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心の時空

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a day in my life

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石橋美術館の思い出は、昨年2月17日のブログに「懐かしい石橋美術館(久留米市)」と題して書きましたので、こちらをご覧くださると光栄です。
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今夜は、この美術館のコレクション(所蔵作品)についての憶い出を書きたいと思います。
私の子供心に非常にインパクトがあったのは、青木繁(1882~1911)22才の時の作品「海の幸」(1904)でした。
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夏目漱石も感動したという「わだつみのいろこの宮」(1907)にも神秘を感じました。
藤島武二(1867~1943)の大作「天平の面影」(1902)の前では、天平女性の顔をじっと見ていました。
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石橋美術館は、古賀春江(1895~1933 こちら)のコレクションも充実しています。
「海」 (1929)のシュールな絵も鮮やかに記憶しています。
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       「海」(1929)  古賀春江 詩(原文まま)
   透明なる鋭い水色。藍。紫。
   見透される現実。陸地は海の中にある。
   辷る物体。海水。潜水艦。帆前船。
   北緯五十度。

   海水衣の女。物の凡てを海の魚族に縛(つな)ぐもの
   萌える新しい匂ひの海藻。

   独逸最新式潜水艦の鋼鉄製室の中で
   艦長は鳩のやうな鳥を愛したかも知れない
   聴音器に突きあたる直線的な音。

   モーターは廻る。廻る。
   起重機の風の中の顔。
   魚等は彼らの進路を図る―彼等は空虚の距離を充填するだらう―

   双眼鏡を取り給へ。地球はぐるつと廻つて全景を見透される。
by blues_rock | 2013-04-30 00:26 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
私の働く高齢者居宅介護事業所の2階の窓いっぱいに竹林(一番上の写真)が広がります。
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筍の背丈も伸びて、外皮を付けたまま、親林の半分くらいの大きさに伸びました。
親の背丈くらいに育った小学生が、ランドセルを背負って通学しているような微笑ましい感じで、ほんのりとした竹林の景色は、心を和ましてくれます。
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新緑の風が、竹を揺らすと、黄葉した竹の葉は、秋に枯葉が散るようにハラハラと舞い散ります。
それを日本人は、古来より春の季節なのに秋に見立て‘竹の秋’(こちら)と風流な呼び名で言い表しました。
筍が芽吹くと親竹は、なぜ急いで葉を落とすのか‥それは、春が終わり、やがて到来する長い雨の季節(梅雨)
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と台風シーズンを前に、ひ弱な筍が、暴風雨に耐え、折れない力をもつ若竹に育てる必要があるからです。
そのため地下茎で繋がるわが子の成長を促すため親竹は、葉を落として栄養を筍に送るのです。
親竹は、筍が竹になる夏からまた栄養を蓄え始め秋には、新緑の青い葉を茂らせ厳しい冬の季節に備えます。
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これを‘竹の春’と呼びます。
新緑の季節に黄葉する竹林、紅葉の季節に深緑鮮やかな竹の森、四季を逆さに巡る竹の異様もまた美しい日本の景色です。
by blues_rock | 2013-04-29 00:28 | 柏原生活/博多叙景 | Comments(0)
フランス映画(2007年日本公開)で、原題は「アヴリル(4月)」、中央フランス山中に外界を隔絶し中世の暮らしを続ける修道院と南フランスの海が、舞台です。
a0212807_643127.jpg主人公のアヴリル(ソフィー・カントン)は、見なし子で赤子のとき修道院に預けられ厳格な修道院長とやさしい修道女たちのもとで戒律に従い修道院の中だけで育てられました。
アヴリルは、外の世界を知らず、修道院の庭に咲く花の絵を描くのを毎日の楽しみにしていました。
アヴリルが、修道女見習いとして成長し二十歳になったとき、院長は、アヴリルに修道女になるための試練‥礼拝堂に籠もり厳しい2週間の禊(みそぎ)に耐えることを命じました。
