ブログトップ | ログイン

心の時空

yansue.exblog.jp

a day in my life

<   2015年 09月 ( 16 )   > この月の画像一覧

a0212807_211691.jpg先日の日本経済聞朝刊(文化欄 コラム「破格の陶芸」)に‘古瀬戸筒茶碗 銘「呼継」’(右写真 永青文庫所蔵)についての記事がありました。
この古瀬戸筒茶碗は、織田有楽斎(利休の弟子、織田信長の弟)、細川三斎(利休の弟子、肥後細川家初代細川忠興、細川ガラシャは正室)と伝承された日本最古の‘呼び継ぎ’茶碗銘(室町時代と推定)です。
古瀬戸筒茶碗の欠けたところに中国(南京染付)磁器片を継ぐという大胆な発想に茶の湯に精通した古(いにしえ)の数寄者たちの優れた美意識を感じます。
この‘呼び継ぎ’の技法自体、超難度のテクニックを要する技術ではありませんので、やはり讃えるべきは、それを破格の美として評価した先人の感性(センス)にあります。 (下写真:古志野呼継筒茶碗 銘「五十三次」‥すばらしい! 見事な出来映えの呼継茶碗です。)
a0212807_2134831.jpg古の茶人は、気に入った茶の湯道具(茶碗、花器、水指など)の欠けや割れを自然なものとして受け入れ、破れたり、壊れたりした陶器を補い直し、それを景色に見立て新しい破格の美として愛でました。
欧州では、絵画・彫刻など古美術品の傷や亀裂の修復は、その疵や傷みをできるだけ分からないように隠す技術にあります。
損傷をはっきり見せる日本の美意識と損傷を分からないよう元どおりに修復する欧州の美意識‥私は、日本伝来の「侘びと寂びの文化」を理解するヒントが、ここにあるように思います。
by blues_rock | 2015-09-30 00:30 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
日本映画界で類稀な奇才ぶりを発揮したのが、伊丹十三監督(1933~1997没、享年64才、不審死)です。
警察は、死因を‘飛び降り自殺’と発表しましたが、私は、間違いなく暴力団による暗殺と思っています。
a0212807_263630.jpg
生前の伊丹監督は、様々な分野に造詣深くマルチな才能を発揮しました。
1984年マルチ才能人の伊丹十三は、「お葬式」で長編映画監督デビュー、その年の映画賞を総ナメにしa0212807_282536.png大ヒット映画になりました。
翌年の1985年、伊丹監督が、第2作目の作品として発表したのは、異色作「たんぽぽ」という‘ラーメンウエスタン’で、そのユーモア精神とパロディならびにギャグ満載のコメディ映画でした。
イタリア映画のマカロニウエスタンを元ネタに伊丹監督らしいマニヤックな演出で国内外の映画ファンを唸らせましたが、映画興行a0212807_291041.jpgとしては、成功しませんでした。
しかし、海外の映画ファンには、大好評で、とくにアメリカでは、日本映画としての興行成績が、歴代第2位という大ヒットでした。
この「タンポポ」を見たのが、きっかけで日本に興味を覚え来日する、実際東京でラーメン店を開く外国人もいたくらい大きな海外の反響でした。
アメリカの映画監督ジョン・ファヴロー(1966~ 俳優・プロデューサー)は、「たんぽぽ」からインスピレーションをa0212807_2114277.jpg得て新作を自主制作し映画「シェフ」を発表しました。
映画の本筋は、街の片隅にある寂れたラーメン屋にふらりと立ち寄ったタンクローリーの運転手(山崎努 1936~)と相棒(渡辺謙 1959~)が、女主人(宮本信子 1945~)を助け街一番のラーメン屋にして立ち去っていくというベタなストーリーながら、本筋と関係なく‘食のエピソード’のa0212807_2132132.jpgシークエンスを唐突に挿入、その斬新な構成と伊丹監督の自由自在な演出にただ脱帽です。
映画のエピソードをいくつか紹介すると、まず映画冒頭に登場する白服の男(役所広司 1956~)と情婦(黒田福美 1956~)の「食と性」で二人のエロチックなシーンは、口移しで生卵の黄身を崩さず何度もやりとりするカットなどポルノ真っ青なシーa0212807_214633.jpgンです。
