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心の時空

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a day in my life

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ルネッサンス全盛期の代表的な画家ラファエロ・サンティ(1483~1520没、享年37才)は、世界美術史に名を残す‘天才の中の天才’と思います。
日本では、ルネッサンス(Renaissance とはフランス語で直訳すると‘再生’)を文芸復興と翻訳してきました。
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それは、ルネッサンス期(14~15世紀)のイタリアにおける芸術上の成果から翻訳された意訳であってルネッサンスの本質は、当時のキリスト教原理主義による禁欲思想と宗派対立に閉塞(うんざり)した中世ヨーロッパ社会に芽生えた古代ギリシャ・ローマ文明への回帰と文化(学問・知識の)復興運動で、ヨーロッパ社会の価値規
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範(パラダイム)を新プラトン主義(ネオプラトニズム)におき「人間の理想」を実現しようという文化革命でした。
それを人々に最も分かりやすく顕著に表わしたのが“芸術”でした。
当時のヨーロッパ社会の人々は、キリストの人間愛を美に求め「美に対するプラトン的な愛(プラトニック・ラブ)
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により人間は、キリストの教える神の領域に近づくことができる」と考えました。
その美意識を昇華し絵画に表現したのが、ルネッサンス期の天才たちで、なかでもダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、ボッティチェリは、人類美術史上‘天才の中の天才’でした。
この4人が、同じ時代フィレンツェで暮らしていたことを奇跡と呼ばないで一体何を奇跡と呼べるのでしょうか?
私は、フィレンツェを1970年代と1990年代に2度訪ね、4人の作品を見るたびに、彼らは‘神の領域から来たエイリアン’ではないかと思いました。
<作品所蔵>
小椅子の聖母(1514) フィレンツェ/ピッティ美術館
聖母子と幼児ヨハネ(1507) パリ/ルーヴル美術館
大公の聖母(1504) フィレンツェ/ピッティ美術館
by blues_rock | 2012-10-31 05:25 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
フィリッポ・リッピ(1406~1469没、享年63才)晩年の作品で初期ルネッサンス絵画の傑作です。
a0212807_175241.jpgフィリッポ・リッピは、修道士でしたが、恋多き破戒僧でした。
フィレンツェ郊外プラートの大聖堂壁画を委嘱され、司祭となったフィリッポ・リッピは、50才の時プラートの修道院で知り合った23才の修道女ルクレツィアに恋をし誘惑、駆け落ちしました。
司祭と修道女との駆け落ちは、一大スキャンダルとなりローマ教会から告発されました。
フィリッポ・リッピの画家としての才能を高く評価していたコジモ・デ・メディチは、教皇に執り成して、二人の還俗(げんぞく)を認めてもらい、二人は結婚しました。
「聖母子と天使」のモデルは、母となった妻ルクレツィアおよび息子二人と推察します。
この絵の美しさは、聖母マリアの甘美で官能的な表情と絵画に表現された世俗的な雰囲気にあると思います。
by blues_rock | 2012-10-30 01:08 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
古来より日本人のDNA(精神の遺伝子)のなせる業か、どんな時代にあっても月を愛でる心(美意識)が、脈々と受け継がれてきたように思います。                             (下写真:中秋の名月)
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日本には月の名前が400くらいあるそうで、たとえば旧暦8月15日(中秋の満月)から8月20日までの5日間でも十五夜・十六夜(いざよい)・立待月(たちまちづき)・居待月(いまちづき)・臥待月(ふしまちづき)・更待月(さら
