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心の時空

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a day in my life

福岡に生まれ育った新井英一(1950~)が、父親の故郷である朝鮮半島(韓国)の清河(チョンハ)へ、自分のルーツを見つけに行く旅を歌ったブルース「清河(チョンハ)への道」を聴いた時、感動しました。
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旧ソ連の反体制詩人ウラジーミル・ヴィソツキー(1938~1980没、享年42才)の歌を聴いた時と同じような魂の叫びを感じました。
新井英一の歌う日本人のブルースは、彼独自の哀感があって心に沁み入ります。
a0212807_1061988.jpgこの歌は、アルゼンチンの歌手グラシェナ・スサーナも哀愁たっぷりに唄っています。
1955年のアメリカ映画「薔薇(バラ)の刺青」の主題歌ですが、その映画を見たこともなく、原曲を聴いたこともありません。
歌詞の内容は「愛する夫を戦争で亡くした女が、夫を忘れられず、夫が胸にしていたバラの刺青を懐い出しては、嘆き悲しみ暮らしていた。 ある日、女は街で一人の男に出会う。 その男も胸にバラの刺青があり、いつしか二人は、愛し合うようになる。」とそんな物語の内容です。
新井英一は「バラの刺青」を低く野太い声で、ソウルフルにしっとり歌います。(YouTubeにないのでご紹介できないのが残念です。)
新井英一の低く野太い大地の声は、パリのシャンソンよりユーラシアのブルースのほうが、良く似合うと思います。
# by blues_rock | 2011-10-14 06:06 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)
マイケル・フランクス(1944~)が、ボサノバの生みの親アントニオ・カルロス・ジョビンに捧げた名曲「アントニオの唄」をUAは、自分の感性で軽やかに歌っています。
a0212807_21573316.jpg1977年にリリースされたマイケル・フランクスのアルバム「スリーピング・ジプシー」に収録されています。
マイケル・フランクスは、ジャージィなリズムで、淡々と囁くように‥虹が光に溶け込むように「アントニオの唄(Antonio's Song )」を歌っています。
アントニオ・カルロス・ジョビンを敬愛する思いは、マイケル・フランクスのヴォーカルに溢れ、ピアノとサックスのサポートが心地よい音楽を奏でています。
UAヴァージョンは、1998年リリースのアルバム「アメトラ」の11曲目に収録されています。
UAの歌声は、ハスキーで気だるく、サポートする憂歌団の内田勘太郎のギターがすばらしく、マイケル・フランクスのボサノバとは一味違うUAの「アントニオの唄」になっています。
UAのこのアルバムからは、「悲しみジョニー」がヒットしました。
# by blues_rock | 2011-10-13 00:57 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)
まだテレビがない子供のころ、雑音の多い真空管ラジオで洋楽(ポップス)を聴いていました。
ラジオのボタンを回しながらラジオ放送局の周波数を拾い外国のポップス音楽を聴くただ一つの音源でした。
私にとって真空管ラジオの懐い出の音楽と言えば「ウシュクダラ」です。
遠い異国ペルシャの雰囲気‥アラビアンナイトに出てきそうな不思議な情緒を漂わす音楽でした。
ある日の午後、車を運転していたらカーラジオ(FM)から「ウシュクダラ」が流れてきました。
あまりの懐かしさに車を止めて聴き入りました。
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「ウシュクダラ」は1953年(昭和28年)アーサ・キットのヒット曲で、原曲はトルコ民謡です。
彼女が英語で唄う日本の童謡「猩猩寺(しょじょじ)」も大ヒット、この歌もまた真空管ラジオから「♪Sho-sho-shojoji‥」といつも流れていました。
「ウシュクダラ」とは、トルコの首都イスタンブール旧市街(ヨーロッパ側)からボズポラス海峡をはさんだアジア側のユスキュダル村(波止場)のこと、ユスキュダルのトルコ語発音が「ウシュクダラ」だそうです。
「ウシュクダラ」(1953)は、私のラジオ・デイズの一曲です。
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ウシュクダラに行ったときは雨だった
アナタの着物の裾が長く はねあがっていた
アナタは起きたばかりなのか 目はぼんやりとしていた
アナタは私のもの 私はアナタのもの
腕を組めるのは私だけ

