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心の時空

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a day in my life

カテゴリ:社会/歴史/思想( 103 )

はじめに
2年前の2009年5月20日旧ブログ「さるさる日記」(2011年6月サイト終了)に掲載した記事を転載しました。
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今年3月11日、東日本を襲った大地震・大津波・原発事故という未曽有のトリプル災害が、日本で暮らす人々に自然災害(天災)は「明日はわが身」ということを教えました。
生命を脅(おび)かすリスクは、毎日の暮らしの中に常に存在しています。
いつも非常時を想定し、少しでも危険を感じたら即刻対処し解決する方法を自分なりに考えておく必要はありますが‥「空が落ちたらどうしよう」と杞憂ばかりの生活も人生を棒に振ることになります。
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「限界集落‥東京」(2009年5月20日)
ウィキペディアによると限界集落とは「‥過疎化などで人口の50%が65歳以上の高齢者で冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になった集落のことを指す。限界、集落には、もはや就学児童より下の世代が存在せず、独居老人やその予備軍のみが残っている集落が多く、病身者も少なくない。a0212807_1721172.jpg限界集落という呼び方への批判もある。住民の気持ちからすれば、呼び方を変えるべきではないかとの声である。最近の公式文書では「基礎的条件の厳しい集落」・「維持が困難な集落」といった表現が採用されている。自治体でも使用を控える動きや言い換えを行う動きがある。京都府綾部市では、限界集落とほぼ同義で‘水源の里’という語を用いている自治体もある。」と続きます。
この国は、古く飛鳥時代から律令による中央集権国家経営の名残りがあり‥1400年もの間、都(みやこ、現在は東京)にいる特権階級の租税収奪システムとして作り上げられ、この強固な中央集権制度を根底から変革する地域の謀反や反乱はありませんでした。
確かに過疎地(限界集落)で暮らすお年寄りには、公的機関・病院・買い物は遠く、行政の福祉・社会サービスの恩恵を受けることはできません。
その不便さはあるにしても、現在過疎地(限界集落)の暮らしに貧しさはありません。
万が一、天災や有事の危機(核戦争は例外にしても)が発生しても、生活(電気・水道・ガス・食料などのライフライン)に困ることもありません。現在電気が供給されていない地域はありませんが、もし寸断されたら水力・風力・地熱で地域限定の発電はできます。
a0212807_172582.jpg電気が寸断されても、短期であれば櫨(はぜ)の木から作ったロウソクや長期であれば畑で栽培した菜種を搾った油を燃料にランプがあります
水道が無くても、近くの沢から湧き水(ミネラルウォーター)を引けば水に困ることはありません。
プロパンガスが無ければクドを造り、山から薪(まき)を切り出し煮炊きすれば良いだけです。
食料は言わずもがな100%の自給自足も可能で‥自然の中で自生する野菜や田んぼ・畑で収穫される農作物・鶏の卵・小川の魚など餓えることなどありません。
有事となれば、国の食料自給率うんぬん論議より、まず地域住民の食料確保が、重要で優先します。
自分たちの住む域内に自らのライフラインをまかなう自助能力を持たない地域は、非常に危険です。
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               <空襲で焼け野が原となった66年前の東京の中心地>
そういう意味で東京は、究極の生命(いのち)の限界集落と言って良いでしょう。
天災や有事など大事件が突然発生したら、電気・水道・ガス・食料のライフラインは遮断され、多くの人々の生命が危険にさらされ死の淵に追いやられます。
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東京都民は、他地域に自らのライフラインを丸投げし依存するのではなく、原子力(または火力)発電所・ガスタンク群・農耕地(田んぼ・畑)などのインフラを東京都内に整備すべきだと思います。
自然豊かな過疎地域から過密な東京で暮らす人々の安全保障やライフラインなど社会環境保全のリスクを考えると、東京にはもうあまり時間はないように思います。
by blues_rock | 2011-07-01 21:23 | 社会/歴史/思想 | Comments(0)
カール・マルクス(1818~1883)とフリードリヒ・エンゲルス(1820~1895)の資本論が、経済不況でブームとなり売れているそうです。
私の学生時代のゼミ専攻は、資本論でした。
理由は単純、経済学部に入学したものの油絵にのめり込み、授業時間を惜しんで大学美術部のアトリエで毎日絵ばかり描いていましたので、当然単位不足で卒業も危うくなりました。a0212807_1481837.jpg
卒業のためには、専攻のゼミナールが必須科目で何か選択しなければなりませんでした。
大学行事の展覧会で見た資本論ゼミの教授の絵に惹かれ、その寓話的な油絵が好きでしたので、ゼミ面接で「なぜ君は、自分のゼミを選んだか」と教授から質問された時「先生の描かれる絵が、好きで専攻しました。」と、とっさに答えたら、即ゼミ受講の許可をもらった記憶があります。
さて、二人のドイツ人マルクスとエンゲルスは、資本主義つまり市場原理主義の矛盾を予見し、共産主義を思想化しました。
1848年、無二の親友であった二人は、ロンドンで「共産党宣言(共産主義者同盟要綱文書)」をリリースしました。
当時の日本は、まだ尊皇攘夷に明け暮れる江戸時代末期で、明治維新20年前の出来事でした。
163年以上も前に、現在世界で起きている様々な社会の矛盾・市場の歪み・環境の破壊が、いずれ世界にどのような結果をもたらすのか、マルクスとエンゲルスには分かっていたのでしょう。a0212807_1484172.jpg
ユダヤ人であったマルクスは、ロシア人が大嫌いで信用していなかったそうです。
レーニンもまたユダヤ人で、ロシア人が嫌いだったとか、そのロシアでボルシェビキ革命が起き、世界で最初の共産主義社会が誕生し、そして崩壊したのですから歴史の皮肉を感じます。
マルクスは、ニューヨーク・トリュビューンのヨーロッパ特派員として11年間働き、アメリカ南北戦争では、北軍を支持しリンカーンに勝利のお祝いメッセージを送っています。
アメリカ第35代大統領ジョン・F・ケネディは、ソ連との冷戦で苦悩する中「ニューヨーク・トリュビューンが、マルクスの給料を薄給にしたから、彼の暮らしは貧乏であった、真っ当な給料を支払っていたら、マルクスは革命論(1948年共産党宣言)など書かなかっただろう。」としみじみ語ったそうです。
それくらい、資本論思想家マルクスと資本主義国アメリカとは、因縁があります。
マルクスは、ロンドンでイギリス産業革命の終焉を予見し、フランスでは、パリ・コミューンに深く関わっています。a0212807_149045.jpg
エンゲルスは、ジャーナリスト(軍事分析のスペシャリスト)で共産主義者、併せて有能な経営者でした。
科学的社会主義の研究に取り組む中でエンゲルスは、マルクスに対し現実の経営と社会経済の実情、資本家の実務・実態、ヨーロッパ諸国の軍事分析などアドバイスしていました。
エンゲルスは、親友マルクスの頭脳の偉大さを認め、終生マルクスに生活資金を仕送りし彼と彼の家族を支援しました。
二人の共産主義理念は、東アジアで帝国主義・植民地資本主義からの民族解放・国家独立運動として開花し、活動の思想的のよりどころとなりました。
1911年清朝中国で抑圧された民衆漢人の孫文(1866~1925)をリーダーとする辛亥革命蜂起があり、ベトナムでは、ホー・チ・ミン(1890~1969)指導による資本主義大国アメリカとの戦争勝利がありました。
孫文は、現在二つの中国(中華人民共和国・中華民国)民衆から尊敬されるただ1人の人物で、中国では「孫中山」として慕われています。a0212807_1493089.jpg
彼は、亡命した日本とのつながりが深く、終生孫文を支援した梅屋庄吉(1868~1934)との友情や孫文の名としてあまりに有名な「中山」の由来も、亡命中日本で見た家の表札「中山(なかやま)」の文字が気に入り、自分の号としたことから「中山」は孫文の名前として有名になりました。
時代が、偉人や英雄を育て、彼らが時代のリーダーとなり、社会を変革し歴史を作ってきたのだと思います。

