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心の時空

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a day in my life

<   2016年 05月 ( 16 )   > この月の画像一覧

a0212807_15553553.jpg私が、これまで見たカナダ映画の鬼才ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督(1967~)の映画は、「灼熱の魂」、「プリズナーズ」、「複製された男」、「ボーダーライン」と、どの作品もヴィルヌーヴ監督の類稀な才能が、如何なく発揮されたいずれ劣らぬ秀作ばかりです。
今日ご紹介する2000年カナダ映画「渦」(Maelström マエルストローム)は、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が、33歳の時に撮った長編映画2作目の作品ながら秀逸な脚本と演出の手際は、実にお見事で、撮影監督アンドレ・テュルパン(1966~)の斬新な映像と相俟ってカナダ映画の巨匠にして鬼才デヴィッド・クローネンバーグ監督(1943~)を彷彿とさせる個性的な作品です。
a0212807_15563324.png映画は、冒頭から暗く澱んだ怪奇(ホラー)的な雰囲気を漂わせ、魚捌き台の深海魚を想わせるグロテスクな魚が、語り部(ストーリーナレーター)としていきなりスクリーンに登場しフランス語のダミ声で「ある若い女性の物語を始めよう」と観客に語りかけてきます。
a0212807_15575368.jpgこのグロテスクな魚は、映画の随所に語り部として登場、その度に鮮魚店主然とした男にナタで胴体を真っ二つにされながらも‘ある若い女性’の物語を語り続けていきます。
‘ある若い女性’とは、この映画の主人公ビビアンと云う若い女性でファッション関係の実業家です。
彼女の母は、大女優(映画には登場しない)で、投資家の兄ピーター(登場するのは数シーンのみ)が、ビビアンa0212807_161304.jpgの事業を資金面でバックアップしています。
ビビアンを演じるのは、カナダの個性的な名女優マリ=ジョゼ・クローズ(1970~)です。
グロテスクな魚のナレーションが、終わるといきなり主人公ビビアンの妊娠中絶シーンから物語は、始まります。
ビビアンの会社は、経営不振で倒産寸前の危機にあり兄も資金援助を打ち切ると通告して来ました。
ビビアンは、堕胎による体調不良にも関わらずストレスを発散するためバーで酒を飲み酔いながら車を運転してa0212807_1620215.jpg帰る途中、誤って初老の男をはねてしまいました。
気が、動転しパニックになったビビアンは、そのまま走り去りました。
家に帰ったもののビビアンのショックは、大きく不安と良心の呵責さらに交通事故対処の迷いと決断の付かない焦りが、さらなるストレスになりました。
a0212807_16203883.jpg翌朝早く、彼女は、交通事故を起こした現場に戻りますが、人をはねた痕跡もなく警察への通報もありませんでした。
ビビアンの車にはねられた初老の男は、頭から血を流し自宅に帰り台所のイスに座りそのまま息絶えていました。
ビビアンは、警察に自首する勇気もなく、さりとて彼女の不安と焦りが、消えることもありませんでした。
彼女は、死なせてしまった男の葬儀に黙って参列しノルウェー人の息子と出遭いました。
a0212807_16211167.pngマリ=ジョゼ・クローズ演じる‘ある若い女性’のビビアンは、エキセントリックで危うく、語り部のグロテスクな魚が、語る‘世界は前向きにしか進まない’を具現していきます。
この映画のストーリーは、リアリズムそのものながらグロテスクな魚が、背景を喋り、劇中「渦(マエルストローム)」や水の映像が何度も登場、さらに斬新にしてミステリアスなa0212807_16234219.png映像のホラーのような雰囲気が、シュールにして不思議な美しさを醸し出しています。
