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心の時空

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a day in my life

<   2011年 09月 ( 30 )   > この月の画像一覧

a0212807_133583.jpg映画の日本語タイトルを「アルゼンチンタンゴ~伝説のマエストロたち」としているとおり、映画というよりアルゼンチンタンゴの音楽ドキュメンタリー映像です。
アルゼンチンタンゴは、1940年から1950年代にかけてブエノス・アイレスで黄金期を迎え、多くのタンゴ音楽家が活躍していました。
私は、舞踊(ダンス)としてのタンゴも好きで、歯ギレのよいリズムと哀愁感あふれるメロディに合わせて踊る‘男と女’の官能的なダンスは、さながら恋人たちのラブシーンのようで‥いつもどきどきして見ています。
高校生のころ隣りに住む叔父が、大切にしていたステレオとラテン音楽のレコード(LP盤)を留守中に無断で借りて繰り返し聴いていました。
私にとって初めてのタンゴは、そのころ聴いた「ラ・クンパルシータ」でした。
その後「アルフレッド・ハウゼ」や「アストル・ピアソラ」など熱心に聴きました。
余談ですが、アルゼンチン・フォルクローレの「アタワルパ・ユパンキ」もいいですね。
さて映画は、2006年ブエノス・アイレスで、タンゴの名曲アルバム「CAFÉ DE LOS MAESTROS」を録音するためにアルゼンチン・タンゴのマエストロたちが集められ、収録する様子を撮影したドキュメンタリーです。
彼らはタンゴの黄金時代を築き、政情不安な激動のアルゼンチンで50年60年とタンゴの演奏を続けてきたマエストロたちです。
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タンゴのマエストロたちは、皆な高齢の音楽家たちばかり‥風情はヨボヨボの老人(好々爺)たちですが、一旦それぞれの楽器バンドネオン・ピアノ・ヴァイオリン・チェロ・ベースなどを手にし弾き始めると彼らは一変し、演奏の迫力といいリズムのキレといい驚くばかり‥円熟した匠(たくみ)の演奏を聴かせてくれました。
カメラは、お互いの再会を子供のように喜びはしゃぐ老人たちの様子や練習風景を映像に収めています。
収録の最後に、彼らは世界三大劇場の一つといわれているコロン劇場で一夜限りのタンゴ・コンサートを行いました。
アルゼンチンの宝と呼ばれる高齢のマエストロたちが集まり、同じステージで演奏することはもう二度とない歴史的コンサートでした。
映像より音楽(タンゴ)を楽しむ映画です。
by blues_rock | 2011-09-30 01:05 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
a0212807_18125629.jpg休日は、空調が効いた快適な映画館でゆっくり映画を見るに限ります。
20代には、一日7本の映画を見たこともありますが、もうそんな気力と体力はなく週末に見たい映画を選んで楽しみながら見るようにしています。
先日は、「トロッコ」を見ました。
映画「トロッコ」は、芥川龍之介の短編小説「トロッコ」を原作に、川口浩史監督(1970~)と台湾の侯孝賢監督(ホウ・シャオシェン 1946~)が、共同で脚本を書き映画の舞台を日本から台湾の山あいに移して映画を撮った川口浩史監督のデビュー作品です。
私は、この映画を見るまで川口浩史監督の名を知りませんでした。
篠田正浩監督など名監督の助監督を長年経験しているので素質十分、この映画「トロッコ」は監督としての初メガホンですが、良質な作品でした。
撮影は、侯孝賢監督の盟友にして名撮影監督の李屏賓(リー・ピンビン 1954~)が、担当しています。
映画のストーリーは、国境・時代・世代を超えた家族がテーマです。
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シナリオも良く、昔の手押しトロッコを映画表現の道具として上手く使い、出演者たち(私の知らない俳優たちばかりでした)の演技も見事でした。
台湾人の祖父母、日本人の若い母親と二人の息子(幼い兄弟)‥台湾人の父親は、遺灰として登場しますが、義弟や山に木を植え守る老人と手伝う若者、そして村人たちなど脇役の演技も実に自然で、どこか懐かしい日本の原風景を見る思いでした。