海辺の若い海女(洞口依子 1965~)から買った生牡蠣を食べ、牡蠣殻で切った唇の血をその若い海女が唇を舐めるようにキスするシーンもエロチックです。
ラーメンの由緒正しい食べ方を教える老人(大友柳太朗 1912~1985)が、登場したり、高級レストランでスパゲッティの食べ方マナーを生徒に講義する先生(岡田茉莉a0212807_2144371.jpg子 1933~)の傍らでズズズッー、ズズズッーとスパゲッティを啜(すす)って食べる外国人(アンドレ・ルコント 1932~1999、「ルコント」オーナーパティシエ)いたり、顧客接待でフランス語メニューの読めない顧客と上司が、当たり障りのない料理や安いワインを注文するのに、フランス語は読めるが、空気の読めない新米社員は、高級料理や高級ワインを次々にオーダーするシーンなどゲラゲラ笑えます。
a0212807_2152556.jpg食の細いラーメン屋の息子にホームレスのシェフが、リストラされたレストランに夜忍び込み本物のオムライス(伊丹監督発案のレシピで現在このオムライスは日本橋「たいめいけん」の名物メニュー)を作って食べさせるシーン、アイスクリームをじっと見ている自然食だけの子供にタンクローリーの運転手が、自分のアイスクリームをあげるシーン、食品店の柔らかい商品だけ触り回る老婆(原泉 1905~1989)とそa0212807_216870.jpgれを見張る店長(津川雅彦 1940~)との追っかけっこ、有名大学教授を装うスリに北京ダックを奢(おご)りニセ投資話で騙そうとする詐欺師のエピソード、幼い子供たちを抱える男が、危篤の妻にどう声をかけて良いか分からずチャーハンを作らせるシーンなど悲喜交々のエピソードが、本筋に13話挿入されます。
a0212807_2164933.jpg映画のラスト‥クレジットロールの背景に映し出される「授乳」が、人間にとって最初の食事であり、これこそが、食の原点であるという伊丹監督のメッセージと私は、受け取りました。
エキストラと思われる公園で授乳する母親と赤ん坊の名前もちゃんと出演者クレジットにあり、さすが伊丹監督とその細やかな気配りに感心しました。
映画のサウンドトラックにさり気なくリストやマーラーを流す音楽センスもいいですねえ。
by blues_rock | 2015-09-29 02:09 | 映画(シネマの世界) | Comments(3)
ロックに熱狂していた頃の私は、「影を慕いて」などの旧い歌が、キライでした。(‥と云うより、聴かずギライなだけでしたが、今でも軍歌と演歌は、生理に合わずダメですね。)
私が、働く高齢者介護施設「森の家」ご利用になる大正末期から昭和初め生まれの方々と一緒に‘昭和歌謡’(YouTube)を聴いて歌ううち「りんごの唄」と「影を慕いて」にとても感動を覚えるようになりました。
a0212807_1221091.jpg
「影を慕いて」は、1928年(昭和3年)の夏、古賀政男(1904~1978没、享年73才)が、明治大学の学生のときに作詞・作曲した名曲です。
昭和3年の秋、古賀政男は、創設された明治大学マンドリン倶楽部の演奏会で発表するため当時の人気歌手佐藤千夜子に歌ってもらおうと依頼しました。    (上・中・下の写真:九州ロマンチック街道からの転載)
a0212807_1223975.jpg
ダレも大学生の演奏発表会に出演してくれると思っていませんでしたが、古賀政男の熱意にうたれた彼女は、無償(ノーギャラ)で出演し歌いました。
佐藤千夜子の歌う「影を慕いて」は、好評で昭和5年(1930年)にレコード化、だが大ヒットしたのは、昭和7年(1932)当時まだ、東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)の声楽科学生であった藤山一郎が、ベルカ
a0212807_123359.jpg
ント(美声、声量、歌唱術、表現力のある声楽法)で歌った「影を慕いて」(こちら)でした。
