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心の時空

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a day in my life

カテゴリ:社会/歴史/思想( 103 )

西南学院が、2016年4月1日に「西南学院 創立百周年に当たっての平和宣言」を公に発表、その決意と勇気に私は、心からエールを送ります。
a0212807_2053258.jpg同窓の私自身は、無宗教にして無信仰の徒ながら平和宣言にある「敵対する異質な他者にさえ、しっかりと向き合い、問い合い、愛し合うことこそが、人としての普遍的価値である」という箇所に‘我が意’を感じましたので拙ブログで取りあげました。
翻って1963年、若きボブ・ティランは、「Blowin' in the Wind」を歌い、旧体制下の暴力支配と自由抑圧に異議を申し立てから早や半世紀、さらに1985年、人種・民族・宗教を超えたアメリカのトップ・ミュージシャン(空前絶後の超豪華メンバー)が、連帯しUSA for Africa として結集「We are the World」をアピールしてから四半世紀、今また私たちは、自らa0212807_20585225.jpgが選んだ愚劣なリーダー(民主主義のリスクで自らの責任ながら)による暴力と抑圧にさらされようとしています。
ちなみに、悪魔のようなドイツの独裁者 アドルフ・ヒトラーも当時のドイツ国民に熱狂的に支持され首相になる(1933年)や老衰したヒンデンブルグ大統領を懐柔し死去と同時に国家元首(総統=独裁者、1934年)になり、この間わずか1年、あっという間の出来事でした。
いつか来た道、今まだ、間に合ううちに「過ちは 改むるに 憚る事なかれ」を肝に銘じておくべきだと思います。
by blues_rock | 2017-02-06 00:06 | 社会/歴史/思想 | Comments(2)
GAFA(ガーファ)という言葉(文字)を初めてお目(お耳)にされる方も多いのではないでしょうか?
a0212807_11472859.jpgクーグルのG ・ アップルのA ・ フェイスブックのF ・ アマゾンのA の頭文字を並べたもので、いずれもアメリカの企業時価総額上位 7社に入る 4社です。
この4社は、アメリカ経済の強さの象徴にして世界経済を牽引している会社でもあります。
「ふ~ん、それがどうしたの?」と問われそうが、実は、現在の世界情勢、とくにイギリスのEU離脱要因となった移民問題、フランス・ドイツ・ベルキー・a0212807_11481417.pngオランダなど主要EU諸国に吹き荒れる反移民(反難民)の排泄運動、さらに排他的民族意識、なかんずく当該国のアメリカでも大統領選挙を前に狭量な反移民のプロバガンダ(邪悪な独裁者の常とう手段)による選挙運動と併せて偏狭な白人至上主義と人種差別を煽るおバカな候補もいますので笑いごとでは、済まされなくなりました。a0212807_1149055.jpg
240年前の1776年、アメリカ合衆国(当時13州)は、イギリス(大英帝国)との独立戦争に勝利し独立しました。
建国以来の国是は、‘自由(リベラル)’と‘民主主義(デモクラシー)’で、新大陸のアメリカには、世界中から理想の新世界に憧れ、多くの民族が、‘アメリカンドリーム’を夢見て移民しました。 (上図 : 20数か国出身のヒスパニック系アメリカ市民 5千万人が暮らす地域)
a0212807_11511332.jpg現在、アメリカ合衆国の人口は、3億2千万人、世界最大の多民族国家で多種多様な文化が、融合した「人種のるつぼ」の人工国家です。
移民の子孫が、創りあげたアメリカ合衆国と国家の規範である憲法、そして国の象徴である国旗・国歌に忠誠を誓ったアメリカ国民にとってこの3つは、絶対的なものです。  (左写真 : 女優キャメロン・ディアスも、父方キューバ系、母方先住民 チェロニー族系との混血 ヒスパニック系アメリカ人です。)   前置きが、長くなりました。
GAFA(ガーファ)4社の創業者、クーグルの創立者ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンは、ユダヤ系のロシア移民の子供で、アップルの創業者故スティーブン・ジョブズの父親は、シリア出身の移民、フェイスブックのオーナー マーク・ザッカーバーグは、ユダヤ教徒にして夫人のプシクラが、ヴェトナム系中国人難民の子供で2人の間に2人の娘がいます。