サウンドトラックの音楽の使い方も上手く、フランスのシャンソン歌手シャルル・アズナブール(1924~ 現在91歳)が、愛を激しく謳いあげる一方で、アメリカのブルース歌手トム・ウェィツ(1949~ 現在67歳)は、低く唸るような声で詩を朗読ようにa0212807_16284146.jpg歌い、その両者のメリハリが、映画に緊張感を持たせ、選曲したヴィルヌーヴ監督の音楽センスの良さも光ります。
この夏から撮影の始まるヴィルヌーヴ監督(左写真)の次回作「ブレードランナーⅡ」が、どんな新ブレードランナーになるのか私は、今から心中ワクワク楽しみにしています。
by blues_rock | 2016-05-31 00:01 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
フランスの名女優 ジュリエット・ビノシュ(1964~ 出演時50歳)とアメリカの新鋭女優 クリステン・スチュワート(1990~ 出演時24歳)の共演を見たくて2014年フランス・スイス・ドイツの合作映画「アクトレス」を見ました。
a0212807_9501399.jpgアメリカの若手女優 クロエ・グレース・モレッツ(1997~ 出演時17歳)が、ジュリエット・ビノシュ演じる往年の大女優にからむ若手人気女優役で出演、やはりと云うか当然と云うか二人の名女優との差は、歴然としていました。
日本公開のタイトル「アクトレス~女たちの舞台」は、まったくいただけません。
映画の原題「Clouds of Sils Maria (シルス・マリアの雲)」とは、スイス、シルス・マリアの山岳地形が、創りだす珍しい自然現象「マローヤの蛇」と呼ばれる雲のこと、さらにシルス・マリアとは、‘マリアの化身’という意味なのだとか、これが、映画の重要なポイントになります。
日本公開のタイトル名「アクトレス(女優) 女たちの舞台」は、ナンセンス極まりなくオリヴィエ・アサヤス監督a0212807_95150100.jpg(1955~ 「夏時間の庭」)の秀逸な脚本(ミステリアスな物語)と見事な演出が、台無しです。
この映画をアクトレス(女優三人)の華やかなドラマとしてご覧になった方は、たぶんあまり面白くなかったろうと推察します。
映画の見かたをがらりと変えプロットどおりシルス・マリアのマローヤ峠をイタリアからスイスに向かって吹いてくa0212807_9523192.jpgる南の湿った風が雲となり、マローヤの谷を蛇のようにくねくねと曲がりながら流れ込んで来る雲「マローヤの蛇」に、きちんとスポットを当てて見るとクリステン・スチュワート演じる役柄は、極めて重要で、シルス・マリア(=マリアの化身)に見えてきます。
この映画は、「マローヤの蛇」の舞台に20年ぶりに出演するためシルス・マリアに向かう大女優のマリア(ジュリa0212807_9563386.jpgエット・ビノシュ)とマリアのマネージャー(個人秘書)ヴァレンティン(クリステン・スチュワート)、世代の離れた女性二人の物語です。
映画の冒頭、マリアは、戯曲「マローヤの蛇」を書いた劇作家、彼女にとって無名女優だった自分を「マローヤの蛇」の舞台に大抜擢してくれた恩人の劇作家が、流れ雲「マローヤの蛇」の見える谷で自殺したと個人秘書のヴァレンティンa0212807_9572672.jpgから聞くところからドラマは、展開して行きます。
シルス・マリアは、文学者のトーマス・マンやマルセル・プルースト、哲学者のニーチェなどが、度々訪れ長期滞在、創作や思索する場所でした。
とくに晩年のニーチェは、シルス・マリアで過ごすことが、多くもしかしたらシルス・マリアの雲「マローヤの蛇」を見て「永劫回帰」のインスピレーションを得たのだとしたら‥いや、そこまで深く考えなくても劇中ヴァレンティンa0212807_9585447.jpgが、独り車を運転してマローヤ峠に差しかかったとき視界ゼロの雲(濃霧)に包まれ精神錯乱するシーンは、意味深長です。
もう一つ、マリアとヴァレンティンが、「マローヤの蛇」を見ようと山に出かけ雲の見える頂に差しかかるとヴァレンティンは、突然怯え、マリアが驚いて振り向くとすでにそこにヴァレンティンの姿は、無く以来二度とマリアの前に現われないシークエンスもミステリアスです。
a0212807_1013483.jpg筋立てに往年の名画「イヴの総て」(1950)を想わせるところが、少しあるものの何と云ったってクリステン・スチュワート演じるヴァレンティン(この役でアメリカ人女優として初めてフランスのセザール賞助演女優賞を受賞、「アリスのままで」の次女役も秀逸)の存在は、重要でした。
