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心の時空

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a day in my life

<   2012年 05月 ( 31 )   > この月の画像一覧

霧の中を歩めば 覚えざるに衣湿る (正法眼蔵)
道元禅師の言葉です。
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できるだけ‥好きな音楽を聴き、できるだけ‥好きな映画や絵を見て、できるだけ‥好きなことに感動しながら、できるだけ‥平常心(平安な心)でいられたらいいな‥と私は、思っています。
「今日(こんにち)ただ今、正になすべきを、熱心になせ」は、禅の教えです。
by blues_rock | 2012-05-31 04:43 | 人生/愛(Love) | Comments(0)
私は、納税者・選挙民の一人としてTPPに賛成します。
森の小鳥たちも、山麓の新緑の中で、「ティ・ピィ・ピィ‥ティ・ピィ・ピィ‥」と盛んにさえずり啼いています。
普段は、くだらないテレビのバラエティ番組ですら口角泡を飛ばし「ティ・ピィ・ピィ‥ティ・ピィ・ピィ‥」と喧(やかま)しいようですね。
先日、友だちから電話があり「いまテレビでTPPについて言いたい放題のバラエティをやっている。哄笑(わら)ってしまうよ‥面白いから見るといいよ。」と連絡してきました。
残念ながら私の家にはテレビがないので、どのようなTPPネタのお笑い番組だったのか、知る由もありません。
TPPに加盟するとTPP参加国域内の経済活動(生産・流通・市場・消費・情報)は、自由化され加盟国間の互恵互助による発展・繁栄のためのパートナーシップが求められます。
当然、域内での農畜産物は、完全自由化が前提となります。
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やれ‥安い農産物が輸入され、生産コストの高い日本農業は滅ぶ。
やれ‥輸入農産物や食品は安全ではなく、安心できない。
やれ‥地球温暖化・気候変動で外国農産物の輸入に依存するのは危ない。
など将来を心配し、TPP参加に反対する人たちもいます。
反対する人たちの心配は、そのとおりですが、現在(いま)でも食料の60%は輸入(海外)に依存しています。
いずれにしても、日本がTPPに加盟しようが、しまいが、日本抜きで環太平洋圏の経済パートナーシップは、東アジア始め環太平洋圏の国々で強化され発展していくでしょう。
さあ、どうする?ニッポンです。
さて、農畜産物の自由な市場取引には、「安い食べ物には、安い理由」があり、「高い食べ物には、高いコストの理由」があるという“当たり前”のことをまず私たち消費者は学び、本当のことを知らなくてはなりません。
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消費者(つまり国民)は、自分(と家族)の食べ物の確保とその食の安全は、自分で守るという自己責任が、これから必要になります。
それを今まで私たちは、全部“他人まかせ”にしていました。
自分の食、つまり自分の“命の糧”を他人まかせにするということは、他人に自分の命を預けたも同じことです。
つい先ごろまで、消費者は、いいかげんな食品表示に頼りきり、国(農水省の官僚)・食品メーカー・輸入業者・生産者に食品の表示を一任していました。
悪質な表示違反が摘発され、産地偽造・詐称がバレたり、予期しない食中毒事件が発生したりすると、それまで彼らの提供する情報を丸飲みしていたマスコミも手の平をかえたように大騒ぎするとは、笑止千万です。
私の性格は歪み、いささか悪く腹の中で「今ごろ遅いよ‥ずっと以前から業界の常識、知らんかったんね。調べもせず勝手に信じたあなたが悪い。」と独りごとをつぶやいていました。
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私の個人的な意見ながら‘お上’の食と農への行政指導は、これからも鵜呑みにしないほうが良いと思います。
他人の流す調査発表を横流し(スルー)するだけで、裏付けを取らないマスコミ報道も、やはりあまり信じないほうが‥無責任なニュース報道を鵜呑みにして「信じていたのに‥」もないでしょう。