アマゾンの創業者ジェフリー・ベゾスの母親は、キューバ系で先進的なサイバー空間でプラットホーム事業を展開するGAFA(ガーファ)のオーナー全員に移民の血が、流れています。
少子高齢化が、深刻な社会問題となっているわが国も労働力と国勢維持のために‘移民の受入れ’は、時間の問題でしょう。a0212807_12324952.jpg
日本の歴史を鑑みれば、原始日本人のルーツ(人種・文化・文明)は、ユーラシア大陸からの渡来人(稲作移民=弥生人)なので、その子孫である私たち日本人の遺伝子には、移民受入れのノウハウが、すでに書き込まれているかもしれません。
しかし、問題は、うっとおしい宗教や汚染された洗脳思想(テロ行為)が、一緒に入ってくる リスクにどう対処するか‥変な宗教なら神と仏の同化を自家薬籠中のものとするわが大和民族の精神特性により、八百万(やおよろず)の神々の一つにするでしょうが、狂信を強制する宗教や洗脳された愚劣な思想は、悪病ウィルスの防御対策と同じで水際で防止するしかないでしょう。
by blues_rock | 2016-08-20 00:02 | 社会/歴史/思想 | Comments(0)
今日は、日本国憲法 69歳の誕生日です。
日本国憲法については、これまで拙ブログで何度か書いてきましたのでその記事を随時 ご参考にしていただくとして今日は、私の意見をできるだけシンプルに書こうと思います。
a0212807_2041336.jpgオバマ大統領の被爆地広島訪問が、アメリカ国内で「謝罪外交だ、弱腰外交だ」と盛んに取り沙汰されています。
私は、オバマ大統領にぜひ広島を訪ねていただき「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれている原爆死没者慰霊碑に献花して欲しいと思います。
今や人口の9割近くを占める戦争を知らない日本国民(若い世代はアメリカと戦争したことも知らない)に対しアメリカの戦争を知らない世代の代表としてオバマ大統領に「二度と戦争はしません」と両国和解のスピーチをして欲しいと思います。
a0212807_20412648.jpg遡ること1941年(昭和16年)12月8日未明、旧日本帝国は、アメリカ(ハワイ準州)オアフ島の真珠湾を奇襲攻撃し無謀な太平洋大戦に突入するもわずか半年後の1947年6月、ミッドウエー海戦で日本艦隊は、アメリカ艦隊の待伏せに遭い壊滅的敗戦(日本軍 1 対アメリカ軍 125 の情報力の差 歴然)‥早くも敗戦の色濃くも戦争終結を決断できずグズグズと3年半、その間、軍(大本営発表)の大ウソ情報に騙された国民は、一億総玉砕を強制され国家総動員法により生き地獄の辛酸を嘗めさせられました。
そしてズルズルと3年半の艱難辛苦のあと1945年(昭和20年)3月、東京が、B29爆撃機の編隊から大空襲を受a0212807_20444379.jpgけ焼け野原に、8月広島(当時の人口42万人、こちら 参考)と長崎(同24万人、こちら 参考 )には、人類史上初の原爆を投下され市民の3分の1が、瞬時に即死(現在までに被曝による死者総数60万人)、8月15日アメリカ軍と連合軍に無条件降伏(こちら 参考)、3百万人の戦死者を出して敗戦しました。
その時まだ、中国東北部(旧満州)には、軍(関東軍)から見棄てられた多くの日本国民が、住んでおり、ソ連軍a0212807_21582364.jpgの侵攻に怯えていました。
(参考: 「シベリアに強制収容された76万の日本人」)
その敗戦から生まれたのが、現在の日本国憲法です。
確かに現在の憲法は、GHQ(アメリカ連合軍総司令部)の監視下にあった日本政府(オキュパイド・ジャパン)が、1947年5月3日に発布したものです。 (上写真:広島爆心地、中央右遠方に下写真の ‘原爆ドーム’ が見えます。)
オキュパイド・ジャパン(敗戦国日本)が、真に独立したのは、日本国憲法発布の4年後、サンフランシスコ講和a0212807_2165556.jpg条約締結の1951年9月8日以降なので日本国民の総意で制定した憲法と云うには、やはりどこか無理があります。