映画は、豊かになったはずのいまの日本が、どこか殺伐としていて、いつも何かに追わる毎日の暮らしの中で忘れてしまった家族の絆(母と子)と、遠く離れていても家族の幸せを思う心(台湾の祖父母と義弟)を軸にストーリーは展開します。
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川口浩史監督は、日本と台湾との歴史関係も背景に入れ冷静に演出しています。
自然豊かな台湾山あいでの家族の暮らしを澄んだ空気感に包んだ映像も美しく「鉄塔 武蔵野線(1997)」・「山の郵便配達(1999)」・「故郷の香り(2005)」などの秀作映画を見た時の清々しい感動がありました。
by blues_rock | 2011-09-29 20:15 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
3年前の映画ですが、秀作なので滝田洋二郎監督の2008年作品「おくりびと」をご紹介します。
a0212807_7324151.gif滝田監督作品は、2004年の「壬生義士伝」も印象に残っています。
「壬生義士伝」は、本(2000年浅田次朗著上・下2巻)、テレビ(2002年1月2日テレビ東京10時間ドラマ)も、それぞれ道具は違いましたが、心に沁みる味わい深い感動がありました。
この2本の映画は、秋の夜長にゆっくり自宅(DVD)で見る映画としてお薦めいたします。
「おくりびと」は、俳優木本雅弘が原作を読んで感動し、原作者の元に何度も足を運び話し合い、やっと映画化の許可が下りたとのことです。
映画の舞台は、山形県酒田市‥葬儀の前に遺体を清め、顔に死化粧をしてお棺に納める納棺師の悲喜交々が、主たるストーリーです。
映画「おくりびと」は、日本国内の映画賞を総なめし、2008年モントリオール世界映画祭でグランプリ受賞、2009年アメリカアカデミー賞では、外国語部門賞を受賞しています。
この映画の見どころは、なんといっても名優「山崎努」の存在感と、そのリアルな演技で、本木雅弘が演じる新米納棺師を育てるベテラン納棺師(小さな納棺会社の社長)が、彼の役どころです。
映画の中で山崎努演じるベテラン納棺師の体・手足の動きが、セリフでは表現できない納棺の儀のもつ空気感を醸し出していました。
彼の顔の表情に、とくに目と口元の動きに演技しているとは思えない独特の雰囲気があり、黙って居るだけでも存在感がありました。
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低い声でボソボソと話す会話(セリフ)には、威圧するような押し出しがあり見ている方にも迫ってきました。
私の印象に残ったのが、納棺の仕事のあと食事をするシーン‥二人が、フグの白子を焼いてハフハフ美味しそうに食べるシーンや、大ぶりなフライドチキンを貪(むさぼ)るようにガツガツ食べるシーンなどは、人間の動物としての性(さが)というべき本能に触れ、併せて生死感溢れるリアルな演技で真に迫り、見入ってしまいました。
私が、「山崎努」に感じる迫力やリアルな存在感を他の俳優で感じるのは「緒形拳(故人)」・「仲代達矢」‥中堅では「柄本明」‥若い世代の俳優では「香川照之」です。
by blues_rock | 2011-09-28 22:34 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
「金継ぎ」(こちら)とは、割れたり・壊れたり・欠けたりした大切な陶磁器を修理し再生する技術のことです。
ご飯粒を糊にした続飯(そくい)に、砥粉(とのこ)・生漆(きうるし)・刻苧綿(こくそめん)を混ぜ合わせた刻苧(こくそ)で、割れたり・壊れたり・欠けたりした器を繕い補正しながら、さらに漆を塗り乾かし磨(と)ぎながら塗り重ねて行きます。
きれいに仕上がったら、最後に赤漆を塗り金をまいて乾かし、生正味(きじょうみ)漆で拭きあげ再度乾かしたら丁寧に金を磨(みが)き、鯛牙(たいき)で金を発色させたら出来上がりです。
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                             古唐津 金継ぎ
壊れた古陶に、質面倒くさい手間と暇‥漆の乾燥工程に一週間、さらにお金‥金の粉1グラム6,800円の費用、をかけて、いったい何が面白いんだ‥新しい器を買えば良いではないかと友だちは、私をからかいます。
当の私は新しい陶磁器に関心はなく、古陶磁ばかりに興味があります。
どんなに高価で著名な作家の新しい器でも、手に持ち弄ってみてもドキドキしないのです。
