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心の時空

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a day in my life

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東京国立近代美術館(竹橋)へは、よく行きました。
博多で学生のころ、少し油絵を描いていましたので、夏休みにどうしても東京の美術館や画廊で本物の絵が見たくて夜行寝台車で上京、翌朝東京駅に到着するとその足で最初に東京国立近代美術館に向かい美術館に入った時の感激は、今でも忘れません。
とくに中村彝の「エロシェンコ氏の像」(1920)に感動し動けませんでした。
他にもそれまで画集でしか見たことのない絵が、たくさんありましたので感激‥必死で見たことを憶えています。
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当時、新幹線もなく飛行機に乗るなど高根の花、九州に住まう者にとって東京はあまりに遠く、もう来ることはないかもしれないと思うと好きな絵から立ち去り難く、網膜に焼きつけるように見ました。
その後の東京生活で、何度か足を運びましたが、学生のころ見たような感激もなく、自分の見たい絵(あるいは展覧会)のあるときだけに行くようになりました。
独立行政法人になってからは、営業方針のためか‥現代美術のつまらない作品をならべた展覧会が、増えたように思います。
良質な近代絵画を多く収蔵しているのですから、常設でしっかり見せて欲しいものです。
 ◇
ブリヂストン美術館(京橋)は、東京駅八重洲口から歩いてすぐにあります。
最初の東京勤務が、1977年(昭和52年)2月から1982年(昭和57年)1月までの5年間でした。
私の働いていた大手町の職場に近く、土曜日出勤(半どん)の午後、良く行きました。
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当時は、改築前で各展示室入り口のホールに、深々した黒皮のソファが配置されていましたので、好きな作品をゆっくり見た後は、閉館時間までシェスタ(お昼寝)していました。
お気に入りは、藤島武二の「黒扇」・「チョチャラ」、佐伯祐三のパリ風景画、国吉康雄「横たわる女」、モディリアニ「若い農夫」、ルオー「ピエロ」、ピカソ「腕を組んですわるサルタンバンク」‥ロダンやマイヨールなどまるで自分のコレクションであるかのように堪能させてもらいました。
 ◇
サントリー美術館(当時赤坂見附、現在六本木に移転)のコレクション・コンセプトは、「生活の用の美」で古道具美術品類の収集がメインでした。
私のサントリー美術館のイメージは、ガラス工芸美術館でアールヌーヴォーのエミール・ガレとすぐに結びついてしまいます。
きっとこの美術館で見た「エミール・ガレ展」が、極めてすばらしかったからだろうと思います。
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 ◇
山種美術館(当時日本橋兜町)で初めて日本画のすばらしさに出会いました。
それまであまり日本画には興味がありませんでしたので、山種美術館の日本画コレクションを見た時は正直驚きました。
私の日本画についての無知なる偏見と未熟さが、原因でした。
酒井抱一(1761~1828)・村上華岳(1888~1930)、とくに速水御舟(1894~1935)の作品118点の収蔵には驚きました。
他に代表的な日本画家の作品も数多くありますので、日本画が好きな方には、大いに楽しめると思います。
2009年4月広尾の新山種美術館に移転しましたので東京に行く機会があれば、久しぶりに訪ねてみたいと思います。
 ◇
2007年1月六本木にオープンした国立新美術館は、コレクションを持たない巨大な箱物美術館の代表のようなもの‥空っぽな現代日本の象徴のような建物です。
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東京は、まだまだロンドン・パリ・ニューヨークの文化水準には、遠く及びませんね。
2008年に「モディリアニ展」が、開催されましたので見に行きました。
「モディリアニ展」自体は、実にすばらしいものでした。
