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心の時空

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a day in my life

<   2017年 09月 ( 16 )   > この月の画像一覧

ジョージアの奇才映画監督 オタール・イオセリアーニ(1934~)の最新作(2015)「皆さま、ごきげんよう(原題「冬の歌(CHANTD’HIVER)」は、御歳81才の時の作品で自ら監督・脚本・編集さらに出演と見事な活躍ぶりです。
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映画のプロットたるやフランス革命期の血なまぐさいパリから戦争の惨禍が、生々しいコーカサスへ移り、そしてまた現代のパリへ戻ってくるという不条理劇です。
a0212807_23404987.jpg映像から迸(ほとばし)る陽気でシュールレアリスムあふれる感性は、イオセリアーニ監督の自由自在な精神の証(あかし)です。
映画は、現代の治安の悪いパリから始まります。
アパルトマンの管理人ながら武器商人の男と骸骨集めが、趣味の人類学者は、腐れ縁で結ばれた悪友同士でした。
a0212807_2343322.jpg二人の回りには、覗き趣味の警察署長、ローラースケートの強盗団、黙々と家を建てる男、気ままに暮らすホームレスなどヘンテコな人たちが、集まっていました。
ある日、警察の取り締まりによって公園のホームレスたちが、追い出されるという緊急事態に彼らは、一致団結して立ち上がりました。
a0212807_23435421.jpg映画の物語は、フランス革命時代、コーカサスのどこかの戦場、現代のパリへと変転しながら展開していきます。
たとえ時代や場所が、違っても人と人は、必ず繋がっているよ、と言っているオセリアーニ監督の声が、映画を見る者の耳に聴こえて来るようです。
時代が、移ろっても変わることのない繰り返される人の日々の営み、場所は、変わっても争いや略奪、犯罪が、a0212807_2345533.jpg決してなくなることはなく、それでもあふれんばかりの愛や友情、希望もあり、寒い冬の後には、必ず花の咲き乱れる春が、やって来る、明けない夜はないよとばかり、混沌(こんとん)とする人間社会の不条理をオセリアーニ監督は、反骨精神たっぷりにセンスの良いユーモア(風刺の効いたエスプリ)で軽やかに笑い飛ばしていa0212807_23455750.jpgます。
映画は、シリアスにしてブラックな人間喜劇(バーレスク=風刺喜劇)ながら人間社会が、矛盾に満ちてロクでもなくても生きる値打ちは、あるよ、生きていれば、友だちと酒が、飲めるし、音楽も聴けるじゃないか ‥ とアイロニーたっぷりの甘美なスペクタクルが、展開していきます。
a0212807_23475186.jpg映画に出演している俳優で私が、知っているのは、黙々と家を建てる男を演じるマチュー・アマルリック(1965~)くらい、この映画の主人公でアパルトマン管理人の武器商人、ギロチンで首をはねられる中世の男爵、体中に刺青を入れた従軍司祭など、いくつもの印象的なキャラクターを変幻自在に演じているリュファス(1942~)ならびに骸骨コレクションが、趣味の人類学者を演じるアミラン・アミラナシュヴィリ(1955~)このお二人の出ている映画は、初めて見ましa0212807_2348375.jpgたが、旧き良き時代の喜劇(笑い)を体現、私は、上手いなあ ‥ と感心しながら映画を見ていました。

(右写真 : カメラ・スタッフと打合せる撮影中のオタール・イオセリアーニ監督)
by blues_rock | 2017-09-29 00:09 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
この春から ああでもない、こうでもない と悪戦苦闘(?)してきた陶胎茶碗二口が、焼きあがりました。
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どのような漆の陶胎茶碗にするか粉引と灰釉の色調を生かすべく思案中です。
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灰釉茶碗の方は、念願の破れ茶碗になりましたので金継ぎに、粉引茶碗には、粉引の白を生かした呂色漆地
