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心の時空

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a day in my life

<   2012年 02月 ( 29 )   > この月の画像一覧

明治20年(1887年)、フェノロサと彼の盟友岡倉天心が、創立した東京美術学校時代から東京藝術大学(美術学部)の芸術教育と研究のために芸術資料2万8,000件(国宝・重要文化財22件含む)を所蔵した芸術資料館を、平成10年(1998年)に広く一般公開するために「東京藝術大学大学美術館」となりました。
a0212807_2245259.jpgアメリカ人(ボストン出身)のアーネスト・フェノロサ(1853~1908)は、東洋美術史家・哲学者として東京大学で教鞭をとり、岡倉天心・狩野芳崖と親しく交流する中で、日本の伝統美術に深く傾斜していき、仏教に帰依するまでになりました。(彼の墓は、滋賀県大津の三井寺にあります。)
フェノロサ(右下写真)は、明治維新の暗部(文化政策の失敗)である過度に西洋文化・文明を崇拝する風潮の中で、ゴミのように見捨てられた日本の古美術品を高く評価し、研究を進め世界に広く紹介した日本伝統美術の恩人として、今では高く評価されています。
a0212807_22455334.jpgとくにフェノロサが、岡倉天心たちと共に行った京都・奈良での古社寺宝物調査では、日本の文化財保護の法律制定を訴え、彼は国宝(National reasures)の概念(と価値)を教えました。
明治維新の愚策「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」は、多くの古刹・仏像・仏教美術を破壊し廃棄しました。
1890年ボストンに帰ったフェノロサは、ボストン美術館東洋部長に就任、日本美術の収集に努めます。
ボストン美術館は、日本美術の優品を多数所蔵「平治物語絵巻」・「尾形光琳襖絵松島図」・仏像・浮世絵など‥中には、国宝級もあり、日本美術を国外(アメリカ)に流出させたとの批判もありました。
しかし、フェノロサは、120年前に当時の日本人が、日本の伝統美術品をゴミ同然に扱い、放棄していたもの拾い上げ、大事に保存しました。
そして、アメリカに持ち帰り、120年後の現在もボストン美術館で大切に保管され、フェノロサの日本美術を愛した熱い想い(フェノロサの魂)が、生き続けていることに感謝いたします。
a0212807_224757.jpg当時の東京美術学校では、日本の伝統美術復興をめざす岡倉天心(左写真)の教育方針から、学生のための参考資料として古美術品を多数収集しており、併せて東京美術学校として歴代教官の作品、学生の卒業制作作品などを収蔵してきました。
中でも、東京美術学校~東京藝術大学の西洋画科で学んだ学生たちの残した「自画像」コレクションは、たいへん興味深く、同美術館の「自画像展」で見た有名画家たちが、当時まだ画学生(画家の卵)であったころ描いた自画像をその後の作品と重ね合わせて見るとおもしろいと思います。
東京藝術大学美術学部の卒業生で画家になった人は意外に少なく、画家となり、さらに有名な画家になって、見る人(あなた)の心をドキドキさせ、胸をときめかせる作品を描いた画家は、何人いるでしょうか?
