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心の時空

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a day in my life

◇「子供」(ブリジストン美術館所蔵)
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夭折の画家、関根正二(1899~1919没)が、病気(結核)で亡くなる年二十歳(はたち)の時に描いた「子供」(1919)の絵です。
◇「信仰の悲しみ」(大原美術館所蔵)
a0212807_2284851.jpg絵19才の時描いた「信仰の悲しみ」(1918)で樗牛賞を受賞しました。
描きとして才能を期待されながら、わずか二十歳で亡くなりました。
# by blues_rock | 2011-11-23 22:08 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
a0212807_12375147.jpg映画館は全国どこにもありますが、異色の秀作映画を上映している映画館は、あまりありません。
いま懐えば、福岡への転居を前にして東京に居たから見ることができたのでは‥と思われる作品がいくつかあります。
・「夢のままに」‥映画監督デビュー91才の新人木村威夫監督(1918~)作品、老いていくこと、生きていくことがテーマで認知症の老妻を介護する老夫の暮らしを軸に映画は展開します。
統合失調症を患う青年の母親を演じた桃井かおりが、とくに秀逸でした。
・「君を想う」‥カナダ映画で女性監督、この映画も認知症がテーマです。(10月29日シネマの世界に詳細を掲載)
・「麦の穂をゆらす風」‥アイルランド祖国独立戦争で殺しあう兄弟の愛と葛藤がテーマです。(10月27日シネマの世界に詳細を掲載)
・「長い散歩」‥緒方拳の卓越した名演が、すばらしいと思います。
a0212807_12303751.jpg・「ゆれる」‥香川照之とオダギリジョーが、兄弟の愛憎を熱演しています。
・「太陽」‥ロシア映画、イッセー尾形の演技が光る映画、昭和天皇を名演しています。
・「あおげば尊し」‥テリー伊藤が存在感のある小学校の先生役を名演しています。
・「狼少女」‥三人の子供それぞれが個性的な役柄を好演しています。
a0212807_1231493.jpg・「ベニスの商人」‥名優アル・パチーノが、ユダヤ商人シャイロックをアクの強い守銭奴として怪演しています。
・「≒舟越桂」‥彫刻家舟越桂の彫刻制作を撮ったドキュメンタリー映像です。
もちろん全国の主要な都市で上映することもありますが、短期上映かレイトショー(夜遅く)一回だけの上映なのでつい見逃してしまいます。
東京に住んでいるころは、神田・新宿・渋谷・銀座界隈の小さな映画館で封切られる良い映画を心待ちにして見に行くのも楽しいものでした。
いま暮らす福岡で、私が見たいと思う映画や上映待ち遠しい映画を全部見るという願いは叶わないでしょうから、そんな時きっと東京にいない寂しさを味わうのかもしれません。
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シネマ・ジャンキーは、どこで暮らそうが、これからも‥ドキドキするストーリー、ワクワクする俳優、ハラハラする映像、ズキズキするシナリオなどシネマの世界から心に沁みいる名作映画を探し、1本でも多く見たいと思います。
# by blues_rock | 2011-11-22 23:46 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
福岡県八女市黒木(くろぎ)町の樹齢600年という“大藤”は、国の天然記念物に指定されており、昔から「黒木の大藤」として有名です。
a0212807_0225127.jpgとくに大藤の開花シーズンともなると大勢の花見行楽の人たちで騒がしくなるので、雑踏の花見もなかろうと長い間行きませんでした。
今年ついに観念し予想通りの喧騒の中で初めて「黒木の大藤」を見ました。
風に吹かれ揺れる古木の藤を見上げていると、儚(はかな)く散った桜のあとを追うように咲く藤の、少し青みがかった薄紫色の美しい花に風情を感じました。
花見の喧騒から逃れ黒木町の山道を北へ向かい、上陽町からさらに東へ行くと山間(やまあい)に星野村はあります。
先日友人が、「土泥棒」という一冊の本と、星野焼(星野源太窯)陶器の大皿をプレゼントしてくれましたので早速本を読みました。
本の著者は山本源太さん(1942~)、星野村で明治初期に途絶えた星野窯を再興し、幻といわれた“夕日焼”を再現した方で、「土泥棒」を読み無性に「星野村」の窯元に行きたくなりました。
突然訪れた初対面の私にイヤな顔もされず源太さんは、気さくに話に応じてくださいました。
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まわり山に囲まれた庭でお茶(‥星野村は緑茶の産地として有名)をいただいているとお菓子の入った小皿に目がとまりました。