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梨子地銀を蒔こうと思います。
a0212807_1334564.jpg首尾よく完成しましたらお披露目したいと思います。
by blues_rock | 2017-09-27 00:30 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
アンスティチュ・フランセ今月(9月)の映画は、フランス医療現場をシリアスに描いたヒューマンドラマ「ヒポクラテスの子供たち」(2014年製作、原題「Hippocrate」)でした。
この映画が、長編2作目となる若手監督トマ・リルティ(1976~)は、医者であり映画監督の今でも医療に携わり
a0212807_731576.jpg医者を続けているので映画のプロット(=フランス病院の医療現場)にリアリズムが、あります。
とくに、日本でも時どき社会問題になる「病院(医者)の医療ミスとその事実の隠ぺい」(内部告発か 家族の告訴以外 ほとんど全部隠ぺいされている)ならびに尊厳死(安楽死)の問題についてのリルティ監督の脚本と演出は、秀逸です。
フランス社会の弱者である移民労働者についても世界中に植民地を所有していたフランスは、いまでも人種差別の国であることが、この映画から良く分かります。
余談ながら7つの海を支配したイギリス(大英帝国)の人種差別は、差別というより‘区別’(階級)であり、アメリカの人種差別(レイシズム)が、隔離政策(抑圧と分離=奴隷制度)であること、日本社会にも旧く(江戸時代)は、士・農・a0212807_7333753.jpg工・商の身分制度とさらにその下の穢多(えた)・非人(ひにん)と徹底した階級階級で同じ民族ながら身分を越えて結婚どころか交流もできませんでした。
近代日本でも明治時代すでに在日中国人(華僑の子孫)とか、在日朝鮮人という扱いで移民問題は、顕在化しており、古代日本の大和国と朝鮮半島西南の百済国の連合軍が、663年の‘白村江の戦い’で古代中国の唐と朝鮮半島東南の新羅国に大敗、その時大和国は、国家消滅した百済国から難民(移民a0212807_7345496.jpg=朝鮮民族)を大量に受け入れおり、古代日本にすでに大勢の外国人移民が、いました。
現在日本は、未曾有の少子高齢化社会となっており、その対応のため今後(もうすでにかも)大勢の外国人移民が、日本社会の一員となっていくと思います。
閑話休題、フランス社会の移民問題から脱線、話を映画「ヒポクラテスの子供たち」に戻します。
a0212807_7353340.jpg医者見習いのインターン バンジャマン(ヴィンセント・ラコステ 1993~)は、父バロワ教授(ジャック・ガムブリン 1953~)が、院長を務める内科医療センターで実習として働き始めました。
白衣を着て医師として現場に出るや彼は、すぐに様々な難局に直面しました。
バンジャマンの同僚で先輩インターンのアブデル(レダ・カテブ1977~)は、医療の知識と臨床経験豊富なベテランの医師見習いですが、フランスの旧植民地アルジェリア出身なので差別され医師になれないうえ、安い賃金に過酷な労働a0212807_739241.jpg条件(住居も病院内の古い空き部屋)で働いていました。
バンジャマン当直の夜、アルコール中毒者が、腹痛のため急患として入院するも心電図モニターの故障により心電図を録らず急きょ鎮痛剤を投与し安眠させました。
ところが翌朝、この患者が、死亡しており、バンジャマンの上司医師(マリアンヌ・ドゥニクール 1963~)は、カルテを見て、すぐに医療ミスに気づき、この事実を隠ぺいするため彼にカルテ改ざんの口裏を合わせるよう命じました。
a0212807_8115332.jpg医療経験豊富なアブデルは、医療ミスを疑います。
突然亡くなった患者の妻も治療経過の説明を求めました。
バンジャマンは、医師としての将来に不安を覚える中、集中治療室のベッドに横たわり激痛に苦しみながら死を待つ末期ガン患者の老女から「痛みが、苦しく耐えられない。 どうか私の延命治療は、しないで欲しい。」と訴えられ、家族からも苦しませないで欲しいと要請されました。
a0212807_8312690.jpg人間の尊厳と法律のどちらが、優先されるべきか ‥ バンジャマンは、アブデルに相談しました。
アブデルは、治る見込みのない末期ガン患者が、集中治療室のベッドの上で管につながれ苦痛に喘ぎ苦しんでいるのを見ているのは、不正義で、解放してあげるべきという医師としての信念を バンジャマンに伝えました。