そんな好奇心をもって東京藝術大学大学美術館に所蔵されている作品を見ると感動は、自分の心の中にあることに気づくでしょう。
by blues_rock | 2012-02-29 00:41 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
1968年「ヤード・バーズ」のギタリストであったジミー・ページは、ロバート・プラント(ヴォーカル)と出会ったことで、ベースのジョン・ポール・ジョーンズ、ドラムのジョン・ボーナムをメンバーに加え、革新的なロックバンド「レッド・ツェッペリン」を結成しました。
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1969年10月に発売されたセカンドアルバム「レッド・ツェツペリンⅡ」は、ビートルズのアルバム「アビーロード」のセールスを上回り、それまで続いてきたセールス・トップのビートルズ不滅神話が、ついに終わりました。
ジミー・ペイジは、フォークやブルース趣味が強く、一方ロバート・プラントは、ケルト音楽・中近東などエスニックな音楽志向をもち、各人個性がありましたが、彼ら4人の革新的なサウンドと高い演奏能力により1970年代世界中で圧倒的な人気を誇るハードロック・バンドになりました。
a0212807_2363546.jpgジミー・ペイジ(1944~68才)のキレのいいギター・リフ、驚異的な音域を自在に操るロバート・プラント(1948~64才)の歌唱力と凄まじい声量のヴォーカル、ジョン・ポール・ジョーンズ(1946~66才)は、ベースに限らずいろいろな楽器を弾きこなし、卓越した技術と安定した演奏力でツェッペリンの演奏を支え、そしてジョン・ボーナム(1948~1980没、享年32才)のドラムは、彼独自のグルーヴ感とタメをもち「レッド・ツェッペリン」のハードロックをリードしました。
そのジョン・ボーナムが、1980年アルコール依存症による過飲事故で、突然死しました。
ジョン・ボーナムのドラムのない「レッド・ツェツペリン」のロックは存在しない、と残された3人のメンバーは判断し、栄光のハードロック・バンド「レッド・ツェツペリン」は、解散しました。
ちなみにバンド名の「Led Zeppelin」は、キース・ムーン(ザ・フーの名ドラマーでロック史上屈指の天才ドラマー)が、彼らを「Lead Zeppelin(鉛の飛行船)」と呼んだことに由来しています。
a0212807_238370.jpg飛行船は、1900年ドイツのツェッペリン伯爵が、考案した飛行物体(巨大風船)で、今では飛行船の代名詞となっています。
「レッド・ツェッペリン」に対して当時のツェッペリン伯爵家の子孫は‥金切り声を上げて飛び回る猿どもに、当家の栄誉ある名前は使わせないと抗議したそうです。
ツェッペリンの名は、ロック史に永遠に残りますから、ツェッペリン伯爵家の子孫・末裔(まつえい)の中に「レッド・ツェッペリン」ファンが、増えるとしたら‥それも愉快な20世紀末の歴史の出来事と思います。
Θ YouTube : LEAD ZEPPELIN 「ROCK & ROLL」(1972)
ロックが、ロックであった時代の原風景を見るような映像です。
by blues_rock | 2012-02-28 00:13 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)
高齢者のデイサービスで、時々「絵の話」をします。
私が、話をするお相手の高齢者の皆様方には、個人差はあるものの5人中4人くらいに認知症の症状(あるいは兆候)が見られます。
症状と言っても、見当識障害や記憶障害さらに軽い徘徊(はいかい)などですが、興味があることには、熱心に耳を傾けられ、話に集中されます。
先日、「ゴッホの絵」の話をいたしました。
日本人になじみ深く有名な画家なので、ゴッホの名前は、全員が知っておられました。
私が、いままで見たゴッホの絵について高齢者の皆様方にできるだけ分かりやすいよう具体的に話しました。
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パソコンを42型TVにつなぎ、大型液晶画面にゴッホの絵を映し出し、それを見ていただきながらゴッホのプロファイルを紹介、ゴッホの絵の魅力について皆様方と対話(Q&Aなど)しながら30分くらい話しました。
○ヴィンセント・ヴァン・ゴッホは、オランダ人で1853年生まれ1890年に自殺(享年37才)したこと。
○父親は、キリスト教の宣教師で、ゴッホも若い頃、伝道師志望であったこと。
○「炎の画家」と称され、天才画家ゴッホと言われているが、絵は独学だったこと。