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まちづき)と呼び方が、変わります。                     (上写真:臥待月、下写真:上弦月)
旧暦8月15日の十五夜「中秋の名月」を過ぎてから月の出は遅くなり、十六夜(いざよい)、そして立ちながら
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今か今かと月の出を待つ立待月、縁側に座居して月を眺める居待月、床に臥して窓より月を見る臥待月、欠けていく月を更に惜しんで愛でる更待月と日本人の美意識“もののあはれ”がありました。
a0212807_2274954.jpg現代でもフォークロック・ミュージシャンの吉田拓郎は、「旅の宿」で‘上弦の月’、「祭りのあと」では‘臥待月’を歌いました。
日本の四季、一月(ひとつき)を二つに分けた二十四節気、さらに5日毎の七十二候(今はもう使うこともありません)と自然のデリケートな季節変化を肌で感じて生きてきました。
いま大気圏で増え続けているCO2による地球の温暖化が、ゆっくり確実に気温を上昇させていく気候の変化に人類は、次第に鈍感になってきています。
人類は、やがて「ゆでガエル」になる、私は、ふとそんな不吉な予感に囚われました。
by blues_rock | 2012-10-29 00:03 | 柏原生活/博多叙景 | Comments(0)
映画は、無罪ながら殺人罪で終身刑の判決を受けた兄と寸分も兄の無罪を疑わない妹の強い絆の物語‥だからタイトルを「ディア・ブラザー」にしたのでしょうが、何とつまらない安っぽいタイトルでしょう。
2010年のアメリカ映画で原題は、「Conviction(有罪判決)」です。
映画は、実話を元に製作されているのでリアリティがあるだけに、せめて原題を直訳し「有罪判決」か、少しひねって「冤罪」くらいのタイトルにして欲しいと思います。
a0212807_12181851.jpg映画のストーリーは、アメリカの田舎町で女性の惨殺死体が、発見されたところから始まります。(予告編はこちら
子供のころから乱暴者で暴力沙汰が絶えず犯罪歴のある兄を警察は、ろくな捜査もせず最初から犯人と決め付け、脅迫して数人の証人をでっち上げ、証拠を捏造(ねつぞう)し逮捕します。
幼いときから妹は、いつも兄と一緒で大人になってお互い家庭を持っても仲の良い兄妹でした。
妹だけは、兄の無罪を確信し裁判に臨みますが、警察から偽証するよう脅迫されている証人たちの証言(事実は映画の後半に分かります)で、兄は仮釈放なし終身刑を宣告されます。
裁判を上告し法廷闘争を続けるには、莫大な費用と時間、何より被告の無罪を信じきるたいへんなエネルギーが、必要でした。
精神的な重圧で刑務所のなかで自殺未遂を起こす面会室の兄に向って妹は「私が兄さんをここから必ず出す。自殺しないと約束して!約束しないなら私が兄さんを殺す。」と強く約束を迫ります。
高校中退ながら妹は、自分が弁護士になるしかないと決意し、孤立無援ながら高校を卒業し大学(法律学校)へ進学、猛勉強して弁護士になりました。
兄の裁判再審手続きを始めますが、10数年以上も前の事件なので裁判所も警察も非協力的でした。
a0212807_12191293.jpg兄と妹18年間のConviction(信念・確信)の記録です。
この映画は、壁を乗り越えながら完成に9年の製作期間を要しました。
監督はトニー・ゴールドウィン(1960~)、主役の妹を演じたヒラリー・スワンク(1974~)は、プロデューサーの一人でもあります。
兄役にサム・ロックウェル(1968~)、クリスチャン・ベイルそっくりな時があり驚きました。
アカデミー主演女優賞を2度受賞したヒラリー・スワンクの演技は、申し分なく、兄役のサム・ロックウェルも好演しています。
兄を殺人犯にデッチ上げる悪徳女性警察官にメリッサ・レオ(1960~)、「ザ・ファイター」(2010)・「フローズン・リバー」(2008)とは違った悪役ぶりを見事に演じていました。
警察に偽証すること脅迫され証言台に立つ証人を演じたジュリエット・ルイス(1973~)のアル中で汚れた女の役も流石(さすが)と納得する演技でした。