久しぶりにモディリアニ絵画を体系的に回顧展のように見ることができました。
若いモディリアニが、彫刻を志していた頃のデッサンやエスキース、その後の油絵など見応えあり、新しい発見と感動もありました。
 ◇
板橋区立美術館には、1981年「江戸前期の色絵磁器展~伊万里・柿右衛門・鍋島・古九谷」を見るため一度だけ行きました。
展覧会のすばらしさ以外、この美術館のことは何一つ憶えておりません。
a0212807_1485486.jpg展覧会へは、初代酒井田柿右衛門(1596~1666)の白(濁手と呼ばれる独特の乳白色の地色)をどうしても自分の目で見たくて行ったように記憶しています。
手元にある展覧会図録は、今では大切な宝物となりました。
 ◇
国際版画美術館は、町田市にある版画専門の美術館です。
版画は、日本(奈良時代から現代まで)の他ヨーロッパ・アメリカ・中国など海外の作品も含め2万点を収蔵しています。
何度か行きましたが、地味な美術館ながら版画分野に興味のある方々には、一日いても楽しめる美術館と思いました。
美術館のアトリエで木版・銅板・リトグラフなどの実技指導もしていました。
by blues_rock | 2012-04-30 01:10 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
ローウェル・ジョージ(1945~1979没、享年34才)は、1964年鬼才フランク・ザッパのバンド「マザーズ・オブ・インヴェンション」に加入、彼の音楽的才能と演奏技術は高く評価されていました。
しかし、彼のドラッグ依存症が治らず、フランク・ザッパは、彼をバンドから追放しました。
a0212807_635353.jpg1969年、ローウェル・ジョージは、「リトル・フィート」を結成‥ちなみにLittle Featとは、小さな偉業という意味とは知らず Little Feet=小さな足と思い込んでいました。(‥恥ずかしい。)
彼は、ロスアンゼルスの生まれ育ちながらアメリカ南部やニューオリンズのルーツミュージックに影響され、彼が弾くスライドギターと渋いヴォーカルは、秀でた音楽センスを感じます。
1972年発表の2作目アルバム「セイリーン・シューズ(Sailin' Shoes)」から彼らの特徴が表れ、1973年に傑作アルバム「デキシー・チキン(Dixie Chicken)」を発表しました。
1971年のデビュー・アルバム「リトル・フィート(Little Feat)」は、残念ながら日本では発売されませんでした。
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リトル・フィートは、都会(ロスアンゼルス)の音楽センスと南部のファンクが、融合した新しいファンクミュージックを誕生させました。
バンド結成時からの盟友ビル・ペインの弾くピアノ(キーボード)とローウェル・ジョージのヴォーカルが、すばらしくリトル・フィートの音楽活動に期待が集まりました。 (下:「セイリーン・シューズ」LPジャケット 1972年)
a0212807_6593056.jpgリトル・フィートは、ニューオリンズで活躍していたアラン・トゥーサン(1938~、ピアニスト・プロデューサー)からファンクの影響を受けました。
アラン・トゥーサンは、ドクター・ジョン、ウイングス(ポール・マッカートニーのバンド)、エルビス・コステロなどと共演したファンク草創期からの実力者です。
リトル・フィートは、次第にローウェル・ジョージの音楽志向と他のメンバーの音楽にズレが生れ、彼のドラッグ中毒による体調不良などもあり、ローウェル・ジョージのバンドでの存在感が次第に薄くなっていきました。
1979年、ローウェル・ジョージは、ソロアルバム「Thanks I'll Eat It Here」を発表しました。
a0212807_775675.jpgそして、リトル・フィートの解散を宣言、自分の死を予感していたかのように、オーバードース (薬物過剰摂取)による心不全のため死亡しました。
初期のサザンオールスターズの桑田佳祐は、リトル・フィート(ローウェル・ジョージ)から強い影響を受けたと述べています。
(右:「デキシー・チキン」LPジャケット 1973年)
by blues_rock | 2012-04-29 06:33 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)
