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心の時空

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a day in my life

<   2011年 07月 ( 33 )   > この月の画像一覧

ブルース・スプリングスティーン(1949~62才)は、還暦を過ぎた今も骨太なロックを歌い続ける社会派ロックンローラーです。
1984年発表の7枚目アルバム「ボーン・イン・ザ・USA」の大ヒットで全米でも全英でもアルバム・チャート1位を獲得、世界的に有名になりました。
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彼は社会派ロックシンガーであるがゆえに内面の葛藤も多いのではないかと思います。
エルビス・プレスリーに憧れ、ロックンロールを志しミュージシャンになったもののデビュー当時のシンカーソングライターのセンスとアコースティック・スタイルその歌い方からボブ・ディランの後継者扱いされ苦悩したようです。
骨太のアルバム作品を次々にリリース、「ボーン・イン・ザ・USA」で押しも押されぬロックのトップミュージシャンとなりました。
a0212807_1454112.jpgヴェトナム戦争帰還兵の苦悩と心の傷を皮肉たっぷりに歌った「ボーン・イン・ザ・USA」を愛国心溢れる歌と思った当時のアメリカ大統領が、選挙キャンペーン用のテーマソングにしようとしたエピソードがあるくらい‥ブルース・スプリングスティーンの歌う♪ボーン・イン・ザ・USAというフレーズリフレインの野太い印象とEストリートバンドの豪快な演奏から愛国の歌と勘違いしたのでしょう。
(英語なのに歌を聴いて分からないのでしょうかね。)
貧困層の現状をアピールする曲が多く、ロックながらファンの年齢層も老若男女と広くそして長く支持されています。
「ボーン・イン・ザ・USA」をブルースヴァージョンでスライドギターを弾きながら歌うこともあり、メッセージが聴く人の心にストレートに伝わってきます。
ΘYou Tube  Bruce Springsteen ‥ Born In The USA( Live)
http://www.youtube.com/watch?v=uHc9PE-Fftc&feature=related
このサイトをコピーしウェブに貼付してお楽しみください。
by blues_rock | 2011-07-31 02:30 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)
1986年、私は神奈川県大和市に住んでいました。
いつものように仕事で車を運転しながらFEN(米軍極東ラジオ放送)のロック番組を聴いていたら突然‥♪ショックユアハー(英語で途中聴き取れず)~ユギブラブアバッネームと続く心にしみるヴォーカルとキレのいいギターリフのハードロックが聴こえてきました。
聴いたことのない声で、ダレだろう歌っているのは‥と仕事のことより、このノリのいい曲のタイトルとバンド名が気にかかり、忘れないように耳から入るサビ部分のフレーズ「ユギブラブアバッネーム」のメロディを頭の中で繰り返しながら、行く先を急きょ変更し、いつも行くレコード店(新星堂中央林間店だったと思う)へ直行しました。
顔馴染みの店長にバンド名が分からないからと前置きして「ユギブラブアバッネーム」とサビのフレーズを歌い、この曲が入ったLPレコードが欲しいと伝えました。
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店長は、ボン・ジョヴィというアメリカのハードロックバンドの「You give love a bad name」という曲で、当時(1986年)発売されたばかりのボン・ジョヴィ3枚目のLPアルバム「ワイルド・イン・ザ・ストリーツ(原題:Slippery When Wet)」であると教えてくれました。
ボン・ジョヴィは、1984年デビューのアメリカ(ニュージャージー州出身)のハードロックバンドです。
同じニュージャージー州出身で、ロックミュージシャンとして先輩のブルース・スプリングスティーンが庶民の心情を歌う骨太なロックなら、後輩のボン・ジョヴィは田舎町の若者のナイーブな心情を歌い、ヴォーカルを担当するジョン・ボン・ジョヴィの甘い声とノリの良いメロディでハードロックバンドながらポップな魅力も併せ持っています。
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1980年代イギリスではヘヴィメタルロックバンドが、アメリカではハードロックバンドが、次々にデビューし百花繚乱の様相でした。