それにしても名女優ヒラリー・スワンクほか個性的な俳優たちが多数出演している佳作映画「ディア・ブラザー」なのに日本では、劇場公開せずに‘ビデオスルー’にしたのはどうしたわけ、もし映画配給会社が、日本で封切りしても採算取れないと考えたのなら日本の映画ファンを甘く見ていますよ。
by blues_rock | 2012-10-28 00:16 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
秋も深まると稲田の収穫も終わり、稲刈りの終わった田んぼに多くのカササギが舞い下りて、虫を啄ばんでいる景色‥これが私の秋の心象風景画です。
私の古里の旧い家は、一面田んぼばかり、筑後平野の稲作地帯にありました。
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稲を脱穀したあとの藁(わら)や畦道の枯れ草を燃やす野焼きの煙とその匂いもまた私の秋の景色です。
古里には、網の目のように堀(水路つまりクリーク)が繋がり、平野いっぱいに広がっていました。
水田に筑後川水系から水を引くための堀でした。
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春になると筑後平野の稲田に水を引くため、水量が増えた筑後川の水門を開け、堀に水を流します。
田植えが始まるころには、堀は満々と水を湛え、水面には、ホテイアオイ(ウォーターヒヤシンス)や菱(ひし)など水草の茎と葉が生い茂り、子供たちの格好の水遊びの場となっていました。
a0212807_1722099.jpg夏の季節、日曜日や夏休みともなると子供たちは、学校の宿題もしないで毎日近くの堀に出かけ、手作りの釣り竿で小ブナを釣り、釣りに飽きると堀をプール代わりに真っ裸で泳ぎ、水草の間からブカッと顔を出すその光景はまるでカッパのようでした。
何の悩みもなく楽しいばかりの屈託ない幼い日々の懐い出です。
梅雨ともなると降り続く長雨で、堀の水嵩(みずかさ)が増し、時おり襲う大水(洪水)による子供の悲しい水難事故もありました。
a0212807_11592142.jpg夏泳いでいて水に流され水死する不幸な事故もありました。
そんな季節も過ぎて秋になり稲刈りも終わると農家の大人たちは、堀から水を筑後川へ戻し‘堀の水抜き’をしました。
堀の水を抜き、春から初秋まで半年の間に堆積した泥土と生い茂った水草を除去する集落の共同作業が“堀干し”でした。
堀をきれいに掃除し堀を干すため、両端に泥土で関を作り、残った水を簡易ポンプか、大人たちがバケツで汲み出すと堀の底からコイ・フナ・ライギョ・ハヤ・ナマズ・ドジョウ・ザリガニ・ドジョウが、バシャバシャと一斉に現れました。
こうして水路(クリーク)のように続く堀を少しずつ“堀干し”していくわけです。
a0212807_1223980.jpg子供たちも大人に交じり、堀の底の泥水の中で、頭の天辺まで泥に塗(まみ)れ、キャッキャ・キャッキャ大騒ぎしながら、小さな子供では抱えきれないくらい成長したコイやライギョを追っかけ回していました。
私の好物にフナの煮付け、コイの洗い刺身・コイこく汁、ハヤの甘露煮など淡水魚系が多いのは、そんな子供のころの生活風土に因るものと思います。
by blues_rock | 2012-10-27 01:10 | 自然/農耕/食料 | Comments(0)
神戸市の摩耶海岸に面して兵庫県立美術館はあります。
建築家安藤忠雄の設計による新しい兵庫県立美術館(旧兵庫県立近代美術館)として2002年に開館しました。
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神戸の海に映えるよう新美術館の建物と空間は構成され、美術館そのものも建築作品として鑑賞の対象となっています。                  (上・下写真:兵庫県立美術館、その下の写真:金山平三記念室)
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兵庫県立美術館として油彩画・日本画・版画・彫刻など7000点の作品を収蔵しています。
この美術館の特徴は、洋画家金山平三(1883~1964)の風景画と洋画家小磯良平(1903~1988)の人物画を
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常設した画家の名前の付いた記念室があり、油彩画のファンには、楽しめると思います。