古賀政男は、生涯5,000余りの歌謡曲を発表していますが、その端正にして哀切なメロディから‘古賀メロディ’と称賛されました。
この「影を慕いて」を作詞作曲した当時、古賀政男は、まだ23歳の大学生でした。
a0212807_1211161.jpg
離婚歴(当時女性の離婚は重たく不幸)のある年上の女性への失恋の痛手、さらに自分を取り巻く人生への不安と失意も重なり、宮城県蔵王山中で自殺を計り未遂、その深い心の疵が、作らせた名曲中の名曲です。
それにしても若い古賀政男の何という切ない‘諦観と憂愁’でしょう。
古賀政男が、吐露するように歌う切ない想いを絞り出すような「影を慕いて」(こちら)もまた心に沁み入ります。
a0212807_1216443.jpg
  影を慕いて    古賀政男 作詞・作曲

まぼろしの 影を慕いて雨に日に  
月にやるせぬ 我が思い
つつめば燃ゆる 胸の火に
身は焦れつつ 忍び泣く

わびしさよ せめて傷心(いたみ)のなぐさめに
ギターを取りて 爪弾(つまび)けば
どこまで時雨(しぐれ) ゆく秋ぞ
振音(トレモロ)寂し 身は悲し

君故に 永き人生(ひとよ)を霜枯れて
永遠(とわ)に春見ぬ 我が運命(さだめ)
ながろうべきか 空蝉(うつせみ)の
儚(はかな)き影よ 我が恋よ
by blues_rock | 2015-09-27 00:07 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(2)
a0212807_1515212.jpg長い間新作を発表せずに沈黙を続けていたアレハンドロ・ホドロフスキー監督(1929~)が、23年ぶり、85歳のときに撮った‘シュールレアリスムな自伝’とも云える2014年日本公開作品「リアリティのダンス」(チリ・フランス合作)に私は、感動し異才ホドロフスキー監督の面目躍如、老いてなお衰えないその才気あふれる才能に驚きました。
ブラックユーモアに満ちた絶対権力(軍事政権の弾圧、独裁者の暴力)への嫌悪感、寓話のような映像表現は、どこかフォルカー・シュレンドルフ監督の「ブリキの太鼓」を連想させるホドロフスキー監督の新作映画でした。
映画は、冒頭金貨の落ちるシーンにベニー・グッドマン楽団のスイングジャズ「シング・シング・シング」が、重なりアレハンドロ・ホドロフスキー監督自らお金について語るところから始まります。
1920年代、軍事政権下のチリを舞台に子供のアレハンドロ(イェレミアス・ハースコヴィッツ)は、ウクライナ移民a0212807_1510397.jpgでユダヤ人の両親、雑貨商(ウクライナ商会)を営む元サーカス芸人の父ハイメ(ブロンティス・ホドロフスキー1962~ ホドロフスキー監督の長男)と、金髪カツラの息子アレハンドロを父と信じる母サラ(パメラ・フローレス チリのオペラ歌手、劇中の全セリフはすべてオペラ)と海辺の田舎町で暮らしていました。
アレハンドロは、スターリンの権威的暴力的な共産主義を信奉する父、アレハンドロを自分の父の生まれ変わりa0212807_1512394.jpgと信じる母に愛されながらも、いつも一人ぼっちでした。
さらにウクライナ出身のユダヤ人であるアレハンドロは、色が白く鼻高であるため学校の生徒たちからピノキオと呼ばれ虐められていました。
ウクライナ商会の経営者なので多少裕福ながらも共産党員である父ハイメは、同志たちと密かにチリの独裁者イバニェス大統領の暗殺を計画していました。
ある日、父ハイメは、妻サラと息子のアレハンドロを田舎町に残し首都サンチャゴに向かいました。
a0212807_15141239.jpg犬の仮装大会に紛れこんだハイメは、自分の意に反し、偶然大統領の命を救ったことから大統領に気に入られ大統領の愛馬を飼育管理する役に抜擢されました。
やがて大統領の愛馬が、病死する(真相は、ハイネが、馬に毒草を食べさせ殺した)とハイメは、首都サンチャゴを離れチリ国内を放浪しました。
各地でいろいろな出来事に出遭い記憶喪失、チリに駐在するナチスからの拷問、逃亡してイス職人に弟子入りa0212807_15492550.jpgするなどしてハイメは、家族の待つ田舎町に帰りました。