どのバンドもリードギターの速弾きとリズムギターのリフを効かせた重低音に悲鳴のようなヴォーカル構成のバンドが多く、聴く方の耳にはどれも似たり寄ったりで聴く耳には食傷気味でした。
そんな状況の中で登場したボン・ジョヴィの才能と魅力は、曲詞奏バランスのとれたポップなロック感性にあったと思います。
このアルバムから数曲のヒット曲が生まれ、ボン・ジョヴィは次第に世界的なハードロックバンドになっていきました。
by blues_rock | 2011-07-30 01:36 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)
4か月前、3月11日午後に発生した東日本大地震による大津波をTVニュースの映像で見て驚愕しました。
大津波が、東北各地の港・市街地を一気に破壊していく様は、現実のものとは思えないまるで映画の大津波シーンのCG映像を見るような思いでした。
16年前、私も尼崎市で被災しましたが、阪神淡路大震災よりはるかに大きい被害を東日本地域の人たちは被災しました。
東日本大地震で被災された人たちの悲しみ苦しみを思い、不運不幸にも亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。
東日本大地震から3日後のレイトショウでマット・ディモン主演の新作映画「ヒアアフター(来世)」を見ました。
観客は、私一人だけでした。
暗く広い映画館の真ん中に座り、マット・ディモン演じる霊能力に苦悩する霊媒師の表情をじっと見ていました。
マット・ディモンの抑制のきいた自然な演技も名演でした。
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「ヒアアフター」とは日本語で「来世(あの世)」という意味‥この映画の冒頭にある大津波シーンのリアリティある映像画が、地震の被災に遭われ家族を亡くされた方々にショックを与え、辛く悲しい思いをさせるであろうと映画館側が、その後すぐ上映を自粛し中止いたしました。
映画の冒頭に、ヴァーチャル映像ながらもリアリティ溢れる大津波のシーンがあります。
突然大津波が、街を襲い人々をさらい、何もかも破壊していきます。
映画の映像ながら、これを見て津波への恐怖を共有し、現実に起きた悲劇を擬似体現することのほうが、私は不本意に亡くなられた多くの人たちへの弔いと併せご冥福を祈ることになるのではないかと思いました。
映画「ヒアアフター」の上映自粛は、愚かな行為であると思い、私個人は残念でなりませんでした。
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このシリアスなテーマで、監督C.イーストウッドと制作総指揮S.スピルバーグは、主演のM.ディモンに死者と話す霊媒師どう演じさせるのだろうと興味がありました。
霊媒師が依頼者の両手をとり死者と出あう前の効果音に、遠雷のような微かな重低音が聴こえます。
C.イーストウッド監督は、自分の映画では音楽も担当しますが、映画の音響センスもなかなかもの、上手いなと思いました。
映画「ヒアアフター」のストーリーは、南太平洋のリゾート地を大津波が、突然襲うシーンから始まります。
大津波は、多くの人たちを一瞬のうちにのみこみ、街を破壊します。
そしてストーリーは、M.ディモン演じる霊媒師が、自分の能力(死者と話す霊能力)に苦悩する姿をタテ糸に‥最愛の人(死者)を亡くした人たちの苦悩をヨコ糸に展開いたします。
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臨死体験者の見た「ヒアアフター」は、死者のいる「ヒアアフター」だったのか‥「ヒアアフター」の存在を信じるのか‥魂があるとすればどこにあるのか、などいろいろ考えさせられるシリアスな映画でした。
真摯な良い映画ですので、大切な人とDVDでご覧ください。
by blues_rock | 2011-07-29 19:03 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
洋楽ゴット・ミュージシャンTOP200というサイト(こちら)があります。
3年前、インターネット上で偶然に見つけました。
サイトの管理者は、熱烈なロックンロールファンと推察します。
ロックンロール好きの私もタジタジ‥このサイトタイトル背景に写る3人のロックミュージシャンを見て、サイト管理者のロックに対する相当なこだわりを感じます。
   ★                 ★                  ★      