金山平三は、日本各地の風景画を油彩で描いた画家として有名、小磯良平は、若い女性をモデルに衒(てら)
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いのない人物画を描いた画家としてファンも多いようです。     (上写真:神戸市立小磯記念美術館)
東灘区六甲アイランドには「神戸市立小磯記念美術館」があり、小磯良平ファンには、お薦めの美術館です。
a0212807_0323125.jpg金山平三の風景画、小磯良平の人物画とも私には‘行儀が良過ぎ’て、胸さわぎがしない美人を見るようなそんな印象です。
絵画も女性も出会うたびに‘胸キュン心臓ドキドキ’が、よろしいかと私は思います。
  (右写真:小磯良平「女性像」)
by blues_rock | 2012-10-26 00:54 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
尖閣列島の領土を巡る中国の過激な反日デモは、中国共産党の扇動により動員された共産党員による計算づくの演出された反日過激デモでした。
突然騒乱が始まり、突然沈静化する反日過激デモの実態と本質を私たち日本人は、良く知る必要があります。
結論を先に言えば、中国共産党最高指導部(国家を牛耳る中央政治局の特権階級)交代にともなう共産党内部の権力闘争(暗闘)に、尖閣列島の領土問題が、上手く利用されたのです。
だいたい「国家(政府)のうえに一党独裁の共産党がある」社会体制なんて、ぞっとしませんか?
中国の国内には、民族紛争(中国民族56‥そのうち92%が漢民族、残り55民族は8%)・民主化の弾圧・経済の地域格差・言論の検閲と統制(出版規制・サイト検閲)など13億人の抱える社会問題が、山積みしています。
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その山積みの問題に起因する人民の欲求不満・ストレスを発散させ、目をそらさせるために、法治民主国家では、犯罪となる暴行・破壊・略奪行為を‘愛国無罪’など詭弁を弄し、国内の混乱を覆い隠そうというのが、中国共産党政府の魂胆でした。
次は、日本国憲法に違反し有権者を愚弄する「一票の格差」の是正、これは当たり前も当たり前、当然過ぎて一体何をモタついてんだ、さっさとやれ、とオール国会議員諸氏に申しあげたいと思います。
税金は、当然のように国家からむしり取られ(納税は国民の義務ながら)、税金の使い道(国家予算)が、納税者(国民)のためではなく、利権に群がる族議員と保身の官僚たちによる‘政治’(狎れ合い)で、分け前が配分されている現実に、日本国の未来に暗澹たるものを感じます。
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自分の世代の享楽のために借金(赤字国債の大量発行)しまくり(こちら)、子供や孫たち、さらにその末代の子孫(これから産まれて来る日本国民)に平気でツケをまわす私たち大人の無定見と傲慢さに忸怩(じくじ)たる思いです。
日本のこの現状は、自立・自助・自己責任を原則とするパラダイムと冷静な理性を以って安易な欲望をコントロールしないかぎり解決しないでしょう。
私も現世に暮らす愚かな大人のひとり、何一つ解決できないままズルズルと恥ずかしく生きていますが、生きているうちに何か一つでも解決したいと考え努力しています。
ガマン、ガマン、じっとガマンの禁欲生活など私は、キライで唾棄します。
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人が、楽しく暮らせる世界、人間としてフェアに生きていける社会(世の中)であってほしいと切に願います。
世界どこへでも自由に行ける国際社会のルール、自由な精神を抑圧しない社会‥ジョン・レノンの‘イマジン’は、理想には違いありませんが、‘イマジン’に代わる人類普遍の明晰な哲学はありません。
偏狭な信仰で、他の信仰を異教だの邪教だのと排他し、まして排除するなど言語道断、また宗教・宗派で殺し合うなんぞ、それこそ愚の骨頂です。
無宗教の私には、理解できない宗教ワールドですが、どうしても自分に神様が必要であるなら、ひとりそっと静かに祈り、やたら群れて騒がず、また他人迷惑な勧誘などもしないで、自然の中に数多宿るといわれる八百万神(ヤオヨロズノカミ)を信仰したらいかがでしょう、きっと幸福になれると思いますよ。