a0212807_050211.jpg1967年(昭和42年)、三岸好太郎の遺作220点の寄贈を受けた北海道立美術館は、三岸好太郎記念室を設置しました。
1983年(昭和58年)、北海道立三岸好太郎美術館として北海道立近代美術館の東(知事公館の北側北3条通り)に、新しい美術館が設立(現在250点収蔵)されました。    (上写真:北海道立三岸好太郎美術館外観、下写真:同美術館展示室)
a0212807_0511261.jpg三岸好太郎(1903~1934享年31才)は、北海道札幌市出身で、明治の後期・大正・昭和の初期を生き、前衛のまま画風は変転し旅先の名古屋で胃潰瘍と心臓発作に倒れ亡くなりました。
初めは岸田劉生の影響を受けた作風でしたが、1929年頃から道化(ピエロ)をモチーフにルオー調の絵を描き始めました。    (下写真 : 道化 1931年)
a0212807_0515754.jpg1931年(昭和6年当時28才)独立美術協会の設立に参加したことで、ヨーロッパから帰国したばかりの画家たちと交流、彼らから当時ヨーロッパの前衛であったフォービズム・キュービズムの表現法を学び、それまでのルオー風からフォービズムに向かい、彼の才能は、道化(ピエロ)・マリオネット・人物画(少年や少女)などの作品に開花しました。
「黄服少女(1930)」・「少年(1931)」などは、彼が遺した傑作です。
1934年31才で亡くなるまでの3年間に彼の作風は、目まぐるしく変転していきますが、三岸好太郎の才能は、1930年~1931年に描いた「黄服少女」や「少年」にあるように思います。
a0212807_1182873.jpg参考ブログ : 今年の1月26日に「夭折の画家三岸好太郎と天寿の画家三岸節子」を掲載しましたので併せてご覧いただければ幸いです。
                (右写真 : 黄服少女 1930年)

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               三岸好太郎
by blues_rock | 2012-04-28 00:48 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
a0212807_21451456.jpgロカビリーについて2011年12月27日「ジーン・ヴィンセントとエディ・コクラン」で書きましたが、この二人の後継者こそネオ・ロカビリーと呼ばれたブライアン・セッツァー率いる「ストレイ・キャッツ」でした。
ニューヨーク出身でありながら、1980年イギリスでデビュー、1981年アルバム「Stray Cats」をリリース、ブライアン・セッツァーの卓越したセンスあるギターとヴォーカルに、スリム・ジム・ファントムの軽快なドラムとリー・ロッカーのキレのいいウッドベースが、最高のロカビリーを聴かせてくれました。
「ストレイ・キャッツ」のロカビリーは、ジャズ(スイング)・ロックンロールに加えカントリーっぽさもあり上品な音楽センス溢れるネオ・ロカビリーです。
a0212807_21482656.jpgブライアン・セッツァーのジャズセンスは、尊敬するジョー・パスやジャンゴ・ラインハルトのジャズギターに影響されているようです。
1990年ブライアン・セッツァー・オーケストラを結成し、新たな音楽フュージョン・ロカビリーを聴かせてくれています。
ブライアン・セッツァーは、布袋寅泰とギター・トモダチとして仲が良く、時々ライブでセッションしているようですので、二人のコラボレーションからロカビリーのリズムとキレのいいビートの融合により、新しいロックンロールが誕生するのを楽しみにしています。
by blues_rock | 2012-04-27 00:41 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)
2004年、アンソニー・ホプキンスとニコール・キッドマン主演、ロバート・ベントン監督の作品です。
a0212807_138293.jpgロバート・ベントン監督の代表作は、「クレイマー・クレイマー」で1979年のアカデミー賞作品賞・監督賞・脚色賞・主演男優賞・助演女優賞を受賞しました。
映画の原題「The Human Stain」を直訳すると「人間の瑕疵(きずあと)」という意味です。
日本語タイトルの「白いカラス」より原題直訳のタイトルほうが、この映画の本質を言い表しています。
