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心の時空

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a day in my life

カテゴリ:社会/歴史/思想( 103 )

経済評論家で作家の堺屋太一氏(1935~元経済企画庁長官)が、昭和22年から24年の3年間に生まれた世代を‘団塊の世代’と1976年に名付けてから早37年、‘団塊の世代’全員が高齢者(65才)の仲間入りをします。
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男性諸氏のほとんどが、すでに定年となり40年近く馴染んだ‘職域社会’オンリーの生活に別れを告げ、つまり滅私奉公した会社からわずかばかりの手切れ金(退職金とも言います)で追放され、これから人生の最期を迎えるまで自宅のある‘地域社会’で暮らさなければなりません。
a0212807_17443723.gif家族や隣近所との付合いをしっかりしてこなかった男性には、長く辛い孤独な時間との闘いです。
とくに自分の会社にしか通用しない‘肩書き’を社会的なものと勘違いし、社内でチヤホヤされ、それに酔い痴れた職位の高いズレ男ほど定年後に直面する現実との落差ダメージは大きく‥家庭でうとまれ、地域に友だちはなく、元の会社からも当然何の音信もなく、その現実は、次第に本人の心を蝕み、やがて認知症を発症、家族が気づいた時には、要支援・要介護の認定を受けることになります。
女房族は、毎日‘濡れ落ち葉’のお相手をする羽目になり、亭主元気で留守がいいと笑い飛ばし、友だちとのお気楽ランチ外出もできなくなり、井戸端会議もご法度となれば、ストレスは溜まるばかり、自分の気づかないうちにa0212807_1745829.gif悪化した骨粗鬆症で寝返りした途端に骨折したり、下肢筋力の衰えが、転倒骨折リスクを高め、打撲による亀裂骨折でも数カ月に及ぶ長期入院となり、高齢での長期入院という日常の変化は、やがて認知症を発症させます。
日本経済新聞に堺屋太一氏のコメント記事として「国(元厚生省、現厚生労働省)の無策放置により少子高齢化社会の歪みが生まれ、いまの「嫌老社会」を生んだ。(‘団塊世代’を地域社会に巻き込む)「好老社会」に改革しなければ、わが国の発展はない。」とありました。
a0212807_17583686.gif幸い‘団塊世代’には、資産がありますから、子や孫に美田を残さず、自分の葬式代だけ信託して残し、自分の人生最期に必要な「介護と病気」のために使い切りましょう。
人生は、過去も現在(いま)も、これからも「自立・自助・自己責任が原則」です。
何より自分の精神を自律させ、身内への要らぬ気兼ねや自分を卑屈にする介護の押し付け、生活上の経済的な甘え(ぶら下がり)は、極力避けましょう。
地獄の沙汰も金次代、いわんや人間の棲む三千世界では、老後を支えるのはお金、その経済的なゆとりが、やがて介護を必要とする時、自分の選択肢に合った介護を保障してくれることでしょう。
by blues_rock | 2013-11-30 00:30 | 社会/歴史/思想 | Comments(0)
2013年8月20日と23日に「アーリントンのような国立墓苑を創りましょう(前編後編)}を書きましたが今夜は、その続編を書きたいと思います。
a0212807_13523853.jpg日米の外務・防衛担当大臣(長官)による安全保障協議委員会(集団的自衛権の行使協議)に出席した米国のケリー国務長官とヘーゲル国防長官トップ二人が、10月3日「千鳥が淵戦没者墓苑」を訪れ戦没者慰霊碑に献花、黙とうし哀悼の意を表しました。(右上写真)
外国政府要人(政府トップ)の千鳥が淵戦没者墓苑(下写真)への訪問と献花は、1979年のアルゼンチン大統領訪問以来34年ぶりだとか、米国のわが国への強い外交メッセージを感じます。
a0212807_1438024.jpg中国と尖閣諸島で韓国と竹島でギクシャクしているとき、安部首相が5月訪米、アーリントン国立墓地を訪れ献花したあと「靖国神社を米国のアーリントン国立墓地になぞらえて靖国神社参拝は自然なこと」とコメントしていた後だけに日本政府は青くなり、安部首相は腰を抜かしたことでしょう。
これは日米軍事同盟のパートナーである米国政府が「千鳥が淵戦没者墓苑こそアーリントン墓地に‘最も近い存在’である」と明言(米国防総省高官)したのと同じこと‥靖国神社へ行列して参拝する自民党政府への‘あてつけ’であるし、一宗教法人靖国神社への米国a0212807_14502448.jpg首脳の参拝は決してあり得ず、米国の国益に一致しないと警告しているのです。