3J‥ジミ・ヘンドリックス(写真上)、ジャニス・ジョプリン(写真中)、ジム・モリソン(写真下)、3人とも同じ時代に生き、3人とも麻薬を原因とする不慮の事故により27才で死亡しました。
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3人が残した音楽を聴いて、三者三様の強烈な個性(オリジナリティ)を感じます。
3人とも若くして亡くなりましたが、才能ある稀有なロックミュージシャンでした。
拙ブログでもブルース・リズム&ブルース・ロックの話題を少しずつ‥私の好き勝手に、気ままに書いていきたいと思います。
興味ある方は、お付き合いくださると幸いです。
by blues_rock | 2011-07-28 01:38 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)
西行の中宮璋子(たまこ)への悲恋物語のエピロークです。

 吉野山
   去年(こぞ)の枝折(しお)りの
     道かへて
  まだ見ぬかたの
    花をたずねむ (西行)

西行は、18才の頃佐藤義清(のりきよ)と名のり、北面武士(ほくめんのぶし:白河法皇創設の御所警護役)として院の御所を警護していました。
まだ10代の若い武士佐藤義清(西行)は、御所の御簾(すだれ)越しに、時おり垣間見る30代半ばの待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)に気が狂わんばかりの恋をしました。
その頃の璋子は、鳥羽上皇の中宮にして白河法皇の愛妾でしたから、その身分の差は天と地ほどで禁断の恋以外の何ものでもありませんでした。
若い恋は、禁断であればあるほど心を熱くします。
10代後半の身分の低いボディガードの青年が、主人であるアラフォー前の色香漂う高貴な女性(中宮)に横恋慕し、ラブレター(和歌)を書き続けました。
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早熟で少女時代から恋多き璋子は、17才年下の西行の一途な恋の情に絆(ほだ)され一夜の契り(‥たぶん)を結びました。
そして恋愛に手練れ多情な璋子は、その後も自分に恋焦がれる若い西行に「あこぎ」と歌を返しました。
当時「あこぎ(阿漕)」とは「しつこい・あつかましい・図々しい」という意味でした。
ここまでくると‥シリアスな恋愛映画のシナリオが一本書けそうな気がします。
待賢門院璋子を恋慕い続けること数年、北面武士の佐藤義清はついに23歳のとき出家しました。
仏に仕え、西行と名を変え、畿内山中の草庵で璋子への思慕(失恋)と花鳥風月の情景に自分の心(もののあわれ・わびさび)を託して、数多くのすぐれた歌を詠みました。
しかしこの歌からは、西行の心の変化を感じ取ることができます。
どんな恋にも、終わりはあるものです。
by blues_rock | 2011-07-27 23:29 | 人生/愛(Love) | Comments(0)
去年の秋、歌人であり高齢者介護界の先駆者である筑紫里子さんから手紙をいただきました。
高齢者介護施設で認知症の方々相手にオタオタしながら働いている私を心配され、介護保険制度に疎(うと)く生来の粗忽(そこつ)さや他人(ひと)への気配りのなさを良く知っておられる方だけに、何かと気がかりで居ても立っておられなかったのだろうと推察します。
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(ご本人の承諾を受け前文省略し本文をご紹介します。)
私は、まだホームヘルプという言葉さえなかった時代から30数年、老人介護・障害者(児)介護に携わって参りました。
そして2000年「介護保険制度」が創設され、ボケ老人と呼び捨てられた方々は、認知症高齢者となり、要介護老人は介護事業のお客様となりました。
40歳以上の日本国民は、介護保険料を払うことになり、その介護保険料の財源のもと、たくさんの民間高齢者介護事業所ができました。
「サービスの措置」の時代が終わり、国民は介護サービスを選んで利用できる時代となり、どこの事業所もそれぞれの理想・理念を掲げて、要介護高齢者とその家族のニーズに応えながら、自らの介護事業の経営・運営に努力しつつ成長してきたと思います
私も、現在のデイサービス施設を平成17年2月1日に開設しました。
当時、私は、事業経営について全くの素人で、ただただ自分自身の思う理想・理念の実現と自らが高齢者介護現場で楽しく働きたいという思いばかりが強く、徒手空拳ながらデイサービス事業を始めて早7年本当に楽しくやりがいを感じています。a0212807_13112244.jpg
人は、みな誰でも高齢老弱になり、当然いずれ誰かの支え無くしては生きられなくなります。