ウシュクダラに行った時
一枚のハンカチをみつけて
その中にロクム菓子を包んだ
アナタを探していたら すぐ横にたっていた
アナタは私のもの 私はアナタのもの
腕を組めるのはわたしだけ
(付録 : アンダルシア風ウシュクダラも味わいがあります。)
# by blues_rock | 2011-10-12 00:44 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)
   「赤いゴム長靴」  筑紫里子 詩

ふるさとの川は  美しい宝石  その生涯の短い時間に
夏休みは毎日泳ぎ  貝を捕り  小魚を追い遊んだ川
小学1年生の時  大きな台風が襲来し  川は決壊氾濫した
川の橋も流された
子供らは村の公民館に集まり集団登校
皆で手をつなぎ一列にならんで  川を横切り渡るため
のん気な時代で  下校時間はそれぞれ自由
濁流ゴウゴウの川を渡っていると
手にもった赤いゴム長靴が  片方ポトリと川へ落ちた
貧しい母が買ってくれた  大事な赤いゴム長靴だ
アッという間に  スゥーッと流れたa0212807_12422446.jpg
いやだとあわてて手を延ばし  拾おうと
川の中を急いで  二、三歩追いかけた
その瞬間  川底の石に足取られ  体が沈み濁流の中へ
赤いゴム長靴は目の前を  プカプカ浮き沈み流れて行く
私の体は赤いランドセルごと流されて
もう片方の赤いゴム長靴は  必死に離すまいと左手に
何も感じない  恐くもなくて  しばらくそのまま流さて
川の流れは緩急あって  青い空に太陽が見えた

ああ  私はどうなるのかな
小さな子供が川に流されて  溺れ死んだと
校長先生や両親が  川には注意するよう言っていた
私もそうなるのかな  死んで話題になるのは嫌だな
小さなダムをトントン場と呼んでいた
トントン場まで流されたら  助からないと言っていた
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もうすぐトントン場だから  助からないのかな
流されながらのん気にそんな風に思っていた
突然  川の真ん中から
なぜか一気に川岸の方に押し流されて
延した右手に何かが触れた
川面に垂れた柳の小枝を掴んだようだ
これを掴みなさいと言わんばかりに
とっさに捕まるとすると  またどうしてか
ずぶ濡れの重い体が  川岸の浅瀬に打ち上げられた
川の水面の下から  私を持ち上げる力がないと
ランドセルごとずぶ濡れの重い体は上らない
スゥーッとイルカのジャンプみたいに
真っすぐに体が浮かび上がり  小さな浅瀬に打ち上げられた
助かるための努力もしないで
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あの時の感覚は  あの時の微妙な感触は  言葉では現せない

小さな浅瀬の上で  私は泣いた
ゴウゴウと流れる川の濁流の側で
真っ青な空を見ながら何の思いもなく  ただ大声で泣いた
赤いゴム長靴もランドセルも  もうどうでもよかった
みっともない格好で  泣いたことだけ憶えている
助かってうれしいのでもなく  怖かったからでもなく
流されて失くした  片方の赤いゴム長靴でも
ずぶ濡れのランドセルのことでもなく

私はここにいる  と大声で泣いた
ただならぬ泣き声に  近くの製材所のおじさんが驚いて
飛んで来て助けてくれた  一人では上がれない浅瀬から
向う岸から幼なじみが  私の名前を大声で叫んでいた
a0212807_12471139.jpg家までの帰り道は  製材所のおじさんがおぶってくれて
背中で泣き続ける私に  もう大丈夫だと
やさしく慰め続けてくれた  遠い昔の話