日本政府が、公式な外交ルートで米国政府にオバマ大統領の靖国神社参拝を要請しても米国政府は、‘それはあり得ない’と回答するでしょう。
もし万が一、日米軍事同盟(日米安全保障条約)がギクシャクしたら、それをどの国が一番喜ぶか‥もう分かりでしょう。
靖国神社については、「アーリントンのような国立墓苑を創りましょう(前編、後編)」で詳しく書いていますので、そちらをご参考にご覧いただけたら光栄です。
(右写真:2007年4月の日米首脳会談で安部首相が米国大統領他に贈ったピンバッチ)
by blues_rock | 2013-10-08 00:30 | 社会/歴史/思想 | Comments(0)
国家として盤石の国体「自由と民主主義」のシステムを堅持するためには、国民ひとり一人が、「権利と義務」のバランス意識をもち、普段から「権利と義務」に対する意思を持たなければなりません。
爆発的に増え続ける世界人口の現実(こちら)を考えるとき、日本の人口減少とわが国の少子高齢化の社会的問題やそのために解決しなければならない課題を避けて、安易に外国からの移民政策に依存するような甘い精神構造で解決できるはずもなく、やがて国家として日本の価値(パラダイム)である「自由と民主主義」も次第に崩壊していき、ある日突然国が、消滅することは、世界の歴史が証明しています。 (下写真:靖国神社)
a0212807_011645.jpg私たち日本人にとって最高の国家規範である「自由と民主主義」を堅持するためには「権利と義務」を実践する強い意思が必要です。
話を戻し靖国神社は、東京都知事の認証による神道の宗教団体(単立宗教法人)で、国の機関でも施設でもありません。
靖国神社の創建も古代信仰から生まれた出雲大社や伊勢神宮など太古の昔からある神社と祭祀の性格と目的が、最初から違います。
今から144年前の1869年(明治2年)、明治新政府の要職にあった大村益次郎(1824~1869 長州出身 陸軍の創始者)が、国事(国内外の戦争)に殉じた軍人・軍属を顕彰し遺骨を祀る場所として東京招魂社(後に靖国神社と改称)の創建を明治天皇に進言、天皇の勅令によって靖国神社は、明治2年に誕生しました。
明治維新の世になり明治新政府は、中央集権の錦の御旗を立て強硬な国家統治を進めましたが、国内の治安は定まらず、新政府に対する抵抗(内戦・反乱)は、まだ続いていました。 (下写真:出雲大社)
a0212807_011343.jpg1869年戊辰戦争、1877年西南戦争と新政府軍(官軍)は、抵抗する敵(幕府の抵抗組織、新政府の反乱軍)を‘賊軍’と誹り徹底的に討伐しました。
新政府は、内戦で戦死した新政府軍(官軍)の兵士だけを国家に尽くし殉死した英霊として靖国神社に祀りました。
ダレが考えても明治維新最大の立役者である西郷隆盛など死をもって明治新政府の樹立に貢献した多くの志士たちが、靖国神社に祀られていないというのも何とも不思議な矛盾する話です。
現在、靖国神社には、1869年から1945年(明治2年から昭和20年)の76年間に起きた戦争で戦死した兵士・軍人・民間人246万体が祀られ、そのうちの213万体は、68年前の太平洋戦争で戦死した昭和の犠牲者でした。
なんと靖国神社に祀られた故人の86.5%を占め、そのため靖国神社は、戦前(68年前)日本に支配されたa0212807_0121154.jpg中国・韓国から軍国主義信奉の象徴にされ、さらに1978年A級戦犯を合祀したことに因縁をつけ日本攻撃をさらに強化しました。
戦死者を祀る靖国神社へA級戦犯(戦争責任者)が合祀されたことで、それ以来(1975年の参拝が最後に)昭和天皇は靖国神社参拝を止められ、今上天皇も一度も参拝されていません。                                             (上写真:伊勢神宮)
また戦後の国事(海外の戦争・紛争・テロ被害)で殉死した自衛官・海上保安官・警察官・公務員は、英霊として祭祀されていないのも不思議といえば不思議な扱いです。
中国・韓国の若い世代は、何かに託(かこつ)けて当時植民地支配されていた歴史の怨みを晴らしたいのだろうと推察します。
中国共産党中央政治局も韓国大統領府も国内に政情不安を抱えているので何が何でも日本を仮想敵国にしてa0212807_1932345.jpg自国民の不平不満を国外に向け、民族主義の偏狭なナショナリズムを煽り、過去という歴史の屍(しかばね)を墓場から掘り起こし大騒ぎすれば、現政権の権力も延命できるから‘領土’でも‘靖国’においても抗議暴動やデモ騒ぎを政府主導で演出するのです。