by blues_rock | 2012-10-25 00:08 | 柏原生活/博多叙景 | Comments(0)
私は、日ごろテレビは見ません(数年前テレビは廃棄しました)ので、以前のようにテレビの騒音でイライラすることはなくなりました。
ニュースは、日本経済新聞に目を通すくらいで、自分が不快・不愉快になるようなイヤな記事やツマラナイ記事には、できるだけ目を通さないようにしています。
新聞記事の内容は、さしずめ世の中の“問題や不幸”のてんこ盛りの様相ながら、私たちがその気になれば解決できる“問題や不幸”も結構数多くあるように思います。
個人の問題や不幸なら捨ておけばよいことですが、国家や社会の根幹にかかわる“問題や不幸”を捨ておき解決しない、その気にならないのは、犯罪です。         (下写真3枚 : 西東京市、武蔵関公園の秋)
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先日拙ブログで「能力と資質」について書きましたが、優秀な人とは、“問題や不幸”を解決する能力のある人で、出自や学歴には一切関係ありません。
このところ新聞紙面にやたら増えたように感じるのが、「介護」と「農業」に関連する記事です。
この問題、いよいよ世論(世相)のお尻に火が付いたということでしょうか。
次に目にするのが、「電力関連(原発など)」の記事と併せた「CO2排出=地球温暖化の問題」、その次に「中国の反日デモ」、さらに「一票の格差是正問題」(最高裁判所の判決は憲法違反)に関連した衆議院解散の記事と続きます。
どの記事も読んでいて、ボンクラでなければ「当たり前のことを当たり前に」、「普通のことを普通に」考えると
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理解できる内容で、すぐに実践すると解決できる問題ばかりなのに、衆愚な政治家の発言は、党利党略(目くそ鼻くその類い)ばかりでガッカリします。
「高齢者介護」・「日本農業」についての記事では、拙ブログに提言してきたことが、概ね同じように述べられています。
高齢者も認知症も、突然出現した‘エイリアン’ではありません。
日本農業の矛盾は、51年前の1961年(昭和36年)に始まった農業基本法(減反政策)制定時に分かっていたことです。
日本農業が、いくらTPP加盟反対の狼煙(のろし)を上げても、わが国の食料安全保障に託(かこつ)けて反対
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しても、日本が、これからも真っ当な国家として存続していくためには、TPPに加盟するしか私たちに選択の余地はありません。(江戸時代のように鎖国するなら別ですが、そんな時代錯誤な日本人はもういないでしょう。)
とくに中国の反日政策に対しわが国主張の正当性を表明でき理解を得られる可能性があるは(味方になってくれそうなのは)、中国の軍事覇権を非常に警戒するTPP加盟諸国(とくに中心となるASEAN10国)だからです。
日本は、積極的にTPP加盟国となり、資金・技術でのリーダーシップを担い中国と対峙していかなければ、国連で拒否権(第2次世界大戦戦勝国5か国の特権)をもつ中国に毅然と対応できるわけがありません。
「CO2排出=地球温暖化」についての最新記事は、わが国のCO2排出量が、現在も続く原発の全面停止で2011年度の企業努力も虚しく、1年間のCO2排出量削減がパアになったというもの、これも当然のことです。
「原子力発電所の存続か廃止か」は、感情的・打算的な議論ではなく、政治が衆目の前で堂々と議論し情報を広く公開、大所高所で決断していかなければ決して解決しないでしょう。(続く)
by blues_rock | 2012-10-24 03:52 | 柏原生活/博多叙景 | Comments(0)
長谷川等伯(1535~1610)については、多くの美術史書や展覧会カタログに詳しく掲載されているので略歴だけ紹介します。
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               国宝「松林図屏風」(東京国立博物館所蔵):下写真2枚、左右拡大
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能登の七尾(現在の石川県七尾市)で生まれ、幼少のころから仏画を書いて育ちました。