製材所のおじさんはもういないだろう

もっと早く懐い出して  あの時の御礼を言いたかった
幼なじみは 元気でいるだろうか  憶えているだろうか
# by blues_rock | 2011-10-11 06:36 | 詩/短歌/俳句/小説 | Comments(0)
10月になり福岡も秋めいて涼しくなりました。
今年の日本列島は、台風の当たり年のようで、各地で台風による豪雨被害が発生しています。
そんな時に“水”のない国‥日本などと書き、気は確か?アタマ大丈夫?と言われそうですが、これは私の意見(たわ言)ではなく、日本経済新聞に掲載された「国別国民1人当たりの水資源(淡水)ランキング」という記事の紹介です。
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6月9日の拙ブログに「水の話」(こちら)を書きましたが、その続編として読んでいただけると幸いです。
さて、日本経済新聞の記事によると日本人一人当たりの水資源(淡水)は98番目で、砂漠に覆われているアフリカ・アラブ諸国よりも下位でした。
日本では淡水を貯水している自然環境が、水田・池・沼・湖・川なので、私たちの回りに散見され(可視的領域、つまり見えるところにあり) “水”に対する危機意識は、日本国民にはありません。
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しかし現実は、非常に危険な状況にあり、“水”の危機管理が必要になりました。
私たちの可視的領域に、実はもう淡水(飲める水)は、それほどないのです。
記事では、1位グリーンランド・2位ギアナ(フランス領)・3位アイスランド‥と続き、砂漠地帯で水がないはずの中東アラブ諸国には、意外と水資源がありました。
グリーンランドとアイスランドは、積雪と氷河が貯水機能を果たし、ギアナはギアナ高地に1年中降る雨が、水資源なので理解できました。
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中東アラブ諸国は、豊富なオイルマネーで海水を淡水化(海水を沸騰させ水蒸気を冷却した水)し、生活用水・工業用・飲料水にしています。
水と一口で言っても、地球の水の97.5%は、海水なのです。
淡水は、地球の水全体わずか2.5%で、氷河・地下深水・河川・湖にあります。a0212807_1041497.gif
その2.5%の淡水のうち、工業用・農業用・生活用・飲料用の水として利用可能な水資源は3%で、淡水の97%は人類の手の届かないところに存在しています。
つまり水の惑星地球にある豊富な水の‘たった0.07%’だけが、人類にとって利用できる“水”の総量というわけです。
人類の“水”の総量をイメージで説明しますと「地球全体の水を1リットル(1000cc)のペットボトル」に例えれば、人類が利用できる淡水は0.7cc、つまり「一滴のしずく」と想像してください。
世界の水は、一滴のしずく~「国別国民1人当たりの水資源(淡水)ランキング」記事が、98位の日本に暗示したもの、それは「日本の水飢饉」不可避という過酷な未来予想図でした。
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信じられない方のために「水の危機」サイト(ウィキペディア)を添付しましたので本当のことを知りたい方は、ぜひご覧ください。
「水の危機」 : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E3%81%AE%E5%8D%B1%E6%A9%9F
(ウィキペディアは、リンクを貼ることができませんので、コピーして検索願います。)
# by blues_rock | 2011-10-10 07:47 | 自然/農耕/食料 | Comments(0)
「ザ・ローリング・ストーンズ」のエネルギーには、ただもう驚き呆れるばかり、映画「ザ・ローリング・ストーンズ・シャイン・ア・ライト」のライブ・バフォーマンスを見ていて、つくづくそう思いました。
1962年にデビューして今年で49年、彼らの平均年齢68才‥とにかくすごい!すばらしいロックンロールを聴かせてくれます。
「It’s only Rock’n roll」と言っていたローリング・ストーンズが、この映画で見せてくれたライブパフォーマンスは「This is just Rock’n roll」でした。a0212807_0474345.jpg
映画は、冒頭、マーティン・スコセッシ監督(1942~)が、イライラしながらコンサートのセットリスト(演奏曲名と演奏曲順リスト)の到着を待ち、演奏曲目と撮影について映画撮影クルーのスタッフに撮影準備を急がせている様子と、ミック・ジャガーはそれを承知していながら意地悪してセット・リストをなかなか提出しようとしない光景から始まります。