行き場のない無縁孤独なお年寄りの方や人としての尊厳が守られにくい環境におかれ生きる情熱を失ってしまわれる方など、個人や血縁家族の中だけでは解決できない多くの問題が、高齢者介護の現場には山積しています。
当時の私は、これまで働き学んできた経験を活かし、ご縁あって出会えたお年寄りの方と楽しく人生の終わりまで共に過ごすことができたらいいなとくらいに考えていました。
引きこもりの方、日常生活動作の低下している方、不安による行動障害があって昼間独居の方、徘徊がある方、お友達もなく話し相手も趣味もなく不活発な方‥またいろんな認知症状のある方々にご利用いただく中で、今までにたくさんのご家族との出会いがありました。
デイサービスは、在宅サービスですから在宅支援です。
高齢でも可能な限りご自分の自宅(在宅)で暮らすことができるよう介護支援することを目的としています。
人は成人して働き、そして家庭を成し子供を育て、やがて職場で定年を迎えます。
ほとんどの人たちは、高齢になると有無を言わさず社会の第―線からはずされ、職を失い収入を失い、人間関係を失い、体力を失い、身体機能を失います。
「年をとるということは、喪失の体験の連続だ」と言われます。
そして介護が必要になった時、その方を取り巻く様々な事情から嫌でも自宅を離れ、施設に移り住まなければならなくなります。
そうして高齢者は、長年住み慣れた家も暮らした地域も失います。
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見慣れた家のまわりの風景も、懇意にしていた街の店も、住み慣れた部屋はもちろん大切にしてきた家具も蒲団も、家族や親しい友人からも離れ、ひとり施設へ移らねばならない高齢者も多いのです。
それがどんなに不安で寂しいことか‥想像しただけでも悲しくなります。
昼間のデイサービスだけでは、高齢者の在宅支援には限界がありました。
在宅支援ということは、高齢者その人を支えると同時に、高齢者を抱える家族を支援するという「家族支援」の視点も、忘れてはならない重要なポイントです。
いま私たちが思う「自宅に住まう」という普通で当たり前のことが、やがて誰であっても支援・介護者なしでは暮らせなくなる時が必ずきます。
自分ひとりの意思では、何もできなくなります。
「老老介護」・「認認介護」・「無縁社会」は、私たちの身のまわりにたくさんあります。
明日はわが身‥将来の私自身も例外ではなく、他人事ではありません。
私のデイサービス施設でも「ぽっくり逝きたい」が、自分の願いだと言う方が、何人もおられます。
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人はみな必ず死ぬものでしょうが、一生懸命に生きた果ての最期の生が「老老」か「認認」か「無縁孤独」か‥あるいは施設に入所し四六時中管理された団体生活かでは、あまりにも悲しいものがあります。
施設入所の契機として、ご家族からよく聞く言葉が「介護が重くなる将来に備え施設にいくつか申し込んでおりました。施設からの連絡で入所順番が来た時、今断ると次はいつになるかわかりませんよと言われ、まだ早いので可愛そうですが、施設に入所させることを決めました。」で返す言葉がなく、自分の非力を何度も経験しました。
悲しいことは、お年寄りが「自分の人生最期の重大なことを自分の知らないところで決められている」ことです。
自分の人生が、自己決定されていないことは本当に残念でなりません。
デイサービス通所最後の日、ほとんどの方が「入所する施設は、いいとこみたいですから安心です。」と家族をかばい、自分に言い聞かせておられます。
そのたびに、私は目頭が熱くなり、つらくなります。
当然のことながら、私たちは介護家族の苦しみと悩みを理解しなければなりません。a0212807_13132633.jpg
認知症の高齢者をかかえる家族の精神的な負担は計り知れず、先の見通しも立たず、認知症のさまざまな周辺症状が昼夜かまわず現れたら「病気だから怒ったらいけません。」と言われても、そう簡単に冷静に受入れられなくなるでしょう。
家族が生活できなくなれば、認知症高齢者の在宅生活の継続は、難しくなります。
本人に自己決定権はなく、家族の意思決定に従わないと生きてゆけない現実を受入れさせられ、慣れ親しんだ自宅での生活を諦めさせられるのです。 
家族も生活に追われ、そしてそれぞれに自分の人生があります。
家族は、認知症高齢者を抱えて苦しみ、身内であるがゆえに家族の中だけで問題を抱えこみ解決しようとします。 
まず、治癒の見込みがないということが受け入れられません。
そして認知症高齢者の理解できない行動に苛立ちながら、病気回復の見通しもないまま絶望と孤立で次第に疲れ果ててゆきます。