30才を過ぎて上洛し京都画壇へデビューしました。
a0212807_23592847.jpg桃山時代の京都にあって利休ほか茶人や大名たちと交わり、長谷川等伯の才能が、開花しました。
40才を過ぎたころから京都でも有名な絵師の一人となり、画号を‘等伯’と称するようになりました。
当時京都洛中で宮中・寺院の障壁画の仕事を一手に仕切っていたのが、狩野派でした。
長谷川等伯を知る大名たちの推薦で退位した天皇の住まう「仙洞御所対屋(せんとうごしょついのや)」の障壁画を長谷川等伯が、依頼されました。
これに慌てたのが、狩野派の総帥狩野永徳で、等伯への障壁画依頼を必死で妨害し宮中に取り消させました。
50才を過ぎると長谷川等伯は、自らの画境を牧谿の水墨画の中に求め、牧谿の画に漂う空気感を自らのものにし「松林図屏風(しょうりんずびょうぶ)」を完成させました。
a0212807_025516.jpg晩年等伯は、法眼の僧位になりますが、町絵師を続けながら、自らは町衆の有力者の一人として寺院の建立・寄進などの社会貢献に努めました。
70才を過ぎた1610年、長谷川等伯は、旧知の徳川家康の招きで江戸に向かいますが、旅の途中発病し江戸到着の2日後に亡くなりました。
享年72才でした。

(写真上と左) 重要文化財「枯木猿猴図」 京都、龍泉庵所蔵
長谷川等伯は、京都大徳寺にある牧谿「観音猿鶴図」(こちら中段の画)を見て感動、牧谿を求め学ぶために「枯木猿猴図」を描きました。
by blues_rock | 2012-10-23 00:42 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
13世紀、鎌倉時代の日本に中国から渡来した牧谿(もっけい、生没年不明、四川生まれ)は、南宋の禅僧にして優れた水墨画家でした。
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                       国宝「漁村夕照図」(根津美術館所蔵)
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                上写真:「漁村夕照図」の左部分拡大、下写真:同右部分拡大
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当時、日本と中国は、禅宗寺院の間で活発な交流があり、南宋の禅僧法常も日本に渡りました。
禅僧法常は、南宋(浙江)で、牧谿(もっけい)と号し画家としても有名でした。
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                         国宝「観音猿鶴図」(大徳寺所蔵)
当時の中国は、唐の時代に始まる院体画(いんたいが)が主流で、花鳥山水の対象を写実的に精密に水墨で表現していました。
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13世紀末、南宋(漢民族)が、元(モンゴル民族)に滅ぼされると牧谿の水墨画は、「粗放にして古法なし」と悪評され忘れ去られました。
a0212807_22585093.jpg牧谿が、墨で描いた花鳥山水画の空気感は、日本の禅宗の僧侶や茶禅(茶の湯の原始)の数寄(公家・大名)に絶賛され大いに評価されました。
14世紀室町時代になると牧谿の評価は、ますます高まり、当時和尚といえば牧谿のことを指すほどの評判でした。
日本に渡来してからの牧谿についての記録は、数多残り、牧谿が描いた水墨画の来歴も相当正確に分かっています。
牧谿の作品は、台湾にある伝 牧谿の1点が、あるだけで残りは、全部日本にあります。
中国・欧米には、牧谿 伝称の作品も含め存在せず、台湾の故宮博物館に1点、伝 牧谿の写生巻として1巻残されているだけです。
日本にある牧谿の優品は、国宝3点、重要文化財9点、それ以外にも8点、伝 牧谿も含め20点が、現存しています。
牧谿は、日本の絵画史において後世に大きな影響を与えた重要な画家です。
牧谿から遅れること200余年、牧谿の影響を最も受けた画家が、安土桃山時代の絵師、長谷川等伯(1535~1610)でした。(続く
by blues_rock | 2012-10-22 00:30 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)