スコセッシ監督が、カメラ・スタッフに細かく指示するシーンを見て、できるだけ多くの「カットとアップ」の映像を求めているのが分かりました。
ローリング・ストーンズほどのロックバンドのドキュメンタリー映画を制作(撮影・監督)するのですから、普通ならスタジアムかアリーナの大会場に大勢の観客を入れ、ライブの熱気と興奮を撮影したくなるものですが、スコセッシ監督は敢えてニューヨークのビーコンシアターという小会場をライブ撮影の会場に選びました。
当然、ステージ・セットの確保や満員の来場者の混雑などで、小会場の狭さが予想されているにも関わらず、大量の音響機器と撮影機材‥撮影用クレーン・固定撮影カメラ・移動カメラなどをステージの上や会場内に、撮影カメラ18台がセットされました。
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映画を見られた方は、まるでライブ会場のステージ最前列にいるような臨場感と興奮を覚えたことと思います。
キース・リチャーズのギターが、いきなり「Jumpin' Jack Flash」のリフを弾き始めると‥あとは122分間、ザ・ローリング・ストーンズ・ワールドです。
ミックは、歌いながら激しくステージを動き回っても、息咳一つ切らず平然と次の曲へ、顔に刻まれたシワに49年の歳月は感じますが、体型は今でもスリムで昔のまま‥ミックの「ザ・ローリング・ストーンズ」にかける強い決意とロックを歌い続けることへの熱意が、彼の気持ちを支えているのでしょう。
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ロン・ウッドは、キースのギターに合わせるようにクールにギターを弾き、チャーリー・ワッツは、いつものように淡々とドラムを叩き、ローリング・ストーンズのリズムをしっかり支えていました。
バディ・ガイとの「シャンペン&リーファー」(1981マディ・ウォーターズ)のブルース・セッション‥ミックのハープとキース&ロンのギターも決まっていました。
スコセッシ監督は、名だたる撮影スタッフを集め、18台の撮影カメラとあらゆる機材を駆使し、ライブ全体とパフォーマンスに集中するローリング・ストーンズ一人ひとりの表情のアップや舞台裏まで、ファン心理剥き出しにして撮影させています。
a0212807_052921.jpg監督は、映画の撮影に35ミリフィルムを使用するというこだわりようで、ローリング・ストーンズという素材をなんとしても極上の映画にしたい(‥監督自身が熱狂的なローリング・ストーンズのファン)という思いが、良く分かります。
映画は「カットとアップ」の映像が多く迫力あり、演奏曲目ごとにちがうカメラアングルと併せ見事に構成されていました。
スコセッシ監督は若い頃、ロック史に永遠に残る映画「ウッドストック」(1969)の助監督として編集に関わり、ザ・バンドの解散ライブ映画「ラスト・ワルツ」(1976)の監督もしています。
他にも、ボブ・ディランの210分にも及ぶドキュメンタリー映画「ノー・ディレクション・ホーム」(2005)の監督でもあります。
マーチン・スコセッシ監督の映画作品としては、1976年の「タクシードライバー」、1990年の「グッドフェローズ」、2006年「ディパーテッド」、2010年「シャツター・アイランド」などが、私の印象に残っています。
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次回作は、遠藤周作原作の「沈黙」とか、1971年発表の篠田正浩監督作品の映画「沈黙」は、秀作でした。
江戸時代初期、布教を禁止され弾圧された日本のキリスト教をテーマにしたマーチン・スコセッシ監督の新作「沈黙」では、主役のキリスト教イエズス会宣教師役にダニエル・デイ=ルイスとベニチオ・デル・トロという個性的な名優を予定しているとか‥今から楽しみにしています。
# by blues_rock | 2011-10-09 01:01 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)
日本人は、時代劇「忠臣蔵」(四十七士の討ち入り物語)が好きで、年の暮れともなるとウンザリするくらい映画やTV時代劇ドラマで再演されてきました。
私は、陳腐な「忠臣蔵」に興味ありませんが「最後の忠臣蔵」は、二人の主役「役所広司と佐藤浩市」の演技を見たくて映画館に行きました。a0212807_21351744.jpg
二人の演技は予想に違わずすばらしく、役所広司の目や顔の表情による心理描写の演技は後世に残る名演技と言ってよいでしょう。