(参考:GHQは、日本人4千人を情報工作員として極秘採用し日本国民の思想検閲と監視をしていました。)
当時の日本が、アメリカGHQの占領下にあったにせよ日本国憲法の基本理念たる「自由と平等、義務と権利、基本的人権など人間普遍の精神」を正しく希求しておりこれを変える必要は、どこにもありません。
a0212807_21135172.jpg今もなお地球上には、暗澹たる悪者の国家が、多いなか国是として日本国民の精神と矜持を宣言した日本国憲法は、実にすばらしい憲法です。
(参考: 「日本国憲法制定記念日を前に」)
とは申せ、憲法の第2章 第9条の条文には、宗教、民族、領土、国益などで激しく対立、紛争やテロで混迷度を深める世界秩序に対応する日本の安全保障と社会体制を維持する防衛システムとの矛盾が、あるのも確かです。 (参考: 「日本国憲法と第9条のこと」)
a0212807_21273284.jpgさりとて大袈裟に国家主義的な「憲法改正」やトンチンカンな「絶対改憲反対」など喚(わめ)かないで、少し頭を冷やし冷静に万機公論‥人類最高の道具たる民主主義(個人の自由には義務と権利が伴なう)でゆっくり議論したら良いと思います。
by blues_rock | 2016-05-03 00:03 | 社会/歴史/思想 | Comments(2)
秋の一日、唐津の「名護屋城」を訪ねました。
佐賀県唐津市に在る安土桃山時代の城跡「名護屋城」は、1591年に太閤となった天下人の豊臣秀吉(1537~1598)が、自らの野望「唐入り(東アジア支配)」のために軍事拠点として諸大名に築城普請させたものです。
a0212807_1625879.jpg築城当時「名護屋城」は、大坂城に次ぐ大きな城で太閤秀吉の号令のもと突貫工事により何と8か月で5層7階の城を完成させました。
そして、この「名護屋城」の周囲118か所に秀吉の権威を示すため諸大名の陣営を設けました。
現在、65か所の陣跡を遺構として見ることができます。
太閤秀吉は、この城から外征(「唐入り」のための‘朝鮮出兵’)の大号令を発し1592年朝鮮出兵(文禄の役)する20万余の軍勢(大艦隊)を見送り、1598年には、第二次朝鮮出兵(慶長の役)の14万軍勢(大艦隊)を見送りました。  (上写真:「名護屋城」史跡から眺める玄界灘、正面彼方に‘壱岐’が見えています。)
1592年、日本国の独裁者(絶対君主)となった太閤秀吉の頭には、朝鮮半島を領有し「唐入り」(明朝中国を支
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配)した後、天竺(インド)と南蛮(ヨーロッパ)を征服するという途轍もない世界制覇の野望がありました。
ジャンケン後出しで思考する後世の歴史家たちは、太閤秀吉の妄想を嗤いますが、私は、インターネットも軍事人工衛星もなかった5世紀前に、自らの野望を実現しようと実行に移した絶対君主(7つの海を支配した大英帝a0212807_16312146.jpg国の絶対君主エリザベスⅠ世1533~1603と同時代)が、この国にいたことを驚きます。
ルイス・フロイス(1532-1597 キリスト教イエズス会の宣教師)は、安土桃山時代の日本に35年間滞在し、イエズス会の布教活動と共に日本の文化や風俗を記録(「日本史」)しています。  (上写真:現在の大阪城‥これと同じような城を8か月で建築し秀吉没後に廃棄とは モッタイナイ)
ルイス・フロイス(右下彫像)が、記録した報告書には、織田信長が「毛利元就を滅ぼし日本66か国を平定したa0212807_16545184.jpg後、大艦隊を率いて中国に渡り明を武力で征服する。日本国は我が子たちに分かち与える。」と記してあります。
1982年、織田信長が、明智光秀のクーデター(本能寺の変)により暗殺されると信長の野望(世界制覇の意志)は、信長を崇拝する秀吉に引き継がれました。
1592年5月18日付の太閤秀吉から関白豊臣秀次(1568~1595 秀吉の甥)に宛てた書状には、「宮中を高麗に置き、3年後天皇を北京に移し10か国を朝廷の領地とする。秀次を大唐(中国)の関白に就任させ100か国を与える。自分(秀吉自身)は、一旦北京に入った後、天竺と南蛮を征服するため寧波(ニンポー 浙江省の港町)に移る」とありました。
そのための軍事拠点として築かれたのが、唐津の「名護屋城」でした。