○画家としての活動は、自殺するまでの10年間で、2,000点の絵を描き残したこと。
○生涯売れたのはたった一枚、弟テオが、ゴッホ(兄ヴィンセント)の生活を支援したことや極貧生活のために描いた絵を酒や食べ物と交換したこと。
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○ゴーギャンとの共同生活は、2か月で終わったこと。
○耳きり事件を起こし、精神病を患い、ついにピストル自殺したこと。
○画家ゴッホ誕生のターニングポイントは、29才娼婦との同棲、彼女をモデルに多くの絵を描いたこと。
○浮世絵の影響を受け、精神病治療のためのアルル移住し、傑作の数々「ひまわりの絵(生涯12枚)と自画像(生涯40枚)」を描いたこと。
○トピックスとして‥ゴッホの傑作「ガッシュ医師の像」は、弟テオの妻により、当時300フラン(=5千円くらい)で売られましたが、先年ニューヨークの競売にかけられ125億円の価格で落札されたこと。
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○ゴッホの人生は、純粋で無垢な性格なゆえに、残酷な運命と出遭い、挫折感に苛(さいな)まれ、自ら精神を病みながら‥ただ命を燃やすように、一心不乱に絵を描き続けた一生だったこと‥など話しました。
ゴッホの絵(TVに映した画像)を見つめる高齢者の皆様方のキラキラした目が、私の印象に残りました。
美しい絵やすばらしい芸術作品に出会うと見ている人の心が、共感いたします。
感動に老いも若きも、男性も女性も、認知症か否かも関係ありません。
「ゴッホの絵」の話をしながら感受性は、人間の大切な宝物であることを改めて感じました。
by blues_rock | 2012-02-27 00:07 | 高齢者介護(認知症) | Comments(0)
私の友人から、九州の里山で暮らす家族についての身につまされる話が、手紙で届きましたので、前文を省略してご紹介します。
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(以下、本文から)
私の住む里山に、旧家の農家があり、二人の成人した息子がいます。
兄は、十数年前、東京の一流大学を卒業するとコンピューター関連企業に就職しました。
両親は、厳しい農業収入から生活を切り詰め、長男に毎月仕送りをしていました。
次男の弟は、専門学校を卒業したばかりで、すでに就職が決まっていましたが、両親から長男が、家を出て後継ぎが居ないので、次男に、先祖からの農家を継ぐよう説得され、不承不承(ふしょうぶしょう)就職先に断りを入れ、家業である農業を継ぎました。
それから、その農家は、長い間安定し平和な暮らしが、続いていました。
a0212807_0504179.jpgところが数年前に突然長男の兄が、里に帰って来ました。
会社が、倒産したとのことで、妻子を連れて故郷に戻って来たのです。
すでに弟にも家族があり、年老いた両親とも同居し、家業の農業を継いで、里山でも指折りの優秀な篤農家に、成長していました。
弟は、兄のように東京の大学で学んだわけではありませんが、彼の真面目で温厚な人柄は、田舎では評判が良く、となり近所や農業者仲間とも親しく交わり、地道ながら平穏な暮らしをしていました。
突然の長男家族の帰郷ではありましたが、年老いた両親は、長男の家族を無条件で受け入れました。
里山で、仕事のない兄は、しばらくすると家業である農業を手伝ううちに、弟の営農に割り込んできました。
唐突な後継者交代の兄の申し出に、弟は不承知でしたが、両親は一家をあげて戻って来た長男の、田舎での立場を哀れみました。
何よりも老いた親は、長男家族が実家を頼って戻って来てくれたことを喜び、快く受け入れました。
a0212807_0514880.jpg今でも田舎の旧い農家では、長男が家を継ぎ、先祖の墓と農地の跡取りとして、世代交代していくが、古くからの生業(なりわい)です。
ところが、この家では、跡取りの交代で、今までと家業の農業のやり方が、一変しました。
東京で学んだ知識と東京の情報が、最先端だと信じていた兄は、里山の農業を古いと決めつけ、先祖代々培われてきた田舎の風土を軽んじて、地域の仲間と協調しようとはしませんでした。
日々の暮らしでも、となり近所と親しく交際しようとはしませんでした。
次男の弟は、自分の営農する棚田の稲や富有柿、そしてレンコンなどの農作物について、生育や作柄をいつも仲間と意見交換していました。
交代した後継者の兄は、収穫した農産物を自分の得意分野であるインターネットで遠くの顧客へ直接販売する方法を考えました。