写真は上から、カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス、孫文、ホー・チ・ミンです。
by blues_rock | 2011-06-25 19:49 | 社会/歴史/思想 | Comments(0)
a0212807_235502.jpg西日本新聞の一面に「九州の限界集落が、1,094か所になった。3年前の1.3倍となり限界集落が進んでいる。全国では10,000か所となった。(‥以下省略)」という記事がありました。
「限界集落」とは、お役所用語で、その意味するところは「もうすぐ住む人がいなくなる過疎地、廃村寸前の集落」のことです。
お役所の「限界集落」の定義は、満65歳以上の高齢者が、人口の半分以上を占める地域のこととか‥お役所のいう「限界集落」は、介護保険制度の高齢者である満65歳など、まだ青二才で80歳代は言うに及ばず90歳代でも、今でも山仕事の現役という方が、数多くおられます。
a0212807_23543675.jpg大分県玖珠郡の山道脇で、乾シイタケを直売している高齢の椎茸生産者の方と話したら「アタシも七十超えたばってん、ここらじゃまだ若手ですたい。ワッハッハッ!」と豪快に笑い飛ばされました。
先日も福岡県星野村の山間(やまあい)で感じたのですが、木々の緑が美しい自然の中で、風に揺れる木の葉の音、かすかに届く渓流のせせらぎ、小鳥がさえずる声の他に聴こえる音のない静寂な時間と豊かな空間を満喫できる贅沢な場所は、山奥の「限界集落」まで行かないとないでしょう。a0212807_23551865.jpg
昔むかし、人のいなかったところに人が移り住み、生活を営みながら家族をなし、地域経済を作り、多くの世代を重ねた長い時間の中で、また人がどこかへ移動していくだけのこと‥「限界集落」とは、地域にやがて人がいなくなり無人となって、太古の自然に還ることを意味するのだから、そう大騒ぎすることもないと思います。
a0212807_23553484.jpg自然の悠久の時間の中で、生活を営み暮らしてきた人たちは、自然の摂理をわきまえ自分には、どうすることもできないこともあるということを知っています。
「限界集落」が増えることで困るのは、川下で生活するおおぜいの都市住民たちです。
山に住む人が、居なくなれば山は荒れ、棚田は失せ、豊かな水源もなくなるでしょう。a0212807_23554644.jpg
そして、川の下流で生活する都市住民も、やがて流れの止まった川の川底を見ながら、全国各地に無数に点在する都市の「限界集落」を知ることでしょう。
人類歴史の中で、最も栄え豊かであったと伝えられるローマ帝国の滅亡の原因は、ローマ帝国の人々による家屋と燃料消費のための森林伐採と、農地開墾のために、ローマ近隣の森を破壊し尽くしたことによる自然環境の悪化であったと自然科学者・歴史学者が、今に伝えています。a0212807_23561068.jpg
廃村寸前の集落で老いていき、高齢者となっても子供と別れ、長く住み慣れた山間(やまあい)の地を終の棲家と決めた人たちにとって、「限界集落」の呼び名は、人口過密地の大都市で喘(あえ)ぎながら暮らしている人々が、勝手にそう呼んでいるだけのお役人言語で、何の意味もありません。
by blues_rock | 2011-06-21 23:53 | 社会/歴史/思想 | Comments(0)