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心の時空

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a day in my life

<   2015年 01月 ( 23 )   > この月の画像一覧

a0212807_1425336.jpg映画は、総合芸術です。
監督(=脚本・演出)、撮影(=映像)、音楽(=サウンド・トラック)、演技者(=俳優)の感性が、才能の沸点で反応してできた作品の醍醐味は、また格別です。
「エンゼル・ハート」は、才能の融合という意味では、アラン・パーカー監督(1944~ 脚本も)の指揮のもとサイコパス・ミステリーとホラーが、融合した最高の映画です。
1987年映画「エンゼル・ハート」の詳しいストーリーは、ネタバレするとつまらないので敢えて伏せますが、映画の舞台は、1955年真冬のニューヨークと真夏のニューオリンズです。
ミッキー・ローク(1952~)演じるしがない私立探偵ハリー・エンゼルは、ある日ロバート・デ・ニーロ(1943~)演じるサイファーと名のる怪しげな老人からジョニーという男を探して欲しいと依頼されました。
ミッキー・ロークとロバート・デ・ニーロ名優二人の演技は、次第にヒート・アップしていく緊張関係になるとさすがで見ていてゾクゾクいたします。
a0212807_1410039.jpgとくに序盤、依頼人のサイファーが、ハリー・エンゼルを前に、長い爪を立ててゆで卵の殻をむいて食べるシーンのホラーっぽさは、希代の名優ロバート・デ・ニーロの面目躍如です。
監督・脚本のアラン・パーカーは、イギリスの映画監督で、私の印象に残るのが、1978年映画「ミッドナイト・エクスプレス」、この1987年映画「エンゼル・ハート」、そして1988年映画「ミシシッピー・バーニング」です。
a0212807_14191430.png撮影は、ニュージーランドの撮影監督マイケル・セレシン(1942~ 新作の撮影は2014年「猿の惑星/新世紀」)の光と影を使った映像がすばらしく、音楽を担当した南アフリカの作曲家ヴァー・ジョーンズ(1949~)は、サウンド・トラックにジャズ・サック奏者スコートニー・パイン(1964~)をフューチャリング、ミステリアスなシーンには、神経を軋ませるサイコパスな音色を、血まみれの猟奇的な殺人シーンでは、オカルトというかホラーとa0212807_14194580.jpgいうか、見る者の恐怖心を煽る音色でパーカー監督の演出を支えています。
ジョニーの元愛人役でシャーロット・ランプリング(1946~)が、出演し退廃的な香りを漂わせ、ジョニーの娘役リサ・ボネット(1967~ ロック・ギタリスト レニー・クラヴィッツの元夫人)は、昼間の美しい娘から深夜になると一変、ブードゥの悪魔憑きの踊りを舞う不気味に巫女を熱演しています。
a0212807_1420593.jpg映像の光と影、音楽のサックスの緊張感溢れる音色‥「エンゼル・ハート」は、一級のホラー映画として見て損のない作品です。
by blues_rock | 2015-01-30 00:30 | 映画(シネマの世界) | Comments(5)
a0212807_16462567.jpgオーストラリアの鬼才アレックス・プロヤス監督(1963~ 2004年「アイ、ロボット」)による1998年監督・脚本のSFスリラー映画「ダークシティ」は、プロヤス監督35才の時に撮ったSF映画の名作です。
私が、思うSF映画の傑作は、1968年の「2001年宇宙の旅」と1972年の「惑星ソラリス」です。
これに1982年「ブレードランナー」、1985年「未来世紀ブラジル」、1997年「ガタカ」、1998年「ダークシティ」とSF映画の名作が、登場しました。
「ダークシティ」(暗闇の街)のタイトルのとおり映画のほとんどが、太陽の光のない人工照明で照らされた闇夜のシーンです。
「ダークシティ」が、一般公開された1998年当時、配給会社による宣伝センスの悪さもあり評判は、あまりパッとしませんでした。
延々と続く闇夜のシーンと連続娼婦殺人事件、犯人にされ警察に追われる記憶喪失の主人公、彼を狙う超能力をもつ黒ずくめのナゾの集団、やがて明らかになる主人公の超能力‥この私の説明では、荒唐無稽なマンガチックなSF映画のように思われるでしょうが、さにあらず、プロヤス監督の才気(映画センス)は、細部に
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亘っています。
この面白さが、映画ファンの間に口コミで広がり、隠れた名作として「ダークシティ」は、カルト的な映画ファンに
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語り継がれています。