a0212807_1461110.jpg映画のストーリーは、アンソニー・ホプキンス演じる虚偽(うそ)の人生を過ごす初老の男とニコール・キッドマン演じる幸せ薄く、日々虚無に生きる女が出会い、ギクシャクしながらもお互いを必要とするようになります。
それもつかの間、二人の乗った車が事故にあい、二人は突然死します。
大学教授となった初老の男の半生と現実から逃避し刹那に生きる女の過去が、映画の中で変奏曲のように二人を呪縛する人種・政治・家族の哀しい不幸を奏でます。
a0212807_1511566.jpg映画のキャスティングは、主演の二人ともに名優なので見応えはありましたが‥逸品の素材を使った名シェフの料理なのに、食後に満足感のない食事をしたようなスッキリしない不満が、少し残りました。
幸せ薄く刹那に生きる女役のニコール・キッドマンに身持ちの悪い虚無な女のイメージはなく、初老の大学教授を演じたアンソニー・ホプキンスには、映画「羊たちの沈黙」(1991)の強烈な精神異常者レクター博士の印象が、消えませんでした。
a0212807_2233083.jpgその中で、人生に瑕疵(きず)を抱える大学教授(アンソニー・ホプキンス)の青年時代を演じたウェントワース・ミラーが、光りました。
by blues_rock | 2012-04-26 01:31 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
a0212807_1325595.jpgAC/DCは、いまやオーストラリアを代表する国民的ハードロックバンドです。バンドのキャリアは40年近く、1973年にアンガス・ヤングとマルコム・ヤングのヤング兄弟が中心となりシドニーで結成しました。
バンド名のAC/DCは、掃除機に書いてあったAC/DC(電圧用語)からとか、バイセクシャルを意味するAC/DC(性的隠語)だとか言われています。
AC/DCがすばらしいのは、デビューから一貫して変わらないビートの効いた豪快なハードロックをいつも聴かせるので、キャリアとともにファン層も世代を超えて広がりました。
a0212807_21115227.jpgバンドの特徴は、なんといっても弟アンガスのギターで、半ズボンとソックス姿にランドセルを背負いギターをパワフルにタテのりギンギンに弾きながら、ステージを走り回り、寝転んでグルグル回る破天荒なパフォーマンスを行い、兄マルコムは無口で物静かに強靭なギターリフを弾き、この兄弟の奇妙で絶妙なバランス感覚が融合し見事なハードロックを演奏します。
日本では、ロックのセンスがなくても、ルックス優先でパッと出てすぐに消える泡沫バンドが多く(才能とオリジナリティがないから仕方ないが)、AC/DCのように無骨なバンドは敬遠されるのか、あまりAC/DCファンという人に出会いませんでした。
1979年のアルバム「地獄のハイウェイ(Highway To Hell)」で世界的人気を博しました。
翌1980年ヴォーカルのボン・スコットが、突然病死‥彼のえもいわれぬハイトーンヴォイスは、ユニークでAC/DCのもう一つの個性でもありました。
それでもAC/DCは、タテのり一筋‥これまでのアルバム総売り上げは、1億5,000万枚以上とも言われロックミュージシャン仲間から尊敬されるバンドであり続けています。
a0212807_2112399.jpgキース・リチャーズ、ピート・タウンゼント、スティーヴン・タイラー、オジー・オズボーン、リッチー・サンボラ、カート・コバーンなどが、AC/DCファンと公言しています。
2003年の映画「スクール・オブ・ロック」のエンディングに「It's the long way to the top」を出演者たちが、カヴァーして歌っていました。
オーストラリアのメルボルン市は、ハードロックバンド「AC/DC」の長年の活躍と功績に敬意を表して「AC/DCレーン」と命名した通りを設けました。
by blues_rock | 2012-04-25 01:48 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)
福島県立美術館は、アメリカ最高の画家アンドリュー・ワイエス(1917~2009享年91才)のテンペラ画「松ぼっくり男爵」ほか優れた作品を数点所蔵し常設していますので、アンドリュー・ワイエスの作品を見るためだけでも行く価値はあると思います。       (写真 : 福島県立美術館と所蔵するアンドリュー・ワイエス作品)