フランスは、法律で ‘尊厳死(安楽死)’ を認めていませんが、(日本も同じながら)バンジャマンは、病院の方針a0212807_8143299.jpgに逆らってアブデルと二人で集中治療室の人工生命維持装置のスイッチを切りました。
しかし、病院(理事会)の処分が、外国人(アルジェリア国籍)インターン アブデルの処分は、重く医師としての未来が、断たれ、患者の担当医であった自分の処分は、院長の息子ということもあり軽い処分(情状酌量)でした。
これにバンジャマンは、怒り反発、心電図モニター確認もれの医療ミス事故死と併せ、安楽死させた患者二人の死は、自分の責任だと宣言しました。

by blues_rock | 2017-09-25 00:25 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
ドーソン船長は、ダンケルクに向かう途中、Uボートに撃沈された船の上でうずくまるキリアン・マーフィー(1976~)演じるイギリス兵を救出しますが、死の恐怖に怯える彼は、命を救ってもらったにも関わらずダンケルクへ行a0212807_1615098.jpgくことに暴れて抵抗します。
海の上空から敵の戦闘機が、突如攻撃して来る中、義侠心からダンケルクを目指すドーソン船長と次男(トム・グリン=カーニー 1995~)、同行した17歳の少年(バリー・コーガン 1992~)の一日を同時進行で描いていきます。
さらに、ダンケルクの上空を縦横無尽に飛び交う敵の戦闘機メッサー・シュミットと空中戦(ドクファィト)するトム・a0212807_1632154.jpgハーディー(1977~)演じるイギリス空軍パイロットの戦闘機スピットファイアは、隊長から帰還燃料を残すよう命令されていたものの隊長機の撃墜により自らの判断で、ダンケルク海岸で救援を待つ40万将兵を救うために、メッサー・シュミットと戦い続け、燃料切れにより海岸に不時着し敵の捕虜となるまでの1時間を描き、このa0212807_164713.jpg三つの出来事を軸にして、さらに細やかなエピソードが、重なりドラマは、展開していきます。
ノーラン監督の戦争のレアリズムのこだわりは、半端でなく、78年前の1940年5月、戦場であったダンケルクの海岸(陸)に、6千人余のエキストラを集め、海には、当時の軍艦や古い船を浮かべ、空では、当時最新鋭であった戦闘機イギリス空軍a0212807_1643430.jpg自慢のスピットファイアと日本のゼロ戦と並び称された高性能を誇るナチスドイツのメッサー・シュミットの実物を飛ばし、激しい銃撃戦(ドクファイト)を繰り広げるというダンケルクの陸海空が、戦場であった一部始終をIMAXカメラの70㍉フィルム(通常70㍉スクリーンより上下各2割計4割ワイド)で実写しているので、その緊張感と超弩級の迫力は、並大抵ではa0212807_1684867.jpgありません。
映画職人気質の(映像作家のような)ノーラン監督の斬新な演出が、今までの戦争映画にはない(月並みな戦争スペクタクル映画ではない)、史実のリアリティにサスペンスとスリラーの緊張と恐怖を重ね合わせ、当時のダンケルクに居なかった観客にも「戦争の不条理な状況と戦場の理不尽さ」を疑似体験してもらいたいというのが、ノーラa0212807_1610148.jpgン監督のコンセプトだろうと私は、思います。
映画の終盤、救援を待つ間、桟橋で疲労し眠っていた二等兵が、目覚めて起き上がるとケネス・ブラナー(1960~)演じる撤退作戦の責任者であるイギリス海軍中佐は、「イギリスに向かう最後の船だ。何をしている、早く乗れ。」と命じ「まだフランス軍の救援がある。」と敵が、目前に迫る中、桟橋から救助船を見送るシーンは、そんな品格ある指導者が、絶滅した現在a0212807_16104454.jpg(いま)にあって、ノーラン監督「男の美学」であろうと推察します。
映画の冒頭に登場し「生き残るため」に右往左往しながら逃げ回り生き残った二等兵と最後まで何もしないで生き残った二等兵 ‥ クリストファー・ノーラン監督のメッセージは、「戦争で結局生き残るのは、運次第、助かる奴は、助かる、どうあがこうと戦場の命に特別な意味はない。自分a0212807_1611203.jpgは、そこにいたくない。」と言っているように思います。
ダイナモ作戦(ダンケルク大撤退)を命じた当時のイギリス首相チャーチルは、ダンケルクで救援を待つ連合軍40万将兵のうちイギリス将校ほか兵も合わせ3万人の救出を当初計画していたようですが、挙国一致の救援で33万5千人を救出しました。a0212807_1612514.jpg