私が、唖然としたのは、記憶に新しい「生レバ刺」食中毒事件でした。
原因は、価格の安さで店を広げた焼肉チェーンが、「生レバ刺」のメニュー値段を下げるために、材料・製造・調理・管理すべての手抜きしたことによる人為的な食中毒事件でした。
「生レバ」に責任はなく、「生レバ刺」が、メニューあることも何ら問題ありません。
日本経済新聞の社会面に掲載された、国(労働厚生省)は「生レバ刺」を焼肉屋のメニューから外すよう行政指導をするという記事を読みました。
反対!私は、絶対反対!ゴマ油をちょこんと浸けて食べる「生レバ刺」の風味と食感の味覚が好きです。
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私には、食べていい「生レバ」と、ん!?これは?‥違うぞ、と思う危険な「生レバ」くらい、色合い・臭い・舌の感覚から、国にいちいち指導されなくても、分かります。
私は、機会があれば、これからも自らの責任で「生レバ刺」を食べます‥いや、食べるぞ!食べ続けてやるとも!と思います。
子供は、どうするかって?そりゃ、もちろん親の責任ですよ。
まず、親が「食べ物」をきちんと知り、それを大事なわが子に教えなくてはなりません。
それが、子供を育てる親の責任です。
国(労働厚生省)が、「生レバ」に難クセつけて、流通・販売を禁止するなど、「生レバ」を民族の伝統食品とし栄養源にしているエスキモーの人たちに無礼千万、失礼です。
つい「生レバ刺」が、普通に食べられない腹いせで、話が脱線してしまいました。
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国家予算(巨額農業補助金・交付金など)のバラ撒き農政で日本農業の衰退をくい止めることはできません。
いま地球規模での気候変動が常態化し、先年もオーストラリア・ブラジルに豪雨による大洪水が発生、一方暖かいはずのインド・パキスタンを寒波が襲い、多くの人たちが凍死しました。
北半球の国々では、大雪による穀物の作柄不良が報じられ、食料品の国際価格が、高騰しました。
それでも私は、日本国民の未来ため、国家の繁栄ために‥TPP加盟を主張し、世界の中で産業として持続できる日本農業への再生を心から願います。
私は、農業に情熱をもつ若い後継者たち、農業に誇りと農業者としての覚悟をもった専業農家から、国内は言うに及ばず遠く外国にまで名を轟かす優秀な生産者が、必ず現れると確信しています。
(コメント)写真は「九州ロマンチック街道」(右の外部リンク参照)からオーナーのご了解を得て掲載しました。
「棚田の写真」を探していたら「九州ロマンチック街道」サイトに出会い、写真を見て感動しました。
九州をこれほど美しく写真に撮れるのは、心から九州を愛しておられるからでしょう。
by blues_rock | 2012-05-30 01:04 | 自然/農耕/食料 | Comments(1)
鎌倉市の鶴岡八幡宮横に神奈川県立近代美術館はあり、JR横須賀線鎌倉駅から徒歩10分くらいと思います。
駅を出て若宮大路から八幡宮の三の鳥居を抜けるとすぐ左に美術館鎌倉館(本館)が見えます。
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私は、1977年2月福岡から東京に転勤となり大田区に住みましたので、鎌倉が近くに感じられるようになり、ここで開催される展覧会を見に良く行きました。   (上・下写真 : 神奈川県立近代美術館 鎌倉館)
a0212807_1818566.jpg鎌倉は、観光地と住宅地が混在しており、その中に食堂・鎌倉彫などの店が点在しています。
美術館の近くには、禅寺の円覚寺、アジサイ寺で有名な明月院、駆け込み寺(縁切り寺)の東慶寺などがあり緑も多く、環境も良いので、好い絵を見たあと四季折々の古刹や名刹をゆるりと散策すると気持ちが和みました。
美術館から北鎌倉へ抜ける道筋には、「鉢の木」という美味しい精進料理を出してくれる店があり、ここで食事をするのも鎌倉に行く楽しみのひとつでした。         
a0212807_18191045.jpg葉山には、2003年10月にオープンした神奈川県立近代美術館葉山館があり、2006年の2月に「パウラ・モーダーゾーン=ベッカー展」を見るため初めて行きました。