太陽のない暗闇の街「ダークシティ」は、深夜12時になるとすべての時間が、しばらく止まります。
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ある日、ジョン・マードック(ルーファス・シーウェル 1967~)が、目を覚ますとバスタブの中にいました。
マードックは、そこがどこでなぜいるのか、まったく記憶になく、バスタブから出ると血だらけになった若い娼婦の
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死体を発見しました。
自分が、連続娼婦殺人犯として追われていることを知ったマードックは、頭の片隅に微かに残る記憶を頼りに、
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自分に何が起きたのかを調べ始めました。
彼は、自分にリサ(ジェニファー・コネリー 1970~)という妻がいること、シュレーバー博士(キーファー・サザー
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ランド 1966~)という精神科医と知り合であること、警察のバムステッド警部(ウィリアム・ハート 1950~)が、連続娼婦殺人事件の捜査していることを知りました。
a0212807_1765780.jpg身を隠すマードックの前に黒ずくめの怪しい集団が、突然現れ、彼の頭に何かを注入しようとしました。
超能力をもつそのナゾの集団が、人間の記憶を操作していることをマードックは、突きとめ、自分もまた彼らと同じ能力を有していることに気づきました。
マードックは、妻のリサほか回りの協力を得てナゾの超能力集団に立ち向かっていきました。
a0212807_1772916.jpgSF映画ながら「ダークシティ」は、1930年代風のレトロな街並みで、汚れ色褪せた旧いビル群、室内にある道具・小物類、登場人物の服装・衣装類など1930年代と思しき時代考証によるプロダクション・デザインも相当に凝った設え(セット)で、ダリウス・ウォルスキー撮影監督(1956~)のダークな映像と相俟ってすばらしい‘SFスリラー’が、できあがりました。
by blues_rock | 2015-01-28 00:08 | 映画(シネマの世界) | Comments(5)
a0212807_10505841.jpgスウェーデンを代表する、どころか20世紀の映画監督で十指に入る(私の個人的見解)名匠イングマール・ベルイマン監督(1918~2007)映画には、欠かせないパートナーの名撮影監督スヴェン・ニクヴィスト(1922~2006)と初めてコンビを組み撮影した作品が、1960年映画「処女の泉」です。
ニクヴィスト撮影監督が、カメラを回した映画で、ベルイマン監督作品以外の映画を挙げれば、私の印象に強く残るのは、「存在の耐えられない軽さ」・「ギルバート・グレイプ」・「ある結婚の風景」です。
ベルイマン監督の映画には、「神の沈黙と人間の苦悩」をプロットにした哲学(形而上学)的な作品も多く「ベルイマン監督の映画は、難解だ」と敬遠する方も多数いますが、映画という表現道具で最高の映像舞台劇を見せてくれる芸術家こそベルイマン監督とニクヴィスト撮影監督と思っています。
a0212807_1052815.jpg「処女の泉」も「神の沈黙と人間の苦悩」を主旋律にして登場する人物たちそれぞれの‘罪と罰’をコントラスト(陰影)の強い鮮明なモノクロ映像で描いています。
ベルイマン監督作品の主人公が、女性ばかりなのは、生涯5度の結婚をしたベルイマン監督の永遠のテーマが、神ではなく‘女性’だったからでしょう。
「処女の泉」は、アカデミー賞外国語部門賞、カンヌ国際映画祭特別賞その他受賞しています。
a0212807_1052522.jpg映画は、中世スウェーデンの寒村で起きた少女強姦殺人の悲劇と敬虔なキリスト教徒である父親の犯人たちへの復讐(殺害)を描いた作品です。
地主のテーレ(マックス・フォン・シドー 1929~)と妻メレータ(ビルギッタ・ヴァルベルイ 1916~)、一人娘のカリン(ビルギッダ・ペテルソン 1939~)は、敬虔なキリスト教徒一家でしたが、召使のインゲリ(グンネル・リンドブロム 1931~)は、土着の神オーディンを信奉、両親の愛を受け苦労を知らず自由奔放に育ったカリンに嫉妬し呪ってa0212807_10575352.jpgいました。
ある日、教会へミサ用の蝋燭を届けるよう両親に命じられたカリンと付添いのインゲリは、深い森の中を教会に向かいました。
途中、カリンとインゲリは、言い争い、カリン一人で教会に向かいました。
山道でカリンは、見るからに貧しそうな羊飼いの兄弟3人と出遭いました。
木の根を食べていると言う彼らを憐れんだカリンは、食料を分けてあげました。