ホドロフスキー監督自ら映画(スクリーン)に度々登場、自分の少年時代と愛する家族への想いを熱く語りながらチリの鮮やかな景色を背景にしてリアルと空想(シュール)を交差させファンタジックな寓話のように描いています。
a0212807_15502984.jpg青い空、海の黒い砂浜、サーカス小屋と団員たち、波打ちぎわの魚群、青い服に赤い靴など映像が、実に色彩豊かですばらしく、フランスのベテラン撮影監督ジャン=マリー・ドルージュ(1959~ 「クリクリのいた夏」・「画家と庭師とカンパーニュ」など)の映像センスは、さすがです。
ホドロフスキー監督の5男(末っ子)アダンも長男ブロンティスと共に出演、イバニェス大統領を暗殺しようとするアナキスト役を演じ同時に音楽監督を務めています。
劇中、ホドロフスキー監督の思索的な表現も多く、父ハイメが、鉱石を運搬するカゴを指し「荷カゴは、魂を運ぶ人間の体と同じものだ。」とアレハンa0212807_15171019.jpgドロを諭し、また臆病な彼に「神はいない。 死んだら腐って、それで終わりだ。」と言い捨てて、実存主義哲学を教えるシーンも私の印象に残りました。
by blues_rock | 2015-09-25 00:05 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
a0212807_22425412.jpgチリの映画監督アレハンドロ・ホドロフスキー監督(1929~)の作品数は、少ないものの生きた伝説となった映画監督です。
とくに監督・脚本・主演・音楽を一人で担い撮影した1971年作品「エル・トポ」のインパクトは、強烈でした。
この映画を見たジョン・レノンは、アレハンドロ・ホドロフスキー監督作品の虜(とりこ)になり、「エル・トポ」と当時まだ企画段階の1973年作品「ホーリー・マウンテン」の配給権を45万ドルで取得したというエピソードが、あるくらいホドロフスキー監督は、斬新で個性的な映画監督でした。
1975年、ホドロフスキー監督46歳、フランスの映画プロデューサー ミシェル・セドゥー(1947~)28歳の二人は、今までダレも見たこa0212807_2244653.jpgとのない荒唐無稽ながら壮大な宇宙を舞台にした映画「DUNE」を企画し製作の準備に取りかかりました。
世界中の名立たる俳優たちを(芸術家・ロックミュージシャンなども)キャスト、製作スタッフ陣には、各分野の異才たちを迎え製作準備に入りました。
a0212807_22463395.jpgしかし、ホドロフスキー監督の途轍もない映画のイメージ(プロット)に資金提供する複数の映画会社すべてが、尻込みしました。
いくらかかるか分からない莫大な予算、12時間にも及ぶ上映時間というその企画は“実現しなかった映画史上最も有名な映画”と言われ、映画史の伝説になりました。
a0212807_22582114.jpgこの「世界のSF映画を変えた未完の映画「DUNE」をめぐるドキュメンタリー映画「ホドロフスキーのDUNE」は、2013年スイスの映画監督フランク・パヴィッチ(1973~)が、尊敬するホドロフスキー監督に願い出て許可をもらい撮った記録映画です。
ホドロフスキー監督は、息子ブロンティス(1962~ 「エル・トポ」に息子役で出演)より10歳以上も若いパヴィッチ監督のインタヴューに終始笑顔で答え、辛辣なことをさらりとそれも平然と言うところがおもしろく私は、たいへん興味深く見ました。
a0212807_232690.jpg「DUNE」のイントロダクション(こちら)をご覧いただけるとよく分かりますが、錚々たるスタッフ陣とキャストの顔ぶれに驚きます。
この「DUNE」製作のために準備された膨大な絵コンテは、その後製作されたSF映画‥例えば、ざっと挙げても1979年「エイリアン」、1982年「ブレード・ランナー」、1989年「トレマーズ」、1999年「スター・ウォーズ」、1999年「マトリックス」、2012年a0212807_2355961.jpg「プロメテウス」などの映像イメージに影響を与えています。