「忠臣蔵」の名の由来は、人形浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」からで、映画の中のカットで要所に挿入された近松心中恋物語の人形浄瑠璃の場面が、この映画の主題である「生きること・死ぬこと・愛しぬくこと」の効果をうまく引き出していました。
映画は、赤穂浪士四十七士が、主君の仇(あだ)を討つため吉良邸に討ち入り、本懐を遂げたあと全員切腹して果てた事件から16年後の京都が、舞台です。
世は、まさに元禄時代‥町人庶民の芸能文化が、成熟していました。
主君の仇(あだ)を討つため忠義に生き、本懐を遂げたら潔く死んでいった四十七士は、町人庶民にとって武士の誉れ高い英雄たちでした。
そんな時代に、本来なら四十七士と運命をともにするはずであった元赤穂浪士二人が、京都に生きていました。
16年前、主君である大石内蔵助から二人それぞれに直々の密命を受け、武士として自分の意思で名誉の死を許してもらえなかった厳しい理由がありました。
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一人は、討ち入り後「真実を後世に伝え、武士として死ぬ浪士たちの遺族を援助せよ。」の特命を受けた足軽侍の寺坂吉右衛門(佐藤浩市)であり、主じの命である「生きよ、生きて伝えよ」という過酷な使命を背負い、死ぬことを許してもらえない武士でした。
もう一人は、討ち入りの前夜、大石内蔵助の密かな使命を受け、屋敷から忽然(こつぜん)と姿を消した大石家用人の瀬尾孫左衛門(役所広司)で、同志から命惜しさに逃亡した裏切り者と思われていました。
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彼は、武士を棄て町人に名も変え、人里はなれたところで何かを隠すようにひっそりと暮らしていました。
映画のストーリーは、この二人が偶然出会うことで展開していきますが、映画の主題である「生きること・死ぬこと・愛しぬくこと」に興味ある方は、DVDでご覧いただきたいと思います。
「武士道というは、死ぬことと見つけたり(葉隠)」
この映画のもう一つの見どころは、映像美です。
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日本の四季折々の美しい自然の風景や良く時代考証された江戸時代の暮らしの道具類・土間囲炉裏・畳なども必見です。
製作総指揮のワーナーブラザーズ(ハリウッド)が、世界配給しますので海外の映画ファンの反応が楽しみです。
# by blues_rock | 2011-10-08 07:39 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
私は、筑後平野に生まれ大学を卒業するまで暮らしていました。
秋になるとボイルした「菱(ヒシ)の実」を良く食べたものです。
一昨年、東京で定年を迎え故郷の福岡へ還り、今年もまた昔懐かしい秋の味覚を愉しみました。
二つの鋭いトゲを避けながら、硬い外皮を包丁で真ん中から二つに割るとでんぷん質の白い子実あり、これをスプーンで掬(すく)いながら食べます。a0212807_22482140.jpg
食感は、クワイやユリネに似ていますが、ホクホクとした感じはクリを少し淡白にしたような味で、筑後平野の秋の味覚を愉しめます。
小学校唱歌で歌われる「里の秋」の‥ああ母さんとただ二人/クリの実煮てます/囲炉裏(いろり)端、と続くクリの実がヒシの実に取って変わると思えば、その雰囲気を感じていただけると思います。
子供の頃、筑後平野には、稲作のため田んぼに水を引くクリーク(細長く続く堀割)がたくさんあり、平野の中を縦横に流れていました。
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クリークには、ヒシや布袋葵(ウォーターヒヤシンス)が繁茂しており、水面いっぱいに茎や葉を広げ可憐な花を咲かせていました。
私の子供の頃、トモダチと夏の間いつも、そのクリークで泳いだり、フナやコイを釣ったりして遊んでいました。
a0212807_22493832.jpg秋になると両親や親戚の大人たちは、木造タライ(私の記憶に間違いがなければハンギリとかバンコとか呼んでいたような気がします)に乗り、クリークに漕ぎ出してヒシの実を採っていました。
収穫したヒシの実は、秋の味覚として家族や親戚と一緒に食べたり、隣近所にお裾分けしたりしていました。
ヒシの実は、筑後平野の特産品で、故郷の秋の味覚と長年思っていましたが、昔アイヌの人たちも盛んに食べていたとの伝承があることや、現在でも全国各地の沼や池で生育しているとのことなので、どうやら私の思い込みだったようです。
それでも私にとってヒシの実は、クリの実より故郷筑後平野の秋を届けてくれる味覚です。
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君がため