礼拝堂に入るとき、アヴリルの世話をする修道女ベルナデッド(ミュウ・ミュウ)が、アヴリルに「あなたには、双子の兄がいます。彼が、預けられた修道院を教えるので2週間を利用して会って来なさい。修道女になったら、あなたは、外の世界を知らないままここで暮らすことになります。」とアヴリルを修道院から外の世界に送り出しました。
初めての体験に驚き躊躇(ためら)いながら、アヴリルは、新鮮な感動を覚えていました。
自転車で街に向かう途中、貧血で道に倒れていたところを画材配達の青年ピエール(ニコラ・デュヴォシェル)にa0212807_616437.jpg助けられます。
山中の修道院が、陰なら、南フランスは陽、修道院の暮らしが、抑圧なら、外の世界は解放、初めての自由な心にアヴリルの中で、禁欲と歓喜、純潔と奔放が、葛藤を始めました。
アヴリルに好意をもったピエールは、アヴリルの双子の兄ダヴッド(クレマン・シボニー)を一緒に探してあげました。
南フランスの海岸で初めて双子の兄ダヴッドと会ったアヴリルは、ダヴッドやピエールと一緒に過ごすうち次第に心が解き放たれて、ある日の朝早く、修道院の服を脱いで全裸になり、誰もいない海辺で波と戯れていました。
アヴリル役のソフィー・カントンの全裸は、‘マイヨールの彫刻’のように美しく、南フランスの陽光を浴びて、全裸
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のアヴリルが、海で波と戯れるシーンは、瑞々しく感動的な映像です。
ジェラール・ユスターシュ=マチュー監督(=脚本)は、「アヴリルの恋」が、初めての長編映画監督ながらシャレた演出と美しい映像でセザール賞を受賞しました。
by blues_rock | 2013-04-28 00:02 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
博多から行く場合、JR戸畑駅で降り、バスに乗り換え20分くらいのところに、北九州市立美術館はあります。
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美術館が、オープンした1974年ごろ一度だけ、確か「香月泰男‘シベリア・シリーズ’特別展」を見に行った記憶があります。                          香月泰男「一九四五」(1959)  油彩 72.8×116.2
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公共交通のアクセスが、不便だった印象があるので、次回行くことがあれば、今度は車にします。
by blues_rock | 2013-04-27 00:30 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
ドキュメンタリー映画「テルミン」は、世界初の電子楽器誕生にまつわる秘話をドキュメンタリー映像作家のスティーヴン・マーティン監督が、製作した1993年のアメリカ映画です。
a0212807_1151869.jpg電子楽器「テルミン」の生みの親は、天才科学者レオン・レルミン(ソ連出身1896~1993)で、激動の20世紀をソ連とアメリカ両国で時代に翻弄されながら97年の生涯を閉じる最期まで天才として生き抜きました。
電子楽器「テルミン」は、不思議な楽器でコンデンサ(蓄電装置)の入った箱に左右1本ずつ短いアンテナ(1本は右上、1本は左横)があり、箱の上のアンテナの間で、演奏者が、左右の手を宙で動かしながら楽器に手を触れずに演奏する楽器です。
テルミンの音は、反らしたのこぎりをヴァイオリンの弓で弾いた音に似ています。
a0212807_116190.jpg映画の中でテルミン博士は、電子楽器「テルミン」発明のキッカケを「ラジオを弄っていたらノイズが入り、その原因を調べているうちに、段々ノイズを自由に操れるようになりました。」と言っていたのが、印象的でした。
天才テルミンが、1919年に発明した電子楽器「テルミン」に天才アインシュタインも大いに興味を持っていました。
「テルミン」をいち早く音楽に生かしたのが、シンセサイザーの発明者ロバート・モーグ(1934~2005)とビーチ・ボーイスのブライアン・ウィルソン(1942~)の二人の天才でした。
ビーチ・ボーイスを世界的に有名にしたのが、大ヒット曲「グッド・ヴァイブレーション」で演奏にテルミンが使用されています。
ハリウッドのミステリー映画、サスペンス映画、恐怖映画にも音響でテルミンが多く使われました。
テルミン博士は、1928年アメリカに渡り、テルミンの普及に努めますが、1938年KGBにアメリカからソ連へ連れ戻され、失踪したテルミン博士死亡のウワサが流れ忘れa0212807_1163039.jpg去られていました。
その頃、博士は、ソ連のKGB秘密研究所で盗聴器のノイズを除去する開発をしていました。
1967年ソ連国内でテルミン博士の生存が、アメリカのジャーナリストに確認されるとレオン・テルミンの名前は、天才科学者電子楽器の祖として世界的に有名になりました。
(ポスター&上写真2枚:電子楽器テルミンを演奏するレオン・テルミン博士)
by blues_rock | 2013-04-26 00:13 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
下関市立美術館(1983年開館)には、一度だけ行きました。   (下写真:関門海峡大橋の向こうが下関港)