a0212807_111019.jpgしかし、清純で美しいカリンに欲情した長男と次男が、カリンを強姦し殺してしまいました。
カリンの後を追って来たインゲリは、その様子を木陰から見ていましたが、カリンを助けようとしませんでした。
カリンを殺害したその夜、羊飼いの兄弟3人が、冬の寒さをしのぐため一夜の宿を求めたのは、彼女の家でした。
カリンの両親は、羊飼いの兄弟に親切に食事と暖を与えました。
a0212807_1114555.jpgカリンの家と知らない羊飼いの兄弟3人は、母メレータに殺害したカリンから奪った衣服を売ろうとしました。
羊飼いの兄弟が、娘を殺した犯人と知った父テーレは、彼らを皆殺しにして復讐しました。
兄弟と言うだけで罪のない末っ子の少年まで殺したテーレは、我に返ると自分の犯した罪に戦慄し神に許しを求めました。
娘カリンの亡骸を見た父テーレは、神の無慈悲に絶望しながらも神に魂の救済を求めました。
a0212807_1121432.jpg父テーレと母メレータは、娘カリンの遺体を抱きあげました。
すると遺体のあった場所から泉が、湧き出しました。
インゲリは、流れる水で汚れた自分を清め、父テーレは、この場所に石造りの教会を建てると神に誓いました。

(左写真 : 撮影監督スヴェン・ニクヴィスト 奥 と、イングマール・ベルイマン監督 前)
by blues_rock | 2015-01-27 00:07 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
私たちの高齢者介護施設では、毎週火曜日の午後「絵画教室」(こちら参照)を開催しています。
昨年のこと、その日のテーマは、自画像ということになりました。
ご利用者の方が、「アタシしゃ、描けん。 アンタ、描いて見せてよ。」と描きかけの画用紙を私に渡されました。
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その紙を裏返し、この自画像を描いて、皆様方に見ていただくと、私の顔と見比べ、プッと噴く方、爆笑する方、いずれにしても認知症を患う方々とスタッフ一同 ‘大笑い’ で、しばし盛りあがりました。
施設の管理者が、サインは、「yo」なのに、イヤミなのか単なるミスなのか、「ま」の落款を押しましたので、私は、この絵を「マヌケの自画像」と銘(な)付けました。
by blues_rock | 2015-01-25 00:05 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(3)
リチャード・リンクレイター監督(1960~)が、18年の歳月をかけて撮った‘ビフォア’シリーズ三部作とは、「ビフォア・サンライズ(日の出前)」・「ビフォア・サンセット(日没前)」・「ビフォア・ミッドナイト(真夜中前)」の三作です。
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リンクレイター監督は、現在公開中の新作「6才のボクが、大人になるまで。」では、主人公の少年始め彼の家族ほか、この映画に登場する人物すべて、12年間同じ俳優・女優が、演じるという前代未聞の離れ業(演出)を見a0212807_222225100.jpgせてくれました。
それに先立つ‘ビフォア’シリーズ三部作は、18年かけての撮影ですからリンクレイター監督は、自分の作品を相当根気よく撮る監督なのでしょう。
一方2003年のコメディ映画「スクール・オブ・ロック」は、ロック狂いのダメ男を主人公にロック音楽映画をシンプルに撮っていますので案外器用なのかa0212807_2224524.pngもしれません。
‘ビフォア’シリーズの第一作は、1995年の「ビフォア・サンライズ /恋人までの距離(ディスタンス)」で、リンクレイター監督の脚本・監督です。
この三部作のすべてに主演する二人、アメリカの俳優イーサン・ホーク(1970~)は、第一作「ビフォア・サンライズ」に出演した1995年当時25才、フランスの女優ジュリー・a0212807_22243816.jpgデルピー(1969~)が、当時26才でした。
映画は、アメリカ人青年ジェシー(イーサン・ホーク)が、ソルボンヌ大学に通うフランス人女子大生セリーヌ(ジュリー・デルピー)とパリに向かうヨーロッパ特急列車の中で偶然出会い意気投合(直感的な恋を感じて)、食堂車で語り合う二人は、別れ難く、ウィーンで途中下車したところから‘ビフォア’・シリーズが、始まりました。
a0212807_2225737.pngジェシーとセリーヌの若い二人は、お互いを知るために熱く語り合いながら翌朝日の出(ビフォア・サンライズ)まで古都ウィーンの街並み‥旧い石畳、市内電車、歴史ある旧い教会、レコード店、遊園地の大観覧車(1949年の傑作映画「第三の男」に登場)、ドナウ川の水上レストラン、深夜の古いバー、妖しげな占い師、川辺の即興詩人、夜の公園でのキスなど二人の恋を盛a0212807_22254498.jpgりあげる14時間の舞台としてウィーンは、ピッタリでした。