葉山館は、東京から少し不便なところにありますが、美術館から眺める相模湾が絶景で、目の前に一色海岸の松林がならび、相模湾の向こうに美しい富士山を眺めることができます。
絵を楽しんだあとは、美術館のカフェテラスで海を見ながらコーヒータイム‥ひとり静かにコーヒーを飲む男の姿に哀愁が漂います。(漂わない?すみません。)    (上・下写真 : 神奈川県立近代美術館 葉山館)
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神奈川県立近代美術館葉山館へは、JR横須賀線逗子駅から京浜急行バス(海岸まわり)に乗り18分、三か丘神奈川県立近代美術館前で下車したら目の前が、美術館の入り口です。
by blues_rock | 2012-05-29 00:24 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
a0212807_2354147.jpg元号が、昭和から平成に変わった1987年(昭和62年)から1994年(平成6年)までの7年間、私は名古屋に住んでいました。
その当時の仕事(担当業務)は、国産原木乾椎茸の生産振興と市場の事業運営でしたので、原木乾椎茸の大生産地であった伊豆半島には、生産振興のための会議や研修会・講習会、販売打合など頻繁に出張しました。
行く先は、伊豆半島全域でしたが、宿泊するのはいつも修善寺のなじみの温泉旅館でした。
a0212807_23555849.jpg修善寺は、東海道新幹線を三島で降り、伊豆箱根鉄道駿豆(すんず)線に乗り換え、伊豆半島を少し入った終点の山あいにあります。
修善寺の地名は、鎌倉時代に建立の曹洞宗の禅寺「修善寺」に由来し門前町として営々と永らえてきました。
12世紀の平安末期から鎌倉時代にかけて伊豆半島は、謀反人(政治的罪人)の流刑地でしたが、伊豆は古くから温泉が湧き、21世紀の現在も伊豆半島には、数多くの温泉が点在しています。
平安時代の終わり、当時の京都(みやこ)で起きた朝廷(政権)内の権力闘争は、藤原公家=武家勢力の抗争に拡大し、平清盛率いる平家に敗れた源氏の一族も修善寺に流刑されました。
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私なら温泉いっぱいの伊豆半島に‘島流し’にされると知らされたら「やったァ、ハッピー!」と一応悲しい顔をして見せながら心の中で叫ぶことでしょう。
終点の修善寺駅の横を狩野川が、流れています。
その小川の真ん中に、独鈷の湯(とっこのゆ)という露天風呂があり、まわりからは丸見えでしたが、いつでも入浴できてお代はなし、湯加減も心地よく開放的でしたので、時間があればひと浴びしました。
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修善寺は、有名な観光地であり、その中でも独鈷の湯(とっこのゆ)は、大切な観光資源ながら露天風呂なので、まったくの丸見えは‥いくら何でも、と当時は板を打ち付けた囲いはありました。
名古屋に住まい働いていた7年の間、通算して半年くらい‥もしかしたらそれ以上の月数に相当するくらい伊豆半島には通いました。      (上写真:浄蓮の滝、下写真:旧天城トンネル)
a0212807_0133019.jpg伊豆は、自然に恵まれているので食べ物も美味しく、狩野川の天然アユ、肉質のしまった原木生椎茸の網焼き、沼津の食堂で食べた桜エビのかきあげテンプラ、確か西浦だったと記憶していますが、定置網にかかったバケツいっぱいのウルメイワシを海岸で手開きしながら伊豆のワサビを擂りおろして食べた美味しさなど今でも忘れられません。
四季折々の自然の中で、朝・昼・晩と露天温泉に浸かり、湯上がりには冷えたビールをプァ~と飲んで、夜の帳(とばり)の中でゆっくり伊豆の魚菜を肴(さかな)に‥♪熱燗とっくりの首つかんで、もういっぱいいかがなんて妙に艶っぽいね(旅の宿)と鼻歌まじりで暮らしたい、伊豆に‘島流し’にされたいなァ‥と夢想しながらぼんやり窓の外の竹林を眺めていました。
by blues_rock | 2012-05-28 00:24 | 人生/愛(Love) | Comments(0)
ベン・アフレック(1972~)主演映画で監督として第2作となる「ザ・タウン」(2011年2月公開)は、ボストンの下町を舞台にプロの強盗団とFBIとの死闘をテーマにしたクライム(犯罪)・アクション映画です。