私のデイサービス施設の職員たちも、認知症高齢者とその家族のご苦労を知るにつけ、解決できない幾多の問題や課題の前になすすべもありませんでした。
そして何度も話し合いを重ねた結論が、認知症高齢者介護に行き詰まった家族の重い負担を少しでも軽くしてあげ、在宅生活を強く望まれる多くの要介護高齢者の願いに応えるために「小規模多機能型居宅介護事業所」建設を決意しました。
地域の中で「通う・泊まる・訪問してもらう」という24時間365日の介護のサービスの形は、要介護高齢者とその家族の間に適度な距離を保つことができ、家族の中だけの介護から解き放ち、介護家族に安心とゆとりをもたらすことになると確信しています。a0212807_13143363.jpg地域介護が叫ばれていたのを私は30数年ほど前から知識としては知っていました。
それが「小規模多機能型居宅介護」という形で世の中に現れたことが今感無量です。 
そして認知症高齢者であっても、できる限り地域のなかで自宅に住み続けることを可能にする「小規模多機能型居宅介護」は、私くしの身近な方々を含め、自分自身にとりましても福音のような気がしております。 
「これからは地域介護サービスだ」と言われてもチンプンカンプンだった30数年前から現在に至り、わが国は超高齢社会といわれる長寿の時代を迎え、まわりの人たちの家族も私くし自身を含め、高齢者介護の問題に真剣に向き合わなければならなくなった今になってその意味がやっと理解できます。
地域介護サービスは、これからの新しい介護サービスの形だと思います。
新しい介護サービスの確立には、理想と現実との間で思考錯誤しながら、これから幾多の困難が待ち受けているかも知れません。
それでももう私たちの小規模多機能型居宅介護施設の建設は始まり、お客様・家族・地域住民の熱い期待の中で、槌音高く急ピッチに進められています。
私たちの新しい地域介護サービスの取り組みに多くの方々から温かいご支援をいただき高齢者の皆様の笑顔に励まされながら「和み寛ぎ安らぎ穏やかな在宅生活ができる介護施設」になりたいと願っています。

耳納山(みのうさん)は  父母(ちちはは)の山
常に仰ぎ  常に忘れて    今に恋しき
筑紫里子
by blues_rock | 2011-07-26 20:20 | 高齢者介護(認知症) | Comments(0)
人を疎まず、疎まれず‥人といがみ合わずに、人生を平安に、心通い合う人たちと笑顔で暮らせることだけを、切に願う今日この頃です。
拙ブログを書くことは、自分の思考と感覚のカタルシス(浄化)のためです。
ブログを読んでくださる方と、もし以心伝心のコミュニケーションができれば、私にとって何より喜びです。
いままで刹那に人生を考え、家族や友人たちに「人生到るところ青山あり」と強がり、うそぶいて暮らしてきましたが、寛ぎのない不穏な日々に青山(死に場所)はないと知りました。
人は、老います、病みます、そして必ず死にます、一人の例外もありません。
頭では分かっていながらも、心が迷い不安で悩み苦しみます。
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認知症で徘徊される方は、その徘徊の原因がなんであれ、心深くにある不安の衝動が精神を乱し、体力を消耗させ動けなくなるまで歩くのだそうです。
認知症の方に知識の記憶がなくても、感情や情緒そして感受性は昔のまま、心の中にあります。
漠然とした不安はいつも、普通の人の心にあるもの、決して自分一人だけのものではありません。
何はともあれ不安は不安として、日々の暮らしの中で「今日ただいま正になすべきを熱心になせ」との声が、宙の彼方から私の心に届きます。
グウタラでなまけものの私ですが、友人の要請に一念発起‥2009年冬より足かけ3年、高齢者の自宅生活を支え家族の介護負担の軽減を目指す福岡市の「小規模多機能型居宅介護事業」に応募したところ幸運にも私たちの事業所に採択がおりました。
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福岡市へ1年間にわたり数多くの申請・報告書類を提出し、建設会社と図面を前に打ち合わせを重ね、建設運営資金の借入れでは、渋る銀行相手に口角泡を飛ばして交渉しました。
そして福岡市の認可を受け、6月1日にオープンしました。
緑の屋根に白壁、室内は一年中同じ室温・同じ湿度です。
来るべき自分の人生最終章のための準備のようなもの‥福岡市南区郊外の山裾に、心地よく快適な「小さな星たちの星団」を作りたいと思っています。
間もなく遥かな宇宙へ旅立つ自分への(私たちへの)最後の投資と思っています。
