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心の時空

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a day in my life

<   2012年 06月 ( 30 )   > この月の画像一覧

a0212807_2141790.jpg1610年から1637年までのわずか27年という短い期間、有田周辺の窯で焼成された染付磁器のことを「初期伊万里」と呼びます。
「染付(そめつけ)」とは、中国の「青花(せいか)」と同じ意味で、白地に藍色 1色で図柄を表した磁器です。
磁器の生地にコバルト系の絵具である「呉須(ごす)」(焼成後は藍色になる)で図柄を描き釉薬をかけて焼成しました。
とくに「初期伊万里」焼成の特徴の一つは、生地を重ねる目積みの道具として朝鮮半島の技法と同じ「砂」を用いましたが、中国では「胎土」を目積みの道具として用いました。
a0212807_219161.jpgさて、いまから400年前の1610年、豊臣秀吉の朝鮮出兵(1952年文禄の役・1598年慶長の役)で出陣した鍋島藩主鍋島直茂が、朝鮮半島から兵を引き上げる時、一緒に連れ帰った朝鮮陶工の一人“李参平”(鍋島藩に厚遇され名字“金ヶ江”を許され金ヶ江三兵衛と名乗る)によって有田(伊万里)に白磁鉱山を発見しました。
これが、400年脈々と続き今に至る有田焼の始まりです。
有田の人たちは、李参平を「陶祖神」として崇拝、陶山神社に祭り今に至っています。
a0212807_220027.jpg李参平の発見と焼成指導により白磁鉱山のまわりに、数多くの窯ができ、古(いにしえ)より日本人が憧れた中国景徳鎮窯のような「白磁」の焼き物が、日本で初めて誕生しました。
有田の陶工たちは、中国景徳鎮窯の磁器を学び研究を重ねて日本独特の「染付磁器」を焼成しました。
貴重な白磁器の誕生に鍋島藩主は大喜びし、1637年藩に「皿役所」を設け、すべての窯元を藩の管理統制下におくことで白磁焼成の技術と白磁石資源を独占しました。
a0212807_13123384.jpgその秘密情報を守るため有田周辺に数多くあった窯を13窯元に統合させ併せて陶工と家族の移動をすべて禁止、外界から隔離して鍋島藩御用窯(藩窯)を守りました。
1637年藩窯にしてから以降、陶工たちの仕事を分業させ、焼成技術が一つの窯、一人の陶工に集中しないよう徹底的に監視し、徳川幕府や諸大名への献上品・贈答品の最高級品だけ焼成させました。
藩主鍋島家お家安泰のための献上品・贈答品でしたので、最高の焼成技術をもった陶工たちの最高級品を納めさせました。
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余談ながら、瀬戸の貧しい窯元の次男であった加藤民吉が、陶器焼成の職を求めて天草に行き、さらに長崎を経由して密かに有田へ入り、磁器焼成の技術を学びました。
1806年瀬戸へ戻り、瀬戸を有田に匹敵する瀬戸磁器を育てあげ、磁器の代名詞が‘セトモノ’と呼ばれる礎(いしずえ)を作りました。
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とろりとした釉の色といい素朴なカタチといい「初期伊万里」は、日本磁器の原点で焼成された期間も極めて短く、焼成数も少ないので初期伊万里ファンにとってノドから手が出るくらいに欲しい古い器です。
by blues_rock | 2012-06-30 02:45 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
オムニバス映画「海炭市叙景」第一話で無器用ながら妹思いの兄を演じた竹原ピストルの歌う「浅草キッド」を以前聴いたことがあります。
a0212807_0451837.jpg映画「海炭市叙景」を見てから、この歌を聴くと、映画の中で大晦日の夜、妹が作った年越しソバを二人で食べた後、初日の出を見るため安アパートを出て、路面電車の通りを抜けて、兄妹(きょうだい)二人で山の坂道を登っていく兄役竹原ピストルの姿を思い出します。
家族にとって最も大切なものは、「やさしさ」と思うようになりました。
映画では、坂道を登って行く兄と妹二人の背中を映しながら、彼らの後ろを路面電車が通り過ぎて行きます。
a0212807_0523996.jpgその路面電車の運転手が、映画の第五話に出てくる浄水器を営業する青年の父親で、乗客の中には、第三話に出てくる倦怠期の中年夫婦と第四話の少年とその父親も乗っていました。
音楽は、音楽のハーモニーに共感することですが、竹原ピストルの唄う歌は、「心の叫びを編んだ詩」の朗読のようです。