パヴィッチ監督は、「ホドロフスキーは、映画を完成させたかったのか、世界を変えたかったのか? もし世界を変えたかったのなら、それは達成された。」とメディアのインタヴューに答えています。
a0212807_2371195.jpg85歳のホドロフスキー監督は、23年ぶりに「DUNE」のプロデューサーであったミシェル・セドウと組み新作「リアリティのダンス」を発表しました。
次回、2014年に日本公開されたこの「リアリティのダンス」を紹介します。         (上写真:アレハンドロ・ホドロフスキー監督とフランク・パヴィッチ監督)
by blues_rock | 2015-09-23 00:23 | 映画(シネマの世界) | Comments(2)
2015年9月19日未明、日本国政府と国会は、‘集団的自衛権行使’を強行採決し法制化(‥姑息極まりない法律で国の交戦権を認めない現在の憲法に明確に違反)しました。
a0212807_11345492.jpg
そして被害者は、未来の日本国民(この国に生まれる子供たち)です。
強行採決した及びに阻止できなかった老い先短い‘大人たち’が、この国に戦後70年続いた平和に終止符を打a0212807_11353883.jpgち新たな戦前をスタートさせました。
私は、この姑息極まりない法律で自衛隊の交戦権を認めるより堂々と万機公論の憲法改定論議を行ない、「自立・自助・自己責任」による真の独立国としての国家防衛方針を決定すべきと考えます。(参考:集団的自衛権うんぬんの愚かさ‥前編・後編
a0212807_11363739.jpgさて、現在KBCシネマで公開中のドイツ映画「ふたつの名前を持つ少年」を紹介します。
この映画(原題 「RUN BOY RUN」 オフィシャルサイトこちら)は、第二次世界大戦終結(ヒトラー率いるナチスドイツ崩壊)後70年経った今も癒えない深い戦争の傷跡を8歳のユダヤ人少年(一人の少年を一卵性双生児の二人の少年が演じる)が、当時の大人たちから受けた残酷な仕打ち、そのa0212807_1141216.jpg一方で自らの犠牲も厭わない温かい親切を受けながら1945年終戦までの3年間を逞しく生き抜いく姿(実話)をとおして描いています
監督は、ドキュメンタリーで数多くの作品を発表しているドイツの映画監督ペペ・ダンカート(1955~)で、戦後生まれのドイツの映画監督が、‘先の戦争でドイツの行なった歴史的事実’を今もなお撮り続けるところにドイツの正しい未来を感じます。
a0212807_11415959.jpg日本の戦争映画には、竹ヤリ玉砕を叫んだ軍事独裁国家への賛美傾向が強く、皇国日本から虐殺された国民の悲劇は、無視され、不幸に喘ぐ市井の人びとを描いた‘正義の普遍’をプロットとした戦争映画が、まだまだ少ないように思います。(日本映画にも戦争映画の傑作が何本かあります。たとえばこちら
a0212807_11425073.jpg「ふたつの名前を持つ少年」が、すばらしい秀作映画になったのは、ペペ・ダンカート監督のシリアスなドラマを軽妙にしてテンポよく見せる演出の才能と、さらにユダヤ人少年のスルリックが時にポーランド少年ユレクと名のる一人の少年を一卵性双生児のアンジェイ&カミル・トカチ(2001~)が演じ分け、少年の外見は、そっくりなのに映画の主題(プロット)である陰と陽(人間の悪とa0212807_11435215.jpg善)のメリハリが生まれ、ダンカート監督のネライ通りテンポのよい映画になりました。
ユダヤ人強制居住区から逃げ出し真冬の森に一人身を隠し怯えて暮らすシャイで内向的なユダヤ少年スルリックをカミル・トカチが、そして親切な農家の主婦からポーランド人孤児と名乗るよう教えられ、言葉巧みに農村を渡り歩く人懐っこい社交的なポーランド人少年ユレクをアン
a0212807_11463077.jpgジェイ・トカチが、演じ双子の少年二人とも映画初出演とは思えないくらいすばらしい演技を披露しています。
飢えと寒さで訪ねて来たユダヤ少年スルリックを温かく迎え食事を与え匿(かくま)い、そのことでナチスから家を焼かれる農家の主婦を演じたジャネット・ハイン(1969~)と一方ユダヤ人逮捕に執念を燃やすナチスの将校を演じたライナー・ボック(1954~)が、善と悪a0212807_1147336.jpgを体現する人間として好演しています。