確かに月3回水曜日午前中2時間の金継ぎ教室のために、車でわざわざ人で混雑する都心(福岡市天神)で駐車場を探しながら通うのですから、我ながらご苦労様としか言いようがありません。
壊れた古陶こそが“金継ぎ”の大切な素材、室町・桃山・江戸の時代に、良質な陶土と燃料薪の豊かな山里の登り窯で、無名な陶工職人たちが精魂込めて作陶した作品の名残りだからです。
窯の中で割れたり、欠けて捨てられた美しい古陶磁器が、灌木や草に覆われ人目に付かなくなった山里の古窯跡のまわりに数多く残存していました。
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                           初期伊万里 本銀継ぎ
そんな古窯のモノハラ(陶片を捨てた場所)も発掘され尽くし、古い陶片もだんだん手に入らなくなりました。
そんな今、焦る気持ちで400年~500年前の古陶磁の破片をかき集め、個性ある「共継ぎ」・「呼び継ぎ」にトライし、稚拙ながら私だけの‘オンリーワン’金継ぎ作品を創りたいと思い続けています。
参考:写真は「骨董じじばば」コレクション(所有)から貼付しました。
このページ右下の外部リンクで「骨董じじばば」にアクセスできますので古美術に興味のある方はご覧ください。
by blues_rock | 2011-09-27 05:26 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
私は、農業団体全国組織で定年退職するまで37年間働いていました。
そのうち概ね20年、原木栽培によるシイタケ生産と消費の振興に関わる仕事をしてきました。a0212807_2211928.jpg
2年半前に定年退職、住まいを東京から福岡に移し四季折々、九州の山里を眺めていると、いたるところに原木シイタケ生産資源である雑木林の宝庫が残っていることに気がつきました。
シイタケ栽培用の原木の種類は、たくさんあります。
落葉広葉樹のコナラ・クヌギ(いわゆるドングリの木)を中心にクリ・シデ・ミズナラ・アベマキ・サクラなど日本の自然の山にある雑木がシイタケの原木になります。
秋の紅葉(黄葉)シーズンに、樹齢15年~20年の木を伐採したら一ヶ月くらいそのまま山に放置し、原木の葉を枯らし水抜きします。
伐採した木の根元(切り株)は、春になると新しく萌芽(ほうが)して再び成長しますので、杉やヒノキのように植林する必要はありません。
「ひこばえ」とは、切り株の根元から萌芽した‘新しい木’のことを意味します。
また15年~20年後に伐採すれば、同じように萌芽再生しますので原木資源が枯渇することはありません。
一ヶ月過ぎたら1m(90cm~120cm)くらいに原木を玉切りし“梅の開花から桜の散る季節”の候に、植菌します。
a0212807_2214999.jpg冬場の山での作業は、寒さ厳しく作業が、し辛いことや降雪・積雪などによる山での事故の危険が大きいことなどにより、梅の開花が始まる早春まで待って植菌作業を行います。
そして、桜の花が散り始める季節になると外気温が上がり、日によっては初夏の陽気になり、高温に弱いシイタケ菌は、せっかく苦労して原木に種菌しても活着率が低下しシイタケ生産のマイナスなりますので桜が散るころには、種菌を終えていなければなりません。
反対に高温に強い菌トリコデルマ菌は、シイタケ菌の最大の敵でトリコデルマ菌の繁殖したところでは、シイタケ菌は死滅いたします。
そのために原木に早くシイタケ菌を活着させ成長させて、榾木(ほだぎ)にします。
a0212807_2224363.jpgシイタケ菌は、原木のセルロースを分解し、栄養源にして成長します。
成長した菌糸体が、集合しキノコの卵である原基(げんき)を形成したら、日中の寒暖の温度変化が15度を超える季節‥春と秋に、榾木からキノコ(シイタケ)が発生します。
榾木を榾場(原木シイタケ栽培地)に伏せこみ、栽培管理(水管理)をきちんと行えば5、6年の間、毎年春と秋にシイタケを収穫することができます。
毎年少しずつ原木に植菌していけば5、6年後にはスタートした時より多くの榾木が、榾場に並びます。
古榾(ふるほだ)になり、シイタケが生えなくなると廃榾(はいほだ)として、山の端に捨てます。
自然の生態系が、偉大であるのは、伐採原木の再生もありますが、使用済みとして廃棄された榾木(廃榾)に、
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自然界のカブトムシやクワガタが卵を産卵し、ものすごい数の幼虫たちを育てるカブトムシ・クワガタのベビーベッドとなるからです。