彼の歌唱力は「 浅草キッド」で如何なく発揮され、もう竹原ピストルの歌として記憶されるでしょう。
先日の一歌百謡で書きました「ファイト!」を歌う竹原ピストルのブルースも最高でしたが、youtubeから削除されお聴かせできなくて残念です。
by blues_rock | 2012-06-29 00:04 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(2)
金継ぎ工芸会の作品展が、福岡市天神のアクロス福岡(2階匠ギャラリー)で今週の月曜日6月25日から始まり日曜日の7月1日まで開催されています。                   (説明1 :下写真4枚、私の作品)
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金継ぎ工芸を始めて2年‥壊れた(ワレたりカケたりした)古い茶碗や皿を糊漆で繕って、呂色漆を塗っては乾かし、砥いで、時には漆にかぶれ猛烈な痒みに耐えて、また漆を塗って乾かし砥いでの繰り返しです。
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この一連の作業を繰り返すこと10~20回、その後やっと金を蒔いて乾かし仕上げ漆を塗って角粉で磨いて、やっと一つ出来上がり、この間、早くて1か月くらいかかります。
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古陶に興味のない友人は、首をひねりながら「そんな薄汚れ割れた茶碗にテマ・ヒマ・カネかけて、バカしゃないの?ワレた茶碗かかえ下向いて、ただ黙々作業している姿は気持ち悪い、見ていて暗い。新しい茶碗を買え
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ば‥」と言いたい放題です。
しかし、なんと言われても平気、古陶のカケラを弄っている時間が、楽しいのです。
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有名デパートの棚にならぶ銘入り箱付の立派で高価な陶磁器に、私はまったく興味ありません。
旧知の陶芸家から一昨年秋に、窯開きの案内があり窯元を訪ねました。
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彼の窯で焼いた器は、旧くから気に入り使ってきましたので7寸皿を2枚買いました。
それから1年あまり、気に入って買ったはずなのに食事していても、どうしてもしっくり来ないのです。
                           (説明2:上写真2枚、友人二人の作品・下写真、講師の作品)
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気に入って買った皿なので、どうにかしようと思い、2枚の丸皿ともペンチで皿のふちを7~8㎝壊し、カケたところをパテで繕い、現在金継ぎ(梨子地)中です。
陶器に興味のない友人には、まだ黙っていますが、このことを話したらきっと呆れてしまうでしょうね。
by blues_rock | 2012-06-28 00:26 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(2)
北海道の架空の街、海炭市(函館がモデル)で暮らす人たちが、映画の主人公です。
a0212807_12543642.jpg熊切和嘉監督(1974~)は、寂れていく北海道の港町、海炭市の日常風景の今を、淡々とスケッチするように映像に撮っています。
熊切監督は、そこで暮らす家族の人間模様に余計な口をはさまず、それぞれの家族が背負った現実を冷静にとらえ、どの家族にも同情しないが、やさしい眼差しで「海炭市叙景」を映画にしました。
映像(カメラ)の色調を抑えたトーンは、原作者佐藤泰志(1949~1990自死、享年41才)の心情を映しているようで、彼の空虚な孤独感が、じわりじわりと見ているこちらの胸に沁み込んできます。
「海炭市叙景」の映画化は、佐藤泰志の高校時代の友だちや彼の小説の熱心なファンが中心となり、2009年函館で映画製作実行委員会が、結成され実現しました。
実行委員会は、北海道出身の熊切和嘉監督を迎え、熊切監督は地元市民ほか北海道の人たちに映画出演を要請し、美術・広報宣伝スタッフさらに製作費のカンパなど多くのボランティアに支えられて、映画「海炭市叙景」は、2010年に完成しました。
a0212807_12561852.jpg佐藤泰志は、東京で何度も芥川賞ほか文学賞の候補になりながらが、1981年家庭の事情で故郷の函館に帰り、そこで家族を養うために働きながら小説を書いていました。