戦禍を生き抜くためにユダヤ少年スルリックは、自分をポーランド人少年ユレクと偽り、人を欺きながら人の親切だけを頼りに生き、その親切な人たちともすぐサヨナラしなければなりませんでした。
ナチスドイツに支配された戦時下のハンガリーを描いたハンガリー映画の秀作「悪童日記」も双子の少年が主演、生き抜くためにたくましい‘悪童’ぶりを発揮、この「ふたつの名前を持つ少年」で主演した双子の少年同様そのすばらしい演技に感心しました。 (上写真:双子の少年の一人に演技指導するペペ・ダンカート監督)
by blues_rock | 2015-09-21 11:33 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
あくせくと金継ぎ(銀継ぎ・錫継ぎ・梨子地・色漆などを含む広義の意味)するのは、良いのですが、何せ狭いわがウサギ小屋のこと、いよいよ私の拙い作品の置き場所に困っています。
壊れた古陶磁を修繕したり、古陶のカケラをつなぎ合わせて再生したり‘なにがおもしろいの?’と怪訝そうな顔
a0212807_858949.jpg
で質問される方も多く、私は、そのたびに「世の中にこんなにおもしろいものがあっただなんて知りませんでした。」と答えています。
古陶磁を弄りながら、ふとわが手の中にある古陶磁、たとえば古唐津、初期伊万里、古伊万里などに、古(いに
a0212807_90096.jpg
しえ)の陶工たちの見事な才能(美術センス、感性あふれる作陶)を感じるときがあります。
数百年前の古陶磁に宿る当時の名も知れぬ陶工たちの魂を感じるとき、人間の創るあらゆる芸術‥美術、音楽、文学、陶芸もしかり、その作品(モノ)は、人間の魂を運ぶ道具(タイムカプセル)なのだと思うようになりました。
by blues_rock | 2015-09-19 00:09 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
私の好きなアメリカの名優アル・パチーノ(1940~ プロファィル詳細、こちら)主演の新作で、さらに敬愛するジョン・レノンが、歌うオリジナル名曲の数々をサウンド・ドラックで聴けるとなれば、もう居ても立ってもおられず急いで映画を見ました。
a0212807_21251131.jpg
名優アル・パチーノが、出演した映画のほとんどを見た私は、この映画撮影時75歳の大御所アル・パチーノの軽妙にしてコクのある新境地の演技に改めて感動、シビレました。
監督は、脚本家としてキャリアのあるダン・フォーゲルマン、この映画「ダニー・コリンズ(Dearダニー 君へのうa0212807_21265486.jpgた)」が、監督デビューの初作品(監督・脚本)です。
映画のプロットとなる1971年にジョン・レノンが、ダニー・コリンズに書いた43年前の手紙をめぐるストーリーは、実話に基づいています。
往年のロックスターである主人公ダニー・コリンズは、イギリス実在のフォークシンガー、スティーヴ・ティルストン(1950~)をモデルに脚色された人物です。
ビートルスを解散したばかりのジョン・レノンは、当時新人ミュージシャンであったスティーヴ・ティルストンの雑誌a0212807_21272357.jpgインタヴュー記事を読んで21歳の若者スティーヴ・ティルストンを励ますために書いた手紙(紆余曲折し34年目に本人に届いた実話)をもとにフォーゲルマン監督が、脚本を書き自ら監督しました。
フォーゲルマン監督の熱意にレノン財団は、映画のサウンド・ドラックをジョン・レノン楽曲のカヴァーではなく、ジョン本人のオリジナル曲使用を許可しました。
アル・パチーノ演じる往年のロックスター、ダニー・コリンズのライブ・シーンは、スーパーロックバンド「シカゴ」のa0212807_21472894.jpg協力を得て、ロサンゼルス‘グリーク・シアター’のコンサート会場に撮影カメラを配置、「シカゴ」のライブの途中、バンドの休憩時間に10分間で撮影したとか、その臨場感は、SFXにはないインパクトを感じました。