「ビフォア・サンライズ /恋人までの距離(ディスタンス)」は、ベルリン国際映画祭で監督賞を受賞しています。
やがて日の出とともに二人の別れが、やって来ました。
二人は、お互いの住所も電話番号(携帯電話はまだありません)をメモせず、熱いキスを交わしハグして半年後の12月16日夕方‘この場所’(ウィーン駅のプラット・ホーム)で再会することを約束して別れました。
a0212807_22404282.jpg第二作「ビフォア・サンセット」は、ジェシーとセリーヌの二人が、ウィーン駅で別れてから9年後の2004年秋の午後、二人は、パリの本屋で再会しました。
ジェシーが、アメリカに帰国する飛行機の出発時間までの1時間半、二人は、秋の夕暮れ(ビフォア・サンセット)、パリの街を歩きながら9年の間の出来事‥なぜ9年前、約束のウィーン駅で再a0212807_22413721.jpg会できなかったことなどお互いの人生を語り合います。
パリの街もウィーンとまた趣きの異なるしっとりとした雰囲気を醸し出す街で、もう若くない男と女が、パリの空の下(Sous le ciel de Paris)、セーヌを往く船のうえで諦め切れない愛(アムール)を語る大人の恋は、‘まるで往年の恋愛映画’のようです。
第二作の「ビフォア・サンセット」からリンクレイター監督は、原案・製作・脚本・監督を一人で担い、脚本には、a0212807_22412557.jpgイーサン・ホークとジュリー・デルピーも参加しています。
ジュリー・デルピーは、またオープニングの曲、劇中セリーヌが、ジェシーのために歌う「A waltz for a night」の弾き語り、エンドロールに流れるシャンソンなど粋な歌声を聴かせてくれました。
a0212807_22435893.jpg第三作「ビフォア・ミッドナイト」も第二作同様、リンクレイター監督の原案・製作・脚本・監督ながら脚本にイーサン・ホークとジュリー・デルピーが参加、三人の共同脚本で撮影に入りました。
映画では、2004年パリで別れたジェシーとセリーヌ二人の9年後の姿が、描かれます。
2013年夏、鄙びたギリシャの別荘地を舞台に、ウィーンの出会いと別れからすでに18年、人生に紆余曲折あっa0212807_22444543.jpgたものの二人は、めでたく結婚し二児(双子の娘)の親となりジェシー43才、セリーヌ44才になっていました。
ジェシーとセリーヌ夫婦は、やっと手に入れたシアワセ(結婚生活)にも次第に満足できなくなり、考え方のズレや自分への思いやりのなさ(つまりエゴ)を責める諍い(口ゲンカ)が、絶えなくなりました。
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やがて二人は、考え方(価値観・人生観)の違いだけを論(あげつら)い、相手を責め愛の喪失による孤独感や離婚を口にするようになりました。
a0212807_22463852.jpg‥偶然出遭った異性への恋に始まり相手への関心(知りたい願望)と接触(キス・セックス)が、やがて独占愛となり結婚、子供が生まれ、やがて日常生活への倦怠と‘手に入れたもの’への関心の希薄から愛の喪失を感じ、他に新しい愛人を求め、配偶者(パートナー)への嫌悪と激しい口論の末、離婚に至る ‥ スウェーデンの名匠イングマール・
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ベルイマン監督の1973年名作「ある結婚の風景」(6話5時間のテレビドラマと2時間48分に編集した映画)を思い出しました。

1974年、加藤登紀子のコンサートに行ったとき、彼女が、MCで「ある結婚の風景」をテレビで見たこと、その感想も交え、愛と結婚について感極まったように涙ぐみながら語っていたことを懐かしく憶い出しました。
by blues_rock | 2015-01-24 00:24 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
a0212807_033863.jpgブラジルのフェルナンド・メイレレス監督(1955~)が、長編映画にデビューした2002年作品「シティ・オブ・ゴッド」は、いきなり世界中の映画祭で話題を集めました。
メイレレス監督の2005年作品「ナイロビの蜂」(ジョン・ル・カレの原作、レイチェル・ワイズが秀悦、アカデミー賞助演女優賞を受賞)は、アフリカのケニアを舞台にテンポ良いミステリー・サスペンス映画でした。
