストシーンが、忘れられません。
いまでは少し記憶が、曖昧ながら、胸を抉(えくら)られるような思いでした。
映画のストーリーへ話を戻します。
夫婦は、激しい諍(いさか)いの末に、離婚しました。
離婚した二人は、その後いろいろな異性と出会い別れ、やがてそれぞれの新しい伴侶を見つけ再婚しました。
長い歳月が、過ぎたある日、二人は、偶然再会し、いつしかお互いの伴侶に隠れて密かに会うようになりました。
元夫婦ながら、今では、再婚していますので、密かにデート(いわゆる不倫の関係)する後ろめたさを持っていました。
二人は、友人の別荘を借りてベッドをともにしました。
ベッドで抱き合い眠るひと時が、二人の安らぐ時間でした。
彼の胸の中で、彼女は眠っていました。
彼女は、夢を見ていました。a0212807_2453028.jpg
昔のように夫と娘二人、彼女は幸せいっぱいで、家族と山にハイキングに行っていました。
夫と娘二人は楽しそうに、自分を置いてどんどん先に行き、小さな橋を渡った向こうの丘に立っていました。
彼女は、家族の後を追い、小さな橋を渡ろうとした時、下は深い谷であることに気がつきました。
谷の向こうで夫と娘二人は「早くおいで、早く」と手招きしていました。
彼女は、小さな橋を渡ることが怖く、不安でした。
彼女の足はすくみましたが、勇気を出して橋を渡ることにしました。
バランスをとり、少しずつ橋を渡り始めました。
途中まで渡り、もう少し手を伸ばせば、家族の手に届きそうでした。
その時、彼女はバランスを崩し、身体が傾きました。
自分の足元の小さな橋を見ると、丸い木を倒して置いているだけの橋でした。
ああっ、谷底に落ちると咄嗟(とっさ)に、家族の手に捕まろうと彼女は一生懸命手を伸ばしました。
だが‥彼女は、その時初めて自分に両腕がないことに気づきました。
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彼女は、悲鳴をあげ、絶望的な恐怖の夢から覚め、ベッドの上で怯(おび)えて震えていました。
彼は、驚き泣き叫ぶ彼女をやさしく抱いて慰めます。
「悪い夢を見たのだね。大丈夫、ボクはここにいるよ。そばにいるから安心して眠りなさい、大丈夫、ここにいるから‥」とやさしく髪を撫でながら抱いていました。
ここで映画は、終わります。
「ある結婚の風景」のラストシーンこそ、ベルイマン監督が自らの哲学「人間の孤独と愛の本質」について映画を道具に映像表現したものと私は思っています。
# by blues_rock | 2011-07-19 02:46 | 人生/愛(Love) | Comments(0)
未明にドキドキする夢を見ました。
ときめきでドキドキする夢ではなく、不安でドキドキする夢でした。
眠りの中で見る夢に、時として不思議で奇妙なものがあります。
フロイトのように、夢は潜在意識にある意識うんぬんが、具現されてなどと難しいことは抜きにいたします。
私の見た夢は、きっと認知症の方が襲われる不安感に近いのではないかと勝手に推測しました。
普通ヒトは、眠りから醒めると夢を見たことすら忘れています。
夢を見たことを憶えているヒトも、その夢の詳細はほとんど忘れています。
今日の夢は、目覚めも悪く夢の痕(あと)が、心の中に残りました。
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夢はこんなものでした。
「私は、ダレかと会う約束をしていました。そのダレかが、分かりません。大切なヒトとの大事な約束であり、約束の時間が迫っていました。私は焦りで心臓がバクバクドキドキしていました。しかし約束の場所が分からないのです。憶い出せないのです。必死で憶い出そうとしますが、まるで分かりません。どこへ行くのかも分からないまま車を飛ばし行き止ると、車を降りて走りながら、憶い出せない約束の場所を探していました。そしてハッと気付いた時、今度はいま自分のいる場所が分からなくなっていました。突然、不安と恐怖に襲われパニックになり‥」とここで夢が醒め、ああ夢だったとホッとしました。
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認知症の方の不安と恐怖もきっと‥自分に何が起きているのか?いま自分がいるところはどこなのか?これから自分はどうなるのか?自分はどうしたらいいのか?とパニックになられるのだろうと推察します。
認知症の方の表現された言葉に「どこまでもどこまでも広がる白一色の雪原にポツリと私ただ一人が残されたような恐怖」というのがありました。私の見た夢は図らずも‥認知症の疑似体験だったのかもしれません。
これがもし認知症発症の予兆だったとしたら‥考えないようにします
# by blues_rock | 2011-07-18 06:19 | 高齢者介護(認知症) | Comments(0)
CCR(クリーデンス・クリアーウォーター・リバイバル)は、ジョン・フォガティ(1945~)の個性的なヴォーカルが、強烈な印象として残るアメリカン・ロックバンドでサザンロック(スワンプロック)の先駆けです。
1968年CCRは、アメリカ南部の泥臭い音楽(スワンプ)のカヴァー曲「スージーQ」が全米ヒット、サザンロックを歌うバンドが西海岸(サンフランシスコ)のヒッピームーブメントから登場したことで異色の存在となりました。
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そして「プラウド・メアリー」・「ダウン・オン・ザ・コーナー」・「雨を見たかい(Have you ever seen the rain)」と大ヒット曲を次々リースしました。
この「雨を見たかい」は、当時アメリカの若者の間にベトナム反戦運動が広がり、ベトナムの大地にナパーム弾が炸裂し破壊され、空に舞い上がった粉塵が雨のように降る光景を歌っています。