朝鮮半島で交戦した豊臣秀吉を最高司令官とする日本軍(総兵力50万)と朝鮮を支援する明の中国軍(推定兵力50万)の戦争は、双方の軍事力から見て16世紀最大の戦争でした。
a0212807_172367.jpg気性が激しく即断即決の独裁者である太閤秀吉に対し甥の関白秀次は、穏やかで思慮深い性格であったと云われています。
秀吉の強引な‘朝鮮出兵’に心中、不本意(反対)であった諸大名たち‥1467年の「応仁の乱」から続く内戦(戦乱の世)を終え、心身、財政ともに疲弊していた大名たちを慮(おもんばか)った関白秀次は、太閤秀吉から朝鮮出兵の命に背き出陣しようとせず、「名護屋城」築城に多額の出費をした諸大名(例えば毛利家)の財政窮乏を救済するため、聚楽第a0212807_1731967.jpg(豊臣政権の政庁)の金庫から秀吉に無断で貸し付けていたことなどを謀反の罪に問われ切腹させられました。
1598年、‘朝鮮出兵’の総司令官太閤秀吉が、没すると朝鮮にいた諸大名は、一斉に撤退し帰国、この時に茶の湯を嗜む大名たちは、多くの朝鮮陶工を同行して帰国、彼らに名字帯刀を与え、唐津・伊万里(有田)を中心に今日に至る日本陶磁器の礎を築きました。(参考:有田窯の陶祖 李三平についてはこちら / 下写真:古唐津 鉄絵柿文三耳壺 重要文化財)
a0212807_179555.jpg太閤秀吉の死で疾風怒濤の風雲「名護屋城」も廃城になりました。
秀吉が、名護屋城に滞在したのは、延べ日数にしてわずか1年2か月、滞在中は、戦況の報告を受けたり、明の情報を集めるためイエズス会宣教師たちに謁見したり、何より山と海に囲まれた豊かな唐津の自然を満喫し大いに茶の湯を愉しんでいたそうです。
その様子は、映画「利休」のなかで描かれていますのでご覧いただくと大いに参考になると思います。
by blues_rock | 2015-10-22 02:22 | 社会/歴史/思想 | Comments(0)
日本とイギリスとの交流400年を記念して大英博物館(ブリティッシュ・ミュージアム)特別展‘春画、日本美術における性と喜び展’が、2013年10月から2014年1月までロンドンで開催されました。
春画は、大英博物館の所蔵品のほか、日本、イギリス、オランダ、デンマーク、アメリカの美術館ならびにコレクターから貸し出された作品165点が、堂々と一般展示されました。
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大英博物館は、16歳未満の子供についても保護者同伴なら‘どうぞご覧ください’とすべての人たちにオープンにしましたので、さすが大人の国イギリスと思いました。
それにしても腹立つのは、浮世絵の祖国にしてこれら春画の母国日本で ‘春画、日本美術における性と喜び展’が、開催できないこと(見送られたこと)、嗚呼、実に情けない! 日本国の性文化成熟度は、江戸時代の先a0212807_1549528.jpg人たちと比べここまで退化したかと愕然とする思いです。
以前の拙ブログで「浮世絵の話」をしましたが、活動期間わずか10カ月と短かった東洲斎写楽(斎藤十郎兵衛説が有力)を除くほとんどの浮世絵師は、1枚20文の浮世絵より1枚400文で売れる春画を描いています。
日本人の絵描きとして世界的に有名な葛飾北斎、喜多川歌麿、歌川広重も数多くの春画を残しています。(ちなみに写楽の春画はありません。)
春画は、江戸庶民の旦那衆を楽しませた大江戸ポルノグラフィであったと同時に公家・大名の姫君、豪商の娘a0212807_15504241.jpgが、嫁ぐとき御輿入れ道具に春画(枕絵と呼ばれ性教育の大切な教材)は、必需品でした。
江戸時代、海外への高価な輸出品であった漆器や陶磁器などの包み紙(パッケージ・クッション)として安価な浮世絵は、たくさん使用されましたが、果たして高価な春画は、使われたかどうか‥日本人に多くのファンをもつゴッホ(1853~1890、日本では江戸末期から明治半ば)は、貧しかったにも拘わらず熱心な浮世絵のコレクターでゴッホ美術館には、477点の浮世絵(春画が含まれるかどうかは不明)が、残されています。
a0212807_15542077.jpg‘踊り子(バレリーナ)’の絵で有名なフランスの画家ドガ(1834~1919 ゴッホと同時代)にも春画の影響が、感じられ版画(モノタイプ))で娼婦たちの露わな姿を描いています。