いまは落ち目のロックスター、ダニー(アル・パチーノ)は、贅沢(=金)のため昔のヒット曲だけを歌うコンサート・ツァーの繰り返しと酒浸り、ドラッグの常用、取換え引換えの女たちに囲まれた生活の毎日にウンザリしていました。
a0212807_2148899.jpgある日、ダニーは、長年の友人でマネージャーのフランク(名優クリストファー・プラマー 1929~)から43年前にジョン・レノンが、ダニー宛てに書いた直筆の手紙を誕生日プレゼントとして贈られました。
その手紙には、「富や名声が、君の音楽をダメにすることはない。音楽を愛し続けることが大切だ。」と書かれていました。
虚しい日々に倦怠していたダニーは、「この手紙をあの時受取っていたらなら今よりマシな人生を送っていたはa0212807_2150984.jpgず‥」とマネージャーのフランクにすべてのコンサート・ツアーのキャンセルを依頼しフランクにさえ行き先を告げず予約もしていない小さなホテルに雲隠れしました。
そのホテルの支配人メアリー(名女優アネット・ベニング 1958~ 「キッズ・オールライト」ほか数多くの秀作映画に出演)、ホテルフロント女性のジェイミー(メリッサ・ブノワ 1988~ 「セッション」では主人公が好意を寄せる女性ニコル役)とダニーとの軽妙洒脱な掛け合いが、実に愉しく秀逸です。
a0212807_21504868.jpg若いころから人気ロックスターであったダニーは、酒とドラッグそしてセックスの日々、そのころの自堕落な生活の中で、自分の子供を妊娠し自分のもとを離れ、女手ひとつで子供(男の子)を育てた女性(すでに白血病で死亡)のことを思い出しました。
ダニーは、今まで会ったことも顔すら見たこともない息子トム(ボビー・カナヴェイル 1970~)に無性に会いたくなりました。
ダニーが、トムを訪ねると彼は、仕事に行き留守中ながら気立てのいい妻のサマンサ(ジェニファー・ガーナーa0212807_21583159.jpg1972~ 「ダラス・バイヤーズクラブ」の女医役)とかわいい幼い孫娘が、出迎えてくれました。
サマンサからダニーが、来ていることを聞いたトムは、自宅に飛んで帰り嫌悪しているダニーを父親として受け容れず追い返しました。
ダニーは、トムの留守中、度々訪れサマンサと孫娘と会い、不器用ながら一生懸命に尽くし愛情を捧げました。
そんなダニーに息子のトムも少しずつ頑なに拒絶する態度を改め、妻のサマンサにも秘密にしている自分の深a0212807_2159727.jpg刻な病気のことを彼に話しました。
やっと心開いた息子トムが、打ち明けた病気の話にダニーは、激しいショックを受けました。
トムは、母親と同じ白血病を患い治療していたのでした。
長編映画の監督デビューとは思えないくらいフォーゲルマン監督の脚本と演出が、すばらしく、とくに映画のラストシーンは、必見で一人でも多くの方にご覧いただきたいヒューマン映画の秀作です。 (公式サイトこちら
by blues_rock | 2015-09-17 00:07 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
アイルランドのダブリン湾に面した海辺の駐車場を舞台に自己喪失した孤独な男女三人が、ひょんなことから出遭い、大事にしている壊れた時計を介して、それぞれの魂(心の琴線)に触れ合い、そして別れて行くという切ない2014年公開のアイルランド映画「ダブリンの時計職人」を紹介します。
a0212807_924299.jpg
アイルランドの監督タラ・バーン(20年間ドキュメンタリー一筋の監督)、脚本のキーラン・クレイ、撮影のジョン・コンロイと私の知らないアイルランドの映画製作クルー(アイルランドでは有名なのかも?)ながら、なかなかどうして個性的なキャストと併せ見事な出来栄えでした。
a0212807_9242674.jpg
「ダブリンの時計職人」の原題は、「Parked」で‘駐車場に停まっている車’という意味です。