撮影監督ヨリック・ル・ソー(1968~)の撮った美しい映像やさらにプロダンション・デザインのフランソワ=ルノー・a0212807_102072.jpgラバルテの役割も大きいと思います。
サウンドトラックに流れるヘンデルほかのバロック音楽が、各シーンにぴったりで、とくに私の好きなパッヘルベルの「カノン」は、マローヤの雲(マローヤの蛇)が、流れるシーンとエンディングの2回流れ祝着至極、うっとりと聴きました。
by blues_rock | 2016-05-29 00:09 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
a0212807_2024107.jpgジャンコ(ginkgo)とは、フランス語発音で‘銀杏(イチョウ)’を意味する Hakata burger & healthy food Restaurantの名前です。 (注:欧米言語で銀杏は、すべて ginkgo)
中洲川端の博多座からさほど遠くない、博多座から呉服町方向へ二本目の道路(土居町通り)を左折して右側に ‘綱場うどん’ が、見えたらそのうどん店の同じビルの2階に ginkgo(ジャンコ)は、あります。
ここで毎月1回(月末月曜日の夜)、蕎麦の会が、催され私は、これまで2回参加しました。
まだ、2回だけの新参者ながら、そのとき食べた蕎麦のおいしかったこと、それもそのはず、飯塚市の「蕎麦切 倭人」オーナーが、蕎麦の会の当日、a0212807_2028995.jpg
博多に出向き蕎麦を饗してくれるからです。
蕎麦切名人から蕎麦の美味しい食べ方‥まず良質な塩を蕎麦にパラパラとかけて食べる、ワサビはツユに入れないで蕎麦に付けて食べる、などを教わりながらコシのある食感爽やかな大盛蕎麦を2枚もいただき、目からウロコの蕎麦の会でした。
ginkgo(ジャンコ)のもう一つの特長は、オーナーが、自分の好みで選ばれた食器類のセンスの良さにあります。
古い有田磁器(古伊万里や明治・大正・昭和初期のころ)や趣味の好いヨーロッパの磁器などで供された器を眺めつつ食事するのも一興かもしれません。
友、遠方(ロンドン)より来たる」の友人と中洲川端の焼き鳥屋に行った後、ハシゴした店が、ginkgo(ジャンコ)です。
by blues_rock | 2016-05-27 00:07 | 柏原生活/博多叙景 | Comments(0)
アメリカの映画監督デヴィッド・ゴードン・グリーン(1975~)の作品を見るのは、この2013年映画「グランド・ジョー」が、初めてです。
アメリカのベテラン俳優ニコラス・ケイジ(1964~)と新鋭俳優のタイ・シェリダン(1996~「ツリー・オブ・ライフ」、a0212807_1722793.jpgMUD マッド」の少年役は秀逸)が、共演した映画「グランド・ジョー(Joe)」は、なかなか秀作で、グリーン監督の優れた演出能力を感じる作品でした。
私は、今までニコラス・ケイジの出演した映画(彼は俳優として年3、4本ペースと多い)を少なからず見ていますが、非凡な俳優(アカデミー賞主演男優賞を受賞しているので名優の一人)なのか、平凡な俳優(見るに堪えないB級映画にも出演する三流役者)なのかよく分からない不思議な俳優です。
一方、新鋭のタイ・シェリダンは、子役として出演した作品が、監督ならびに脚本に恵まれたこともあり演技者として高い評価を得ており、この「グランド・ジョー」でも酒乱の父親による容赦ない暴力に耐えながら必死で家族を守る不遇な少年役を名演しヴェネチア国際映画祭でマルチェロ・マストロヤンニ賞(新人俳優賞)を受賞しました。
a0212807_17274023.jpg注目すべき出演者は、酒乱で暴力を振るう父親を怪演したゲイリー・ポールター(1959~2013)です。
ゲイリー・ポールターは、本物のホームレスからキャスティングされた演技経験のない素人ながら、その自堕落な‘迫真の演技(人間性の破滅した実在感)’が、すばらしく(見ている者が彼の非人間性に怒りを覚えるくらい上手い)、彼は、映画の撮影が、終了するとまたホームレスになり、映画公開の前にホームレス収容キャンプの浅瀬で溺死体で発見されました。