「シティ・オブ・ゴッド」(リオ・デ・ジャネイロ郊外のスラムにある公設住宅)のプロットは、ブラジル、リオ・デ・ジャネイロのファヴェーラ(スラム街)で実際に起きた‘子供たち(ストリート・チルドレン)の抗争’を描く作品です。
‘子供たちの抗争’と言っても、この抗争(殺し合い)は、強烈ですざましく、どこにでも居そうな子供たちが、ギャング(マフィア)顔負けの血で血を洗う止め処のない抗争劇を繰り広げるのですからたまりません。
a0212807_0441437.jpg映画は、冒頭からラストまで過激な暴力(バイオレンス)の連続で、とくに10才にも満たないような少年たちが、実弾の入った銃を水鉄砲遊びでもするかのように無邪気に撃ちまくり、念願の銃を持って威勢の良かったまだ幼い子供数人が、抗争相手の少年たちに追いつめられ銃を向けられ恐怖で怯える目の表情、チンピラ・グループのボス格少年が、年下の少年に銃を渡し、どちらか好きな方を殺せと命じ、それに従い簡単に殺す場面など相当残a0212807_0445519.jpg酷なシーンのオン・パレードです。
メイレレス監督は、映画に出演するほとんどの子供たち、大人たちを現地リオ・デ・ジャネイロのスラム街でオーディションを行ない、数人の主演俳優以外、映画に登場する少年たち始めオーディションで選ばれた200人余りの素人出演者には、余計な演技指導をしないでアドリブによる自然な演技を求めました。
a0212807_045267.jpgこの演出を撮影監督のセザール・シャローン(1958~ 2005年「ナイロビの蜂」撮影)は、ハンディ・カメラにより乾いたブラジル風土を象徴するような明るくカラッとしたスピーディな映像で撮り、編集のダニエル・レゼンデ(1969~ 2002年「モーターサイクル・ダイアリーズ」、2011年「ツリー・オブ・ライフ」、2014年「ロボコップ」)もジャンプカット(駒落とし)を実に巧く取り入れズシリと重いストリート・チルドレンの犯罪という社会問題をテンポ良く最後まで一気に見せる映画にa0212807_0455667.jpgしました。
この映画「シティ・オブ・ゴッド」は、ストーリーそのものより戦後の高度経済成長で働きバチと世界から揶揄されながらも平和に暮らしてきた日本人の私たちには、到底想像できない1960年代から1970年代末までのブラジルを同時代に育ったフェルナンド・メイレレス監督の目で捉えた冷酷なリアリズムが、見事な映画です。
「シティ・オブ・ゴッド」出身の不良少年ブスカペは、チンピラ仲間を抜けやがて報道写真家の見習いとなり「シティ・オブ・ゴッド」の裏社会を仕切るギャングのボスとなった幼なじみリトル・ゼを撮影した写真が、偶然特ダネ写真となりジャーナリストの道を歩み始めました。
a0212807_046251.jpg新聞の一面に自分の写真が、犯罪者として掲載されたのを無邪気に喜んでいたギャングのボスで幼なじみのリトル・ゼでしたが、「シティ・オブ・ゴッド」の支配利権を巡る抗争の激化でボスのリトル・ゼは、皮肉なことに銃を片手にギャングと化したストリート・チルドレンたちに射殺されました。
ブスカペは、リトル・ゼの惨殺死体を撮影したことで一人前のジャーナリストになりました。
その一方「シティ・オブ・ゴッド」では、新興ギャングとなった子供たちが、銃を手に無邪気に群れていました。
by blues_rock | 2015-01-23 00:23 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
a0212807_21974.jpg夭折したアメリカの俳優リヴァー・フェニックス(1970~1993没、享年23才 代表作1986年「スタンド・バイ・ミー」、俳優のホワキン・フェニックスは弟)の遺作となった映画が、1993年作品「愛と呼ばれるもの」(原題 The Thing Called Love)です。
ピーター・ボグダノヴィッチ監督(1939~)の淡々とした恋と音楽(カントリー&ウェスタン)の青春映画(ロード・ムービー)なのでストーリーにこれと言った盛りあがりはありませんが、‘リヴァー・フェニックス’ファンには、グッと来る映画でしょう。
ニューヨークで暮らすミランダ(サマンサ・マシス 1970~ 「アメリカン・サイコ」に出演)は、父親の影響もあり大のカントリー音楽好きでカントリー・ミュージシャンになるためカントリー音楽の聖地テネシー州ナッa0212807_2194580.jpgシュビルを訪ねました。
さっそくライブハウス・カフェ、ブルーバードのオーディションを受けに行きますが、受付時間を過ぎていました。
そのライブハウスでオーディションに遅刻した地元のカントリー・ミュージシャンの卵ジェームズ(リヴァー・フェニックス)に出遭いました。
そこで同じく地元の女性で歌は、ヘタながら舞台女優を夢見るリンダ(サンドラ・ブロック1964~ 1994年映画「スピード」でブレイクする前ながらすでに演技に華があります)と知り合い、安モーテルのルーム・メイトとして次のオーディションを目指して暮らし始めました。
