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心の時空

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a day in my life

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暑中お見舞い申しあげます。
いつも拙いブログ「心の時空」にお立ち寄りくだあり、ありがとうございます。
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福岡市郊外の山の麓(ふもと)で、山の深い緑とその上に広がる青い空にモクモクと立ち昇る入道雲を眺めながら、セミの鳴き声を聴き、ひんやり冷えたスイカを食べて、往く夏を楽しみたいと思います。
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やがて夏も終わる頃、西の空が茜色に染まると夏草の匂いと一緒に、近くの森からカナカナの鳴き声が聴こえ、少し哀しく、ちょっぴり寂しい静謐(しずか)な時間が流れます。
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一時(ひととき)のことながら、私はこの移りゆく季節の哀感が好きです。
by blues_rock | 2012-07-31 07:17 | 自然/農耕/食料 | Comments(0)
東アジア(日本・朝鮮・中国)の古陶磁・古窯の世界的な研究家であった小山富士夫(1900-1975)は、わが国の縄文・弥生土器から中世(平安・鎌倉時代)までの古陶を分類し、学術的に6か所の古窯で焼成された陶器であると「六古窯」という新しい古陶用語で呼びました。
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日本では、日本列島の先住民であった縄文人が、生活の中で土器という独特な“焼きもの”を発明しました。
それから弥生土器、土師器(はじき)、須恵器(すえき)と“焼きしめ”による焼成技術が発達し、鎌倉時代になると高温で焼成した陶器が誕生しました。
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瀬戸窯で初めて釉(うわぐすり)をかけた陶器(古瀬戸)が焼成され、同じころ常滑・越前・信楽・丹波・備前でも同じような焼成技術を使って暮らしに必要な陶器をまとめて生産する穴窯・大窯が現われました。
a0212807_23251392.jpg南北朝から室町時代になると鎌倉時代、中国渡来の禅宗によってもたらされた喫茶の風習が公家・武家・商家にも広まり、中国との交流・交易も活発になり大陸の陶磁器が、渡来するようになりました。
さらに戦国の世を経て安土・桃山時代になると村田珠光・武野紹鴎の「茶の湯」が広がり、千利休に受け継がれ、豊臣秀吉の朝鮮出兵により半島の陶器(生活雑器)が、大量に日本に渡来しました。
渡来品の中国陶磁器・朝鮮陶器の製陶技術は、日本独自の陶器を焼成していた「六古窯」に大きな影響を与え、窯・土・釉の研究・工夫・改良により桃山時代以降、日本の陶磁器生産は、技術革新しながら進歩し陶磁器を焼成する窯元も、良質な陶土と薪(赤松)を求めて全国各地に広がって行きました。
縄文土器の発明から1万数千年、日本の風土で育ち生粋の日本陶器を焼成した窯を学術的に「六古窯」と呼び中国・朝鮮古陶の影響を受けた桃山時代以降の窯と区別しています。
   ◆ 瀬戸(愛知県瀬戸市)
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瀬戸市の東南にある猿投山の山麓で焼きもの作りは始りました。
器の強度を高めるため釉(うわぐすり)をかけて焼くという本格的な技法をとっていたのは、当時の六古窯のなかで瀬戸だけでした。
他の窯では、焼きしめといって焼成温度を高めて堅くし吸水性がなくなるまで焼きしめていました。
   ◆ 古常滑(愛知県常滑市)
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古常滑と呼ばれる初期のものは歴史が古く、六古窯の中でも最も古く大規模でした。
須恵器の時代の平安末期までさかのぼり「壺や甕」が主な生産品でした。
   ◆ 古越前(福井県丹生郡織田町・宮崎村)
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古常滑と同じような歴史をもつのが、越前焼でした。
「壺や甕」が主な生産品なのは古常滑と同じですが、興味深いのは、室町時代以降、既婚女性用の「お歯黒壺」が盛んに作られました。
ロクロを用いない奇妙な形の小壺は、後年茶の湯に親しむ風流人に好まれ、一輪挿しなどに使われました。
時代とともに廃窯されて行き古越前焼の火が途絶えました
   ◆ 古信楽(滋賀県甲賀郡信楽町)
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信楽焼は、紫香楽(しがらき)宮の屋根瓦を焼くために始まりました。