a0212807_17282720.jpgさて、映画のストーリーですが、アメリカ南部の寂れた田舎町で暮らすジョー(ニコラス・ケイジ、この役は彼の最高傑作と思います)は、荒くれの前科者ながら地元で日雇いの労働者を雇い林業の下請け(古い松の木を薬品で枯らす仕事)に専念していました。
ある日、ジョーは、仕事を探しているという15歳の少年ゲイリー(タイ・シェリダン)を雇いました。
少年の家は、極貧で生活費である少年の給料が、丸ごと酒に酔い暴力を振るう父親(ゲイリー・ポールター)にa0212807_17324789.jpg奪われていることをジョーは、やがて知りますが、見て見ぬふりをしていました。
映画では、アメリカ南部の閉塞した貧困社会、その鬱屈し歪んだ環境の中で暮らす人びとの荒んだ日常が、ドキュメンタリーのように淡々と描かれていきます。
生活のため日雇い労働者として古い松林に枯葉剤の液剤を散布し松の木を痛めつけるのと同じように映画に登場する南部の人物たちもまた現実に痛めつけられていました。
a0212807_17331869.jpgそんな現実に抗いながら爆発しそうになる感情を抑え、前科者の過去を捨て額に汗し真面目に生きようとするジョーは、鬼畜のような父親から虐げられる母親や酒代のため売られそうになる妹を守るため必死になっているゲイリーを見て、若いころ自棄を起こし激情に任せた暴力事件で服役した自分の二の舞にならないよう彼の面倒を見るようになりました。
劇中、たびたび出て来る暴力シーン(簡単に人が殺される)が、見ている者の気持ちを暗くやり切れなくさせるだa0212807_1734072.pngけに、荒くれ者ジョーとゲイリー少年の友情、ゲイリーの虐げられた家族への愚直な愛は、歪んだアメリカ社会の醜悪な暗部を照らす希望として見ている者の心を救います。
デヴィッド・ゴードン・グリーン監督の「グランド・ジョー(Joe)」は、クリント・イーストウッド監督の2009年作品「グラン・トリノ」と映画のプロット(社会正義の継承精神)が、重なりアメリカ映画の秀作として高く評価したいと思います。
a0212807_1735621.jpgアメリカ南部の狂気と退廃が、アメリカの一流芸術作品(映画・文学など)を生みだすという現代アメリカ社会の皮肉は、単にブラック・ジョークとして片付けられない根源的に歪み病んだ精神構造と文明の問題点を孕んでいるように思います。
by blues_rock | 2016-05-25 00:05 | 映画(シネマの世界) | Comments(2)
a0212807_10181522.jpg私が、初めて知るイタリアのベテラン監督プピ・アヴァティ(1938~)の2008年作品「ボローニャの夕暮れ」を見ました。
ボローニャには、1088年創設(現在ある大学では世界最古)のボローニャ大学があります。
アヴァティ監督は、ボローニャとその郊外を舞台に1938年から1946年までの第2次世界大戦前夜の不穏な社会情勢の中で生きた親子三人の物語をセピア色のトーンで描き、当時の時代背景をリアル(イタリア映画のネオリアリズモは健在)に映し出しています。
映画は、父と母そして娘の家族三人のシリアスな深層心理をめぐる人間ドラマなので原題である「ジョヴァンナのパパ」のほうが、プロットに合っていると思いました。
高校の美術教師ミケーレ(シルヴィオ・オルランド 1957~ 主人公のミケーレ役でヴェネチア国際映画祭主演男優賞受賞)は、美しい妻デリア(フランチェスカ・ネリ 1964~)と17歳になる高校生の一人娘ジョヴァンナ(アルバ・ロルヴァケル 1979~ 「やがて来たる者へ」のベニャミーナ役は秀逸)と三人、家族にとって‘不幸な事件’が、起きるまで貧しくも慎ましく幸せに暮らしていました。
a0212807_10211363.jpg美術教師の父ミケーレは、家族に献身的で一人娘ジョヴァンナを溺愛(盲愛)し、愛する妻デリアにも頭の上がらない優柔不断な傍目には、心やさしい夫でした。
ジョヴァンナの母デリアは、夫ミケーレに愛されながらいつもどこかツンケンとよそよそしく、娘のジョヴァンナに接する態度も冷淡でした。
17歳のジョヴァンナは、陰気(内気な)性格で友だちも少なく情緒不安定になると奇異な行動をしました。
母デリアは、娘ジョヴァンナが、精神疾患(ヒステリー)を抱えていることを知っていました。