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ベン・アフレックといえば、親友マット・ディモン(1970~)と二人で共同脚本を書いた映画「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」(1997)が絶賛され、この映画でアカデミー脚本賞を受賞しています。
a0212807_2131384.jpg俳優としても不思議な雰囲気をもっており、脚本を書ける才能があれば、監督として映画を撮るのは、当然の成り行きといえるでしょう。
ザ・タウン」は、クライム・アクション映画ながら、映画に登場する人物の個性をうまく引き出し、一人ひとりの人生の厳しい現実をうまく表現していました。
虚無・倦怠・悲哀・怒り・不安など人間の負の感情を映像にして見せる映画監督ベン・アフレックの演出の手腕は、冴えています。              (下写真:カメラで撮影確認中のベン・アフレック監督)
a0212807_0304453.jpgとくにベン・アフレック演じる強盗団リーダーの幼なじみで、親友の強盗仲間役ジェレミー・レナーは、この映画でもすばらしい演技を見せてくれました。
彼が強盗をする時に見せる凶暴さと友だちや家族と一緒にいる時のやさしさの対比を大きな目の表情で演じていました。
時おり見せる怒り・苛立ち・虚無的な表情にジェレミー・レナーならではの哀感があり、今後も彼が出演する映画は、見逃さないようにしたいと思います。
ジェレミー・レナー主演の「ハート・ロッカー」も秀作ですので、興味のある方は、2011年10月21日のブログをご覧いただけたら光栄です。
by blues_rock | 2012-05-27 01:06 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
沖縄本島から、さらにその南西に10の島々からなる八重山列島があり、八重山列島の一つ石垣島から北170kmのところにある7つの島が尖閣諸島で、1895年(明治28年)以降ずっと日本固有の島(領土)です。
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沖縄の海で何か事件があると、この尖閣諸島が、ニュース・ネタになり、中国・台湾の主張する一方的な領有権をめぐってにわかに外交の火種のごとく扱われ、騒ぎはメシの種とばかり、日本の新聞・テレビ、インターネットさえも、おもしろおかしく報道するから困ったものです。
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尖閣諸島をめぐる中国・台湾の横暴は、尖閣諸島海域にある海底油田権益への強引な横ヤリです。
日本政府は、歴史的な事実を踏まえて、強(したた)かに毅然として、中国・台湾はおろか世界の国々に向かって外交の場で“繰り返し、繰り返し”正当性を主張し続けてほしいと思います。 (北方領土4島も同じです。)
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1885年(明治18年)以降、尖閣諸島を調査、中国清朝の領土でないことを確認した。
1895年(明治28年)尖閣諸島の領有権を閣議決定した。
1945年(昭和20年)アメリカは、沖縄全域(八重山列島・尖閣諸島含む)を占領し統治する。
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1971年(昭和46年)6月、アメリカと沖縄返還協定を締結、尖閣諸島は沖縄県となる。
2009年(平成21年)オバマ大統領は「尖閣諸島は沖縄返還以来、日本政府の施政下にあり、日米安保条約は、日本の施政下にある領域に適用される。」と発表した。             (写真上・下2枚 : 竹富島)
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(注1) ① 1971年アメリカは、アメリカ軍占領下にある沖縄を日本に返還すると発表
② 台湾は、沖縄がアメリカ軍の占領・統治下から離れると知ると同年4月、尖閣諸島の領有権を公式に宣言
③ 中国も同年12月、尖閣諸島の領有権を主張
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(注2) ① 1968年国連機関の調査で、尖閣諸島周辺の海域にイラク規模の油田・ガス田が埋蔵と推定レポート