‘IMAX’による音響を担当したドイツの名作曲家ハンス・ジマー(1957~)の思わず身を伏せ、息を凝らしてしまうド迫力の音の臨場感ならびにオランダの名撮影監督 ホイテ・ヴァン・ホイテマ(1971~)が、撮ったあまりにリアルな実写映像は、‘IMAX’初見参の私にとってただもう驚愕するばかりでした。
これから‘IMAX’の映画は、IMAXで見ようと思います。
(下の方から5枚の写真 : クリストファー・ノーラン監督と撮影現場の様子)
by blues_rock | 2017-09-24 00:24 | 映画(シネマの世界) | Comments(2)
イギリスの映画監督クリストファー・ノーラン(1970~、2008年「ダークナイト」、2010年「インセプション」、2014年「インターステラー」など)の最新作「ダンケルク」をまず通常の70㍉スクリーン(垂直移動のフィルム映写)を普通
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の映画館で、数日後に改めて名匠ノーラン監督が、映画職人としてこだわったCGを使わずIMAXカメラで70㍉フィルムにより実写した映像をどうしても見たくてIMAXシアターに行き、IMAXフォーマット(高解像度撮影)によるa0212807_1095819.jpg70㍉スクリーン(水平移動のフィルム映写)を見ました。
ノーラン監督は、先に紹介した作品でもCGを使わず実物大のセットによる特殊撮影でスケールの大きいスペクタクル映像やド迫力のアクションシーンを撮ってきましたが、最新作の「ダンケルク」では、巨大なセットを組まず戦場であったフランス北部ダンケルク海岸の陸・海・空に大勢のキャストとエキストラそしてスタッフを動員し、連合軍兵士40万人の大撤退作戦(1940年5月26日から6月4日までの10日間で決行されたダイナモ作戦)を再a0212807_10154372.jpg現、現場で大がかりなロケーションを敢行しました。
ノーラン監督は、最新のIMAXフォーマットと70㍉ラージフィルムを贅沢に使い(製作費100億円は、監督本人と夫人のエマ・トーマスだから成せる業かも)、鮮明な映像と大音響を同期させその実験的な演出でノーラン監督作品を見続けて来た熱狂的なファン(フォロワー)に戦場の阿鼻叫喚を体感(擬似体験)させると
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いう徹底したリアリズムで新たな‘ノーランワールド’に誘いました。
生き残るのは、まさに運(偶然という幸運)、ノーラン監督の「ダンケルク」に英雄も主人公もおらず敢えて云うなa0212807_1017185.jpgら、このダンケルクで戦死した名も無き兵士たちや救出に向かい犠牲になった民間人7万人、彼らこそが、主人公の一大戦争叙事詩といえる映画です。
映画は、ダンケルクの陸・海・空で起きた時間軸の異なる三つの出来事を時計のチクチクチクと鳴る音とともに同時進行させ、いやがおうにも映画館の座席で見ている者(の生理と神経)をa0212807_10213730.jpg冒頭から最後までスクリーンに集中させます。
まず、新人俳優 フイン・ホワイトヘッド(1997~)演じる陸軍二等兵が、敵(姿の見えないナチスドイツ)に包囲されどこから飛んでくるか分からない銃弾の恐怖に怯え、死と隣り合わせた極限の緊張と絶望、ただ「生き延びるたa0212807_10221727.jpgめ」に必死で逃げ回る‘1週間’姿を描き、さらに我先に救援船に乗り込もうとする兵士の群れ、海岸に並ぶ死体の列、運よく乗船できたは良いが、敵の魚雷や飛行機からの爆撃により沖合で次々に沈む船‥阿鼻叫喚のダンケルク海岸の10日間を描きます。
a0212807_1022522.pngイギリス海軍は、漁師たちの漁船を接収し軍用の救援船にしますが、マーク・ライランス(1960~)演じる元軍人の民間小型船の船長ドーソンは、空軍パイロットであった長男を戦死させた悔悟の念から次男を連れ自ら戦場のダンケルクへ救援に向かいました。(後編に続く)
by blues_rock | 2017-09-23 09:23 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
このところの金継ぎ人気で蒔絵用の細筆が、不足し困っています。