a0212807_10275570.jpg父ミケーレの心配ごとは、自分の高校に通うジョヴァンナが、いつも一人でいることでした。
父としてミケーレは、孤独なジョヴァンナに年ごろの娘らしい思いをさせてやりたいと彼女が、淡い恋心を抱く女生徒から人気のある落第しそうな男子生徒に「ジョヴァンナと付き合ってくれたら進級させる」と教師として秘密の約束をしました。
父ミケーレは、妻デリアの‘ジョヴァンナは普通の娘(こ)と違う’との忠告も聞き流し(無視し)娘の内気な性格のためと信じていました。
a0212807_10314312.jpgジョヴァンナは、男子生徒が、自分に好意をもっていると信じ彼女は、男子生徒に執着、付きまとうようになりました。
ジョヴァンナは、数少ない友だちとして同級生にマルチェラという女子生徒が、いました。
男子生徒が、好意を持っていたのは、マルチェラでした。
ある日、マルチェラは、体育館の物置で殺され血を流して死んでいました。
犯人は、ジョヴァンナで、男子生徒が、ジョヴァンナと付き合ったのは、教師の父ミケーレから進級を条件に交際a0212807_10365193.jpgするよう言われたからだとマルチェラに告げていました。
殺人犯として逮捕されたジョヴァンナに、友人を殺したという認識(殺人の自覚)はおろか罪の意識が、まったくなく、男子生徒への執着は、逮捕された後も続いていました。
ここまでが前半で映画は、後半前述のとおり親子三人の三者三様な‘心理劇’が、展開していきます。
殺人罪で裁判にかけられたジョヴァンナに自分の状況を理解する能力が、なく精神鑑定の結果、無罪となりa0212807_1045832.jpgボローニャから遠く離れた精神病院に送致されました。
教師免職となった父ミケーレは、妻デリアと別れジョヴァンナの居る精神病院近くの村に移り住み娘ジョヴァンナを見守りました。
母デリアは、娘ジョヴァンナとの面会を拒否しますが、ジョヴァンナは、一途に母親との面会を求めます。
娘ジョヴァンナの精神疾患(ヒステリー症状と精神不安定)は、父ミケーレと自分を愛さない美しい母親への劣等感a0212807_10455262.jpg(潜在意識)にあり、ジョヴァンナの殺人の動機は、家族や友だちから愛される美しいマルチェラと母デリアが、重なったことでした。
1946年、戦争が、終わりジョヴァンナは、退院を許され父ミケーレとボローニャの旧いアパートへ帰りました。
ここから映画ラストまでの父ミケーレと娘ジョヴァンナそして母デリアとの緊迫した心理ドラマは、必見です。
by blues_rock | 2016-05-23 00:03 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
くっきりと目跡のある古唐津 陶片は、物原(ものはら)から発掘されたそのままでも野趣豊かで風情あるものですが、この三つの陶片は、側縁部にそれぞれ青貝・銅(ブロンズ)・銀を蒔いて梨子地漆で仕上げました。
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三つとも高台のある陶片なので、刻苧(こくそ)で器を形成し茶碗なり皿なりにすることもできますが、底の部分だけ残す高台なので刻苧元年の私にはムリと判断し梨子地漆による青貝・銅(ブロンズ)・銀直しにしました。
a0212807_1253239.jpg小皿代わりの薬味入れか干菓子皿にするのも面白いかもしれません。
ユーズドショップで見つけた焼き杉盆で初‘拭き漆’に挑戦しました。
拭き漆のコツは、生漆を沁み込ませた綿布でとにかく何度も拭くこと‥初心者なので結果オーライながら“トライして初めて気付くこと、分かること”数多く、反省点は、最初にペーパー砥ぎ(120番・240番・800番)しなかったこと、サビ漆で目止めしなかったことです。
とくに材質の柔らかい杉なので、やはりこの二つは、丁寧に下地作りをしておくべきでした。   (下写真 : 拭漆焼杉盆と黒薩摩筒茶碗
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もう少し漆の艶(光沢)が、欲しいところながら漆の乾き具合(漆が完全に乾くのは半年から一年後)を見ながら気長にトライしたいと思います。