大火で都が消失した後「種もみ用の壺」などで細々と窯は維持されておりましたが、室町時代になり、野趣豊かな土味を生かした素朴な風合いが、茶人たちの目に止まり、茶陶の生産地として発展しました。
   ◆ 古丹波(兵庫県篠山市立杭)
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六古窯の他の窯と同じような生い立ちで、「壺・甕・すり鉢」などの生活雑器を生産していました。
やがて茶人小堀遠州の好みによって、味わいのある茶陶が焼かれるようになりました。
蛇窯という穴窯で長時間焼かれ出来る「灰かむり」は、ダイナミックで重厚です。
   ◆ 古備前(岡山県備前市伊部)
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今では名陶や陶芸品の代名詞ともなった備前焼も、六古窯のひとつでした。
平安時代末期に窯が開かれた頃は「壺・甕・すり鉢」などの生活雑器を焼く普通の窯でした。
室町時代になると高温に耐える良質の陶土を生かし、2週間におよぶ焼成で徹底して焼きしめ、その長時間の焼成中で起こる窯変が、茶人の評判となり盛んになりました。
やがて茶陶が衰退すると古備前窯も次第に消滅していきましたが、終戦後金重陶陽(1896~1967)・藤原 啓(1899~1983)などの名匠(人間国宝)の手で備前焼は再興され有名になりました。
by blues_rock | 2012-07-30 00:04 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
ビートルズは、ロックンロールの本家本元アメリカでも熱狂的に受け入れられました。
アメリカのマスコミは、ティーンエイジャーに吹き荒れるビートルズ旋風を‘イギリスの侵略’と騒ぎ立てました。
a0212807_2155899.jpg1964年ワシントンDCのコンサート会場ワシントン・コロシアムのステージは、四方から観客が中央のビートルズを囲むようにセットされました。
ビートルズの4人は、四方の観客(ファン)のために、自分たちでステージのドラム・セットやマイク・スピーカーの位置を動かし演奏する方向を変えました。
このファンサービス精神は、ロックンロール・バンドとして長い下積み時代があったからだろうと思います。
このコンサートでは、リンゴのテンションが高く、気合いの入ったドラミングを見せています。
ポールのMCもいつになく多く ステージの上でジョンが、ジョージに何か冗談を言いはしゃいでいました。
ワシントン・コロシアムを大きなライブ・ハウスにして自分たちもステージを楽しんでいるのが分かります。
a0212807_2254265.jpgビートルズの音楽が進化し前衛的な音作りと相俟ってビートルズの音楽はもうライブでは再現できなくなりました。
1966年8月サンフランシスコでの野外コンサートを最後にビートルズは、ロックンロール・バンドから録音スタジオにこもり新しいロック音楽を創造するグループ「ビートルズ」として活動を始めました。
1967年ビートルズのマネージャー(束ね役)であったブライアン・エプスタインが、プールで突然事故死(溺死)すると4人のビートルズへの気持ちが次第にバラバラになり、毎年1枚のアルバムを発表するのが精一杯となりました。
a0212807_12591318.pngそして1970年のアルバム「Let it be」の発表を最後に解散しました。
ビートルズは、8年間に12枚のアルバムを発表しましたが、どのアルバムも傑作で、発表当時は言うに及ばず1970年グループ解散以降も世界中さまざまなジャンルのミュージシャンに影響を与えました。
ビートルズが解散して42年が経った今もなおビートルズは、健在です。
by blues_rock | 2012-07-29 01:07 | ビートルズ(Beatles) | Comments(0)
ミック・ジャガーとデヴィット・ボウイが、カヴァーしたマーサ&ザ・ヴァンデラスのヒット曲「ダンシング・イン・ザ・ストリート」と併せローリング・ストーンズ50周年のワールドツアーの話題を紹介しました。
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ビートルズは、1962年のメジャー・デビューなので50周年ですが、1960年には「ビートルズ」としてリバプールのキャバーン・クラブで活躍していましたので結成52周年になります。(上写真 : 1958年頃のジョンとポール)
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ジョン・レノン(1940~1980享年40才)・ポール・マッカトニー((1942~70才)・ジョージ・ハリスン(1943~2001享年58才)・リンゴー・スター(1940~72才)の4人が、もし今も元気だったらメジャー・デビュー50周年のセッションくらいしたかもしれませんね。 (上写真 : 1959年頃当時まだバンド名はシルバー・ビートルズ)