白い椿の花を想わせるカタチに少し窯キズがありました。
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その窯キズに「金継ぎ」をしたら美しいだろうな‥とダメ元で「金継ぎしたいので譲ってください」とお願いしたところ苦笑いされながら快く了解していただきました。(「金継ぎ工芸」はこちら
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それから話題は「金継ぎ」に移り、ご自分の陶器勉強のために集められた古唐津茶碗・中国龍泉窯青磁皿・李氏朝鮮白磁碗など奥から持ち出され見せていただきました。
山本さんは言葉少ないながらも、長年「土・釉・窯・火」の研究に没頭されてきたことが、よく分かりました。
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長居したお礼を言い帰ろうとしていると「金継ぎするなら‥」と、縁の欠けた茶碗と夕日焼のグイ呑みをお土産にいただきました。
普通名の知れた陶芸家(山本さんは自分を陶工と言われますが)は、満足した完品のほかは、破壊して物原(ものはら:陶器の墓場)に捨て、自分の窯の銘柄(ブランド)を守ろうとします。
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山本さんには、そんな考えも気持ちもないようで、融通無碍で悠々としておられました。
白椿輪花皿の窯キズの「金継ぎ」に加え、縁の欠けた「茶碗とグイ呑み」二品の「金継ぎ」が、ようやくできましたので山本さんに批評していただこうと思っています。
# by blues_rock | 2011-11-21 01:06 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
日本の春の風物詩は、里山や田舎の一面に広がる菜の花畑でした。
昼は、ミツバチが飛び交い、夜には風にのって菜の花の香りが漂ってきました。
伝統的な日本のナタネ油の抽出は、石臼か機械による圧搾製油でした。
今や非遺伝子組換え(NON-GMO)の国産ナタネ油は、貴重品でなかなか手に入らなくなりました。
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地域の篤農家による限定生産(上の写真は福岡県築上郡築上町菜種生産組合の食用ナタネ油)か、特定生協(生活クラブ生協とグリーンコープ生協くらい)の契約栽培生産くらいです。
搾り滓(かす)は、有名ブランド緑茶を生産するお茶畑施肥の良質な有機肥料としても重用されています。
日本のナタネ油の自給率は0.05%で、現在日本の食用油総消費量の97%は、海外からの輸入です。
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自給できているのは、米油(米ヌカから抽出した油)の一部で、全体の3%だけです。
江戸時代、夜の灯りは、ナタネを搾った油を燃料にした行灯(あんどん)か、櫨(はぜ)から搾った蝋(ろう)による蝋燭(ろうそく)でした。
江戸以前、食事を油で調理をすることは、最高の贅沢でしたから、今のように普段の食事でテンプラを食べることなど夢のまた夢、テンプラは天下人の宴(うたげ)に饗される料理でした。
a0212807_035179.jpg古来より、日本人の調理の原点‥煮る・焼く・蒸す・茹でるが、出汁(ダシ)を使った料理の文化を発達させ、日本食三大旨み成分である乾シイタケのグアニル酸・昆布のグルタミン酸・かつお節のイノシン酸の味覚を発達させました。
さて現代、食用ナタネ油・サラダオイルの原料ナタネは、北米(カナダがメイン)からの輸入品で、除草剤・殺虫剤などの農薬に耐性をもつ(つまり畑の雑草は枯れてもナタネは枯れない)よう遺伝子組換えされたナタネ(キャノーラ種)です。
収穫輸入されたナタネの油分抽出には、石油から精製されたノルマルヘキサン(ベンジンの主成分)が、溶媒として使用されています。
a0212807_051286.jpgノルマルヘキサンは、油分抽出のあと揮発させますので残るのは、ナタネの搾油とスカスカになった残滓だけです。
参考までにヘキサンは、自動車の油汚れ洗浄スプレーにも利用されています。
さらに、日本の原風景を変え始めたのが、各地の港で陸揚げされた輸入ナタネを運搬するトラックから零れおちた遺伝子(DNA)組換えナタネの発芽と自然交雑です。
なにせ遺伝子(DNA)組換えされたナタネなので超パワフル‥菜の花畑は、日本の春の風物詩など今は昔の話、霜が降りても雪が降ってもなんのその、びくともしないで越年するモンスター菜の花が現れ始めました。
菜の花の幹(みき)も樹木のようになり、切り倒すにはノコギリが必要です。
そのうち庭一面に生い茂った菜の花の木が、各家自慢の銘木になっているかもしれません。
# by blues_rock | 2011-11-20 23:44 | 自然/農耕/食料 | Comments(0)
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  山寺の