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アンドリュー・ワイエスは、「クリスティーナの世界」で世界的に有名になりました。
a0212807_2232370.jpg小児マヒで下半身が、不自由な少女クリスティーナをモデルに亡くなるまで30年間彼女を描き続けました。
もう一つアンドリュー・ワイエスを有名にしたのが、誰にも言わず自宅から離れた納屋のアトリエで15年間隣の家に住むドイツ系の農婦ヘルガをモデルに描いた240枚のテンペラ・水彩・デッサンの名作「ヘルガ」シリーズでした。
a0212807_2241728.jpg「ヘルガ」をモデルした作品が、発表されたとき世界の美術界は驚き、アンドリュー・ワイエスが、密かに一人の女性をモデルに240点もの作品を描いたこともビッグニュースになりました。
アンドリュー・ワイエスについては、すでに2011年11月1日「私の数寄な絵‥松ぼっくり男爵」、2012年3月19日「アンドリュー・ワイエス」に書きましたので読んでいただけたら光栄です。
a0212807_2282971.jpg福島県立美術館には、アンドリュー・ワイエスと並んでもう一人、アメリカの偉大な画家ベン・シャーン(1898~1969)も数点あります。
日本人画家では、福島県出身の夭折の画家、関根正二(1899~1919没、享年20才)の作品が7点あり、19才の時に描いた「自画像」には、風格すら漂っています。
他にも国吉康雄の「婦人と子供」・松本竣介の「駅」などが展示されています。
東北方面にお出かけのとき、半日のフリータイムがある方には、陸奥(みちのく)の美術館をお薦めいたします。
by blues_rock | 2012-04-24 00:01 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
JR仙台駅からバスで市街地を抜け、広瀬川に出ると川の向こうに宮城県立美術館はあります。
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宮城県立美術館の見どころは、何といっても「洲之内コレクション」です。
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洲之内コレクションとは、「芸術新潮」誌に連載された美術評論(のようなエッセー)「気まぐれ美術館」の著者であった洲之内徹(1913~1987)が、自ら収集した油絵など146点をいいます。
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靉光「鳥」、海老原喜之助「ポワソニエール」、萬鉄五郎「自画像」など、どれも洲之内徹独特の嗜好性に溢れ「(好きな絵は)盗んでも自分の絵にしたかった」という洲之内徹の気持ちが伝わるすばらしいコレクションです。
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1990年に増設された宮城県出身の彫刻家佐藤忠良の作品寄贈を受けて「佐藤忠良記念館」があります。
岩手県立美術館の舟越保武と宮城県立美術館の佐藤忠良とは、終生の親友でもありました。
二人の偉大な彫刻家の作品を鑑賞する陸奥(みちのく)の旅も楽しいと思います。
by blues_rock | 2012-04-23 00:03 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
岩手県美術館を最初に訪ねたのは、いつの頃だったか‥ずいぶん以前のことでした。
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2001年の秋に現在の場所(‥JR岩手駅からタクシーで10分くらい)に、新しい美術館が建設されてから二度訪ねました。   (上写真:岩手県立美術館、下写真:松本竣介・舟越保武展示室)
a0212807_111338.jpg旧美術館は、博物館と併設で、盛岡市北東の少し不便な場所にあったように記憶しています。
旧美術館のまわりは、環境が良く、いつ訪ねても庭から美しい岩手山が、眺められました。