a0212807_0293253.jpgデビューしたころのビートルズは、アメリカのロックンロール、リズム&ブルースの名曲を数多くカヴァー、シングル・ヒットさせアルバムにも収録しています。
プリーズ・ミスター・ポストマン」もその一曲で、大ヒットしました。
1963年のテレビ映像なので収録ではコードレスでクチパクながらデビュー当時のロックンロールバンド「ビートルズ」を窺(うかが)い知ることができる貴重な映像です。
オリジナルは、1961年モータウンの「ザ・マーヴェレッツ」が、歌いヒットしたR&B「プリーズ・ミスター・ポストマン」です。
(付録) ザ・サタデイズというセクシーでセレブな美女5人グループによる「プリーズ・ミスター・ポストマン」のパフォーマンス‥歌もうまく色っぽくて目眩(めまい)がします。
それに比べ、日本では幼稚園のお遊戯会か、せいぜい小学校の学芸会程度の歌と踊りに、大の大人が子供と一緒になって騒ぐなんざ、ロリコン趣味もいいところ、彼らのお頭(つむ)の中も自ずと分かるというものです。
by blues_rock | 2012-07-28 23:30 | ビートルズ(Beatles) | Comments(0)
a0212807_1483173.jpgミック・ジャガー(1943~)とデヴィット・ボウイ(1947~)が、マーサ&ザ・ヴァンデラスの名曲「ダンシング・イン・ザ・ストリート」をカヴァーしたロックの名曲です。
1985年飢餓と貧困救済のチャリティ・レコード(ライヴ・エイド)のために当時42才のミック・ジャガーと38才のデヴィット・ボウイが、デュオを組み男の色気をプンプンさせてノリノリで歌っています。(こちら
ローリング・ストーンズのミック・ジャガーについては今さら何をや言わん、今年69才のシルバー手帳高齢者ながら「ローリング・ストーンズ、デビュー50周年コンサート」の世界ツアーを行なうのだとか‥いやはや、ミック・キース・チャーリー・ロンのローリング・ストーンズ4人は、地球外惑星のロック星人としか思えません。
デヴィット・ボウイは今年65才、1972年のアルバム「ジギー・スターダスト」でグラム・ロックのシンボルとなり40年、世界のロックを代表する一人です。
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デヴィット・ボウイは、レコード・セールス(音楽ビジネス)で成功しても音楽スタイルを常に変化させ、ロックを進化させてきたミュージシャンでした。
飛行機がキライなデヴィット・ボウイは、1973年の日本公演にイギリスから船で来日、帰りはシベリア鉄道でイギリスへ帰国したそうです。
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原曲は、モータウンのマーサ&ザ・ヴァンデラスがリリースしたR&B「ダンシング・イン・ザ・ストリート」で1964年に大ヒットしています。
by blues_rock | 2012-07-27 00:45 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)
2008年イタリア映画「ゴモラ」の舞台は、イタリアのナポリで、ゴモラとは、旧約聖書の創世記に出てくる古代都市ゴモラのこと、旧約聖書によると古代都市ゴモラは、背徳の罪により神により滅ぼされたそうです。
映画は、ナポリを中心拠点として都市の裏社会を暴力で支配する“カモッラ”と呼ばれるイタリア犯罪組織(闇の企業集団)の暗部を赤裸々に描いています。
a0212807_021165.jpgカモッラとは、シチリアを支配するマフィアと同じ暴力犯罪組織ですが、イタリア南部では、マフィアをしのぐ支配力と経済力を持っていました。
庶民の暮らしにも深く入り込み、各種業界・各市場との取引業者・商店などからテラ銭を徴収し、密輸・麻薬売買・産業廃棄物の不法処理・海外不動産取引など非合法な活動で利益(不正な金)を独占してきました。
映画「ゴモラ」では、カモッラ組織の掟と敵対する組織・裏切り者へのり容赦のない殺戮をリアルに描き、第一級の社会派映画と思います。
監督のマツテオ・ガローネ(1968~)は、イタリア映画界気鋭の若手映画監督です。
まだ44才の若さながらイタリア映画伝統のネオレアリズモ美学を継承し、そのドライな演出と感情移入しないクールな映像に、ハリウッドの名匠マーティン・スコセッシ監督や俳優で若手監督のベン・アフレック(2011年映画「ザ・タウン))などが、最大級の賛辞を贈りました。
映画「ゴモラ」は、2008年カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞しました。
映画は、カモッラをめぐる5つの物語で構成され、ストーリーの展開は同時並行に進行していきます。
a0212807_0252577.jpgEU企業から排出され処分に困る毒性の高い産業廃棄物を不法投棄するカモッラ系ゴミ回収処理会社の幹部を演じるトニー・セルヴィッロの存在感がすばらしく、私の目を惹きました。
トニー・セルヴィッロは、「湖のほとりで」で生活にくたびれた初老の刑事役を見事に演じていました。