しかし、棚田での稲作の水管理が分からないばかりか、富有柿の木の手入れやレンコンの堀り方を知らない兄は、毎年刈入れた籾(もみ)が不揃いで、品質の劣る米や、堀り傷の付いたレンコンを収穫していました。
a0212807_0533942.jpg家を出て近くに住む弟が、兄の農業を手伝っていましたので、何とか商品に仕上げ、都会で流行りの無農薬や有機栽培の農産物として、田舎では、画期的なネット販売に成功したのでした。
これからは、原油高で富有柿は、儲からないと判断した兄は、初夏になり、すでに青い実が付いた生育途中の富有柿の木の手入れを放棄してしまいました。
「桃栗三年、柿八年」といわれるくらい柿が、成木になるまでには、多くの時間が必要です。
弟が、長年にわたり丹精込めて生育していた富有柿の畑に、兄は手を入れるのを止めました。
弟は、兄に反発し、自分のキャリアである農業経験から意見を言いますが、兄は耳を傾けようとしませんでした。
見かねた親は、わずか数年の農業経験しかない素人同然の長男に、意見しましたが、長男は、頑として親の意見も聞きませんでした。
そういう人間世界の諍(いさか)い中でも、長年手入れされてきた富有柿は、哀しいかな‥人間から、放置された年も、木いっぱいに、朱い実を付けました。
a0212807_12241456.jpg実った柿は、熟してもなお収穫されないまま放置され、秋も過ぎ、霜の降りる季節の冬を迎えても柿は、木になったままで、ついに腐敗してしまいました。
正月に、私が見た柿畑の富有柿は、見捨てられたまま枝にしがみ付き、雪の舞う冬空に寒々とした里山の光景を映していました。
その柿畑の回りにある畑の持ち主たちは、堪(たま)らず、農業者仲間であった弟になんとかしてくれと、何度も苦情の申入れをしたそうです。
当然のことながら、無農薬・有機栽培は、生育途中の消毒や草刈など手入れ一切をしませんので、その柿畑には、腐敗したカビの病気や害虫被害などが集中し、冬場はエサを求めて、野鳥が大挙して押し寄せました。
まわりの畑からは、何度消毒しても病気が入ってしまったと、友だちの農業者仲間から嘆かれた弟は、仲間の前でうなじを垂れるばかりで‥もう自分には、権限がないからとただ詫びるだけだったそうです。
ついに、弟は町に住む親戚を頼り、就職するために里山を出て行きました。
a0212807_152435.jpgこれも当然の成り行きながら、次男の弟は「親に騙(だま)された」という言葉を農業者仲間に零(もら)していたそうです。
この話しを聞いていた私が、ふと窓の外に目をやると、窓からその柿畑が、眺められました。
人間の都合で見捨てられても、木から落ちもせず、赤黒く腐ったままの富有柿の実が、どんよりとした冬の寒空にびっしりと木にしがみ付いていました。
しばらくすると里山の雪も止んで、きれいに晴れあがり、正月の青空にその光景は哀しいというより、私の目には、これからの里山での人間模様が予想され、反って不気味に映り、心痛みました。(筑紫里子)
by blues_rock | 2012-02-26 01:08 | 柏原生活/博多叙景 | Comments(0)
a0212807_0275765.jpg46年前の1966年6月29日人気絶頂期のビートルズが、ライブのために来日しました。
当時、福岡から東京へは、夜行寝台急行で20時間以上もかかって行くしか旅行する手段はありませんでした。
高校生でお金もない私は、指を咥(くわ)えてテレビ放送で、ビートルズ日本ライブを必死で見ていました。
1万人の警察官が、彼らを警備するという状況の中で、ビートルズの日本ライブは、開催されました。
a0212807_0284596.jpg今では、日本武道館コンサートは、別段珍しくありませんが、最初に日本武道館を会場にコンサートしたのは、ビートルズでした。
光陰矢のごとし‥早いものであれから46年が過ぎ、ジョン・レノンもジョージ・ハリスンも亡くなりました。
ジョンが生きていればまだ72才、ジョージは69才、今でも心底生きていて欲しかったと思います。
by blues_rock | 2012-02-25 22:17 | ビートルズ(Beatles) | Comments(0)
1971年1月ニューヨーク、フィルモア・イーストでのオールマン・ブラザーズ・バンドのライブを収録したLP2枚組レコードで、デュアン・オールマン(1947~1971没、享年24才)の天性のセンスによるスライド・ギターの演奏がすばらしいロック音楽の名盤です。
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この年10月デュアン・オールマンは、新しいアルバムの制作中オートバイ転倒事故で死亡、そして一年後ベースのベリー・オークレーも同じ場所近くで、オートバイの衝突事故で亡くなりました。