  石のきざはし

  下りくれば

  椿こぼれぬ

  右にひだりに




明治の歌人、落合直文(1861~1903)の短歌(うた)です。
私は長い間、俳人河東碧梧桐(1873~1937)が、詠んだ短歌と思っていました。
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初雪に  いまを命の  椿(はな)ひとつ
人知られずに  散りてもあかく (拙私凡)
# by blues_rock | 2011-11-19 19:48 | 詩/短歌/俳句/小説 | Comments(0)
a0212807_3412337.jpg映画の好きな人に人気のあるコーエン兄弟(ジョエル&イーサン・コーエン)監督の映画「トゥルーグリッド」を見ました。
製作総指揮をスティーブン・スピルバーグがしています。
コーエン兄弟監督作品といえば、やはり「ノーカントリー」(2007)、ハビエル・バルデム演じる冷酷な殺し屋が鮮烈で、映画を見た者に強烈な印象を残しました。
ジョエル(1954~)&イーサン(1957~)・コーエンは、不思議な兄弟で、いつも映画監督コーエン兄弟としてすぐれた映画作品を発表しています。
映画「トゥルーグリッド」では、コーエン兄弟監督は、使用人に殺された父親の仇討ちをしようとする14歳の少女役選びに相当苦労したようです。
オーディションは、15,000人にも及び、その中からヘイリー・スタインフェルド(当時13歳)に白羽の矢を立てました。
映画初出演ながら彼女は、職人肌のコーエン兄弟監督が演出する「子供らしさを残し気性が激しく凛とした性格をもつ少女」の役に見事に応え、長編映画デビューとは思えないすばらしい演技をしています。
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映画は西部劇で、少女の復讐のために雇われた老保安官役のジェフ・ブリッジスとテキサスレンジャー役のマット・デイモンの2人に、新鋭のヘイリー・スタインフェルドが少女役で絡み、三者三様に存在感がありました。
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「ショーシャンクの空に」(1994)・「13デイズ」(2000)・「ビューティフル・マインド(2001)」・「ジャーヘッド」(2006)・「ノーカントリー」(2007)などの撮影監督であるロジャー・ディーキンス(1949~)が、色調を落として撮影した映像も美しく、これからも印象に残る西部劇映画の一つになるでしょう。
# by blues_rock | 2011-11-19 03:27 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
a0212807_2583511.jpgジェフ・ブリッジス(1949~)が、2010年度アカデミー主演男優賞を受賞した作品です。
映画のストーリーは、アメリカ南西部の田舎を舞台に、落ちぶれて酒と女とその日の暮らしのために、町から町へのドサ回りを続ける初老のカントリー歌手と子連れの地方紙ジャーナリスト(マギー・ギレンホール)との出会いと別れ‥と、まるでアメリカ版演歌のような陳腐な内容ですが、夏の終わりの夕やけ空を眺めているようなメランコリックな雰囲気のある映画でした。
ジェフ・ブリッジスは、初老の男をボサボサの髪と無精ヒゲ面に、太り弛んだ体と合わせ自然な演技で熱演しています。
監督・脚本のスコット・クーパー(1970~)は「クレイジー・ハート」が初作品だとか、それにしては長編映画初監督らしからぬ冴えた演出で還暦過ぎの俳優ジェフ・ブリッジスを主人公のその日暮らしの老カントリー歌手にし‥ジェフ・ブリッジスは、才能ありながらも過去にすがり、破滅的に暮らす老カントリー歌手を地味で渋く見事に演じています。
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映画の中でカントリー歌手役のジェフ・ブリッジス本人が、カントリーを数曲哀感たっぷりに歌い、渋い声(ノド)を聴かせてくれました。
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マギー・ギレンホール(ジェイク・ギレンホールの姉)、ロバート・デュバル(古い友人役、制作も担当)もジェフ・ブリッジスの熱演に応える名演技を見せてくれました。
# by blues_rock | 2011-11-18 20:45 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
博多を海から見たくなり、船に乗りました。
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博多港の須崎中央ふ頭から博多湾沿いに箱崎沖に出て、海の中道・志賀島を右舷に眺めながら、玄海島・能古島の前で左に曲がり、1時間半かけての博多湾周遊クルージングでした。a0212807_15145948.jpg