ともあれ国民が、国家の犠牲になって死ぬような不幸な事件や不測の事態は、何としても避けなければなりませんが万が一、国の内外で国家安全保障上の事件やテロ・紛争に巻き込まれ亡くなった方々を弔い心からそのご冥福を祈るアメリカのアーリントンのような如何なる宗教にも束縛されない品格ある国立墓苑が、わが国にも早急に必要です。
日本国民は、当然のこと、世界各国の国賓や日本を訪れる外国人が、如何なる信仰に関係なく自由に参拝し献花できるような自然豊かで美しい場所に静かな国立墓苑を創りましょう。
(独り言:富士山麓の国立墓苑なら埋葬された故人も安らかに眠れるでしょう。)
by blues_rock | 2013-08-23 23:55 | 社会/歴史/思想 | Comments(0)
a0212807_22184993.jpg現在わが国には、アメリカ合衆国の「アーリントン国立墓地」のような国のために尽くした人たち‥天災・人災・紛争(テロ)・戦争などで国民の生命と幸福のため‘犠牲’になったすべての故人を弔い偲ぶ“非宗教の国立墓苑”がありません。
国立の墓苑(墓地)は、国家のためだけではなく国民の幸福と平和の保持、危機管理、安全保障のために犠牲となった有名無名の民衆(すべての故人)を弔い偲び、心から追悼する墓苑でなくてはなりません。
アメリカのアーリントン墓地は、南北戦争の最中(さなか)の1864年に創設されました。
アーリントンに埋葬される故人は、アメリカ建国のために亡くなった1775年のアメリカ独立戦争にまで遡って埋葬の対象にしています。
a0212807_22205934.jpgアーリントン墓地への埋葬基準と規定は、決められていますが、埋葬するかどうかの意思決定は、生前の故人と遺族の意思が尊重され、施設(アーリントン国立墓地)側にはありません。
連邦政府は、埋葬の方法や儀式についてあらゆる宗教・宗派の宗旨による埋葬を許可しており、特定の宗教形式を押し付けず、信仰の自由を保障することで「アーリントン国立墓地」の宗教性を排除しています。
日本のように戦没者慰霊が、宗教色の強いものになると、どうしても胡散(うさん)臭くなり、鬱陶(うっとお)しいものになります。
神社・寺院・教会、いずれにしても宗派の参拝形式がどうのこうの、お布施(玉串料・仏前・喜捨など)にランクがa0212807_2223373.jpg付けられ‥など、宗教法人から陰湿に五月蠅(うるさ)く求められ、故人を弔い偲ぶはずのお参りにも心のこもらない帳面消しの嘘っぽいものになります。
いま敢えてわが国の国立墓苑らしきものをあげるなら環境省所管の‘千鳥ケ淵戦没者墓苑’(右写真)ですが、無名戦没者(無縁仏)の墓地として意味合いが強く、戦後国内外で発見された戦没者の遺骨で身元不明の35万8千体が、納められ弔われています。
‘靖国神社’は、戦没者慰霊にA級戦犯が合祀(ごうし)されているので、首相ほか政府閣僚が参拝すると海外諸国とくに中国・韓国は、外交問題のように大騒ぎしますが、中国・韓国など外国から日本の首相や閣僚による靖国神社参拝をトヤカク言われる筋合いはなく、単(ひとえ)に“私たち日本人の問題”です。
日本で生まれこの国に住まう私たち日本国民にとって私たちの国家規範・国是及び国家の価値は、今更改めてa0212807_010112.jpg言うまでもなく「自由と民主主義」です。
いかなる国家であれ「自由と民主主義」のない国は、地獄です。
では「自由と民主主義」さえあれば、国民にとって天国かと言うと世界の現実を見るとそう簡単に住み心地の良い天国が、手に入るものでもありません。
後編に続く)
by blues_rock | 2013-08-20 22:16 | 社会/歴史/思想 | Comments(0)
a0212807_2140378.jpg1945年昭和20年8月9日11時02分、アメリカ空軍は、日本の‘ナガサキ’に大量殺りく核兵器の二発目となるプルトニウム型原子爆弾を投下しました。
今日は、その長崎原爆68回忌の命日です。(こちらをご覧ください。)
長崎の南山手に「大浦天主堂」という美しいキリスト教の教会があります。
私は、学生のころ休みともなると絵の好きな友だち数人と連れ立って、長崎へよくスケッチ旅行に行きました。
a0212807_21405859.jpgそのころ描いた「大浦天主堂」の油絵です。
稲佐山の外人墓地で鼻の欠けた聖母像をスケッチしたこともありました。
オランダ坂の石畳を歩き、私の好物‘本場の長崎チャンポン’を食べました。
眼鏡橋の上で「すみません、眼鏡橋、どこでしょうか?」と通りかかった地元の方に尋ねた友だちもいました。