② 1969年台湾は、アメリカの石油発掘会社に採掘権を譲渡
私たち日本人は、先祖が先の戦争で犯した過ちに対しても67年過ぎた今、いつまでも自虐するばかりで俯いていても東アジアに未来はないと思います。
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私たちは、同じ愚かな誤ちを二度と繰り返さないという強い決意と信念をもって、私たちの正義を東アジアの人たちにアピールしましょう。
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以上のことを、正しく明確にして、もう少し毅然と新聞・テレビ・インターネットは、報道してほしいと思います。
どの国の政権もその国の内政に、民族対立・宗教紛争・経済破綻・資源の権益という重大問題を抱えると、領土問題を戦争の火種にします。                              (写真上・下2枚 : 西表島)
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そして国民の愛国心をプロバガンダで煽り、大衆(人民)の欲求不満のはけ口として、仮想敵国をつくり、国内の言論や表現、良識ある意見を反政府活動として必ず弾圧します。
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そんな普通の感覚(視点)で、日本国内を始め、中国・台湾・東アジアや中近東・アラブ諸国で、現在起きている対立・事件・紛争・戦争を見れば、その国の内情がくっきり透けて見えてくるでしょう。>
by blues_rock | 2012-05-26 00:26 | 社会/歴史/思想 | Comments(0)
2011年秋に公開されたイタリア映画で、ジョルジョ・ディリッティ監督自身が、監督・原案・脚本・製作・編集と一人5役を担い、映画のディテールに拘(こだわ)って撮影されたすばらしい作品でした。
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ドキュメンタリーでキャリアのあるジョルジュ・ディリッティ監督は、この映画で冷徹なくらいリアリズムを貫き、1944年9月から10月かけて北イタリアの山村で起きたナチスドイツによるパルチザン掃討を目的にした大量虐殺事件がテーマです。
犠牲者は、無抵抗の農民771人と侵略者に抵抗するパルチザン50人余りで、惨殺されたその多くが、子ども・女性・老人の非戦闘員たちでした。
a0212807_2048673.jpg口のきけない少女マルティーナの目(歴史の目撃者)を通して、彼女の瞳に映る敵と味方の区別のない戦争の日常的な風景と歴史の事実‥山村を襲う戦争という時代の流れに飲み込まれて殺され死んでいく村人たちの姿が、彼女が言葉を発しないからより一層見る者に胸に迫り切なくなります。
映像は、アンドリュー・ワイエスの絵画のように精緻で美しく静謐(しずか)です。
この事件は、第2次世界大戦下のイタリアで起きた最大の悲劇で、イタリアでは誰でも知っている歴史的事実ですが、イタリア映画伝統のネオ・リアリズモ精神は、この映画でも生きており「戦争には戦争という事実のなかでしか語れない真実がある」とスクリーンで語っています。
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出演者の大半を事件のあった北イタリアの地元の人たちでキャスティングし、彼らが皆な無名な演技者であるがゆえに、撮影された映画のロケ地の自然になじみ、実にリアルな映像でした。
ディリッティ監督の演出のすばらしさは、徹底的に8才の少女の目から見たリアルタイムの歴史です。
少女にやさしく微笑みパンを与えたドイツ軍の若者に自分の墓穴を掘らせ、後ろから頭を撃ち処刑するパルチザンの兵士、ドイツ軍の若い兵士たちもまた平然と子どもや女性・老人を家から引きづり出して銃殺します。
a0212807_21183735.jpgさらに小さな教会に村人を無理やり押し込み手榴弾を投げ込み殺戮します。
戦争は、どんな戦争も不条理で理不尽、悲惨であると映画「やがて来たる者へ」は、語っているように思いました。