浮世絵や春画のコレクターでもあった天才ピカソ(こちら)は、晩年、春画に影響を受けた版画作品347点(エロチカ・シリーズ)を制作しています。
男女の性器を大きく“デフォルメ”して表現する春画の発想は、ヨーロッパの伝統的な写実技法を学んできた画家やヨーロッパの写実絵画に慣れ親しんだ人びとに衝撃(ショックとインパクト)を与え、西洋絵画の根幹(美意識)をa0212807_165345.jpg大きく変えました。
浮世絵(と春画)は、印象派・キュビズム・フォービズム・アールヌーヴォーなどその後、世界の美術に大きな影響を与える潮流を生みだしました。
絵画芸術に大きな影響を与えた浮世絵(と春画)なのになんで‥‘春画、日本美術における性と喜び展’が、日本で開催されないのか私には、理解できません。
そこまで日本の美術館(キュレーター)は、退化したのか、とほとほと情けなく悲しくなってしまいます。
日本映倫の‘陰毛ボカシ’も同じこと、成人なら誰にでもある自然な身体の一部である陰毛を隠さなければならa0212807_1654492.jpgないのか‥私は、「猥褻(卑猥)は、猥褻(卑猥)と思う人の心の中にある」と思っています。
(備 考)
拙ブログに掲載した春画は、あえて性器の誇張のない絵を選びました。
Googleで ‘枕絵+画像’と検索すれば、インパクトのある本物の春画をご覧いただけます。
by blues_rock | 2015-06-11 00:01 | 社会/歴史/思想 | Comments(2)
こうしてコロンブスは、アメリカという新大陸(彼はそこを‘インド’と思っていた)を支配、強奪した金・銀・真珠などの財宝と多数の奴隷(先住民)を連れ帰り国王に献上しました。(当然10%は、コロンブスの取り分です。)
歴史の真実は、コロンブスが、アメリカ大陸を最初に発見したわけではありません。
a0212807_17123279.jpgコロンブスが、新大陸アメリカを発見したというのは、ヨーロッパの歴史であって、当時すでにモンゴロイド系アジア人(後にインデイアンと総称される原住民)や海洋民族ポリネシア人の子孫が、すでに北アメリカ大陸に定住し生活していました。
さらにコロンブスの発見より実に500年も前、アイスランドに住むノルマンバイキングの子孫、レイフ・エリクソン(970~1020)が、グリーンランドを発見し、その対岸にあるアメリカ大陸(カナダのバフィン島のこと、ちなみにその南は、現ケベック州)にも足を延ばしていました。
a0212807_1728525.gifカナダの遺跡から当時航海に使用していたバイキングの木造船や住居用と推察される鉄釘などの鉄製品が、数多く発見されており、これこそ間違いない歴史上の真実(新発見の事実)と思います。
コロンブスより 9才若いポルトガル人のヴァスコ・ダ・ガマは、貿易風によりアフリカ最南端の喜望峰を経て東へ回るインド航路を発見、ポルトガルのインド洋支配に貢献しました。
ヴァスコ・ダ・ガマは、1498年インド大陸の西海岸に位置する良港ゴアをポルトガル王国のインド洋支配と貿易のa0212807_17472489.jpg拠点にしました。
日本の歴史では、1549年日本で初めてキリスト教を布教した宣教師として有名なフランシスコ・ザビエル(1506~1552 キリスト教カトリック・イエズス会創設メンバー)は、このゴアを拠点に、インド・日本・中国でキリスト教の布教をしています。(下図参照:中世日本の異文化交流)
ヴァスコ・ダ・ガマが、ゴア他いくつかインド大陸の良港をポルトガル領の貿易港(植民地)にしてから以来500年(正確には1974年までのなんと476年間)、インド洋でのポルトガルの国益(利権)に大いに貢献、インド大陸周辺諸国や香料諸島(インドネシアのモルッカ諸島)から胡椒・丁子・生姜など大量の香辛料を持ちかえり莫大な富を手にしました。
この功績によりヴァスコ・ダ・ガマは、ポルトガル国王から‘終身インド艦隊総司令官の地位’と‘伯爵の称号’を
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与えられました。