しかし自律神経失調症など精神の不調を訴えて治療のために服用していた精神安定剤に頼りながら1990年に亡くなるまで多くの短編小説を書きました。
彼の絶筆となった短編小説18編の中から5編をオムニバス映画(2時間32分)にし、この5編に登場する人たち(家族)の人生をつないでいくのが、スクリーンに時どき登場する海炭市(函館市)内を走る路面電車です。
「海炭市叙景」の脚本を熊切監督の盟友宇治田隆史(1975~)が、担当しています。
オムニバスの最初は、冬の海炭市が舞台で不況にあえぐ造船所に勤めリストラされた兄とその妹の二人が、第一話の主人公です。
大晦日の夜、兄妹で元旦の初日の出を見ようとロープウエーで山に登るものの、帰りのロープウエー代金が1人分しかなく兄は、妹だけロープウエーに乗せ、自分は冬の山を歩いて下山途中に行方不明になりました。
a0212807_135426.jpg兄役の竹原ピストルと妹役の谷村美月が、兄妹(きょうだい)を好演、お互いを思いやり暮らす兄妹の愛情を切なく演じていました。
第二話では、老婆と孫の交流、街の再開発のため市から立ち退きを迫られている老婆を市役所に勤める孫は、再三立ち退きに応じるよう説得しますが、老婆は頑として応じませんでした。
この老婆を演じた地元出演の中里あきの自然な存在感(これが実にすばらしい)が、見事でした。
a0212807_1355062.jpg第三話は、プラネタリウムで働く覇気のない中年男と派手な服を着て夜の仕事に出かける妻、両親とは口もきかない中学生の息子三人のギスギスした家族の物語です。
第四話では、プラネタリウムに通う少年と若い父親が主人公、少年の父親は、街の小さなプロパンガス店の社長ですが、プロパンガス事業の不振で手がけた浄水器の販売も勝手が違いうまく行きません。
愛人がいる夫は、嫌味をいう妻に冷たく、、妻はその腹いせに夫が溺愛する息子を虐待します。
a0212807_1372361.jpgある日夫は、少年(息子)の体にアザを見つけ、妻が虐待していることを知り、妻に激しく暴力をふるいます。
逆恨みした妻は、夫の留守中、さらに少年を虐待するという暴力の連鎖に見ていて何ともやりきれなくなるシーンです。
第五話は、都会での夢破れて故郷の海炭市に帰り、プロパンガス店社長の運転する車に同乗し一緒に浄水器の営業をしている青年が、主人公です。     
彼は、父に田舎に帰ってきたことを知らせず会うことを避けていましたが、路面電車の運転手である父は、電車の窓から都会にいるはずの息子の姿を見ていました。
a0212807_13233793.jpg残り少ない金で入ったバーで、故郷の女たちの嬌声と酔っぱらってケンカをする男たちをただ眺めている青年の虚ろな気持ちが殺伐としています。
彼は、偶然亡き母の墓で父と会いますが、親子は無言のまま別れました。
故郷の海炭市を発った彼は、連絡船のテレビニュースで‥初日の出を見に行き下山の途中、行方不明になった造船所元工員(上写真は兄の下山をロープウエー駅で待つ妹)の遺体が山で発見されたこと、下山の途中に落下事故に遭ったことを聞き、船のデッキに出て遠ざかっていく海炭市のその山をずっと眺めていました。
by blues_rock | 2012-06-27 00:25 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
オーストリア人監督の秀作映画を2本、紹介します。
ステファン・ルツォヴィツキー監督(1961~51才)とヴォルフガング・ムルンベルガー監督(1960~52才)の二人は、ともに50代になったばかりのオーストリア俊英の映画監督です。
a0212807_1171617.jpgルツォヴィツキー監督の2007年公開映画「ヒトラーの贋札」は、アカデミー賞外国語映画賞を受賞しました。
映画のストーリーは、ナチスドイツの支配下にあった当時のヨーロッパで、ただ一国イギリスだけが、ナチスドイツ(独裁者ヒトラー)の言うなりになりませんでした。
ナチスは、ユダヤ人強制収容所の一画に、イギリス=ポンド・アメリカ=ドルの偽造紙幣や外国の偽造パスポートを作る秘密工場をもっていました。
その強制収容所にロシア出身の芸術家で世界的な贋作師(がんさくし)の男が、ベルリンで紙幣・パスポートの偽造でゲシュタポに逮捕されて移送されて来ました。
彼は、死を待つだけの生き地獄のような強制収容所から、突然厳重に隔離され監視された別の収容所へ移され、今までとは別世界の快適な収容棟に送られました。
他にも他の強制収容所から移されて来た特殊技能をもつ印刷工たちがいて、異例な待遇を受けながら収容棟の工房で贋札作りを強制させられていました。