ロックのベトナム反戦運動は、1969年ジミ・ヘンドリックスがウッドストックでアメリカ国歌「星条旗よ永遠なれ」をギターの歪み(アーミング演奏)で表現したり、映画「地獄の黙示録」に挿入されたジム・モリソンの「ジ・エンド」など当時のロックミュージシャンたちの魂と社会変革への情熱を感じます。
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そしてCCRを追いかけるように、全米からオールマン・ブラザーズ・バンド、リトル・フィート、38スペシャル、レオン・ラッセル、デラニー&ボニーなど次々に70年代初頭に活躍するサザンロックの雄たちがロックシーンに登場しました。
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ロックの歴史に大きな名前を残したCCRですが、実質的な音楽活動は1968年~1971年の4年くらいと意外と短い期間でした。
a0212807_22385333.jpgCCRはオリジナルメンバーで7枚のアルバム(LP)をリリースしています。
6枚目のアルバム「ペンデュラム」(1970)が、ジョン・フォガティのヴォーカルをフューチュアした最後のアルバムです。
ジョンの強烈なブォーカルがCCRの個性でしたが、ジョンが目立つバンドの中に次第に軋みが始まります。
7枚目(最後)のアルバムではメンバーが、公平・平等に歌うというジョン色を抜いたものでした。
しかしジョン色のないCCRは、皮肉にも失速1972年実兄トムがバンドから脱退しあっけなく解散しました。
ジョン・フォガティ(CCR)の歌を聴くたびに、ロックは才能ある個性が創るものという当たり前のことを感じます。
# by blues_rock | 2011-07-17 09:59 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)
舟越保武(1912~2002)の彫刻・彫塑は、岩手県立美術館に多くあります。
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舟越保武作品展示室のとなりに、盛岡中学校の同級生松本竣介(1912~1948)作品展示室があり、万鉄五郎のコレクションと併せ充実した美術館です。
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舟越保武の彫刻は、クリスチャンとしての信仰に裏打ちされた女性の清楚な美しい作品が多く、見ていて安堵します。a0212807_028033.jpg
この美しさも、ほんの少し緩くなるときっと陳腐なつまらない俗なものに堕ちてしまう危うさはありますが、彫刻家舟越保武の才能にはそれはありません。
芸術作品の名作と凡作・駄作との格差は‥それはきっと見る人個人の感受性の差の問題で、見る人の心がドキドキ感動するか、ワクワクした気持ちになるか、ならないかの単純なことと私は思います。
芸術へのアプローチは、その作品が好きか嫌いか‥好き嫌いに理由などありません。
原口統三は「思想とは趣味の問題、好きか嫌いか、皮膚の感覚がすべてだ」と表現していますが、芸術も同じことと思います。
長崎市にある26殉教者記念像(1962)は、彼の彫刻を見るうえで重要な作品と思います。
デミアン神父像や島原の乱で殉教した武者像を見ていると信仰に支えられた表現‥力強い造形を感じます。
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生涯の友であり、同年齢の彫刻家佐藤忠良も多くの女性像を残しています。
女性を対象とした二人の彫刻を見て、その作品から彫刻家がモデルの女性から感じとるインスピレーション(イメージ)を想ってみるのもおもしろいかもしれません。
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舟越保武の随筆「巨岩と花びら」(ちくま文庫)も名文集です
# by blues_rock | 2011-07-16 00:28 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
良寛(1758~1831)については、多くの人が、無欲恬淡で高潔な人柄を語り、有名な作家は、自らの人生の理想として多くの名著を残しています。
良寛は、道元(1200~1253)の「正法眼蔵」を生涯の教えとし、寺を持たず、民衆に仏法を説かず、山里の草庵での座禅と乞食(こつじき)により暮らしました。
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生涯、身を立つるに懶(ものう)く
騰々、天真に任す
嚢中、三升の米
炉辺、一束の薪
誰か問はん、迷悟の跡
何ぞ知らん、名利の塵
夜雨、草庵の裡
双脚、等間に伸ばす
号を「大愚」、揮毫(サイン)には、「南無阿弥陀仏」と書いたそうです。
良寛は、短歌・漢詩・書の達人でしたが‥歌詠みの歌、料理人の料理、書家の書を選ばず、そして好まず、遠ざけていました。
人から書を所望されても筆を取らなかった良寛ですが、子供たちから凧(たこ)に字を書いて欲しいと頼まれると喜んで「天上大風」・「いろは」・「一二三」などすぐに書いてあげたそうです。
晩年の夏目漱石は「則天去私」の心境に至り、禅を求め良寛の書を愛して‥大愚到り難く、志成り難し、と良寛への思慕を強くしています。
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融通無碍で、自由な良寛は、般若湯(酒)も嗜み、乞食で山を下りる時は懐に手マリを入れて日暮れまで子供たちと遊び、マリ突きやかくれんぼをしていました。