私は、この映画で初めてジョルジョ・ディリッティ監督を知りましたが、イギリス中世の哲学者・思想家トーマス・ホップス(1588~1679)に相当造詣が深いのではないかと思いました。
トーマス・ホップスの哲学書「リヴァイアサン」にある「万人の万人に対する闘争」・「人間は、すべての人間にとっての狼」が、映画の下地にあるのではないかと推察しました。
「リヴァイアサン」は、近代国家論の思想書です。a0212807_21133646.jpg
ウィキペディアからトーマス・ホップスを検索し、その一部抜粋すると、「 人間の自然状態を、闘争状態にあると規定し、人間には、生来一定の傾向としてある種の運動が備わっている。 これが何者かに向かうときには、欲望となり、遠ざかろうとする場合には、嫌悪となる。愛とは、欲望と同じものであり、憎しみは、嫌悪と同じものである。 そしてあるものが、欲望の対象であるとき、我々はそれを善と呼び、嫌悪の対象であるときは、悪と呼ぶ。 人間の生命活動の根元を自己保存の本能とする。 そのうえで人間固有のものとして将来を予見する理性を措定する。 自身の生存は、自身で保つ以外はない。 」と続いて行き、読んでいくうちアタマの中心が、ジンジンしてきます。
明晰な論理で真実が書いてありますので、興味のある方は、ウィキペディアで検索してご覧ください。
少年と自転車」と「やがて来たる者へ」(予告編 こちら)のこの2作が、今年になって私の見た映画の中で名作ランキング1位で並びました。
by blues_rock | 2012-05-25 00:41 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
日本経済新聞の夕刊(5月23日)記事に、ビートルズ最後のLPアルバム「アビイ・ロード」のジャケット用に撮影された写真のうちの1枚(下の写真)が、オークションにかけられ高値落札されたとありました。
1969年9月26日に発売されたLPアルバム「アビイ・ロード(Abbey Road)」は、音楽チャート雑誌「キャッシュボックス」で14週間連続第1位を記録しました。
「アビイ・ロード」は、A面6曲・B面11曲・計17曲と当時のアルバムとしては、楽曲が多く、A面に「カム・トゥゲザー」・「サムシング」など、B面には「ヒア・カム・ザ・サン」・「ビコーズ」などの名曲が、収録されています。
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今ではスタンダードになっている名曲も多く、当時の「キャッシュボックス」誌の14週間連続第1位も頷けます。
「アビイ・ロード」のジャケットもなかなかシャレていて、有名なレコード・ジャケットの1枚です。
プランでは、アルバム制作スタッフが、吸っていたタバコ「エベレスト」にヒントを得て、アルバム名を「エベレスト」にし、ジャケット写真はネパールのエベレスト山(チョモランマ)で撮影するという予定だったようです。
しかし、ポールが「そんな遠くまで行かないで、ちょっと表に出て外で写真を撮り、アルバム名も通りのアビイ・ロードでいこう。」と提案、スタジオ前にあるアビイ・ロード通りの横断歩道を30分間6往復して写真撮影しました。
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その中から1枚を選び「アビイ・ロード」のアルバム・ジャケットにしました。
ジャケット裏の写真も、外壁の「BEATLES ABBEY ROAD 」をカメラマンが撮影していたら、青いワンピースの女性が、カメラの前を横切りました。
この写真を見たジョンが、気に入りジャケット裏の写真として採用されました。
ビートルズの最後のアルバムは、1970年発売の「レット・イット・ビー」と思っている人が、ほとんどです。
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ビートルズを愛するポールは、1968年「ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム2枚組)」制作でバラバラになったビートルズをもう一度まとめようと年が明けた1969年、他の3人に声をかけアルバム「ゲット・バック」のセッションと記録映画の撮影を行ないました。
この「ゲット・バック」セッション収録の後、新しいアルバム「アビイ・ロード」の制作に入り、「アビイ・ロード」は1969年9月に発表されました。