ナイロンのアクリル絵画用やネイルアート用の上質な筆が、あるにはあるものの天然素材で作られた筆や刷毛に到底及ばないのは、しばらく使ってみると良く分かります。
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筆と漆との相性、筆先の漆の含み、細い線の美しい伸びなど明確に金継ぎや蒔絵の仕上がりに表われます。
最高級品質の蒔絵用筆を‘本根朱’といい、琵琶湖に生息していたフナネズミ(クマネズミ)背中の水毛だけを使用、一本の筆を作るのに数匹分(五匹くらい)のフナネズミ背毛が、必要でしたので「幻の蒔絵筆」と呼ばれ、今
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ではもう手に入りません。
根朱(ねじ)とは、ネズミという意味ですが、ネズミの毛では、嫌がる人もいたようで根朱(ねじゅ)という字を充てて商品名にしたとのこと、現在の本根朱赤軸筆の素材は、普通のクマネズミの背毛を使用しているそうです。
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そのクマネズミも今や希少種となり、ドブネズミ(クマネズミと同種の家ネズミの一種ながらドブネズミの名前がかわいそう)の背毛や猫の毛を本根朱の代用品という意味合いで商品名最後に「替」が、付いています。
漆刷毛は、髪結い黒髪の日本人女性(昔の女性)の毛髪を数十年寝かせたものが、ベストだとか、現代女性のa0212807_22351997.jpg毛髪は、シャンプーとヘアダイによりぼろぼろで使いものにならないそうです。
現在の漆刷毛の素材は、中国女性の毛髪とか、これも中国社会の発展による女性たちへのシャンプーとヘアダイ普及で使えなくなるのが、目に見えており、わが国の伝統漆工芸を守るために女性の長い黒髪を求めさらなるアジア辺境の奥地へ素材の手当てに行くことでしょう。
古代 ‘茶の湯の精神’ が、生みだした遊び心(遊戯の世界)の「金継ぎ」は、さらなる辺境へ向かっています。

by blues_rock | 2017-09-21 00:01 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
「ロウダウン」(2014)は、ビバップジャズの先駆者(即興演奏=モダンジャズの元祖)にして、ビバップで一世を風靡したジャズサックス・プレイヤーのチャーリー・パーカー、天才ジャズトランペッター マイルス・デイヴィスともa0212807_21533970.jpg共演していた伝説のジャズピアニスト ジョー・アルバニー(1924~1988)の伝記物語です。
監督は、ジャズを中心としたドキュメンタリー映画監督のジェフ・プライス(1961~)、脚本が、ジョー・アルバニーの愛娘で作家となったエイミー・ジョー・アルバニー(1962~) ‥ 当時前衛的なジャズであったビバップ(即興演奏)のジャズピアニストでジャンキー(ヘロイン依存症)でもあった父 ジョー・アルバニーのピアノ演奏(ビバップジャズ)を娘のエイミーは、幼いころからいつもとなりで聴いていました。
その後、作家となったエイミーは、2003年父 ジョー・アルバニーについての伝記「Low Down(内輪話)」を上梓、その原作を元に幼いころからジャンキーの父ジョーと艱難辛苦を共にしてきた娘の視点で脚本が、書かれているので彼女の喜怒a0212807_21555255.jpg哀楽のリアリティは、半端じゃありません。
1970年代のハリウッド、娘のエイミーを溺愛するもヘロインなしでは生きられず、刑務所との間を行き来する哀れなジャズピアニストの父 ジョー・アルバニー、孤独を癒しに家出したアルコール依存症の母にエイミーが、会いに行っても泥酔していa0212807_21572943.jpgる母は、ひどい言葉で思春期の娘を侮辱し聞き捨てならない暴言を吐いて追い返します。
両親に頼れない孫のエイミーをやさしく受け入れていたのは、祖母と父と同じような麻薬中毒のミュージシャンたち、売春婦、ポルノ映画を生業にする大人たちでした。
a0212807_2215942.jpgジャンキーのジャズピアニスト ジョー・アルバニーを名優のジョン・ホークス(1959~、2012年「セッションズ」は、忘れられない名演)、娘エイミーに子役を脱したエル・ファニング(1998~)、エイミーの祖母をベテラン女優のグレン・クローズ(1947~、1982年「ガープの世界」での看護婦ジェニーは強烈でした)、ジョーの友人のトランa0212807_2243049.jpgペッターにロックバンド「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」のフリー(1962~、2017年「ベイビー・ドライバー」に出演)、フリーは、製作総指揮も担っています。