a0212807_153055.jpgデュアンが、バンドを結成したのが1969年、オリジナルメンバー6人によるバンド活動は、わずか2年余りの期間でした。
デュアン・オールマンのスライド・ギター演奏は、ロックファンを唸らせ、オールマン・ブラザーズ・バンドは、ロック音楽史にその名を残しました。
「フィルモア・イースト・ライブ」のプロデューサー、トム・ダウトは、ロック史伝説のバンド「クリーム」のミキサー&エンジニアでしたので、エリック・クラプトンとは、旧い友人でした。
トムは、エリックとデレク&ドミノスのニューアルバム「レイラ」をマイアミのスタジオでプロデュースしていた時、オールマン・ブラザーズ・バンドもマイアミで公演中でした。
トムは、エリックをオールマン・ブラザーズ・バンドのコンサートに誘いました。
a0212807_24772.jpgエリック・クラプトンは、デュアン・オールマンの個性的なスライド・ギターに驚くとともにデュアンのセンスあるスライド・ギターに惚れ込んで、制作中のニューアルバム「レイラ」(1970年LP2枚組)にぜひ参加して欲しいと要請しました。
こうして不朽の名曲「レイラ」が、誕生しました。
エリック・クラプトンの声を絞り出すようなヴォーカルに、デュアンの叫ぶようなスライド・ギターとエリックのリード・ギターの哀愁とが溶け合い‥鳥肌もので、二人の天才が、お互いを認め合ったハイテンションの演奏を聴くことができます。
エリックは、当時すでに自分と互角にギターを弾く若いデュアンの才能に惚れこみ自分のバンドに誘い一緒に活動しようとしますが、デュアンはオールマン・ブラザーズ・バンドを離れることはありませんでした。
そしてデュアンの早すぎる死、享年24才、当時薬物中毒から立ち直っていたエリックは、突然の若い友の訃報にたいへんショックを受け、その喪失感からまた薬物に依存していくようになります。
名曲「レイラ」は、デュアンとエリック二人の魂が、融合し一つとなった音楽の結晶のように思われてなりません。
by blues_rock | 2012-02-24 01:47 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)
a0212807_0171148.jpg昨日の続編です。
何気にサイト(ヤフー)ニュースを見ていたら、この国が垂れ流している財政赤字の累積債務(国の借金)が、1012年度末に▲1,085兆円になる、と気の遠くなる莫大な金額を予告レポートしていました。
国民一人当たり(産まれたばかりの新生児から死に逝く老人までの一人当たりですよ!)の借金は、850万円!で、4人家族なら3,400万円!になります。
昨日(前編)の記事を書いて、一晩寝たら国の借金は、さらに増えていました。
もう日本国民は、この借金地獄から数十年(‥もしかしたら百数十年)逃れることができなくなりました。。
‥ふざけんじゃねえ!と怒っても、‥知るか!と、そっぽ向いても、必ず借金の取立人が、私のあなたのサイフに手を入れて「悪いね、もらっとくよ」と遠慮容赦なくお金を強奪していきます。
取立人とは「税金(税務署)」のこと‥まず手始めに、消費税の5%を10%にして国家財政赤字を再建しますなどと無能・非常識な国会議員たちが、口角泡を飛ばしてウソ八百のゴタクを並べ‥衆議院選挙を前にふざけたことを大口開けて叫んでいます。      (上写真:ドイツのハイパーインフレ、下写真:マルク札束で遊ぶ子供)
a0212807_0181186.jpgいずれ消費税率10%が、20%に‥そして30%にと徐々に税率は、アップしていき、日本は極東のギリシャと化し、国民は、総借金依存症患者となり、国が衰退しデフォルト(経済破たん)しても、われ関せず、デモ・ストライキの社会騒乱もどこ吹く風‥の風景が見えてきました。
国家予算の歳出92兆円に対し、歳入(税収)は、そのうちの4割37兆円、不足する6割の55兆円は、国債(国の借金借用書)を印刷発行して補い、国庫の帳面尻を合わせています。
その国債を、金融機関が、せっせと購入しています。
金融機関は、民間に融資して、不良債権の損失リスクをとるより、この経済不況では、国債金利の1.2%のほうが、魅力的で利益も確実に得られるからです。
そりゃそうでしょう、どの金融機関も国民のお金を普通預金0.01%・定期預金0.1%で預かり、巨額預金のお金が購入資金として国債に回り、1.2%利回りで10倍から100倍の利益が、黙って手元に転がり込んでくる仕組みですから、実体経済の成長を支える民間会社に事業資金として融資し、国の発展や社会貢献しようという使命感など銀行・郵便貯金・信用金庫・農協にあろうはずもありません。