収録された「ゲット・バック」のマスター・テープ(原音)は、ジョンによりアメリカの音楽プロデューサー、フィル・スペクターに制作依頼されました。
a0212807_22382325.jpg1970年になり「ゲット・バック」セッションは、アルバム名を「レット・イット・ビー」に変え、同時に「ゲット・バック」セッションを記録した映画は、「レット・イット・ビー」として発表されました。
ポールは、自らリーダーシップをとり、ジョン・ジョージ・リンゴに(とくにジョンに)ビートルズへの復帰を呼びかけ、ビートルズをもう一度ロック・バンドとして復活するためのセッションだったのに、フィル・スペクターがプロデュースしたアルバム「レット・イット・ビー」は、自分のアルバム・イメージと違うことに怒り、1970年4月ポールは、ついにビートルズの解散宣言をしました。
それから40年経った2010年12月、イギリス政府は、ビートルズのアルバム「アビイ・ロード」のジャケット写真に使用された「横断歩道」をイギリスの文化的・歴史的遺産に指定しました。
古い歴史的な建築物以外で指定されたのは、「アビイ・ロードの横断歩道」が初めてでした。
by blues_rock | 2012-05-24 00:20 | ビートルズ(Beatles) | Comments(0)
脚本・監督ニール・ブロムカンプ(1979~)、主演シャールト・コプリー(1973~、映画監督・プロデューサー)という南アフリカ共和国出身の30代コンビによる2009年(日本公開2010年)の映画です。
二人は、旧くからの友人で劇中の主人公のセリフは、主演したシャールト・コプリーのアドリブだとか‥脚本を書いたニール・ブロムカンプ監督が、彼をいかに信頼しているか分かります。
a0212807_355866.jpg映画ストーリーの設定は、少し奇想天外ながらもCNNニュース映像を見ているようなドキュメンタリー・タッチの撮影手法と導入の編集が、映画の始まりに興味を持たせてくれました。
南アフリカ共和国の首都ヨハネスブルグの上空に、巨大な宇宙船が現れ20年が過ぎ‥二足歩行をするカマキリかエビのような容姿のエイリアン(映画に登場する人類は、彼らを“エビ”と呼び蔑視)は、自分たちの母船をヨハネスブルグ上空に滞空させ、地球に難民として長期滞在していました。
エイリアンたちは、人類に「第9地帯」に強制隔離され、そこでスラム化して暮らしていました。
「第9地帯」の“エビ”も増え180万になっていました。
a0212807_3582167.jpg南アフリカ共和国では、現実に今から18年前(1994年)まで少数の白人政府が、大多数の有色人種国民(原住黒人)にアパルトヘイト(人種隔離政策)を行なっていました。
そのソエト地区に強制隔離された人々の原風景そのままに映画では、人類がエイリアンを“エビ”と蔑視、差別し圧制していました。
ほとんどのエイリアンは、高度の知能と文明を持ちながら、何かの理由で生存意識が退化しており、人類の抑圧に抵抗して自由になる意思も気力もありませんでした。
スラムでは、ヤミで取引されるキャット・フード(猫のえさ)が、彼らの最高のご馳走でした。
その中に地球を脱出して、一旦故郷の惑星へ帰り、体制を整えてまた同胞を救いに戻ろうと密かにスラムの地下に隠した司令船を修復し、希少な特殊燃料を蓄積している“エビ”の親子がいました。
a0212807_3584935.jpg主人公のエイリアン担当課長は、“エビ”の親子の暮らすあばら家を捜索したとき奇妙なカプセルに入った液体を誤って自分に噴射してしまいました。
そして日が経つうちに、彼の手や体がエイリアンである“エビ”の容姿に変態し始めました。
人類からエイリアンへ変化していく主人公‥彼の変化した特異なDNAが、高額な価値を生むと知る生命工学会社は、傭兵たちに彼の拉致(捕獲)を指令します。
“エビ”のスラムで、彼ら相手のヤミ市場を支配する黒人ギャングのボスは、エイリアンのパワーを知っているのでエイリアンに変態した彼を食べるとエイリアンのDNAが自分にも授かると信じ手下に捕獲を命じます。
a0212807_3593716.jpg主人公の変態を止めるただ一つの方法は、エイリアンの惑星にありますが、彼は3年という歳月を地球で待たなければなりません。
エイリアンの親子は、首尾よく司令船を発進させ母船にドッキングし無事エイリアンの惑星へ帰り、彼に約束した変態抑制治療薬を持ってまた地球へ戻って来るのでしょうか?