ダラ・バーン監督は、ドキュメンタリスト(リアリスト)としてアイルランド社会の厳しい現実を冷静に見据え、多くの詩人や文学者を生んだ伝統的なアイルランド気風のどこか哀切ながらも凛とした詩情を受け継いだ映像で映画a0212807_925232.jpgを撮っています。
主人公のフレッド(コルム・ミーニイ1953~) は、英国で職業を転々として暮らしていたが失業し、50歳半ばも過ぎて故郷であるダブリンの街に還って来ました。
どんよりと昏(くら)い、冬のダブリン湾に面した海辺の駐車場に車を停めて生活しているフレッドは、職業安定所に失業手当を申請しても住所不定のホームレス扱いでいつも却下されていました。
ある日、孤独なフレッドの隣人として同じく車上生活者のカハル(コリン・モーガン1986~)という青年と知り合いa0212807_9253914.jpgました。
彼もまた愛する母を亡くした喪失感と厳格な父に認めてもらえない悲哀で家出し心身の行き場を失くしていました。
職もなくマリファナとヘロインを常用するカハルは、街のチンピラから借金しているため返済のことでいつも暴力の被害に遭っていました。
人としての矜持(プライド)をもつフレッドは、最初破滅的なカハルを敬遠しますが、カハルの孤独と人間的なやさa0212807_9261357.jpgしさ(コリン・モーガンの哀切な実在感が秀逸)に少しずつ友情を感じるようになりました。
ある日、フレッドは、亡き夫と暮らした街ダブリンでピアノ教師をしているフィンランドの女性ピアニスト、ジュールス(ミルカ・アフロス 1966~)と出遭い一目惚れをしました。
彼女もまた人生に迷い自分の行く末に悩んでいました。
手先の器用なフレッドは、カハルのもっている父親の壊れた腕時計を直してやり、夫が死んだときに止まった
a0212807_9274419.jpgジュールスの置時計を動くようにしてあげました。
フレッド、カハル、ジュールス、三人の抱える深い悲しみは、お互いの心で共鳴しますが、三者三様それぞれに不器用な彼らは、やがて哀しい別れをすることになりました。
イタリアのネオリアリズモ精神を継承したアイルランド・リアリズム映画ですが、哀切なヒューマンドラマの根底にあるアイリッシュ・ソウルと呼びたい詩情は、見る者の心に美しく響きます。
by blues_rock | 2015-09-15 00:15 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
a0212807_237051.jpg今年の6月、「福岡市美術館で春画展」(こちら)と題して拙ブログで紹介したら多くの方が、お立ち寄りくださり心から感謝しています。
「春画展」の正式なタイトルは、「肉筆浮世絵の世界」です。
その展覧会の中に「浮世絵の春画」のコーナー(R18)があり、うれしいことに多くの老若男女で賑わっていました。
私は、江戸時代のそうそうたる天才絵師たち(写楽に春画作品はない‥写楽のファンとして写楽春画を見たかった)のデフォルメされa0212807_2373336.pngた構図と精緻な筆による‘ど迫力の男女交合図’に感動しました。
とくに喜多川歌麿の浮世絵春画21点は、その絵画的なデフォルメとレアリテで正しく芸術そのものでした。
これを見た19世紀当時のヨーロッパの人びとは、感動でヘナヘナと腰を抜かしたことでしょう。
肉筆画では、葛飾北斎の「酔余美人図」(こちら下の絵)が、すばらしく息を凝らして見入りました。
「肉筆浮世絵の世界」展は、福岡市美術館で9月22日(火)まで開催、「えー!?春画?」と戸惑い迷っておられる方、まだご覧になっていない方には、せめて肉筆画の傑作だけでもお薦めいたします。
クドイようですが、浮世絵春画に「猥褻さ、卑猥さ」は、微塵もありません。
ヨーロッパが、頭を垂れた江戸期のジャパンクールを見て損はないと思いますので、行かれた方は、ぜひ春画コーナーにもお立ち寄りください。
by blues_rock | 2015-09-13 00:13 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)