浮沼(うきぬ)の池の

菱(ひし)摘むと

我が染めし袖

濡れにけるかも


万葉集
柿本人麻呂
# by blues_rock | 2011-10-07 06:55 | 自然/農耕/食料 | Comments(0)
百舌(もず)は、東アジアに生息する渡り鳥です。
百舌(もず)は「百の舌」の名のとおり、いろいろな渡り鳥の鳴き声を真似て鳴く(百の舌)のだそうです。
私は、百舌(もず)本来の鳴き声を知りませんが、記憶しているのは、庭先の渋柿の大木の枝にとまり‥ギギギギと啼き叫ぶあの声です。
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渋柿の実は、完熟すると渋がぬけ、トロリとした甘い果肉になります。
熟し柿の美味しかったこと!この季節になるとそんな些細なことを懐い出します。
a0212807_1213197.jpgさて、先日の日本経済新聞(朝刊)記事に図らずも、拙ブログの「TPPついての話題」をバックアップ(応援)してくれる記事が、二つありました。
一つは、国(農林水産省)が、昨年発表した最新の農業総産出額のこと‥前年比5%のマイナス、たった1年で▲5%の減少です。
1984年が、農業総産出額のピークで、それから26年間でなんと▲30%のマイナスです。
わが国の農業生産基盤の低下は、まだ続いています。
今年3月の東日本大震災の大津波で東日本地域の農業地帯が、相当なダメージを受けましたので、わが国の農業生産基盤の低下は加速するでしょう。
二つめは、15面に掲載のコラム「大磯小磯」で、要約すると「‥TPPがなくても今のままでは、日本の農業を待ち受けているのは衰退の道である。1986年のウルグワイ・ラウンドで6兆円強の農業対策費をつぎ込んでも日本農業はいまだにひ弱であり、市場を開放できていない。産業は保護すればするほどダメになるといわれる。‥」と続きます。
農業鎖国の日本に住む私たちの食料自給率は、わずか39%(2010年)です。
これは、例えば10人家族に必要な食料が、4人分しかないようなものです。
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私たちが、お金を湯水のように使い自国の農業をいくら保護しても、今のままでは農業生産力はさらに低下するばかりです。
もはやここまでと覚悟を決めて‥不足している残りの家族6人分の食料を外国からの輸入しようにも、農業産品の異常な高関税率では、その分食料価格が高くなります。それがイヤならTPPを批准して食料調達するか、自分で汗して田畑を耕して自給自足により家計の足しにするしか方法はありません。
自前の田畑での自給自足なら「食の安心・安全」も保証されるので、一石二鳥です。
ともあれ国(政府)は、農業を世界貿易のカヤの外に置いて万一の時、国民の台所を守れるのでしょうか‥ねえ。
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空青く

百舌と分け合う

熟し柿 
    
(拙私凡)
# by blues_rock | 2011-10-06 07:04 | 自然/農耕/食料 | Comments(0)
日本経済新聞の夕刊に「ガウディのサグラダ・ファミリア(聖家族)教会」についての記事(コラム)が、掲載されたことがあります。
それまで120年余も前から建築中のガウディの教会のことを、私はすっかり忘れていました。a0212807_23425162.jpg
記事の内容は‥サグラダ・ファミリア教会が、ユネスコの世界遺産に登録されたこともあってスペインの有名観光スポットとなり、世界中から多くの観光客が集まるようになった。一人80ユーロ(900円)の見学料収入も増え、建築資金が潤沢なのか(まだ工事中なのに有料で見学させるのがスゴイ!まあこれが建築資金の原資になるわけですから当然のことながら)バルセロナで、120年以上も前に建築が始まってから、石工・彫刻家たちが営々と石積み石削り建築してきたガウディの教会のまわりに、今ではクレーンやエレベーターの建築工機が林立し、建築スピードも速くなっている。
ちなみにサグラダ・ファミリア教会は、バルセロナ市の建築許可のない違法建築だとか‥あと2百年はかかると言われていたガウディの教会も完成が近いのではないか、ヨーロッパ文化の伝統として悠々と造り続ける教会もあって良いと思う、という内容のものでした。
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1975年、私が初めてバルセロナを訪ねてガウディの教会の前に立ち、高さ百数十メートルもある数本の尖塔を見上げた時「なんと異様な美しさ‥それにしても、なんと悠長な建築なことか‥大体教会の建築図面・模型などの資料類が消失(焼失)し、現存しない中で「ガウディの構想」だけで、それもこんな石積みで本当に大丈夫なのだろうかと純朴なことを思い眺めていました。
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アントニ・ガウディ(1852~1926)は、建築という素材でバルセロナの市街地に巨大な芸術作品をいくつも創った芸術家でした。
ガウディは、後半生の全身全霊を「サグラダ・ファミリア教会」という、いつ完成するか分からない壮大な作品創りに捧げ、1926年74才の時、仕事の帰りに路面電車に轢かれて亡くなりました。
その時の身なり服装たるや、まるで浮浪者のようだったそうです。
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ガウディは、「グエル公園」・「カサ・ミラ」など今でもバルセロナ市民が、生活の場として利用しているすばらしい建築芸術を遺しました。
# by blues_rock | 2011-10-05 00:48 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)