by blues_rock | 2016-05-21 00:01 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(2)
スウェーデン映画の奇才ロイ・アンダーソン監督(1943~)については、先日のシネマの世界「さよなら、人類」で紹介しましたが、その「さよなら、人類」は、アンダーソン監督が、25年ぶりに長編映画を撮った“リビング・トリロa0212807_1332582.jpgジー(生きていくこと三部作)”の完結編でした。
これに先立つ2000年にリビング・トリロジー第1作として発表した「散歩する惑星」(カンヌ国際映画祭審査員賞受賞)は、構想20年、製作4年の超大作(と云ってもピンと来ないかもしれません)です。
しかし、ハリウッドのような大ジカケの超大作映画ではなく見る者は、良く注意して見ていないと分かりません。
映画の舞台は、不条理な出来事が、次々と起きるある惑星です。
そこに暮らす人びとのうえに不幸な出来事が、絶えず起き、それに憔悴した人たちは、家族のことなどそっちのけでエゴ剥き出しにして自分の苦悩から我先に逃げ出そうとa0212807_13383384.jpgしていました。
アンダーソン監督の脚本と演出は、ブラックユーモアとコミカルなギャグを満載しながら風刺精神(エスプリ)にとんでおり、現代文明と人間社会を辛辣に批評しています。
アンダーソン監督のリビング・トリロジーに登場する人物たちは、老若男女皆な ‘どこかヘン’、何をやっても素っ頓狂でトンチンカン、いつもどこかずれa0212807_133925100.jpgた人たちです。
リビング・トリロジー三作品に共通することですが、映画の全シーン、カメラを固定し長回し( 1シーン=1カット)で撮影、背景などプロダクション・デザインは、すべてスタジオ内での撮影(超大作になるはずです)ですから驚きです。
a0212807_14294373.jpg2007年発表のリビング・トリロジー第2作「愛おしき隣人」では、北欧のとある町で暮らす人たちの日常を描いたブラックユーモア満載の辛辣なギャグ・コメディ映画です。
第2作「愛おしき隣人」に登場する人物たちも全員すること成すこと ‘とてもヘン’で、やはり素っ頓狂で可笑しな人たちです。
愛おしき隣人たちの一人ひとりについての素っ頓狂でトンチンカンな短いエピソードが、それぞれ長回しのシーンで次から次に、何の脈略もなく無秩序に続き、中にはつい見過ごしてしまいそうな控えめなギャグもあり(この控えめなギャグもなかなか面白い)まったりとした不条理なストーリーに少し退屈しなa0212807_14303343.jpgがらも‥もう少しもう少しと見続け気が付いたらエンドロールに入っていたと云うような傑作な映画です。
「愛おしき隣人」のラスト‥北欧のとこかの町の上空高くB52のような重爆撃機 数十機の編隊が、飛行していく様は、不気味で異様、これが何を意味するものなのか、アンダーソン監督の意味深長な胸中を知りたいものです。
a0212807_1431861.jpgもうひとつ、“リビング・トリロジー”の三部作に登場する複数の主人公それも男性たちの顔が、白く塗られ‥ギリシャ悲劇か日本の歌舞伎からの影響(ヒント)なのか、どことなく不気味でゾンビのよう、これもアンダーソン監督演出の人類への辛辣なメッセージを込めたブラックユーモアでしょう。
by blues_rock | 2016-05-19 00:09 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
「トライブ(Tribe)」とは、種族という意味の英語です。
2014年ウクライナ映画「ザ・トライブ」に登場する人たち全員が、聾唖者でセリフ(会話=コミュニケーション)は、すべてa0212807_10595498.jpg手話、映画に字幕や音楽(サウンドトラック)がなく、聴こえて来るのは、自然の音と人間の生活音だけと云う前代未聞の不思議な佳作映画でした。
監督・脚本は、ウクライナの新人監督ミロスラヴ・スラボシュピツキー(1974~)でこの「ザ・トライブ」が、長編映画デビュー作品です。
製作・撮影・編集は、アンジェイ・ワイダ映画スクール出身でドキュメンタリー作家のヴァレンチヌ・ヴァシャノヴィチ(1971~)が、担っています。
映画は、聾唖の少年セルゲイ(グリゴリー・フェセンコ 1994~ 映画初出演、ストリートチルドレンの出自)が、路面電車を降り聾唖の寄宿学校へ向かうところから始まります。