さらに2010年映画「穏やかな暮らし」では、若いころカモッラの殺し屋だった男が、組織を抜け地下に潜伏しドイツへ逃亡、名前も変え結婚し子供と三人幸せに暮らしているところにイタリアの青年2人が、突然現れました。
この「穏やかな暮らし」は、「ゴモラ」の続編と見ることもできます。
a0212807_0254682.jpg映画「ゴモラ」には、カモッラに憧れる殺人の手引きをする少年、自己顕示のため組織を裏切ったためカモッラの仕掛けたワナで惨殺される二人の青年、カモッラに無断で中国人蛇頭の経営する仕立て工場に高級ドレス縫製技術を教えたために中国人たちもろとも処刑される仕立て職人などが登場‥どれも失業と貧困が引き起こすリアルな物語なので、現イタリアの経済不況と不安定な社会現象をドキュメンタリーで見ているような映画でした。
近未来の日本でも今の閉塞した社会状況が続き、さらに経済と失業が悪化すれば、市民社会システム(行政・警察・金融など)を丸ごと呑みこんだ犯罪企業グループ(チンピラあがりの旧い暴力団ではムリ)が台頭してくるかもしれません、くわばら、くわばら。
by blues_rock | 2012-07-26 00:32 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
a0212807_15222795.jpgインターネットのYouTube音楽動画をサーフィンしていると、時々うれいしい発見をします。
YouTubeでは、その気になれば世界中の無名な音楽家たちに出会え、その素晴らしい街角パフォーマンスやライブ・コンサートを楽しむことができます。
世界には、秀でた才能をもった音楽家が少なからずいて、その才能を高く評価する人たちが、YouTubeで彼らの音楽を世界に発信してくれるので、インターネットを道具に世界のどこにいてもその見事な音楽を楽しめる新しい時代の到来です。
この3人の若いギタリストたちもまた三者三様ユニークな演奏ながら、ギターの弦とボデイをタッピングしながら演奏するところは、共通しています。
アコースティック・ギターにタッピング奏法を取り入れたのは、アメリカのマイケル・ヘッジス(1953~1997没、享年44才)で、その影響を大きく受けたのがジャスティン・キング(1979~33才、右写真)でした。
ジャスティン・キングの個性的なタッピング奏法は、さらに若いギタリストたちを魅了、オハイオ州のベン・ラプス(下写真)は、十代ながらジャスティン・キングの曲「Knock on Wood」を見事な演奏でカヴァーしています。
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また、カナダのギタリスト、エリック・モングレイン(1980~32才ケベック州、下写真)は、独自にハーモニクス&ハンマリング奏法というオリジナリティあるギター演奏で私たちを楽しませてくれます。
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世界のすばらしい音楽を福岡市南区の山裾まで届けてくれるインターネットとYouTubeに感謝します。
by blues_rock | 2012-07-25 06:15 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)
長野県下伊那郡に実在する大鹿村を舞台に、300年の伝統ある大鹿村歌舞伎開催当日までの5日間に起きた村の大騒動を描いた2011年の映画です。
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2008年大鹿村を訪れた俳優の原田芳雄は、村に今も残る300年の伝統をもつ大鹿村歌舞伎を知り感銘、大鹿村の歌舞伎をテーマにした映画がてきないかと発案し「大鹿村騒動記」製作委員会が設立されました。
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阪本順治監督は、原田芳雄の発案を受けて、彼を主役にした映画「大鹿村騒動記」の撮影に入りました。
映画の出演・撮影・製作には、原田芳雄の俳優仲間や阪本監督の映画製作スタッフたちが結集、大鹿村も村を挙げて映画の撮影に協力支援しました。
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村長も自ら村長役で出演するなど村と周辺の人たち850名余りがエキストラとして出演、映画「大鹿村騒動記」(予告編はこちら)を見ると、この映画に関わった人たちの気持ちが一つとなり、その熱い想いは、こちらにも伝わってきました。
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映画撮影のセットも大鹿村役場の建物・会議室など、すべて本物を使用しており、映画に出てくる温泉や地酒なども実際にあるものが使われました。
a0212807_2120579.jpg出演した俳優陣も脇役のひとり一人が名優ぞろいで、主演の原田芳雄・大楠道代・岸辺一得はじめ三國連太郎・佐藤浩市・石橋蓮司・でんでんなど個性ある俳優たちが脇を固め、笑いあり涙ありの名演技を披露しています。