友だち皆、元気でいるだろうか‥と「大浦天主堂」の絵を見ていたら、そんな他愛ないことを懐かしく思い出しました。
by blues_rock | 2013-08-09 00:00 | 社会/歴史/思想 | Comments(0)
福岡市の中央部(一等地)にある大濠(おおほり)公園は、福岡藩主黒田長政が、福岡城を建築するとき、当時まだ博多湾の入江であったこの地を外濠にしたことに始まります。
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大濠公園の40haの面積があり、そのうち22ha(55%)を大池が占め、中の島を4つの橋で繋いだ風光明媚な水景公園です。
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大濠公園に隣接する舞鶴公園(福岡城址)と併せ春は、桜の名所として賑わい、いまや福岡市民にとって夏の風物詩となった恒例(毎年8月1日夜)の大濠花火大会、さらに冬には、公園の木々に華やかなイルミネーションが点り、四季折々、福岡市民にハレの日を提供しています。
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周囲2kmの大池のまわりでは、近所地域の人たちが、ランニング・ジョギング・ウォーキングを楽しんでいます。
私の知人に太極拳の先生(福岡金継ぎ工芸会会員で北京の大学に太極拳留学中)がいて、大濠公園で早朝6時に太極拳野外道場を主宰しています。
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早朝起床ができ太極拳を学びたい方は、「自由にご参加ください」とのこと、日本でも数少ない太極拳免許皆伝師範なので太極拳のいろいろなカタチを指導してくれると思います。
by blues_rock | 2013-08-01 23:30 | 社会/歴史/思想 | Comments(1)
日本国民は、第2次世界大戦(太平洋戦争ともいう)で戦前・戦中と悲惨な目に遭い、昭和20年(1945年)8月15日(これについてはこちらこちらをご覧ください)に無惨な敗戦(無条件降伏)を受入れました。
戦後、焦土と化した廃墟(焼け跡)で、艱難辛苦に耐え暮らしていた日本人は、昭和21年6月国民歌謡懸賞応募歌に当選した「朝はどこから」に、明日への‘希望’を託しました。
 朝はどこから
a0212807_0213082.jpg朝はどこから
来るかしら
あの空越えて
雲越えて
光の国から
来るかしら
いえいえ
そうではありませぬ
それは
希望の家庭から
朝が来る来る
朝が来る
おはよう、おはよう

昼はどこから
来るかしら
あの山越えて
野を越えて
ねんねの里から
来るかしら
いえいえ
そうではありませぬ
それは
働く家庭から
昼が来る来る
昼が来る
                                                         今日は、今日は
a0212807_0271967.jpg夜はどこから
来るかしら
あの星越えて
月越えて
お伽(とぎ)の国から
来るかしら
いえいえ
そうではありませぬ
それは
楽しい家庭から
夜が来る来る
夜が来る
今晩は、今晩は
by blues_rock | 2013-07-04 00:17 | 社会/歴史/思想 | Comments(0)
a0212807_1133261.jpg「聖福寺」(こちら)から少し東に行ったところ(博多駅寄り)に、同じく博多の古刹「承天禅寺(じょうてんぜんじ)」があります。
承天禅寺は、1241年禅僧円爾(えんに1202~1280)によって建立されました。
円爾は、駿河国(静岡県)出身で中国南宋に渡り、禅の修行をして帰国、博多に承天禅寺を建立しました。
当時の博多は、南宋との交易拠点で、日宋貿易により南宋の宗教文化を輸入するわが国の窓口でした。
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博多に住んでいた南宋の貿易商人謝国明は、南宋で禅の修行をした円爾(えんに)と親しく、円爾の開いた禅寺‘承天禅寺’の支援者でした。
‘承天禅寺’境内には、日本の伝統食文化の起源や博多の伝承文化の発祥地であることを顕わす記念碑が、
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いくつかあります。
博多伝統の初夏(毎年7月1日~15日)の祭り‘博多祇園山笠’と言えば、博多の男衆による舁き手(かきて)が、各流れの山笠(やま)を競争して 櫛田神社へ奉納するクライマックスの「追い山」は、とくに有名で、早朝にも関