幼虫たちは、スカスカになった廃榾をエサに成長しながら、古榾を有機質の土壌に分解していきます。
その有機質土壌が、自然の肥料として山を豊かにし、雑木林を育てるのです。
そして成虫になったカブトムシやクワガタは、萌芽再生し大木に育ったコナラ・クヌギの森で、木々の樹液を糧に、次の命を育てます。(下は廃榾の中でスクスク育ったカブトムシの幼虫たち)
a0212807_2233999.jpg今でも山(限界集落)に住んでおられる農家の方々は、見事な自然の生態系循環システムの中で原木シイタケ生産という「食料=農業=経済」という三位一体の偉大な行為を暮らしの中で生かしておられます。
by blues_rock | 2011-09-26 20:33 | 自然/農耕/食料 | Comments(0)
このところシリアスな映画ばかり見ていましたので、少し趣きを変えヒューマンな物語の映画を見ようと選んでいたら「英国王のスピーチ」に行き着きました。
この映画は、アカデミー賞の主要な4部門‥作品賞・脚本賞・監督賞・主演男優賞を受賞した作品だけあって、確かに見ごたえはありました。a0212807_035983.jpg
映画の主人公は、前イギリス国王(エリザベス女王の父君)です。
幼少の頃からの吃音症(ドモリ)に苦しみ、内気な性格の王子(次男)でした。
兄の国王が、離婚歴のあるアメリカ女性にお熱をあげ結婚したことから願わない国王に即位させられました。
国王の重要な役割である演説(スピーチ)は、大の苦手でキライな仕事でした。
しかしヨーロッパで、第二次世界大戦の暗雲が立ちこめ始めると、当時世界の覇権国家であったイギリスは、ファシズム国家への抵抗(国策)として、大英帝国の諸国と植民地を一つの理念にまとめる必要がありました。
そのために大英帝国の元首として「英国王のスピーチ」は、全国民の士気を高め、愛国心を鼓舞するために、たいへん重要な意味がありました。
現イギリス女王の父君で、実在した国王をモデルに、良くもまあここまで平民目線で宮殿内での国王家族の暮らしぶりを明け透けに映画にできるものだと感心しました。
吃音症(ドモリ)の治療と訓練のためとはいえ、この映画のシーンのようにバッキンガム宮殿内で“卑猥な四文字”言葉を頻繁に使っているとも思えませんが、それにしてもイギリス王室の自由さと宮内庁(官僚)の采配する日本の皇室の在りようの違いは、大きいようです。
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産まれたばかりの赤子に吃音症(ドモリ)の子はいないとのことなので、その人を取巻く環境のストレスやプレッシャーが、吃音症(ドモリ)を発症させるようです。
余談ですが、出自は貧しい農家ですが、私も子供のころ吃音症(ドモリ)に苦しみました。
原因は分かりませんが、幼な心に悩んだことは、憶えています。
私の吃音症(ドモリ)は、いつの間にか自然に治り、今では回りのヒンシュク、相手の迷惑も省みず、ペラペラとおしゃべりばかりしています。
by blues_rock | 2011-09-25 08:44 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
ピカソ(1981~1973、享年91才)の絵を見ていたら、昨年5月のサイトニュース「ピカソの絵に芸術史上最高価格」という見出し記事のことを、ふと思い出しました。
a0212807_12432253.jpgピカソが、若い恋人マリー・テレーズをモデルに描いた「ヌードと胸像と観葉植物」の油絵(右の絵)で、1億650万ドル(当時の日本円換算にして101億円)という芸術作品として破格のオークション史上最高価格で落札されたというニュースでした。
1932年ピカソは、当時17才のマリー・テレーズと知り合い恋に落ち、一緒に暮らしていました。
ピカソ、51才の時でした。
天才ピカソに美のインスピレーション(ひらめき)を与えたのは、彼に愛された若く美しい女性たちでした。
ピカソに新しい恋人ができるとマリー・テレーズは子供を連れてピカソの元を去りました。
彼女は、ピカソが亡くなると後を追うように自殺しました。
ピカソから愛され、ピカソを愛した女性たちは‥ピカソに対して強かったフランソワーズをのぞいて、自殺するか、発狂するか‥精神のバランスを失っていきました。
1996年アンソニー・ホプキンスが、ピカソを名演した映画「サバイビング・ピカソ」を見ていただくと「天才ピカソ・本能ピカソ‥人間ピカソ」が良く分かります。