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下関市立美術館周辺のことは、良く憶えていないものの美術館から眺める関門海峡の海が、印象的でした。
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    岡 鹿之助「遊蝶花」(1951)
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    松本竣介「街にて」(1940)
by blues_rock | 2013-04-25 00:26 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
今年もまた春の玄界灘を見に糸島半島へドライブしました。
一行は、私の旧くからのトモダチとその娘家族(イギリス人の夫と娘)でした。
福岡から国道202号線を唐津方面に向かい、途中糸島市波多江にある地産直売市場‘伊都菜彩’で一休み‥
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店頭で売っていた清見オレンジの絞りたてジュースの美味しかったこと!思わずお替わりしてしまいました。
‘伊都菜彩’でランチ・タイムのあと、玄界灘を見に糸島半島北西の岬「芥屋の大門」へ、ここから眺める玄界灘は、ダイナミックです。(上写真:「芥屋の大門」から玄界灘遠望、下写真:二見ケ浦海岸)
a0212807_13392862.jpg帰路は、せっかく来たのだから、海を見ながら帰ろうと芥屋から玄界灘の海岸沿いに二見ケ浦、長浜海岸、さらに今津湾(元寇で14万蒙古軍と最も激しい戦をした入江)沿いに生の松原から姪浜へと車を走らせていると、姪浜渡船場からフェリーで能古島へ「魚を食べに行こう」とトモダチが、言い始めました。
能古島住民以外の車は、フェリーに乗れないので、姪浜港の駐車場に車を預けて行くことにしました。
能古島から眺める博多湾対岸の福岡市街風景も好いものです。
能古島の自然の中をしばらく散歩して、「さて魚は何を食べようか」と皆なで相談しているとイギリス人が、突然「能古バーガーがいい。」と言い出しました。
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「能古バーガー?何それ?」と私、回りを見渡すと店の看板に‘能古バーガー’とありました。
日ごろ、日本語は分からないと言っているのに、どうして読めるのさ?‥しかしイギリス人の少数意見は、日本人の多数派に却下され、全員魚料理の店に行きました。(参考:海から見た博多
by blues_rock | 2013-04-24 00:30 | 柏原生活/博多叙景 | Comments(0)
a0212807_2058431.jpg「汚れなき悪戯(いたずら)」(原題:マルセリーノ・パン・ビーノ)は、敬虔なキリスト教カトリック国スペインならではの宗教色豊かな映画で、修道院に捨てられた孤児マルセリーノと12人の修道士の心温まるヒューマンな映画ながらもエンディングに‘神の奇蹟’が、挿入されるところにスペイン映画を感じます。
ラディスラオ・ヴァホダ監督(原作者ホセ・シルバと共同脚本)の映画「汚れなき悪戯(いたずら)」は、1955年カンヌ国際映画祭で作品賞と特別子役賞を受賞しました。
この特別子役賞を受賞したのが、物語の主人公5才のマルセリーノを演じたパブリート・カルボ6才でした。
a0212807_22234067.jpgまさに、天使のようで無垢な悪戯っ子マルセリーノそのもので、マルセリーノを演じているというより、まだ幼いパブリート・カルボ少年が、そのまま純真で無垢な可愛いマルセリーノでした。
捨て子であったマルセリーノを深い愛情で包み成長を見守る修道士12人一人ひとりの個性豊かな表情も心温まります。
主題歌の「マルセリーノの歌」も映画「汚れなき悪戯」の人気を高めました。
聖マルセリーノ祭を迎えたスペインの小さな寒村が、映画の舞台です。
村の貧しい家に、病気で聖マルセリーノ祭に行けない少女を修道士が見舞い、昔修道院であった奇蹟の物語をa0212807_22305832.jpg少女に話して聞かせました。
聖マルセリーノの日に、修道院に一人の赤ん坊が、捨てられていました。
その赤ん坊は、男の子だったので、マルセリーノと名付けられました。
5才になったマルセリーノは、元気な悪戯っ子で12人の修道士たちを困らせていました。
マルセリーノが、野原で遊んでいる時、偶然出遭った若い農婦に、自分の母親を重ね合わせ、彼女にマヌエルという息子がいると聞き、マヌエルを空想の友だちにして、ひとりぼっちの寂しさを忘れていました。
修道院の2階には、怖い大男がいるので、そこへ絶対行ってはならないとマルセリーノは、修道士たちに言われa0212807_2231426.jpgていました。
しかし悪戯盛りで好奇心旺盛なマルセリーノが、じっといているはずもなく、修道士たちの目を盗んで2階に行くと農具や古い道具が置いてあり一番奥の部屋にキリストの磔刑像を発見しました。
荊(いばら)の冠をつけた十字架の男を見たマルセリーノは、びっくり仰天し逃げ帰りましたが、十字架の男の哀しい顔と痩せた姿は忘れられませんでした。
その日以来、台所からパンとワインを持ち出し2階のキリストに届けました。