役者ぞろいの中でジャンキーのジャズピアニストジョーを演じたジョン・ホークスの秀逸な演技は、もちろんのこと必見は、何と云ってもエイミーを演じた当時16歳のエル・ファニングのすばらa0212807_2262135.jpgしさ!です。
2016年18歳で主演したトップモデル役の「ネオン・デーモン」は、ニコラス・ウィンディング・レフン監督のミスキャスト、世界の映画ファンと評論家たちを唸らせようと仕掛けた映像作家としてのレフンマジックでしたが、ダークファンタジーは、エル・ファニングに似合いません。
a0212807_2273421.jpg天才子役ダコタ・ファニング(1994~)を姉にもち2001年2歳8か月のとき「アイ・アム・サム」でスクリーン・デビュー、8歳のとき「バベル」(2006)、10歳で「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」 (2008)、13歳のとき「Virginia/ヴァージニア」 (2011) で主演と生まれながらの女優としてキャリアを積んでいます。
a0212807_228337.jpg可愛い少女、キュートな娘であったエル・ファニングも今や19歳にして、身長も175㌢と大柄で美貌スタイルともに抜群の カメラ映りの好い素材(女優)となりました。
後は、良い脚本と優秀な監督にさえ恵まれれば、名実とも確実に大型女優に成長していく若手女優の一人であると私は、この映画「ロウダウン」で演じたエイミーをみて思いました。
質の高い映画なのに日本では、劇場未公開、先日現在公開中の日本映画の秀作「三度目の殺人」を見たばかりで、少数とは云え、ちゃんとした映画を努力して撮っている人たちもいるのだなと思い、十把一絡げにして日本映画産業の体たらくについてウダウダ書くのは、もう止め(諦めること)にしました。
a0212807_2215539.jpg「ロウダウン」は、衛星映画でオンエアされただけなので、まだご覧になっていないジャズファン、エル・ファニング ファンの方々には、自信をもってお薦めいたします。
by blues_rock | 2017-09-19 00:09 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
異才ジム・ジャームッシュ監督(1953~)独自のオフビート感あふれる最新作「パターソン」は、ニュージャージー州パターソン市に暮らすバス運転手パターソン(アダム・ドライバー 1983~、2016年「沈黙 サイレンス」にパード
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レ役で出演)とアラブ系の妻ローラ(ゴルシフテ・ファラハニ 1983~、イランの名女優、2008年「ワールド・オブ・ライズ」でアメリカ映画デビュー、2009年イラン映画「彼女が消えた浜辺」主演)の月曜日朝から日曜日夜までの一a0212807_14123525.jpg週間を詩情とリアリティ溢れる映像で淡々と描いただけの作品ながら心に残る秀作映画です。
主人公のバス運転手パターソンの趣味は、詩を創作すること、毎日朝6時過ぎに起き、横で寝ている愛妻ローラに軽くキスをして、簡単なシリアルの朝食を摂りバス会社に歩いて向かいます。
a0212807_1413174.jpg帰宅すると妻と夕食、食後不細工なブルドッグの愛犬マーヴィンと夜の散歩に出かけ途中バーでビールを1杯だけ飲んで帰ります。
そんな代わり映えしない日々の暮らしながら詩作するのが、趣味のパターソンにとっては、同じ日などなく、毎日運転席から彼が、見た街並みや歩く人たち、車内でおしゃべりする乗客の会話など日常の些細なことをいつも持ち歩るいているノートに詩a0212807_14154630.jpgを書いていました。
映画は、そんなバス運転手パターソンが、営む普段の穏やかで慎ましい暮らしぶりを丁寧に描いています。
映画「パターソン」を見るとインディペンデンス系映画の映像作家(映画監督)にして詩人でもあるジャームッシュ監督は、マンハッタンから1時間くらいの移民の多い(多い順からラテン系・黒人系・白人系・アラブ系・アジア系など)人種・民族の坩堝a0212807_14181435.jpg(るつぼ)である小都市パターソン(人口15万人)に特別な愛情もっていることが、よく分かります。