a0212807_10244471.jpgナチスは、ヒトラーの命令で大量に偽造した贋ポンド紙幣を世界中にバラ撒き、イギリス経済を混乱させ、戦争継続を不可能にするのが目的でした。
そこで展開するヒトラーの極秘命令を受けたナチス将校たちの焦りとユダヤ人印刷工たちの彼らに対する虚々実々のかけ引きによる抵抗が、映画の見どころです。
この映画は、実話をもとにしているので、どのシーンもリアリズムがありました。
第二次世界大戦前、世界の基軸通貨であったイギリス=ポンドもイングランド銀行すら見破れなかった偽造ポンド紙幣の氾濫で、ポンドは次第に信用を失墜していきました。
a0212807_118178.jpgかって七つの海を支配した大英帝国の経済は衰退し、大戦後ポンドに代わって偽造紙幣被害のなかったアメリカ=ドルが、世界の基軸通貨になり現在に至っています。
ムルンベルガー監督の2011年映画が「ミケランジェロの暗号」です。
日本の映画配給会社が、2006年に大ヒットした映画「ダ・ヴィンチ・コード」にあやかって柳の下のドジョウをねらい名付けた邦題なのでしょうが、原題「Mein bester feind(英訳:My best enemy)」を直訳した「わが最良の敵」のほうが、見終わって‘なるほど’と思う映画「ミケランジェロの暗号」(2011)でした。
映画仕立ての道具として「ミケランジェロのデッサン(絵)」は登場しますが、あえて言うなら、主人公の父が、家族のために隠したミケランジェロの絵とその在り処を自分の肖像画に“ミケランジェロの暗号”(強制収容所で死ぬ前に言い遺した「肖像画を視野から消すな」)としてヒントになるでしょう。
映画は、ナチスドイツとイタリアの軍事同盟に欠かせないミケランジェロの絵を巡って、サスペンス映画のようなタッチでテンポよく展開していきます。
a0212807_10401610.jpgナチスの独善や偽善に満ちたナチスドイツのヒエラルキーに思わず笑ってしまうパロディのようなシーンもあり、映画のラストでニヤリとさせられる皮肉たっぷりなショットなどは、ムルンベルガー監督の演出センスを感じました。
ムルンベルガー監督は、自作「ミケランジェロの暗号」の撮影に「ヒトラーの贋札」のスタッフを採用していますので、映画を鑑賞しながら監督の比較をしてみるのも映画を見る楽しみです。
by blues_rock | 2012-06-26 00:13 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
吉田拓郎とかぐや姫による「2006年つま恋コンサート」で、中島みゆきが、吉田拓郎のサプライズ・ゲストとして登場、かって吉田拓郎のために書いた曲「永遠の嘘をついてくれ」を歌いました。
中島みゆきはデビュー前、吉田拓郎から大きな音楽的影響を受けており、吉田拓郎の追っかけファンをしながらミュージシャンになることを夢見ていました。     (2006年つま恋コンサート : 中島みゆき&吉田拓郎)
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そして、押しも押されぬシンガー&ソングライターになった中島みゆきは、吉田拓郎が、新曲を思うように作れず、スランプに落ち込み、音楽を止めようとしていることを知り、彼女にとってヒーローの吉田拓郎にミュージシャンを止めないで欲しいのメッセージを込めて自作の「永遠の嘘をついてくれ」を彼に贈りました。
中島みゆき(1952~)は、摩訶不思議な女性(ひと)です。     (2006年つま恋 : 吉田拓郎&かぐや姫)
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彼女は、これまでに38枚のアルバムをリリースするくらい才能豊かで今や日本を代表する女性シンガー&ソングライターなのに、4コードくらいの曲しか作れない、それもなかなかできない、歌詞が憶えられない、緊張するからコンサートは、あまりしたくないと素直に自分の気持ちを人に言う正直な女性です。
アラカンなのに、いまだモデル然としたスタイルで、艶姿が凛としていて、なかなかセクシーな女性です。
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一方、深夜放送のラジオ(オールナイトにっぽん)でのアッケラカンとした口調で冗談話を「ガッハハハッ、ダッハッハッハ」と豪快に笑い飛ばすおしゃべりな女性とが、中島みゆきの中で同居しています。
2006年つま恋コンサートでの「永遠の嘘をついてくれ」ライブの舞台裏(エピソード)を「"2006年中島みゆきのオールナイトにっぽん‥2006年つま恋ライブを語る"オールナイトにっぽん」で打ち明けています。