博多湾の外海は、玄海灘です。
玄界灘とは、黒い荒海を意味し、海の向こうに壱岐・対馬があり、さらにその向こうに朝鮮半島があります。
博多の街は、博多湾の入り江に沿って東西に広がり、冬になるとユーラシア大陸からの強い北風が日本海を渡って博多に直接吹き付けるので、太平洋沿岸にある関東・関西の他の都市より体感で寒い日が続きます。
当日天気が悪く、風も強かったため、博多湾クルーズを満喫したとは言えませんでしたが、700年前鎌倉時代に元(モンゴル)の皇帝フビライ・ハーンの大船団(大軍勢)も同じような位置から古い博多の地を見ていたと想像すると「元寇」の歴史も「防塁史跡」も身近に感じられました。
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フビライは、当時の日本政府(鎌倉幕府)に対して、元の支配下に入り属国になるよう、再三再四日本政府に威圧的な外交文書を送っていましたが、政府は外交使者を切り捨て、回答せず無視していました。
アタマに来たフビライは、日本に対し2度にわたり大軍勢を派兵し攻撃しました。
a0212807_15171324.jpg1274年文永の役(戦争)には、900の船と3万人の軍勢を派兵しました。
迎え撃つ鎌倉幕府軍は、大宰府を中心とした九州の御家人(武士の元始)でした。
彼らはのどかな「やあやあ!我こそは‥どこのだれそれ」と一対一で戦う戦法であるのに対し元軍は鉄砲・手榴弾など火薬武器で攻撃しました。
圧倒的な勢力に太刀打ちできなかった鎌倉幕府軍でしたが、元軍はあっという間に兵を引き上げました。
この派兵は、フビライによる日本への「威圧偵察」のためであったと言われています。
この文永の役(戦争)で恐れおののいた鎌倉幕府は、全国の御家人を博多に集め、博多湾沿岸には元寇のための防塁(下は生の松原防塁跡の復元)を20㌔にわたり築きました。
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1280年弘安の役(戦争)には、フビライは総勢14万人を派兵しました。
迎え撃ったのは、専守防衛に徹した4万人の鎌倉御家人軍団でした。
相当に激しく残忍な戦闘であった様子が、歴史書・歴史絵巻に記録されています。a0212807_1518451.jpg
結局モンゴル艦隊と軍勢は、博多湾で暴風雨に遭い、朝鮮半島まで帰れたのはわずか2~3万人程度の兵であったと歴史の書物にあります。
博多の海は、モンゴルの支配者フビライの野望のため命令に従い、異郷の地で兵として戦い死んでいった多くの名も無きユーラシアの民たちの青山(お墓)でもありました。
# by blues_rock | 2011-11-17 21:18 | 社会/歴史/思想 | Comments(0)
福岡市天神のギャラリーおいしで、いま開催中の島村安一(1945~)個展を紹介します。
彼は、学生時代からの友人で、私に「絵の本質」を教えてくれた先輩でもありました。
a0212807_2010441.jpgパリ国立美術学校(ボザール)に学び、絵のモチーフ(対象)は、一貫して「女性」だけです。
この4、5年、彼の新作を見ていませんでしたが、色彩のセンスはさすがでした。
今度の個展では、数点展示されていた鉛筆デッサンに興味をもちました。
個展の期間は11月15日~20日まで、「ギャラリーおいし」は新天町南通りにあります。
アクリル技法で絵を描く方、テンペラ絵画に興味のある方にお勧めの展覧会です。
(お詫び)携帯電話のカメラで撮影しましたので美しい女性像デッサンの頬(ほお)部分に薄っすら影が入りました。
# by blues_rock | 2011-11-16 20:10 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
10月25日「詩を描く画家‥山口薫」(こちら)について書きましたが、今も3冊の山口薫画集(求龍堂)と展覧会カタログは、私の大切な宝物です。
山口薫の展覧会や作品は、たくさん見ましたが、憶い出すままに‥群馬県立近代美術館・渋谷区立松濤美術館・世田谷美術館・茨城県近代美術館・東京ステーションギャラリー・京都現代美術館(何必館)の展覧会(展示室)を懐かしく思い出します。
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二十歳のころ山口薫の絵に心酔し、無我夢中で絵を描いていましたが‥働くようになり次第に絵具箱を開けることもなくなりました。
絵を描かないことで手に入れたのが、絵を見る楽しみでした。
自分の「好み(=好きキライ)」で自由に絵を見て、好きな絵の前でウットリする悦びです。
故郷の納屋に当時描いた100号の絵2枚と他に数枚残っていると記憶していますので、もう一度見てツマラナイ絵なら処分しようと思っています。
# by blues_rock | 2011-11-15 20:31 | 画集/本(Book) | Comments(0)