聾唖学校には、教師・生徒・用務員などと大勢の人たちが、いるのに人間の声のまったくしない健常者には、異a0212807_1134732.jpg様と映る聾唖学校独特の(特徴的な)閉塞感が、次第に漂い始めます。
セルゲイは、トライブリーダーの愛人でイタリア行きの偽造パスポートを手に入れるため売春している少女アナ(ヤナ・ノヴィコヴァ 1993~ スラボシュピツキー監督に見出され映画初出演ながらオールヌード、激しいセックスシーン、闇の妊娠中絶シーンと体当たりで熱演)と知り合いa0212807_112344.jpgアナに恋をしました。
やがて映画を見ている者は、聾唖者寄宿学校にトライブ(種族)という序列(ヒエラルキー)の厳しい犯罪組織があり、窃盗や売春など社会悪の温床になっていることを知ります。
この様子をスラボシュピツキー監督とヴァシャノヴィチ撮影監督は、手持ちカメラの長回しによりドキュメンタリー映像を撮るようにa0212807_1144657.jpg
演出し、撮影しています。
登場人物は、全員聾唖者で、彼らの背景や心理(感情や心情)描写について一切説明がなく、彼らの手話や身振り手振り、顔の表情、眼差しなどで、見る者は、スクリーンに映る彼らをじっと見ながら聾唖者の彼らと向き合い、彼らに何が起きているかを想像し理解して行くと云う初めてa0212807_1181189.jpgの映画観賞体験に身を委ねるしかありません。
映画の終盤、アナが、売春で蓄えた資金でやっと偽造パスポートを手に入れイタリアへ行こうとした矢先、アナを手放したくないセルゲイは、彼女からパスポートを取りあげ喰いちぎりズタズタにしてしまいます。
トライブのリーダーと手下たちは、セルゲイを袋叩きにし、瀕死の重傷を負わせますが‥ラスト、今度は、セルゲイによる過激な報復バイオレンスシーンでエンディングになります。
a0212807_11121444.jpg「ザ・トライブ」は、R18+の映倫指定(18歳未満入場禁止)ながらスラボシュピツキー監督が、意識して演出したのか、映画プロットのコアなシーンである‘暴力(バオレンス)とセックス’の描写にリアリティ(生々しさ)が、欠けており(演出の手加減を感じ)私は、もっと生々しく大胆で良かったのではないかと残念に思いました。
by blues_rock | 2016-05-17 00:07 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
a0212807_1505257.jpg先月の4月7日、3月~4月期間限定の「カンジャンケジャン(ワタリガニの醤油漬け)」を食べに韓国ビストロ「7階のナム」に行きました。
私の韓国料理と云えば、単純でキムチ、ナムル、焼肉、チヂミ、ヒビンバ、クッパ、冷麺くらい、4月上旬に「7階のナム」で初めて食べたのが、鮮度の良い生ワタリガニを醤油に漬け込んだ韓国料理カンジャンケジャンでした。
a0212807_1513958.jpgメニューには、他にもスペアリブ鍋(カムジャタン)、ニラたくさんチヂミや韓国海苔いっぱいチヂミ、もずくのチヂミなどチヂミの種類も豊富、白菜キムチも日本人向けに減塩されまろやかな味、珍しいエゴマの葉っぱキムチもありどれも私には、新鮮で美味しく感激しました。
a0212807_132061.jpgオーナーシェフの韓国女性チョン ソンウン(全 性恨)さんは、韓国の大学を卒業後、イギリスのル・コルドン・ブルー( Le Cordon Bleu London )に留学しフランス料理を学び帰国、韓国でカフェ&ビストロを経営していましたが心機一転今度は、日本料理を学ぶため来日、a0212807_133444.jpg福岡市の中村調理師専門学校に入学し2010年に卒業後、薬院に韓国ビストロ「7階のナム」をオープンしました。
薬院大通り駅前交差点すぐ(東北へ20㍍)のリアン薬院ビル7階、エレベーターで7階に昇がるともう「7階のナム」の店内です。
メニューは、野菜中心の韓国料理ながら魚介類や肉料理もあり、オーナーシェフ チョンさんの料理センスあふれる繊細な‘コリアン・ヌーベル・キューa0212807_1535913.jpgジンヌ’の美味しい料理が、食べる人の心をハッピィにします。