a0212807_04312100.jpgラジオ番組で普通の暮らしが、できなくなるのでテレビにはあまり出たくない、自分と分からないよう、バレないようにしてスーパーに行き、代金を支払う時にレジの人から「曲、聴いてます」とポツリと言われると冷や汗が出て逃げ出したくなるとも言っていました。 
小学生のころ学校の歌が苦手(にがて)で、音楽の時間には、自分で作詞・作曲した歌をこっそり歌っていたそうで、「栴檀(せんだん)は、双葉より芳(かんば)し」です。
1970代「わかれうた」・1980代「悪女」・1990代「空と君のあいだに」・「旅人のうた」・2000代「地上の星」とその時代に、ヒットチャート第1位になったミュージシャンは、中島みゆき唯一人です。
この「永遠の嘘をついてくれ」は、色恋を超えて「あなたは私のヒーロー、私の人生に必要な人」とのメッセージを感じ、お互いを認め合う女と男のプラトニックで、そして真にセクシーな恋愛を感じます。

     「永遠の嘘をついてくれ」      作詞・作曲 : 中島みゆき(1995)

  ニューヨークは粉雪の中らしい
  成田からの便はまだまにあうだろうか
  片っぱしから友達に借りまくれば
  けっして行けない場所でもないだろうニューヨークぐらい
  なのに永遠の嘘を聞きたくて 今日もまだこの街で酔っている
  永遠の嘘を聞きたくて 今はまだ二人とも旅の途中だと
  君よ永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ
  永遠の嘘をついてくれ なにもかも愛ゆえのことだったと言ってくれ

  この国を見限ってやるのは俺のほうだと
  追われながらほざいた友からの手紙には
  上海の裏町で病んでいると
  見知らぬ誰かの下手な代筆文字
  なのに永遠の嘘をつきたくて 探しには来るなと結んでいる
  永遠の嘘をつきたくて 今はまだ僕たちは旅の途中だと
  君よ永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ
  永遠の嘘をついてくれ 一度は夢を見せてくれた君じゃないか

  傷ついた獣たちは最後の力で牙をむく
  放っておいてくれと最後の力で嘘をつく
  嘘をつけ永遠のさよならのかわりに
  やりきれない事実のかわりに
  たとえくり返し何故と尋ねても 振り払え風のようにあざやかに
  人はみな 望む答だけを聞けるまで尋ね続けてしまうものだから
  君よ永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ
  永遠の嘘をついてくれ  出会わなければよかった人などないと笑ってくれ

  君よ永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ
  永遠の嘘をついてくれ  出会わなければよかった人などないと笑ってくれ

a0212807_0513977.jpgファィト」といい、いつもながら見事な詩の表現です。
とくに「人はみな 望む答だけを聞けるまで尋ね続けてしまうものだから/君よ永遠の嘘をついてくれ/いつまでもたねあかしをしないでくれ/永遠の嘘をついてくれ/出会わなければよかった人などないと笑ってくれ」‥胸に、沁み入るセリフです。
by blues_rock | 2012-06-25 01:14 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)
イタリア・ネオレアリズモの巨匠ヴィットリオ・デ・シーカ監督(1901~1974)が、1970年に発表した映画「ひまわり」の主題歌は、アメリカの名映画音楽作曲家ヘンリー・マンシーニ(1924~1994、アカデミー賞を3度受賞)の
a0212807_22304979.jpg代表的な曲です。
映画のクライマックスに登場するスクリーンいっぱいに広がるひまわりの大平原にこの曲が、重なるとイタリアを代表する名優マルチェロ・マストロヤンニ(1924~1996)と同じく大女優ソフィア・ローレン(1934~)さらにロシア(当時ソ連)の美人女優リュドミラ・サベーリエワ(1942~ バレリーナ)、この三人の演じる主人公たちの哀しい愛の物語に何度映画を見ても涙してしまいます。
ひまわりの大平原シーンは、旧ソ連のウクライナ、ヘルソン州(クリミア半島の北)で撮影されました。
by blues_rock | 2012-06-24 00:41 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
a0212807_04412.jpg日本の映画館で上映されなかったドイツ・ルクセンブルク・チェコ共同制作の映画「9日目(The ninth day)」を紹介します。
2004年の公開ですが、日本では2005年に東京で開催のドイツ映画祭で上映されただけで、一般公開されませんでした。