コロンブスに遅れること30年、ポルトガル人のマゼランの指揮したスペイン艦隊は、西回りで南アメリカ最南端(パタゴニア)の危険な海峡(現マゼラン海峡)から太平洋に出て、インドの香料諸島(現インドネシア)に向かうa0212807_175248100.gifという 3年に亘る世界一周大航海を成し遂げましたが、艦隊の総指揮官マゼランは、現在のフィリピン、セブ島で先住民との戦いで負傷、死亡しました。
コロンブス、ヴァスコ・ダ・ガマ、マゼラン、三者三様の生涯ながら前人未到の偉業を成し遂げた英雄か、それとも地球的規模で押し込み強盗を働いた希代の悪党か‥私は、歴史を学ぶ後世の人たちの史観に委ねられていると思います。
by blues_rock | 2015-04-28 00:08 | 社会/歴史/思想 | Comments(0)
歴史とは、おもしろいもの、残酷なものです。
人類の歴史は、「勝者(支配者)の歴史」ながら、その裏に同じ数の「敗者(服従者)の歴史」つまり歴史の真実a0212807_14354065.jpg(本当の歴史)が、あると私は、考えています。
後世の歴史家たちが、“大航海時代”と呼ぶ15世紀から16世紀に活躍した航海士(探検家)といえば、コロンブス(1451~1506没、享年55才 イタリア人 右肖像画)、ヴァスコ・ダ・ガマ(1460~1524没、享年64才 ポルトガル人 下肖像画 )、マゼラン(1480~1521没、享年41才 ポルトガル人)の3人は、あまりに有名です。
この世界史に残る3人のカリスマ航海士(探検家)は、その「稀有な才覚」と「無謀な勇気」さらに「異文明の破壊」によって世界の地図を大きく変えました。
a0212807_1437795.png当時の日本に時間軸をスライドすると室町時代後期から戦国時代に当たり東アジアの海は、足利幕府(配下の御用商人)だけが特権をもつ朱印船貿易(中国明朝)の時代、幕府の目の届かない地方の戦国大名(とくに九州の豪族たち)は、倭寇(日本人海賊)を密かに庇護し、明との密貿易や中国大陸・朝鮮半島の沿岸部への海賊行為で財政を賄っていました。
コロンブス、ヴァスコ・ダ・ガマ、マゼランの3人は、今でこそ世界史(=西洋史)に未知の新大陸を発見した偉大なる航海士、アジアへの新海洋航路を発見した‘英雄(大冒険家)’として、その名を残していますが、歴史の表舞台の裏には、‘悪党(征服者・虐殺者・略奪者)’の顔をもっていました。
当時、ヨーロッパを支配した絶対王政下の専制君主と密約(利益分配のスポンサー契約)を結び、自分の艦隊にスポンサー国王の軍隊を同行、上陸した先々には、先住民が居住するにも拘わらず新たに発見
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した未開の新大陸として領有を宣言、私利私欲の利益のために‥例えば、アメリカ大陸(北・中央・南のすべて)、インド、フィリピン諸島など東南アジア、カリブ海諸島に上陸するとすぐに征服・虐殺・略奪を行ないスポンa0212807_14424113.gifサー国王の植民地として武力による軍事支配をしました。
コロンブスは、イタリア人(ジェノヴァ出身の探検家・航海士・奴隷商人)ですが、ポルトガル語・スペイン語を習得すると当時交易のあったポルトガルのリスボンに向かい国王ジョアンⅡ世に謁見、海洋によるインドへの航海を提案、航海で得た利益10%の成功報酬(自分の取り分)を拒否されるとスペインに向かいました。
スペイン女王イサベル1世に謁見、同郷のジェノヴァ人探検家マルコ・ポーロ(1254~1324)の「東方見聞録」に
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記された黄金の国「ジパング」(日本)をめざす大航海を提案しスペインから大西洋を‘西回り’に航海する契約(=サンタフェ契約)‥つまり、1.発見した土地の終身提督となり地位は、コロンブスに相続権があること
a0212807_17423592.jpg2.発見した土地の統治者(副王および総督)は、コロンブスの推挙した者を選ぶこと
3.提督領から得られるすべての利益の10%は、コロンブスの取り分とすること
4.提督領の交易において生じた紛争は、コロンブスが裁判権を持つこと‥などを結びました。
当時の覇権国家スペインの国王に、この条件を認めさせサインさせたのですから‘恐るべき男、コロンブス’です。 (後編に続く)
by blues_rock | 2015-04-27 00:30 | 社会/歴史/思想 | Comments(0)