チョン シェフの和風、洋風にアレンジしたオリジナル韓国料理は、なかなかの人気なので念のため予約されるか、一応電話で確認されたほうが、良いでしょう。
「マシッタ(美味しい)」と言うとニッコリ微笑むチョンさんの‘はにかみ笑顔’もチャーミングです。
by blues_rock | 2016-05-15 00:05 | 柏原生活/博多叙景 | Comments(0)
今夜は、日本の小説家 小川洋子(1962~、2006年日本映画「博士の愛した数式」の原作者)の小説「薬指の標本」を原作にしてフランスの女性監督ディアーヌ・ベルトラン(1951~)が、脚本・監督した2005年のフランス映画「薬指の標本」(原題「Annulaire 薬指」)を紹介します。
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この映画の見どころは、主人公の女性イリスを演じるフランスの女優オルガ・キュレンコ(1979~ 出演時26歳)が、女優デビュー(映画初出演)した初々しい姿(とその美貌)でしょう。
ウクライナ出身のオルガ・キュレンコは、十代でパリのトップモデルとなり、超売れっ子のとき女優に転身、この
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ベルトラン監督映画「薬指の標本」が、女優オルガ・キュレンコの映画デビュー作品です。
現在フランス国籍を取得し6か国語に堪能なことからスパイ映画、アクション映画の主演女優として(共演含め)引っ張りだこのフランスを代表する国際女優となりました。
a0212807_0474829.jpgこの「薬指の標本」は、ベルトラン監督のレトロカラーによる幻想的かつ耽美的な映像と演出が、何とも印象的な映画でホラーなのかミステリーなのか、はたまたラブストーリーなのか‥とにかく若くて美しい‘オルガ・キュレンコ’を楽しむ映画です。
物語は、フランス片田舎の飲料工場で働いていたイリスは、ビンの流れるラインに薬指の先を挟み失いました。
a0212807_0492686.jpg工場を辞めたイリスは、街外れにある標本研究所の玄関に貼られた事務員募集を見て何でも標本にする標本技師(マルク・バルベ 1961~)の面接を受けました。
採用されたイリスは、標本技師からワイン色の赤い靴(パンプス)をプレゼントされ、彼から研究所にいるときは、この赤い靴を履いておくよう云われました。
その昔女子寮であったという標本研究所の建物は、廃墟のようなビルで標本技師のほかイリス一人が、働くだけ、事務所は、蒸し暑く空調設備がなく、標本室も湿っぽくてかび臭い部屋でした。
a0212807_053365.jpg部屋のむしむしする暑さと湿度は、汗でイリスの皮膚や髪、うなじを濡らしイリスの白い肌が、シャツを透けて見えるシーンは、エロティックで美しい映像です。
標本研究所を訪れる客は、有形無形の人生で欠け代えのない最も大切なものを標本にして保管して欲しいと訪ねて来ました。
イリスは、ある日、標本室で自分が、履いている赤い靴と同じものを履いている少女の写真を発見しました。
a0212807_05521100.jpg昔、女子寮当時の色褪せた記念写真もあり最後列の左隅に標本技師らしき人物の姿が、写っていました。
映画のサウンド・トラックにイギリスの女性歌手ベス・ギボンスが、囁(ささや)くように、呟(つぶや)くように歌うシャンソンと抒情的なピアノの旋律は、物語の展開と相俟ってミステリアスして甘美なエロティシズムを醸し出していきます。
a0212807_0581435.jpgイリスに絡む登場人物は、他にも何人かいますが、赤い靴を標本技師のフェティズムの象徴として描き、赤い靴を履いた女は、やがて標本技師と離れ難い運命になることを暗示しています。
イリスは、標本技師に自分の傷付いた薬指を標本にしてくれるよう頼みました。
a0212807_0591451.jpg時おり謎めいた少年が、イリスの前に現われ彼女を観察しているようなシーンは、少年のころの標本技師なのか‥この謎めいた少年の出現が、この映画にホラーのような雰囲気を漂わせています。
by blues_rock | 2016-05-13 00:03 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)