私は、‘おひとり様ホームシアター’で見ましたが、すばらしい映画でした。
未公開の理由は、分かりませんが、「神の存在と人間の本質」や「信仰心と良心」という永遠にして普遍のテーマを映画にした時、一神教の信仰をもつキリスト教徒(同様にイスラム教徒もユダヤ教徒)の宗教観(=神との契約)を私たち日本人が理解することは容易ではありません。
歳時記を見てれば分かるとおり、いまでも私たち日本人の精神風土には、八百万(やおよろず)の神々がいて、神との契約もなく賽銭箱に小銭を入れて柏手(かしわで)を打ち、過去への反省もなく水に流し次の願いを八百万の神に祈る(お寺では仏に願う)国民に信仰(宗教観・哲学)に命を懸けるなど馴染まないのかもしれません。(注:江戸時代の隠れキリスタンは例外)
日本でこの映画を配給しても観客は少なく、興行収入を考えて営業的に合わないと判断したのかもしれませんが、そんな理由だとしたら質の良い映画を見たいと思う映画ファンは、映画館に行かなくなるでしょう。
それでも、この秀作映画を岩波ホールすら上映していないのが、私には不思議でなりません。
a0212807_013368.jpg主役のルクセンブルグ人クライマー神父を演じたウルリッヒ・マティス(1959~)が、実にすばらしく、実在の本人が出演しているのではないかと思えるほど真に迫る存在感がありリアリティ溢れる演技でした。
映画の舞台は、1942年ナチスドイツ支配下のドイツとルクセンブルグです。
ドイツ、ミュンヘン郊外の強制収容所に、ナチスドイツが支配したヨーロッパの国々から反ナチス・反ヒットラーとして逮捕・拉致された聖職者とアーリア民族以外の神父や牧師たちが、次々に移送されて来ました。
ナチスドイツは、征服したヨーロッパ諸国の教会を懐柔し、その国の人々を支配するために利用していました。
a0212807_015096.jpgクライマー神父は、パリで反ナチスの活動をして逮捕され強制収容所に収監されていたのでした。
強制収容所での暮らしは、生き地獄でナチスによる抑圧と容赦のない虐待に、強い信仰心をもつクライマー神父さえも心が揺らぎ「神の存在」をつい疑うほどでした。
ある日突然、クライマー神父に‘九日間の休暇’が与えられ、ルクセンブルグへ帰されました。
ルクセンブルグで彼を出迎えたのは、ゲシュタポ(ナチスの秘密警察)でした。
クライマー神父は、彼らから“究極の選択”である特命を受け、失敗したら生き地獄の強制収容所へ戻す、もし逃亡したら収容所にいる聖職者全員を処刑すると脅迫されました。
a0212807_016221.pngそして、ナチス親衛隊の将校からクライマー神父へ慇懃(いんぎん)な口調で「ドイツ占領下にあるルクセンブルグの大司教が、ナチスへの協力を拒否している。大司教の信頼厚いクライマー神父が、大司教を説得し転向させ、ドイツに協力させよ。猶予期間は9日だ。」と命令されました。
クライマー神父は、ローマ法王が、ローマ・カトリック教会管区の聖職者を次々に逮捕され強制収容所でひどい虐待を受けていることに救いの手を伸べないことに不満がありました。
映画の中で、神父と親衛隊将校が、対話するカタチで「キリストを裏切ったユダ」の論争をします。
a0212807_016586.jpg神父は「自分に信仰と良心を捨て、主イエスを裏切ったユダになれと言うのか?」と親衛隊将校に言いました。
神学校出身の将校は「イエスを裏切ったユダがいたからこそ、イエスの予言が証明された。ユダこそが主の一番忠実な使徒である。」と烈しく反論します。
クライマー神父を説得できなかった場合、彼は左遷される運命にありましたが、言葉に出さないものの神父の強靭な信仰を認め、決して殺そうとはしませんでした。
親衛隊将校役のアウグスト・ディール(1976~ドイツの俳優)が、美男子でナチス親衛隊将校をシンボライズしたような演技はすばらしく、神父役のウルリッヒ・マティスとは、また一味違った存在感がありました。
a0212807_027951.jpg余談ながら、今後の活躍が楽しみな若手俳優の一人です。
クライマー神父は、自分の良心に従い大司教の説得に協力せず、自ら期限の9日目に再び強制収容所に戻って行きました。
生き地獄の強制収容所に帰ってきたクライマー神父を迎える餓死寸前の聖職者たちの顔が、安らいでいて印象的でした。
ドイツを代表する映画監督フォルカー・シュレンドルフ(1939~)は、1979年の「ブリキの太鼓」でもナチスドイツ時代の暗く悲惨な実話を映画化しました。
by blues_rock | 2012-06-23 00:34 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