新美術館も施設の規模なら立派なハコモノ美術館ですが、ここ岩手県立美術館には近代日本美術史(洋画史)に個性的な作品を遺した二人の画家と日本の彫刻界を代表する彫刻家それぞれの特別展示室があり美術館の価値を高めています。
a0212807_23351914.jpg入り口から広い階段を二階へ上がると三人のそれぞれの特別展示室がありゆっくり鑑賞できます。
二人の画家と彫刻家とは、盛岡市出身の萬鉄五郎(1885~1927)・松本竣介(1912~1948)・舟越保武(1912~2002)です。
萬鉄五郎は、日本洋画の前衛でフォービズム・キュービズムの先駆者、彼の代表作の一つである「赤い目の自画像」を見ることができます。
松本竣介と舟越保武は、盛岡中学校の同期生ですが、東京では絵画と彫刻という別の道へ進みます。
松本竣介は、中学生の時病気で聴覚を失い、音のない世界で絵を描き二科展などで活動、在野の画家として36才の若さで亡くなりました。
彼の特別展示室では「序説」他松本竣介ならではの個性的で画品のぶれのない風景画や人物画の小品をまとまって見ることができます。
舟越保武は、「長崎26殉教者記念像」(1962年)で有名ですが、終生クリスチャンとして真摯に石と向き合い、彼の彫刻は静謐で信仰と美の調和を感じます。
a0212807_1494125.jpg特別展示室には、「長崎26殉教者記念像」の彫像(数体)・「ダミアン神父」・「原の城」の大作と数多くの美しい女性頭部像、清楚な女性胸像があり、長い時間いてもいつも見惚れてしまい立ち去ることができませでした。
舟越保武の随筆集「巨岩と花びら」(1983)も文章が凛としてすばらしく、彼の美意識・人柄が良く分かり、この本を読まれて岩手県立美術館に彫刻作品を見に行かれた方もあると思います。
(詳しくは、2011年7月16日掲載「彫刻家 舟越保武」を参考にしてくださると幸いです。)
by blues_rock | 2012-04-22 02:05 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
1969年、映画評論家・実験映像作家松本俊夫(1932~)によるATG(アート・シアター・ギルド)作品です。
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「薔薇の葬列」は、松本俊夫監督の初長編映画で、当時日本のヌーベルバーグと呼ばれたATGの若手映画監督たちが、次々に斬新な映画を発表していました。
a0212807_21414680.jpgこの映画のテーマは、オイディプス(ギリシャ神話)です。
国王を父と知らず殺し王となったオイディプスは、王妃を母と知らず娶(めと)り、母と交わり子をなし、その事実を知って苦悩し自ら両目をつぶし放浪の旅に出たというギリシャ悲劇を昭和時代の日本(新宿)に舞台を移し映画化したものです。
映画は、モノクロながら強烈な映像印象で、1960年代後半の新宿を撮り街の雑踏や裏街をドキュメンタリー映像のように映していました。
a0212807_21422429.jpgとくに印象に残るのは、映画としての成否の要となる美少年エディの役をこの映画でデビューした当時16才の池端慎之介(ピーター)が主演、その大役を見事に演じていることでした。
松本俊夫監督は、主演の美少年エディ役が、100人近くオーディションしても決まらずに、作家の水上勉に相談しました。
舞台美術家の朝倉摂から「六本木のゲイバーに主役の美少年にぴったりの子がいる」と連絡を受けた水上勉は、自ら面接に行き松本俊夫監督に紹介しました。
a0212807_2143585.jpg池端慎之介(ピーター)の父親は、女舞吉村流の人間国宝吉村雄輝、彼自身も女舞吉村流の名取吉村雄秀で、家元候補でしたが、この映画出演で自ら名取吉村雄秀を返上したそうです。
1970年ロンドンで上映された「薔薇の葬列」を見た名匠スタンリー・キューブリック監督は、この映画に感動し当時準備をしていた自分の映画「時計じかけのオレンジ」(1971)の参考にしました。
スタンリー・キューブリック監督の名作「時計じかけのオレンジ」も強烈な映画でした。
映画のストーリーは、殺人も容認する自由主義と自由行動・自由思想を排除する全体主義を映像で対比させて、見る人の価値観と哲学を問う極めて刺激的な内容でした。
by blues_rock | 2012-04-21 00:49 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)