この里に/手まりつきつつ/子供らと
遊ぶ春日は/暮れずともよし(良寛)

良寛の歌と書を知り、人柄に感銘を受けた貞心尼は、良寛に弟子なりたいと願い出ます。
良寛70才、貞心尼30才の時です。
貞心尼が会ってくれるよう願い出ても、歌詠みの尼僧である貞心尼に会おうとしなかったので、ついに貞心尼は草庵に良寛を訪ねました。
良寛は不在でしたが、貞心尼は持参した手マリと歌を庵に残して帰ります。
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これぞこの/ほとけの道に/遊びつつ
つくやつきせぬ/みのりなるらむ(貞心尼)

このことがあってから良寛は、貞心尼に興味をもち歌を返します。

つきて見よ/ひふみよいむなや/ここのとを
とをとおさめて/またはじまるを(良寛)

貞心尼は、初めて良寛に会った時の喜びを素直に歌にしています。

きみにかく/あひ見ることの/うれしさも
まださめやらぬ/夢かとぞおもふ(貞心尼)

良寛と貞心尼は、良寛が死ぬまでの数年間、お互いを慈しみ敬愛する恋愛が続きました。

天が下に/みつる玉より/黄金より
春のはじめの/君がおとづれ(良寛)
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良寛の恋の歌に貞心尼は、良寛の恋心を茶化し遊ぶように返します。
墨染法衣姿の良寛が、自分はまるでカラスのようだと笑うと、同じ法衣姿の貞心尼は、ならば自分は子ガラスですと返し笑い合ったことを歌にしました。

鳶はとび/雀はすずめ/鷺はさぎ
烏はからす/何かあやしき(貞心尼)
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村人は、二人の仲を噂し心配しますが、二人は一向に意に介する風ではありませんでした。
二人は、度々会って花鳥風月を愛で、仏を語り、歌を詠みました。
そして良寛は、貞心尼に看取られて亡くなりました。

形見とて/何か残さむ/春は花
夏ほととぎす/秋はもみじ葉
(良寛)

良寛は、貞心尼の愛に心からの感謝をこめた辞世の句を贈りました。


うらを見せ/おもてを見せて/散るもみじ(良寛)
良寛の死後、貞心尼は良寛の旅した跡を追い、良寛の遺した歌を集め「はちすの露」という良寛の歌集を自ら編み、それを生涯肌身離さず持っていたそうです。
# by blues_rock | 2011-07-15 22:45 | 人生/愛(Love) | Comments(1)