静岡県立美術館には、20数年前に一度だけ行ったことがあります。
美術館は、JR静岡駅からタクシーで20分くらい、久能山の麓(ふもと)の緑に囲まれた丘陵地にありました。
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当時、静岡県立美術館で私の印象に残ったのは、オーギュスト・ロダンの彫刻作品くらいで、絵についての記憶がなく、絵画のコレクションに私の印象に残るものはありませんでした。
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2005年、不慮の事故で亡くなった石田徹也(1973~2005没、享年31才)の作品が、2008年にご家族の好意と意思でまとめて静岡県立美術館に寄贈され、同美術館の絵画コレクションに個性ができました。
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2008年秋に練馬区立美術館で開催された石田徹也(僕たちの自画像)展を見ましたが、この人の感受性にワン&オンリーのオリジナリティを感じました。
a0212807_14325746.jpg福岡市郊外の山の麓に移り住んでから、美術館といえば、たまに福岡市美術館に行くくらいで全国の美術館・博物館に行く機会が、めっきり少なくなりました。
石田徹也の絵は、もう一度ゆっくり時間をかけて見てみたいと思っています。
by blues_rock | 2012-06-22 00:54 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
   もうひとつの土曜日     浜田省吾 作詞・作曲(1986)
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昨夜(ゆうべ) 眠れずに泣いていたんだろう?
彼からの電話 待ち続けて
テーブルの向こうで 君は笑うけど
瞳ふちどる 悲しみの影
息がつまる程 人波に押されて
夕暮れ 電車でアパートへ帰る
ただ週末の 僅かな彼との時を
つなぎ合わせて 君は生きてる
もう彼のことは 忘れてしまえよ
まだ君は若く その頬の涙
乾かせる誰かが この街のどこかで
君のことを 待ち続けてる
Woo振り向いて Ha Woo探して 探して

君を想う時 喜びと悲しみ
ふたつの想いに 揺れ動いている
君を裁こうとする その心が
時におれを 傷つけてしまう
今夜 町に出よう 友達に借りた
オンボロ車で 海まで走ろう
この週末の夜は おれにくれないか?
たとえ最初で 最後の夜でも
Woo真直ぐに Ha Woo見つめて 見つめて

子供の頃 君が夢見てたもの
叶えることなど 出来ないかもしれない
ただ いつも傍にいて 手をかしてあげよう
受け取って欲しい この指輪を
受け取って欲しい この心を
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私は、1982年から1989年まで7年間、名古屋に住んでいました。
小牧市(愛知県)の職場までの電車通勤にいつもウォークマンを聴いていましたから、小牧の友だちが、好い曲が入っているからと浜田省吾のアルバム「J-Boy」のダビング・カセットテープをくれました。
その中に名曲の「もうひとつの土曜日」がありました。
歌を聴いたとたんに好きになり、すり切れるくらい何度も聴きました。
カラオケでも練習と称して時々歌い、浜田省吾ファンの友だちにチェックもらいました。
最初は、俯(うつむ)きガマンして黙って聴いてくれた友だちも、やがて根負けしたのか、何度も聴かされウンザリして解放されたかったのか、まあまあ‥と言ってくれました。
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それから20数年、転勤で名古屋から大阪に住んでからも東京で暮らしている時も、カラオケに行と必ず歌う私の十八番(おはこ)になりました。
福岡に還ってからカラオケに行くことはなくなりましたが(片田舎なのでカラオケ店がない)、カラオケがなくてもふと曲を思い出すと、オートマチックにアタマにスイッチが入りイントロが鳴り始め、メロディへと続きます。
そうなるとアカペラで「‥♪ゆうべ、ねむれずに」と歌い始めています。
「もうひとつの土曜日」の歌詞もメロディもソラで憶えましたが、バラードの一番のポイントである‘聴く人の心に届く’ように歌うセンスと能力が、私にはないようです。
付録:写真は九州ロマンチック街道からお借りしました。
by blues_rock | 2012-06-21 00:13 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)