パターソン出身には、アメリカを代表する二人の詩人 ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ(1883~1963)とアレン・ギンズバーグ(1926~1997)が、いてウィリアム・カーロス・ウィリアムズは、パターソン市の小児科医にして詩人でした。
a0212807_1419238.jpgビートニク詩人のアレン・ギンズバーグは、現代アメリカ文学・芸術(演劇・ロック)に大いに影響を与えました。
パターソン出身といえば、白人警官によるデッチあげ殺人の冤罪で20年間刑務所に服役した黒人の元プロボクサー ルービン・カーター(1999年映画「ザ・ハリケーン」の主人公、ボブ・ディランも名曲「ハリケーン」で激しく抗議しアメリカ社会を告発)が、います。
静謐かつ情感あふれる映像を撮ったのは、名撮影監督 フレデリック・エルムス1946~、1987年「ブルーベルベッa0212807_14203992.jpg」、1991年「ワイルド・アット・ハート」、2009年「脳内ニューヨーク」、2013年「25年目の弦楽四重奏」など多くの名作を撮影)です。
映画のストーリーは、月曜日から日曜日まで7日間のその日の始まりが、スクリーンにクレジットされ、朝6時過ぎに起きるところからパターソンの一日をカメラは、追います。
a0212807_14314472.jpg映画の中でパターソンが、作る詩も字幕で映し出されていきます。
パターソンの詩は、ジャームッシュ監督が、詩人ロン・バジェット(1942~)に依頼したそうで映画のために創った詩も数篇あるようです。
パターソンと妻ローラの穏やかで静かな日々に小さな波風を立てるのが、不細工で素っ頓狂な愛犬ブルドッグのマーヴィンです。
マーヴィンを演じたイングリッシュ・ブルドッグのネリーは、その名演でカンヌ国際映画祭‘パルム・ドッグ賞’を受賞 ‥ 映画の撮影後死去したネリーにa0212807_1435368.jpgジャームッシュ監督は、エンドクレジットの最後に「ネリーに捧げる」と弔意を表わしています。
パターソンと横で眠る妻ローラの和やかな毎朝のベッドもジャームッシュ監督の演出は、とても繊細で夫婦愛を観念的に見せるのではなく、ひと朝だけベッドのシーツから下着を付けていないローラの左大腿部が、はみ出しているシーンには、その夜愛し合う二人が、セックスしたことをさa0212807_14362144.jpgらりと的確に表現するディテールの丁寧さに感服しました。
ジャームッシュ監督お気に入りの日本人俳優 永瀬正敏(1966~)が、映画の終盤、詩人の街パターソンを訪ねた日本人として登場、大切な詩作ノートを愛犬マーヴィンに喰い破られ公園で気落ちしているパターソンに新しいノートをプレゼントし励ます詩人の役でした。
by blues_rock | 2017-09-17 00:17 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
a0212807_3545366.jpg福岡市中央区笹丘のイオンモール地下にある韓国家庭料理店「こやん」は、何と云っても ‘石焼ビビンバ’ が、お薦めです。
「こやん」とは、韓国語で‘故郷’という意味だそうで韓国お袋の味なのでしょう。
熱々の石の器に盛られたビビンバが、ジュウジュウ音を立てているので、それにふうふう息を吹きかけ冷ましながら口に運びます。
テーブルに置かれた白菜キムチは、うれしいことにフリー ‥ ヒンヤリした白菜キムチとのバランスも絶妙です。
すぐ近くに黒田藩ゆかりの池泉廻遊式日本庭園「友泉亭」が、あり四季折々 美しく、食後の散策に打って付けの名園なのでぜひ訪ねてみてください。
by blues_rock | 2017-09-15 09:15 | 柏原生活/博多叙景 | Comments(0)
是枝裕和監督(1962~)の最新作(原案・監督・脚本・編集)「三度目の殺人」を封切り初日に見ました。
是枝監督作品は、1995年の長編映画監督デビュー作品「幻の光」からずっと見て来た是枝監督ファンとしてこのところ家族を主題とした映画ばかりが、続き私は、正直少し欲求不満気味でした。
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そんなこともあり是枝監督新のダークな法廷心理劇映画「三度目の殺人」は、私を大いに満足させました。