(付録)認知症についてはこちらを参考にしてください。
by blues_rock | 2011-07-25 21:20 | 時空序章(Preface) | Comments(0)
鉄腕アトムが誕生して60年‥1951年生まれのアトムは、今年還暦を迎えました。
アトムとは原子のこと、鉄腕アトムは「原子の力」つまり原子力エネルギーで活動する高機能知能ロボットです。
a0212807_10514588.jpg3月11日の東日本大地震に端を発した原子力発電所事故で、いま世界は「反原発」・「脱原発」で侃々諤々とヒステリックに騒ぎ、実に滑稽な茶番劇を繰り広げています。
大震災直前までは、地球環境問題で「脱化石(石炭・石油)燃料」を高らかに謳(うた)い、原油高騰と相俟って、世界は炭酸ガス(CO2)を大量排出する「火力発電」にノー!と宣言していました。
原子力発電こそクリーン・エネルギーと挙(こぞ)って持ち上げ、脱原油のホープ未来エネルギーとして人々の脚光を浴びていました。
ウラン鉱山の権益をめぐっては、各国ともレアメタルと同じように熾烈な利権争いをしていました。
さて今を思うと未来エネルギーの景色は一変し、世界的に「反原発」・「脱原発」の感情論ばかりで、メリットとデメリット、リスクとリスクヘッジの冷静な分析もないまま、思いつきだけの百花繚乱、電力エネルギー政策も歴史的経過(原油高・環境破壊)の検討もなく、大衆心理の右へ倣いに政治は翻弄され、国家として5年10年、20年先のエネルギー需給設計・国民経済プランもないままダッチロールしています。
つまりは「反原発」・「脱原発」の人々の心理に「放射能(放射線)」に対する忌避反応が強いからです。
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放射線(X線)をレントゲンが、発見したのは1895年ですから、まだ100年とちょっと‥現在では医療に絶対欠かせないレントゲン撮影の始まりでした。
今から73年前の1938年に原子核分裂が発見され、66年前の1945年、一瞬にして人類を大量殺戮する核分裂反応による悪魔の兵器=原子核爆弾が発明されました。
そして同年8月人類史上初めて「広島」・「長崎」と悪魔の核兵器が、アメリカ軍により日本国民に対して使用されました。
原子力発電が始まったのは、わずか57年前の1954年です。a0212807_1121265.jpg
アトムが、まだ6才の時でした。
32年前の1979年にアメリカ(スリーマイル島)で原発事故があり、25年前の1986年ソ連(チェルノブイリ)にも原発事故、そして今年3月11日福島原発事故‥と原子力発電所の大事故が、世界を震撼させました。
何はともあれ、増え続ける世界人口(今年の秋にはついに70億人を突破!)、減り続ける原油など地球資源、地球の自然環境悪化、世界的食料・水資源の不足という重要な問題をかかえ、私たちは短絡的な感情論でぶつかり合い先送りする時間など人類に残されていません。
国内問題としては、原子力発電所のある地域と電力の恩恵を受ける大消費地域とが、地方と都市部に二極分極していますので、自らの未来生活の問題、国の将来の社会経済問題として2年3年かけて万機公論し、「反原発」・「脱原発」・「抑原発」・「推原発」なのか国民投票で原子力発電の方針を決すれば良いと思います。a0212807_111828.jpg
人類にとって「新しい火」というべき原子力の技術は、数百万年前に火を手に入れた人類の歴史で、まだ生まれたばかりの子供と同じ、長所も短所も数多くあり、まだヨチヨチ歩きです。
長所と短所への理解度も解決へのアプローチも人によって重要視する論点や見解が、まるで違います。
現在の原子力の情報は、肯定・否定の二者択一どちらかの立場で発信されているので‥0%か100%かの感情論ばかりが、氾濫しています。(参考 : 原子力発電所 ‥もっと皆なで考えよう
原子力発電は、熱核融合反応エネルギーを利用したものです。
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地球の自然も太陽光発電も太陽核反応である太陽光線(赤外線)エネルギーの恩恵あってのことですが、人は太陽光線(紫外線)を浴びすぎると皮膚ガンになるリスクが大きくなります。
宇宙空間は、人類の未知の幾千幾万種の放射線(放射能)が溢れていることでしょう。
今年還暦を迎えた鉄腕アトムは、体内に原子力を抱き、百万馬力のパワーを発揮しながら宇宙(そら)にある幾多の放射線を浴びて今日もジェットのスピードで飛びまわっています。
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ギリシャ神話のイカロスは、翼を得て宇宙(そら)を飛び、太陽に向かい翼を焼かれ大地に墜落しました。