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ピカソは、ギネスブックに掲載されるくらい数多くの作品を創作発表しています。
油絵とデッサンで13,500点、版画100,000点、挿絵イラスト34,000点、彫刻陶器300点と合わせて15万点近くになり、驚異的な作品数になります。
その作品の多さを考えると、今回の落札価格が、芸術史上最高価格であるのは、異常なピカソ人気と言えそうです。
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2004年には、1905年作「パイプを持つ少年」の絵が1億416万ドル(当時の日本円換算で113億円)で落札されていますので、ピカソを象徴するような「青の時代の絵」(上の絵)・「アビニョンの娘たち」(下の絵)・「泣く女(一番下の絵)」・「ゲルニカ」などが、もしオークションに出たとしたら一体いくらで落札されるのでしょうか。
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ありえないことではありますが‥もしダビンチ・ラファエロ・フェルメールなどの有名な絵画がオークションに出たなら‥きっと天文学的な金額になることは、間違いありません。
世界的なマネーの過剰流動性が、美術市場で有名作家の作品を異常に高騰させバブル価格を作り出しているのでしょう。
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ギリシャやイタリア・アイルランド・スペイン・ポルトガルなど国家的な財政危機(デフォルト危機)に瀕している国は、現在マネー(キャツシュ)は無くても、過去に膨大な数の美術品を保有しているので、新興国・資源国の中で美術品が欲しい国(あるいは資産家・金融ファンド)に売却すれば、自国の国家破産を回避でき国民の救済(福祉財源)になるでしょう。
by blues_rock | 2011-09-24 18:29 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
a0212807_021230.jpg名古屋にロックバンド「スターダスト☆レヴュー」の熱狂的な女性ファンがいます。
スタ☆レビのコンサートのためになら、20数年来全国どこであれ駆けつける筋金入りのファンです。
とくに、ヴォーカルとギターを担当している根本要(1957~)についての熱い語り口は相当なものです。
私も「スターダスト☆レヴュー」のライブには、かって3回ほど行きましたが、根本要のヴォーカルとMCは天下一品でした。
日本のロック(バラッド)の名曲「木蘭の涙」(こちら)は、根本要の哀感あるヴォーカルが印象的で美しいメロディと相俟ってしんみり聴き入ってしまいます。
by blues_rock | 2011-09-23 00:04 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)
先日、友人からこのブログを書く理由と目的は、何かと尋ねられました。
私にブログを書く明確な理由や目的は、ありませんが、時間のあるときに少しずつ‥心に感じたこと、ふと思ったこと、今考えていることなどを忘れる前に、自分のためのメモとして、併せて友人や親しい知人ならびに拙プログを読んでくださる方への私のメッセージとして書いています。
このところ記憶力が衰え‥物忘れもひどくなり、自分自身のための自己防衛策‥自分は、何者であったかの手垢のようなもの、つまりいつ認知症を発症してもよいように今から準備しているようなものかもしれません。
人は、心に残る大切なことは、だいたい記憶しているものです。
私たちが、すぐに忘れるような日常の些細(ささい)な出来事は、忘れてもくよくよ気にせずに、自分が大事と思わないことは「どうでもよいこと、つまらないこと」と放り投げ、安穏気楽な気持ちで暮らしましょう。
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人は、自分の記憶が混乱した時に、突然言いようのない不安に襲われるのだそうです。
認知症の方の不安心理は、「大雪原にただ一人取り残されたような恐怖」なのだそうで、まだ医学界でも病理の解明がほとんど進んでいない病気と言われています。
私がデイサービスで接している認知症の方に共通して感じるのは、時おり顔に現れる不安な表情、とくに目に現れる“不安に脅えた”表情です。
話は変わりますが、「死にがいのある場所」という言葉は、先日の日本経済新聞夕刊に掲載されていた富山市のデイケアハウス「このゆびとーまれ」取材記事で見つけました。