映画は、ここで終わりますが‥3年後エイリアンの宇宙船で“エビ”の親子と一緒に飛来する高度知能を持つエイリアンと欲望に支配された人類との再遭遇はあるのか‥映画「第9地帯」の続編も見たいものです。
by blues_rock | 2012-05-23 03:53 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
吉田拓郎(1946~66才)は、自分の言葉で詩を書き、その詩に曲(コード)をつけ、自分でギターとハーモニカを弾きながら歌うシンガーソング・ライターのハシリです。
岡林信康(1946~66才、3月21日「復刻盤 ‥ 岡林信康1969神田共立講堂リサイタル」参照)、井上陽水(1948~64才、3月18日「井上陽水‥傘がない」参照)と同じ団塊世代のオリジナリティをもったミュージシャンです。
a0212807_23142639.jpg彼らの活躍(音楽活動)に刺激され影響を受けたのが、中島みゆき(1952~60才)・松任谷由美(1954~58才)・桑田佳祐(1956~56才)・長淵剛(1956~56才)など次の世代のミュージシャンたちでワン&オンリーの才能を開花させました。
それまで日本の大衆音楽は、歌謡曲・演歌・浪曲(浪花節)・民謡で、歌謡曲・演歌は、レコード会社から依頼を受けた専属の作詞家・作曲家が作った歌を、これまたレコード会社専属の歌手が歌うので、子供の私にも大人の世界のウソっぽい陳腐な歌詞と退屈な節(こぶし)回しで感動のない歌ばかりでした。
余談ながら、私は子供ころザ・ピーナッツが好きで、当時の歌謡曲で自分の歌をハモる歌手はおらず、ザ・ピーナッツのカッコ良かったこと‥二人のコーラスをじっと聴いていました。
a0212807_2317385.jpg話をもとに戻して、1970年当時オリジナリティをもったミュージシャンたちの音楽は、それまでの日本にないジャンルであったことからフォークソングとかニュー・ミュージックとか呼ばれ、彼らに大きな影響を与えたのが、ビートルズであり、ボブ・ディランでした。
吉田拓郎や井上陽水、中島みゆき・松任谷由美・桑田佳祐・長淵剛たちのミュージシャン然とした艶姿(あですがた)に憧れて、次から次に若いミュージシャンたちが、登場してはすぐに消え、人々の記憶からも消えて行きました。
30年40年と息の長い音楽活動を続けていくには、秀でた才能・相当の気力・持続する体力が、不可欠となります。
吉田拓郎は、いま病気療養中ですが、早く元気になって、もう一度1971年の「中津川フォーク・ジャンボリー」や「全日本フォーク・ジャンボリー」で聴かせてくれたような拓郎節で「人間なんて」を歌ってほしいと思います。
私の好きな吉田拓郎の歌は、「ビートルズが教えてくれた」・「落陽」・「たどり着いたらいつも雨降り」・「祭りのあと」・「ペニーレインでバーボン」・「今はまだ人生を語らず」・「俺を許してくれ」など(発表年順不同)‥もちろん「人間なんて」も好きな歌のひとつです。
by blues_rock | 2012-05-22 00:15 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)