(下写真:2008年、札束を抱えてパンを買いに行くジンバブエの子供)
a0212807_0185947.jpg月給37万円の家庭が、毎月55万円もの借金をして、92万円の浪費生活をするなんざぁ‥家計簿は、まっかっかのサラ金地獄、家庭崩壊は必然、悪夢です。
借金まみれの国の国債は、ダレも買わなくなり、国債の格付けが落ち、金利が暴騰し、その莫大な利払い(現在の1千兆円債務の利払いは120兆円!利子だけで!)のためにまた借金‥借金‥借金、あげく債務不履行(デフォルト)という国家破産に到ります。
国が、破産すると日本円紙幣は、当然紙クズです。
国民の暮らし(経済)は、ハイパーインフレ地獄に落ち、オニギリ1個買うのに、1億円の札束を背負って行くことになるでしょう。
世界最悪の財政赤字大国‥悪夢の祖国ニッポン、残念ながら、もう先送りする時間はなく、間もなくタイムアウト‥時間切れで、国(=政府)の無能による国民の不幸は、すべて私たち国民自らの責任です。
日本国の主権は、国民にあります‥主権在民です。
選挙権を行使して投票を武器に一票一揆の革命で、今日の幸せを手に入れましょう。
by blues_rock | 2012-02-23 06:59 | 経済/政治/世界 | Comments(0)
今日の午後、税金を少しでも返してもらおうと確定申告をしてきました。
確定申告書類を領収書(ほとんど医療費)類と一緒に提出すると受付の係官が、手なれた作業で書類一式をチェックし、すぐに確定申告の手続きは、終わりました。
a0212807_2103938.jpg受付の係官から特段のクレームはなく、23年度所得税として国庫に納税した分のうち50,100円分の還付が確定したと思い、係官に礼を言い申告会場を後にしました。
よく考えると、払い過ぎていた税金を返してもらっただけなので、係官にお礼を言うことはないな‥と一人ニガ笑いです。
サラリーマンの頃、納税者としての自覚があまりなく、源泉徴収される所得税・住民税(市民税・県民税)の他、固定資産税・自動車税・消費税などの税金地獄に、黙って耐え忍んできました。
定年退職後、確定申告をするようになって納税者としての自覚が生まれ、納税意識を持つようになりました。
税務署⇒国税庁⇒財務省⇒国(政府)⇒官僚(公務員)による「年貢取立てシステム」つまり政府と官僚(政府権力)が、“税法”という勅命(みことのり)により「国民から収奪した莫大な年貢(税金)を国家予算」と称して、政治家たちが徒党を組み、仲間内で山分け(配分)する「利権の奪い合い」こそ「政治の本質」です。(下図:50種類近くもある国民のための税金のメニュー)
納税者の私たちに不満のガス抜きのために与えられたのが、確定申告という制度、そして雀の涙か、蚤(のみ)のヨダレ程度の還付金で、納税者の怨念(おんねん)感情をごまかそうというわけです。
a0212807_2114570.gif国の赤字国債残高(国民の借金)は、すでに1000兆円を超え、金利1%の利払いなら10兆円、ギリシャ並みに財政破たん寸前の金利なら70兆円の利息が、借金の元本以外に必要となりました。
私たち日本人は、赤ん坊から寝たきり老人まで、国民一人当たり800万円強の借金を背負っていますので、近い将来の大増税(国民総出での借金返済)は、まず間違いありません。
国民=選挙民=納税者として、政府と官僚(政治権力)に国家予算の使用目的と明朗会計を堂々と要求したいと思います。
大多数の国民は、生活を通して納税効果を実感し、将来も安心して暮らせるなら、自分たちの生命と財産は、自分たちのリスクとコストで守らなければならないことくらい承知しています。
国防・事件・火事に備える自衛隊・警察・消防署の役割を国民は、理解しています。
自衛隊・警察・消防署の出動率が低く、治安コストが高いので、無駄だから廃止しろ!とか、人件費の安い外国人を雇え!とか、国民は決して言いません。 (下写真:1円に3円の製造コストがかかるアルミニュウム1円玉)
a0212807_2125561.jpg私たちの生命と財産を守る政治、つまり国の納税システムと税配分権は、私たち納税者の絶対権利です。
私たちが、いますぐに実践しなければならないのは、政治機能の耐用年数が過ぎ、老朽化した国会(立法)と政府(行政)官僚機構のリフォームとスリム化およびコストカットの3つの立法と行政の抜本改革です。
行政業務の民間移管、NPO組織への権限移譲や機能移管を行い、国民雇用の創出を行なえば一石三鳥、納税も増え、無用な税支出も減るでしょう。
無能な国会議員、お粗末な地方議員も多いので、国会の定数を現在の半数に減らし、10県を1つの州にして行政経費の削減(コストダウン)を断行すべきです。