「生きがい」という言葉は、日ごろから頻繁に耳にしますが「死にがい」という言葉は初めて知りました。
生者必死‥生まれた人は、必ず死の時を迎え、王侯貴族も奴隷も富裕な人も貧乏な人も‥1人の例外なく死ぬ時が来ます。
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キリスト教使徒のマザーテレサは、インドで宗教に関係なく、明日のない貧しい病人たちの救済に、自分の生涯を捧げました。(参考:2012年1月5日愛の容‥マザー・テレサ)
或るとき、一緒に救済活動するシスターが、マザーテレサに「次から次に運び込まれるこの方々は、もう助からない人たちばかりです。マザーはどうしてこの方々を救済するのですか?」と尋ねました。
マザーテレサは、「この方々の過酷な人生の最期に‥自分は生まれて良かった、幸せだったと心から感じさせ、死なせてあげたいからです。それ以外の理由はありません。」と言われたそうです。
この歳まで何も考えずノホホンと生きてきて、恥ずかしい限りですが、私の「死にがいのある場所」探しは、これからも続きそうです。
by blues_rock | 2011-09-22 21:19 | 高齢者介護(認知症) | Comments(0)
九州陶磁文化館は、佐賀県西松浦郡有田町にある佐賀県立の有田古窯の陶磁美術館です。
愛知県陶磁資料館(愛知県瀬戸市)とならび古陶磁器の資料館(古陶磁のコレクション)として有名です。
古陶の名品・逸品コレクションなら東京の五島美術館・畠山美術館・根津美術館がすばらしく、日本・中国の古窯陶片の収集では、出光美術館(東京)にかなう美術館はありません。
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九州陶磁文化館の地下室には、初期伊万里・古伊万里・古鍋島陶磁の1万数百点におよぶ柴田コレクションから常時数千点が展示されており、実に見ごとです。
初期伊万里・古伊万里・古鍋島どの作品もすばらしく見応えがあります。
イギリス大英博物館にも5百数十点の柴田コレクションがあるとのことなので、ぜひ一度見てみたいものです。
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有田窯の始まりは、16世紀の終わり日本に渡来した朝鮮陶工の李参平が、有田で良質の陶土を発見し初期伊万里・古伊万里を焼いたのが始まりでした。
初期伊万里・古伊万里・古鍋島が、古陶にあって“茶の湯”と無縁なのは「利休茶の湯のわび・さび・ものがれ」から遠くにあり、磁肌の釉があまりに艶っぽく美しすぎるからでしょうか。
有田なのに伊万里と称される由来は、江戸時代に有田窯で焼かれた陶磁器を有田に近い伊万里港からヨーロッパ向けに積み出していたからです。
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余談ながら当時ヨーロッパで高価に取引された日本の陶磁器が、海路による遠距離輸送で破壊しないよう包装材(クッション)として和紙を利用し、陶磁器を大事に梱包していました。
その陶磁器を包んだ和紙こそが「浮世絵」でした。
当時のヨーッロパの人々は、歌麿・写楽・北斎・広重などの美しい浮世絵が、輸出用の陶磁器を包む包装紙として使用されていたのですから、びっくり仰天しました。
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現在の私たちが、壊れ物を新聞紙で包みダンボール箱に入れる感覚で、浮世絵を包装紙に利用し茶箱に入れてヨーロッパへ運んでいたわけですから、当時の日本人の生活にさぞ驚いたことでしょう。
浮世絵は、やがて日本様式ジャポニスムのシンボルとしてヨーロッパを席巻し、ゴッホ・ゴーギャン・マネ・モネなど近代絵画に影響を与え、エミール・ガレなどアールヌーボー様式の美術工芸にも大きな影響を与えました。
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そんな日本とヨーロッパの美術史を思いながら九州陶磁文化館の初期伊万里・古伊万里・古鍋島を見ていると感慨深いものがあります。
九州陶磁文化館は、初期伊万里・古伊万里・古鍋島に興味のある方にとって必見の価値がある美術館です。
by blues_rock | 2011-09-21 20:20 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)