映画のエンドロールで流れる忌野清志郎の「太陽の当たる場所」も名曲です。
映画「大鹿村騒動記」は、2011年7月16日に公開、当日病気をおして原田芳雄は、舞台挨拶に顔を見せ、その3日後の7月19日に帰らぬ人となりました。
享年71才、名優原田芳雄氏のご冥福を心からお祈りいたします。
by blues_rock | 2012-07-24 00:38 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
何必館(京都現代美術館)は、八坂神社のすぐ近く祇園にあります。
何必館には、私の好きな画家山口薫の部屋があり、何度も行きました。
日本画家村上華岳のコレクションも充実しています。
群馬の大川美術館、長野の信濃デッサン館・無言館、京都の何必館 京都現代美術館は、個人が自分の美意識で生涯を懸け収集したコレクションなので美術館に凛とした品位を感じます。
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  ◇ 何必館(京都現代美術館)の最上階に設えられた日本庭園
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  ◇ 村上華岳 「太子樹下禅那之図」(1938)
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  ◇ 良寛 「手毬屏風(六曲一双)」
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  ◇ 木村伊兵衛 「大曲おばこ」(1953)
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by blues_rock | 2012-07-23 00:32 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
写真家の操上和美(くりがみかずみ1936~76才)が、映画の原案(イメージ)を作り撮影監督も自ら担当し長編映画を初監督した2009年公開の映画作品です。
ゼラチンシルバーLOVE」のゼラチンシルバーとは、銀塩写真(ゼラチンシルバーにプリントしたモノクロ写真)のことです。
ショーン・コネリーやキース・リチャーズなどの写真、井上陽水のジャケット写真などで知られる写真家操上和美ですが、2008年72才の時に初めて映画に挑戦し撮ったのが「ゼラチンシルバーLOVE」でした。
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写真家がファィンダー越しに被写体を見るような映像ショットの数々は、撮影監督として操上和美映像の真骨頂でしょう。
映画のストーリーは、シンプルながらミステリアスでエロチック‥冷酷ながら美しい殺し屋の女(宮沢りえ)と殺しを依頼する中年の男(役所広司)、男から女の監視とビデオ撮影を依頼された若い男(永瀬正敏)の三人が、主人公です。
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監視とビデオ撮影の依頼を受けて倉庫のような部屋に隠れて運河の向こうの部屋に住む女を監視しているうちに若い男は、女に魅かれ女を撮ったゼラチンシルバー写真を倉庫の部屋いっぱいに飾りました。
殺し屋の女は、自分が監視されていることを知り、まず依頼人を映画館でサイレンサーで射殺そして若い男もサイレンサーで射殺しました。
女は、若い男を射殺した後、彼の部屋の壁いっぱいに貼られた自分の写真を見て、彼の気持ちを感じますが、黙って部屋を出て夜の闇の中に消えて行きました。
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宮沢りえは、キュート過ぎてニキータのような殺し屋の凄身はありませんが、冷酷な美人の殺し屋をクールに演じていました。
殺しの仕事を終えて隠れ部屋に帰り、壁際にうずくまって肩を震わせ身もだえして泣くシーンと殺した若い男の部屋いっぱいに貼られた自分の写真をじっと見て目に涙を浮かべるシーン(ほんの一瞬のシーン)は、淡々とした映画をしっとりさせます。    (下写真 : 写真家としての永瀬正敏が撮った操上和美監督と撮影現場)
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彼女が、湯でたまごを食べるシーンとソフトクリームを舐めるシーンの口元をアップで撮ったエロチックな映像(エロチックなシーンはこの二つだけ)に操上監督のこだわりを感じました。
写真家荒木経惟なら「湯でたまごを食べる口元とソフトクリームを舐める口元」のアップシーンをどんなエロチック(ワイセツ)な映像に撮るだろうかと想像しました。
by blues_rock | 2012-07-22 00:56 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)