太陽を科学的に知らなかったからでした。
人類が「火」を生活の道具にして50万年‥それでも火災は、発生します。
だから「火」は危険なので、「火」のない暮らしをしようと言う人は、いないでしょう。
「新しい火」である原子力には、もうしばらく冷静な科学的検証が必要と思います。
by blues_rock | 2011-07-24 01:03 | 社会/歴史/思想 | Comments(0)
西行(1118~1190没72才)といえば
願はくは / 花の下にて / 春死なん / そのきさらぎの / 望月のころ
と桜を詠んだ歌が、有名な平安時代末期の歌人です。
西行の歌が、好きで、書籍・雑誌・新聞記事などで西行の名を見つけるとつい読んでしまいます。
先日「良寛と貞心尼‥恋愛のかたち」で良寛の恋愛について書きました。
西行も待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ1101~1145没44才)への叶わぬ恋の物語(悲恋)がありました。
a0212807_10473073.jpg西行と待賢門院璋子とは、17才の年の差がありましたが、西行は17才も年上の中宮(皇后)璋子に恋こがれ、想い叶わぬと知ると出家し、それでも彼女が亡くなるまで慕い続けました。
西行は出家しても、中宮璋子の居る京の都から離れられず、京に近い畿内の山中で草庵をあみ、叶わぬ恋の寂しさ、哀しさを歌にして詠みました。
璋子は、皇后ながら宮中内外の男性たちと自由奔放な恋愛をしていたようで、ずっと年下の若い西行もその一人でした。
当時の西行は、出家前で北面武士(ほくめんのぶし:御所の警護役)でした。
史料文献によると、幼い頃から自由奔放であった中宮璋子は、宮中でも何かと艶聞(えんぶん)の絶えない女性だったようで(西行の場合たぶん)‥璋子は、自分を恋慕う17才年下の類まれな歌の才能をもつ若者(西行)に興味をもち、一度は西行を受け入れたものの、すぐに飽きてポイ捨てしたのだろうと思います。
失恋した若い西行は、山中の庵でひとり璋子への切ない想いを歌に託して詠みました。
待賢門院璋子は、藤原名の幼女のころから48才年上の白河法皇(1053~1129没76才)に可愛がられ、法皇が添い寝するほど寵愛されていました。
平安時代公家の世界では、自由恋愛は普通の習慣でしたが、それでも還暦過ぎの老人と十代の少女が、褥(しとね、ベッド)を一つにする仲睦まじさは、傍目(はため)に普通ではなかったことでしょう。
璋子は、幼少より相当わがままで早熟な少女だったようです。
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白河法皇は、16才になった藤原璋子(当時)を自分の孫である鳥羽天皇(1103~1156没53才)の中宮(皇后)にしました。
23才で待賢門院となるまでの7年間に、璋子は鳥羽天皇との間に5男(親王)2女(内親王)の子供を産みました。(7年に7人の子供はすごい!の一言です。)
鳥羽上皇は、わが子である崇徳天皇(1119~1164没45才)を白河法皇と璋子が、密通して生まれた子と疑っていましたので、崇徳天皇を「叔父子(おじご祖父の子供)」と呼んで遠ざけ忌み嫌ったそうです。
やがて鳥羽上皇は、次第に璋子を遠ざけ、美貌の誉れ高い藤原得子(なりこ:美福門院得子1117~1160没43才)を皇后に迎え寵愛しました。a0212807_10565286.jpg
鳥羽上皇は法皇となり、嫌いな崇徳天皇を無理矢理退位させ、得子との間に生まれた親王を2歳で天皇(近衛天皇)にしますが、16歳で亡くなりました。
璋子の夫である鳥羽法皇と崇徳上皇(璋子と白河法皇との子)は、近衛天皇の後継皇位をめぐって激しく対立し「保元の乱」という内戦が発生しました。
その政変で璋子(と鳥羽上皇)の4男親王であった後白河(1127~1192没65才)に白羽の矢が立ち、後白河が後継天皇として即位しました。
朝廷を二分する内戦にまで至った天皇の皇位継承争いが、すべて璋子の血縁者により行われたのは非常に興味深いことです。
璋子の4番目の親王であった後白河は、自分に天皇の皇位継承が回ってくるなど予想しておらず、4男坊親王の気楽さで昼夜「今様(流行歌)」に熱中し、放蕩三昧の暮らしをしていました。a0212807_1057401.jpg
しかし後白河は、天皇在位3年・法皇34年計37年という長い期間、朝廷の中枢にあって宮中の公家を上手く使い、新興豪族の関東武士集団には、朝廷の権威(官位)と権勢(勅令)を駆使しながら見事な政治的才能を発揮しました。
中世の歴史にその名を残す豪族武力軍勢のリーダーたち‥平家の「平清盛」、源氏の「源頼朝」・「源義経」、地方豪族の「木曽義仲」などに朝廷の威光(権威)を示しながら、官位と勅令の乱発で牽制し従属させました。