キリストは、無言でそれを受け取っていましたが、ある日マルセリーノに「あなたは、私に十分してくれた。これかa0212807_22321064.jpgらマルセリーノ・パン・ビーノと呼ぼう。お礼に願いを叶えてあげよう。」と言いました。
マルセリーノは、「天国のママに会いたい。」と答えました。
キリストは、「ここに来なさい。」とマルセリーノを迎えました。
キリストに抱かれたマルセリーノの回りには、眩いばかりの光が、輝いていました。
村の病気の少女に、マルセリーノ・パン・ビーノ奇蹟の物語を話した修道士は、聖マルセリーノ祭の終わった修道院へ帰って行きました。
by blues_rock | 2013-04-23 00:55 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
a0212807_58015.jpg山口県立美術館は、1979年に開館、JR山口駅から歩いてすぐのところにあります。
山口県立美術館最大の特長は、香月泰男(1911~1974)と雪舟(1420~1506、室町時代)のコレクションです。
とくに、画家香月泰男のライフワークであった「シベリア・シリーズ」(こちら1969年第1回日本芸術大賞受賞)57点のうち45点が、遺族から山口県立美術館に寄贈され展示されています。
香月泰男は、徴兵(召集令状)により満州に送られ敗戦、ソ連によりシベリアの強制収容所に抑留されました。
シベリアの厳しい寒さの中でわずかな食事と衣服で休養も与えられず、奴隷のような過酷な労働を強いられ、シベリアに抑留された多くの日本人捕虜が、死亡しました。
画家である香月泰男は、生き残った自分の使命(ミッション)であるかのように、苦しみ抜いて死んでいった同胞たちが眠るシベリア大地や脳裏に残る同胞たちの哀しみを鎮魂画「シベリア・シリーズ」として香月泰男独自の表現技法で描き残しました。
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美術館の近くに、国宝「瑠璃光寺の五重塔」がありますので、併せてご覧になることをお薦めいたします。
(参考:私の数寄な絵‥香月泰男「日の出」) 
by blues_rock | 2013-04-22 00:00 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
a0212807_231494.gif日本陶器の歴史は、古く古墳時代(5世紀)に遡ります。
それまで弥生式の素焼き土器である土師器(はじき)を焼成していた古代日本人は、5世紀ごろ朝鮮半島から伝来した須恵器(すえき)焼成の技術‥窖窯(あながま)を高温にして還元焔で焼成する技術を学びました。
飛鳥時代(6世紀)になると古代中国から伝来した越州窯に触発された猿投(さなげ、愛知県猿投山麓)の陶工たちが、須恵器の自然釉による焼き締め技術を向上させ、灰釉(かいゆう)をかけ高火度で焼成する技術を開発し、祭器・仏具・香炉・硯・食器などの灰釉陶器を焼成しました。 (下写真:中世の窖窯跡)
a0212807_24248.jpg平安時代(8世紀)になると、それまで貴重であった陶器の焼成技術が、中日本一帯から近畿さらに西日本に広がり、六古窯を中心に壺(つぼ)・甕(かめ)・擂鉢(すりばち)・茶碗・皿などを焼成、一気に日本の陶器生産は、拡大し庶民にも普及しました。
九州は、朝鮮半島の陶磁器の影響が強く、唐津の陶器(古唐津窯)と有田の磁器(初期伊万里窯・古伊万里窯)を源流にして独自a0212807_281163.jpgの陶磁焼成窯を発展させました。
物原(ものはら)とは、窯で陶磁焼成したあと窯出しの時に発見されるキズモノ(商品にならないもの)を投棄した場所のことを言います。
その昔、日本の陶工たちは、「良質な陶土」・「焼成条件の良い登り窯の場所」・「豊富な赤松山林」のある山を求めて移動していました。  (上写真:中世の登り窯跡、下写真:物原跡に散らばる陶片)
a0212807_2101989.jpg窯を造営し生活している地域一帯に陶器生産用の原材料が、無くなると窯を捨て、陶工仲間や家族とともに、陶器生産のための三条件が、そろった次の新しい山へ移動しました。
千数百年の歴史をもつ日本古窯には、窯の記録が、一切なく、人々の記憶からも完全に消えた古窯が、山中の草茫々とした物原の発掘とともに発見されることがあります。
a0212807_2174286.jpg古窯のタイムカプセルである物原から発見される陶片(ワレ・カケ・窯キズ)は、現在市町村の指定埋蔵文化財にされ没収されます。
古窯の物原から発掘された陶片が、市町村の埋蔵文化財センターの中で、コンテナに入れられたまま無造作に積まれ、放置されていることを考えると、壊れた古陶片を寄せ集め新しい陶器として再生する‘金継ぎ’をする者には、宝の山に思えてa0212807_2201711.jpgなりません。
数百年前の古窯物原で、まだ数多の古陶片が、発見されずに眠っているのではないかと想像するだけで期待に胸が膨らみます。
(上と左写真:物原に棄てられていた古陶片の表と裏)
by blues_rock | 2013-04-21 00:03 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)