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わらず毎年多くの観客が、櫛田神社のまわりを囲み賑わいます。
この起源は、承天禅寺住職であった円爾(えんに)が、当時疫病(伝染病)の流行る博多で、町人たちに担がれた施餓鬼(せがき)棚に乗り、水を撒きながら、疫病退散を祈祷したのが、その始まりと伝えられています。
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博多祇園山笠のクライマックス「追い山」のコースは、必ず承天禅寺前を通り、各山の舁き手(かきて)が、承天禅寺に奉納したあと櫛田神社に向かい奉納するのは、こうした歴史的な背景によるものです。
承天禅寺は、博多に残る祇園山笠のような伝承文化だけでなく、今では日本食としてお馴染みの「うどん・そば・a0212807_4152638.jpg羊羹(ようかん)・饅頭(まんじゅう)の製法を初めて中国南宋から日本に伝え、わが国の粉物食文化を広めた発祥の地として有名です。
さらに承天禅寺は、博多織の発祥地でもあります。
円爾(えんに)は、晩年、生まれ故郷の駿河国に還り、安部川流域で茶の栽培を普及したことから静岡茶の始祖(茶祖)と称されています。
by blues_rock | 2013-07-02 00:48 | 社会/歴史/思想 | Comments(0)
福岡市の中心地、博多駅から徒歩15分のところに818年前の1195年、栄西(1141~1215)によって創建された古刹「聖福寺」があります。
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博多の「聖福寺」は、日本最初の禅寺(禅道場)として有名です。
聖福寺については、拙ブログ「絵の話‥□△○(仙厓)」(こちら)のところで、江戸時代後期の禅僧にして聖福寺
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住職であった仙厓和尚のことと併せて紹介していますのでご覧いただけると光栄です。
栄西は、平安時代末期、南宋に渡り禅を修め、聖福寺を創建しました。
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中国から‘茶の木’を持ちかえり、禅の「喫茶去 (きっさこ)」を日本に広めました。
日本曹洞宗の開祖道元(1200~1253)は、「正法眼蔵」夜話で栄西にふれ、栄西を「僧正様」と称し尊敬していたa0212807_23515534.jpgそうです。
地図(右)は、博多駅を起点にした福岡市中心地で、聖福寺のあるところを「御供所(ごくしょ)町」といい、その昔、筥崎天満宮への御供え物を調えた所からその名は、由来しています。
今は、福岡市民に「寺町」の名で親しまれ、御供所(ごくしょ)町には、聖福寺と聖福寺塔頭(たっちゅう)のほか古刹「東長寺」、御供所町と道路を挟んだ東隣りに古刹「承天禅寺」があり、日本人の宗教観や日本の伝統的な食生活のa0212807_23552682.jpg原点、さらに今では、博多初夏の風物詩となった700年の伝統をもつ「博多祇園山笠」の源流を知ることができますので、古刹の続きでご紹介したいと思います。
(左写真:聖福寺裏の静寂な博多土塀の佇まいです。)
by blues_rock | 2013-06-30 00:44 | 社会/歴史/思想 | Comments(0)
福岡県大宰府市の「光明禅寺」は、大宰府天満宮に向かう参道を抜け、鳥居の前を右方向に行くとあります。
1273年に建立された古寺名刹で「苔寺」とも呼ばれています。
この古刹の見どころは、何といっても九州隋一の枯山水(かれさんすい)庭園にあります。
「苔寺」の名のとおり、苔で蔽(おお)われた庭園は、美しい碧(みどり)が、目に美しい古刹です。
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前庭を七五三の十五石で、光の字に配石した仏光石庭にし、裏庭は、青苔で陸と島、白砂を海に見立て、汀(なぎさ)と浦浜を見事な曲線で描き、枯山水の‘一滴海庭’を表現しています。
「光明禅寺」の縁側に座り、春の新緑を眺め、夏の蝉しぐれに心を休め、秋には、庭に溢れる紅葉(こちら)を愛でながら四季折々を楽しめる絶好の古刹です。
by blues_rock | 2013-06-27 00:23 | 社会/歴史/思想 | Comments(0)