リヴァー・フェニックスは、劇中で自作の曲ほか数曲、自分でギターを弾きながら歌い、当時恋人であったサマンサ・マシスと野外ライブでデュエットするシーンは、二人とも息の合った好いコーラスを聴かせてくれました。
サマンサ・マシスの歌う「神様は女だったかもしれない」もなかなかいい歌で感動しました。
1993年の夏に「愛と呼ばれるもの」が公開されたその秋、リヴァー・フェニックスは、ジョニー・デップなど友人と共同経営していたハリウッドのナイトクラブ前で薬物の過剰摂取で倒れ心不全により死亡しました。
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救急車を呼んだのが、弟のホワキン・フェニックス、救急車に同乗しリヴァー・フェニックスを看取ったのは、レッド・ホット・チリ・ペパーズのベーシストにして親友のフリーでした。
by blues_rock | 2015-01-21 00:21 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
a0212807_22332187.jpgイギリスの鬼才映画監督スティーブ・マックィーン(1969~)の長編映画デビュー(脚本・監督)作品「ハンガー」は、長編映画処女ながら“芸術(自己表現)”の手段(道具)として映画を活用する卓越した才能を発揮、2008年に「ハンガー」を発表したあと、2011年脚本・監督作品「SHAME -シェイム-」、2013年監督・製作作品「それでも夜は明ける」と立て続けに質の高い作品を発表しました。
マックィーン監督は、40代半ばにして鬼才どころか天才と称していいかもしれないイギリス映画の名匠監督です。
マックィーン監督作品に見られる映画表現への透徹したリアリズムの眼は、ビデオ映像作家・現代彫刻家・写真家など現代美術のマルチ・アートティストとして活躍してきた才能と同じ源泉に由来していると思います。
a0212807_22395793.jpg「ハンガー」は、1981年‘鉄の女 サッチャー首相’率いるイギリス政府による北アイルランドへのすざまじい弾圧とそれに抵抗するIRA服役因(IRA過激派として逮捕された政治犯)による壮絶な獄中闘争を描いた映画です。
立憲王制で貴族制度という旧態依然の国体をもつアングロサクソン支配の大英帝国イギリスながら有色アフリカ系イギリス人監督に「ハンガー」というa0212807_22451862.jpg筆舌し難いイギリス国家の恥部というべき、おぞましい記憶にまだ新しい歴史映画を撮ることのできる成熟した自由と民主主義(‘言論の自由’の尊重と権利保証)社会には、脱帽するとともに敬意を表します。
マックィーン監督の映画3作すべてに出演し今や若手名優の一人アイルランド出身の俳優マイケル・ファスベンダー(1977~)が、主人公ボビー・サンズをげっそり痩せた身体と蒼白な顔の表情で狂気迫るリアルな演技(入魂の見事な演技)を見せています。
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クローネンバーグ監督作品「危険なメソッド」での心理学者ユング役も秀悦でした。
ちなみに、マイケル・ファスベンダーの母方の祖先は、アイルランド独立のカリスマ指導者マイケル・コリンズa0212807_22473623.jpg(1890~1922、アイルランド内戦の内部抗争で暗殺、享年31才、1996年映画「マイケル・コリンズ」)に繋がるのだとか、彼の演じるボビー・サンズを見ていると正しくマイケル・コリンズの魂が、乗り移ったとしか思えない精神性の高い演技でした。
映画は、1981年の北アイルランド、メイズ刑務所牢獄内を舞台に、カメラは、拳銃の不法所持で逮捕、収容されたIRA暫定派(全島統一アイルランド独立派)メンバーのボビー・サンズを中心に密着、彼ら囚人500人が、自分たちをアイルランド独立運動の政治犯としa0212807_2248648.jpgて扱うようイギリス政府に抗議(囚人服を着ずに全裸に不潔な毛布を被るブランケット・プロテスト/糞尿を床に垂れ流し壁一面に擦り付けるダーティ・プロテスト)する模様を冷やりとしたリアリティある映像で捉えています。
この抗議行動もイギリス政府から無視され、逆に彼らは、過酷な弾圧‥殴る蹴るのすざまじい暴行と虐待(リンチ)を受けました。
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ボビー・サンズは、自らのアイルランド民族としてのプライドと独立への渇望から獄中の同志囚人500人とあらゆる手段を使い連帯、不屈の抗議行動を続けますが、メイズ刑務所の中でただ一人ボビーたち囚人に同情的だっ