平家vs源氏、頼朝vs義経とを対立させ、朝廷の権威でお互いを煽り戦わせた老練な政治的センスは、後白河法皇が朝廷史上ナンバーワンだと私は思います。
西行の恋愛について書くつもりでしたが、西行の悲恋の相手であった「待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)」という女性の波乱万丈の人生の物語になってしまいました。
恋に身を焦がし、京の山中を彷徨った西行に比べ、老いたその晩年に「貞心尼」のような健気(けなげ)で純真な女性に介護され看取られたた良寛は、幸せな人だったと思います。
西行と璋子については、「西行と璋子(たまこ)‥長い余話(六話シリーズ)」で二人の人生と時代背景を詳しく書いていますのでご関心あれば、続けてご覧ください。
by blues_rock | 2011-07-23 10:57 | 人生/愛(Love) | Comments(0)
骨董や古美術を扱う店には、なかなか入りにくいもの、通りすがり外からウインドウ越しに店内に並べてある骨董品・古美術品を眺めるのが、常でした。
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時々勇気を出して、冷やかし(買う気はないのに)に入ることもありますが、ノドから手が出るくらいに欲しい品(もの)に出遭うことは、あまりありませんでした。
東京の日本橋・京橋・青山や大阪の老松町には、有名な骨董・古美術店が並んでいます。
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界隈の店には、勇気を出して入ろうにも懐に相応の金子がないと気おくれがして、冷やかす気持ちでは(買う気のない者には)なかなかは入れません。
骨董・古美術・古道具を扱う店は、全国にゴマンとありますが、ほとんどは古物ガラクタの類(たぐい)を売買する店です。
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勇気を出してドアを開け、店内に入ると室内の空気で骨董や古美術を扱う方(店主)のセンスが分かり、店内の骨董のレベルや価値を感じます。
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私は“好き嫌い”だけで、骨董・古美術・古道具を見る独り善がり者なので、ドキッとする品(もの)に出遭うとそっと手に取りし、げしげと眺めてそっと元に戻します。
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もちろんお店の方にお断りしてからですが‥その時骨董品の裏に小さく「時代・古窯名・価格など」も見ることができるので、驚いて取り落とさないよう、そっと(しっかり)元に戻します。
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先ごろ福岡金継ぎ工芸会でご一緒する方が、店主の骨董店「骨董じじばば」(福岡市早良区室見1-1-1)を訪ねました。
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突然の訪問でしたが、ゆっくり2時間‥古陶類や仏像などの骨董を多数拝見させていただきました。
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僭越ながら、店主は相当の目利きと推察、長年時間をかけ、自分のお目がねに適った骨董ばかりをコレクションされてきたのが、良く分りました。
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骨董品は、それぞれ適度の間を空け並べられていますので、一点を集中して見ることができます。
私は、古陶類の趣味の良さに感服、とくに心魅かれたのは、古唐津・李朝の陶器類‥酒盃や大振りな器は、欲しくて仕方ありませんでした。
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願えば叶う‥どうかいつか願いが叶いますようにと、日ごろ信心のない私もこんな時にはお祈りします。
(付録)
写真は「骨董じじばば」のコレクションの一部で、転載許可を受けています。
古美術に興味があり「骨董じじばば」に関心ある方は、こちらをご覧ください。  
by blues_rock | 2011-07-22 21:12 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)