私が、これまで見た法廷劇の名作と異なり是枝監督の「三度目の殺人」は、謎解きをしないで結論も出さず真実が、明かされないまま終わる心理サスペンスの法廷劇です。
a0212807_751871.jpg映画のプロットは、1950年の日本映画「羅生門」(ヴェネツィア国際映画祭グランプリ受賞作品)と同じ‘藪の中’、つまり三度目の殺人を犯した容疑者の供述(犯行の物的証拠が、なく自供をころころ変える推定殺人犯)に振り回される弁護士たち、裁判の数少ない情況証拠の真相に深く関わる被害者の妻と娘二人の食い違う証言、自白調書をもとに死刑を求刑したい検察官、裁判をさっさ終えたい裁判長など個人の思惑が、交錯しながら映画は、最後まで容疑者の底知れぬ心の闇に振りa0212807_7534197.jpg回される弁護士を緊張感たっぷり描いています。
是枝監督は、気心の知れた常連製作スタッフ、撮影監督の瀧本幹也(1974~)始め美術監督の種田陽平、照明の藤井稔恭と1950年代の犯罪映画の特徴であった「光と影」例えば、1952年日本公開のイギリス映画「第三の男」など、当時の名作映画が、表現した美しい陰影を追求、全編ダークな色調にあって室内に射す光と影のコントラストは、抜群な心理サスペンス効果を生み出しました。
a0212807_7542071.jpg是枝監督たっての要請で音楽を担ったイタリアの作曲家ルドヴィコ・エイナウディ(1955~ 2011年フランス映画「最強のふたり」の音楽監督)の音楽も秀逸、彼は、撮りあがった映像を見ながら作曲したそうでピアノの淡々とした静かな旋律が、登場人物の情感を見事に表現していました。
是枝監督は、ヨーロッパの映画評論家から‘成瀬巳喜男のフィルム’のようだと言われたことを大変喜んでいましたが、成瀬監督の名作「浮雲」を思い浮かべると‘映画の判断は、見る人に任せる’という成瀬監督作品への
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オマージュが、感じられました。
「三度目の殺人」は、上質な心理サスペンス法廷劇映画ながら同じヴェネツィア国際映画祭でグランプリ受賞した黒澤明監督作品「羅生門」が、あるので今回無冠だったのは、仕方ないことかもしれません。
a0212807_803446.jpg三度目の殺人を犯した容疑者三隅を演じる希代の名優 役所広司(1956~)ならびに裁判に勝つために真実は要らない、さらに依頼人(殺人容疑者)への共感も理解も不要と断言するクールな弁護士重盛を演じる福山雅治(1969~)の表情をシネマスコープのスクリーンいっぱいにエクストリーム・クローズアップした映像や接見室のガラス越しに対面する二人をツーショットで撮った画面は、この映画の秀逸な見どころです。
容疑者の三隅は、決して口に出さないものの、暗い翳(かげ)のある足の悪い被害者の娘咲江(広瀬すず)に幸a0212807_823236.jpg薄い自分の娘と重ね合わせ、彼女が、弁護士重盛の調べにためらいながら答えた「殺された父は、長年私に性的暴行(レイプ)をしてきた人でなしで、三隅さんが、私を助けてくれた」との証言のように咲江の代わり天誅を下したのか、三隅は、弁護士に無断で週刊誌の取材に応じ保険金8千万円の掛けられた被害者を週刊誌スクープ記事のように妻(斎藤由美)の依頼で殺したのか、さらに裁判が、佳境に入ると突然「本当は、殺していない」と主張し始め供述(動機)を二転三転、ころころa0212807_83215.jpg変える三隅にイラ立つ裁判長(井上肇)や検察官(市川実日子)、その度に奔走する新人弁護士(軒弁の)川島(満島真之介)など演技の上手い出演者たちが、三度目の殺人容疑者三隅の役所広司と初めて真相を知りたいと思う弁護士重盛の福山雅治をしっかり支えています。
弁護士の重盛が、容疑者の三隅を称して、ぽつりと独り言で‘空っぽの器’と云うシーンは、裁判所(司法システム)が、加害者と被害者の利害を調整する場所であり、その結果としての罪と罰だけは、存在することを意味しa0212807_855982.jpgていると思います。
裁判は、罪の真相を究明する場所でなく、裁判に真相究明も必要なく必要ともされないという現実の不条理さを是枝監督(左と上写真 3枚、撮影中の是枝監督)が、最新作の法廷心理劇映画「三度目の殺人」で見事に表現し訴えていました。
by blues_rock | 2017-09-13 09:13 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)