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たローハン看守長(スチュアート・グラハム 1967~ イギリス・アイルランド合作映画「シャドー・ダンサー」にも出演)が、老人施設で暮らす老いた母親を見舞っている最中、外の同志に暗殺されショックを受けたボビー・サンa0212807_2251161.jpgズは、従来の過激な抗議活動を転換、自らの信念を貫くため無期限のハンガー・ストライキに突入しました。
同時に獄中からイギリス国会下院議員に立候補し当選しました。(上写真:不屈のボビー・サンズが死の直前に流す一筋の涙に見る者の心は張り裂けます。)
IRAとイギリス市民は、ボビー・サンズの釈放と下院議員として議会出席を要求しますがサッチャー政権は、このa0212807_2253483.jpg要求を彼が服役中の犯罪者という理由で拒否しました。
ボビー・サンズは、一切食事を拒否してから66日後に衰弱死(餓死)しました。
さらに彼の決意に同調した獄中9人の同志もハンガー・ストライキを決行し餓死、わずか30数年前のイギリスで起きたサッチャー政権の政治的犯罪は、当時のイギリス社会に大きな衝撃を与えました。


(上写真:スティーブ・マックィーン監督と主演のマイケル・ファスベンダー)
by blues_rock | 2015-01-20 00:02 | 映画(シネマの世界) | Comments(2)
a0212807_1355758.jpg今夜ご紹介するのは、ロバート・ロドリゲス監督の‘エル・マリアッチ三部作’と呼ばれる1996年作品「フロム・ダスク・ティル・ドーン」です。
ロバート・ロドリゲス監督(1968~)が、1992年26才の時に撮ったデビュー作品「エル・マリアッチ」(=監督・脚本・原案・撮影・製作、サンダンス映画祭観客賞受賞)、そして、当時まだあまり知られていなかった俳優アントニオ・バンデラス(1960~)を一躍スターダムに押しあげたのが、1995年作品「デスペラード」(=監督・脚本・製作)です。
1992年のサンダンス映画祭でロドリゲス監督と意気投合したクエンティン・タランティーノ監督(1963~)は、「エル・マリアッチ」の続編「デスペラード」に出演(集金人という端役ながらなかなか好い役者ぶりでした)、ギター・ケースを銃器にしたド派手な銃撃戦と荒唐無稽なアクションなど奇想天外な面白さがありました
タランティーノ監督は、ロドリゲス監督に「‘エル・マリアッチを三部作にしよう」と提案、そしてタランティーノ監督の脚本で完成したのが、ロドリゲス監督‘エル・マリアッチ三部作’とどめのスプラッター・ホラー映画「フロム・ダスク・ティル・ドーン」(=監督・製作総指揮・編集)です。
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これまた荒唐無稽な筋立てと下品な登場人物たち、さらにグロテスクなゾンビ(吸血鬼)との残酷な殺戮シーンの連続と‥ここまで奇想天外、徹底的にやられると虚仮脅(こけおど)しホラーやゾンビ映画嫌いの私も ‘いやーまいった!’と唸りました。
a0212807_140386.jpg特殊メイク・デザイナー、ロバート・カーツマンのプロットをもとにタランティーノ監督の脚本ならびにロドリゲス監督のメガホン(演出)となれば、三人の稀有な才能は、当然のように化学反応(ケミストリー)を起こし、こうなる(アナーキーかつ破壊的なスプラッター・ホラーとなる)のも当然の成り行きでしょう。
撮ったフィルムは、必ず自ら編集するロドリゲス監督の映像へのこだわりは、「フロム・ダスク・ティル・ドーン」の随所に表われ、スピート感のあるカット割り、コマ落とし(ジャンプ・カット)‥など短いカットを重ねた構成(編集)は、a0212807_1465737.jpg実にテンポ良く、ロドリゲス監督作品の特徴を存分に表現しています。
前半は、ジョージ・クルーニー(1961~)とクエンティン・タランティーノが、傍若無人な凶悪犯罪者ゲッコー兄弟を演じ、平気で強盗殺人を続けながらメキシコへ逃亡しようとする様子を描いています。
兄ジョージ・クルーニーの極悪ぶりと弟クエンティン・タランティーノの性的異常サイコぶりが、強烈です。
a0212807_153143.jpg二人とも実に楽しそう、ノリノリで悪役(ワル)になりきっています。
後半は、ゲッコー兄弟が、ハーヴェイ・カイテル(1939~)演じる元牧師と娘のジュリエット・ルイス(1973~)と息子のキャンピング・カーを乗っ取り、家族三人を脅迫してメキシコ国境を越え、現地のギャング組織と落ち合う怪しげなナイトクラブへ向かうところから映画は、前半の犯罪ロード・ムービーからガラリと趣を変えプラッター・ホラーになります。
砂漠にあるナイトクラブは、日が沈むとヴァンパイアの巣窟と化してゾンビが、群れ遊ぶ桃源郷でした。