a0212807_21174697.jpg
自分の払った税金には、細かくこだわり、税金の配分を決定する政治には、選挙に必ず行き主権を行使し、無能な政治家・不正を行う(ネコババする)いかがわしい政治家たちに天罰を下し、私たち善良な市民社会から永久追放しましょう。(後編に続く)
by blues_rock | 2012-02-22 20:46 | 経済/政治/世界 | Comments(0)
a0212807_2151891.jpg浅川マキ(1942~2010没、享年67才)の歌「夜が明けたら」・「 かもめ」を聴いたことのない人に、浅川マキを説明するには、少し骨が折れます。
「浅川マキの世界」(1970)をとにかく一度聴いてもらうのが一番、彼女が醸し出す独特の雰囲気を感じていただけると思います。
新宿ゴールデン街のバーで、友人二人と私三人で飲みながら、浅川マキの話をしていたら、となりに陣取っていた若い男女数名のうちの一人の女性が、「ワタシ、浅川マキ知っています。」と話に入ってきたので「若いのになんで知っているの?」と質問すると「ワタシのハハが大好きで、時々聴いていますから」との回答でした。
a0212807_2171324.jpg「ハハがねえ‥ハハハハ」と友人二人と私の三人顔を見合わせ、苦笑いしてしまいました。
裏街の薄暗い酒場で、ワケありそうな女が独り、少し自堕落に退廃の匂いを漂わせながら唄う歌の雰囲気は、まさに「浅川マキの世界」です。
音楽活動について浅川マキは、「時代に合わせて呼吸をするつもりはない」という美意識を生涯貫きとおし、ライブを自己表現の場としてきました。
2010年1月、ライブのため滞在した名古屋のホテルで亡くなりました。
享年67才、また一人地球からワン&オンリーのミュージシャンが、宇宙へ旅発ちました。
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アルバム「浅川マキの世界」(蝎座ライブ構成・演出:寺山修司)
1.夜が明けたら
2.ふしあわせという名の猫
3.寂しさには名前がない
4.ちっちゃな時から
5.前科者のクリスマス
6.赤い橋
7.かもめ
8.時には母のない子のように(ゴスペル)
9.雪が降る(アダモ)
10.愛さないの愛せないの
11.十三日の金曜日のブルース
12.山河ありき

ご冥福を心より祈ります。
by blues_rock | 2012-02-21 01:02 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)
a0212807_9293765.jpgアメリカ南部の古いブルースをボブ・ディランがフォークで唄い、1964年イギリスのジ・アニマルズが、それをブルース・ロックでカバーして、世界的な大ヒット曲となりました。
エリック・バートンの魂をしぼり出すようなヴォーカルは、一度聴いたら忘れられないくらいインパクトがあり印象に残りました。
ベースのチャス・チャンドラーは、バンドが解散すると、当時まだ無名であったジミ・ヘンドリックスのマネージャーになり、彼をイギリスでデビューさせました。
その後のジミ・ヘンドリックスについては、昨年9月5日拙ブログ「ロックの化身‥ジミ・ヘンドリックス」で書いていますので、参考にしていただけると幸いです。
a0212807_9375672.jpg「朝日のあたる家」(歌詞)
ニューオーリンズに、人々が、朝日のあたる家と呼ぶ家がある
そして、そこは、落ちぶれた若い男たちの行き着くところだ
神よ、わかっているんだ、俺もその一人なのだ
おれの母親は、仕立屋だった
おれに新しいブルージーンズを作ってくれた
父親は、ニューオーリンズでギャンブルに明け暮れる男だった
ギャンブラーに必要なのは、ただスーツケースとトランクのみ
そして満ち足りるときといえば、ただ酒に酔ったときだけだ
母よ、子供たちに話してやってくれ
おれがしてきたことを、やってはいけないと
この朝日あたる家で、罪の償いと惨めな人生を送るなと
おれは、片足を駅のホームに、もう片方の足を列車にかけて
足を鉄の球のいた鎖でつながれに、ニューオーリンズに戻ろうとしている
ニューオーリンズに人々が、朝日のあたる家と呼ぶ家がある
そして、そこは落ちぶれた若い男たちの行き着くところだ
神よ、わかっているんだ、俺もその一人なのだ
私にとって「朝日のあたる家」=エリック・バートン(とジ・アニマルズ)です。
by blues_rock | 2012-02-20 00:31 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)