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そうとは、知らずナイトクラブに入ったゲッコー兄弟とフラー一家は、ヴァンパイア・ゾンビの大群から襲われ戦うことになりました。
特殊メイクとSFXを駆使した映画後半の荒唐無稽なハチャメチャぶりも‥筆舌し難く説明不能、とにかく映画をa0212807_155077.jpg見ていただくしかありません。
映画のタイトル「フロム・ダスク・ティル・ドーン」は、夕暮れから夜明けまで(フロム・ダスク・ティル・ドーン)のことでヴァンパイア・ゾンビたちとの戦いを意味しています。
ヴァンパイア・ゾンビに変身する前の美人ナイトクラブ・ダンサー(白蛇の女)役のサルマ・ハエック(1966~ 2012年「野蛮なやつら/SAVAGES」出演)が、ゾクッとする妖しい色気をスクリーンに振りまいていました。
a0212807_1553429.jpg夜が明けて生き残った兄ゲッコー(ジョージ・クルーニー)とフラーの娘(ジュリエット・ルイス)の二人が、未練を残して別れるラスト・シーンのロドリゲス監督の演出は、なかなかクール、ZZ-TOPのロックが、流れて映画を閉めました。
by blues_rock | 2015-01-18 00:08 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
1995年1月17日5時46分、兵庫県尼崎市稲葉荘2丁目、武庫川の東河川敷すぐ横にある鉄筋3階建社宅の1階自室で熟睡している時に、マグニチュード 7.3の阪神・淡路大震災が、発生しました。
あれから20年‥記憶も少しずつ薄れていますが、‘マグニチュード 7.3 の体感’は、しっかり憶えています。
a0212807_17422022.jpg真冬の未だ明けやらぬ寒い朝‥ズドンという地響きと当時にカラダが、下から上に突然胴上げされたように突き上げられました。
ズドン、ズドン、ズドン‥どれほどの時間が、過ぎたのか、東京から尼崎に転居して10か月あまり、それまで関東地域(東京都・神奈川県)で生活していたとき頻繁に経験した地震とは、大違いの体感でした。
強烈なタテ揺れのあとすぐ激しいヨコ揺れがあり、しばらくしてシーンと物音一つしない無音の世界‥犬・猫すらa0212807_13365173.jpg恐怖で鳴くこともできない不気味な闇の世界で覚醒した私は、当初1階の自宅に得体の知れないものが、突っ込んできたと錯覚(最初の大音響のズドンで覚醒した時とっさに大型ダンプの衝突と現実的に推測)、その後瞬時にズドン、ズドン‥と続いたタテ揺れで途轍(とてつ)もなく大きな地震が、発生したと感じました。
フトンから出ると暗闇の中で自室の辺り一面に散乱した物にぶつかりながら電灯のスイッチを探しオンにしてもa0212807_13404412.jpg点きませんでした。
手探りしながら廊下に出ると足裏でガラス破片を踏み、スリッパを探してリビングへ行き、じっと夜が明けるのを待ちました。
1時間余り過ぎたころ突然点灯、室内が明るくなり目に飛び込んできたのは、前夜と違う室内の光景でした。
無事だったテレビで臨時ニュースを見ながら自分の住まう場所が、大地震の震源地と知りビックリ‥つい1、2時間前に体感した‘激しい揺れ’を妙に納得しました。
遠くで臨時ニュースを見て心配しているかもしれない家族・友人・同僚にてきるだけ多く「被害は大きいが大丈a0212807_1343493.jpg夫」と自宅から電話(携帯電話がない時代)しましたが、電話もすぐに不通になりました。
日が昇り、外に出て辺りを見渡すと玄関向かいにある立派な旧家の2階が1階を押しつぶし崩壊、路地を挟んだ木造アパートは、今にも倒壊しそうに傾きガスの臭いがしていました。
阪神・淡路大震災のあと私は、辛いことも善いことも、人のやさしさも人生の無常(震災犠牲者6,434名)も含め多くのことを学びました。
20年前の今日、生きている偶然の奇跡を実感したことを改めて憶い出しました。
7年暮らした尼崎市稲葉荘(自宅)と西宮市鳴尾浜(職場)は、武庫川の両河川敷が、自転車で片道7㌔の通勤路でした。
焼き肉の美味しいお店、ホッペタ落ちる美味しいキムチ屋、絶品の長崎チャンポン屋、南京街鯉川筋の中華料理店‥行きたいなぁ。

私のアーカイブ写真 上から
1.自宅からそう遠くないところにある倒壊した
  阪神高速道路
2.1月16日、大震災の前日映画(確か「スピー
  ド」でした)を見た神戸三宮阪急会館
3.崩壊した神戸三宮の旧そごうデパート
4.震災後の大変な暮らしの中でも整然とならび配給品を受け取とる被災者たち‥「辛く苦しいのはお互いさま」
  という相手の痛みが分かる精神
by blues_rock | 2015-01-17 05:46 | 人生/愛(Love) | Comments(0)