a0212807_23344747.jpg日本にも‘真っ当なジャーナリスト’がいたと私をうれしくさせてくれるのが、フリーランス・ジャーナリストの池上彰さん(1950~)です。
私が、池上彰さんを初めて知ったのは、NHK総合TVの子供向けニュース番組「週刊こどもニュース」(1994年~)のお父さん役で、その週一週間の主なニュースを子供に分かるよう話す役割でした。
今に思えば、ニュース(事件や話題)の重要なポイントやニュースの背景を分かりやすく解説(コメント)する“ジャーナリスト池上彰スタイル”は、この時すでに確立されていたように思います。
「週刊こどもニュース」は、その分かりやすい解説(コメント)から意外や意外、中高年以上の高齢者層にも人気がありました。
池上彰さんが、尊敬する人は、ポーランド生まれのユダヤ人女性社会改革家ローザ・ルクセンブルク(1871~1919暗殺、享年48才)だそうです。
ローザ・ルクセンブルクは、「自由とは常に思想を異にする者のための自由である」と言論の自由を主張し「両側から燃え尽きるロウソクでありたい」という言葉を残しています。
a0212807_2335887.gifちなみに、ローザ・ルクセンブルクは、ロシア革命当初から武力革命と指導者レーニンの主張する中央集権によるボリシェヴィキ(後のソ連共産党)を激しく批判、ボリシェヴィキは、新たな独裁を生むだろうと予言、69年後に終焉を迎えたソ連共産党一党独裁国家を予見しました。(中国共産党も‘時間の問題’ですね‥。)
池上彰さんの秀でたバランス感覚は、長年のジャーナリスト活動で培われた「公平(フェア)」というスタンスにあると思います。
そのためジャーナリストとして‘イヤな仕事は受けない’のだとか、メディア(マスコミ)が「国益」を言い始めたらオシマイという彼の話も頷けます。
池上彰さんの真骨頂は、生中継のインタビューにも顕われ、自らの意見を言わず生中継の最後5秒前くらいに首相や各省大臣・政治家に重要かつデリケートな核心に迫る質問をして相手に一言答えさせる技術にあります。
質問(インタビュー)への回答が、「はい」、「いいえ」でも「…(無言・ノーコメント)」でも良いのです。
カメラの映像は、相手の顔(の表情)をアップでとらえていますので、それを見ている視聴者が、相手の回答を本当か、ウソか‥何を思考しているか、各人自由に理解し想像すれば良いのです。 (下図:かって世界七つの海を支配したイギリス‘大英帝国’の三枚舌外交)
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昨年、池上彰さんは、朝日新聞(8月29日版)が、自分のコラム「新聞ななめ読み」の記事「朝日新聞は、慰安婦問題の捏造記事について謝罪すべきだ」の不掲載を通知してきたことに抗議し朝日新聞の姿勢を糾弾、これ以
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降同紙のコラム執筆を拒否しました。
朝日新聞は、これについて紙面で謝罪、池上彰さんのコラムを掲載しました。
a0212807_23364631.jpgところで、これまで多くの日本人は、‘石油危機’の時だけ関心をもった遠い世界の「アラブとイスラム」の問題が、私たちの身近な存在になってきました。
私は、時おり拙ブログで、たとえば、「映画‘シリアナ’にアラブ世界の今日を見る」(こちら)や「地政学的 シリア(前編・後編)」(こちら)などで「アラブとイスラム」のことについて触れてきました。
これまでいろいろな「アラブとイスラム」の歴史、複雑に絡み合う民族紛争とイスラム宗派の対立、国益のエゴが絡む地政学的リスクについてのコラムやサイト記事を読みましたが、池上彰さんの「池上彰が紐解く、アラブの今と未来」くらい分かりやすく明晰な記事は、他に見当たりませんのでご参考までに紹介いたします。
第1章 まずはアラブ世界とイスラム世界と中東の違いを整理しましょう
第2章 キリスト教は、言わばユダヤ教の改革版
第3章 イスラム教は、ユダヤ教とキリスト教の流れを汲む
第4章 イスラム世界のスンニ派とシーア派が対立する理由
第5章 中東問題とは?
第6章 イギリスの三枚舌外交がアラブ世界をごちゃごちゃにした
第7章 本当にFacebookがジャスミン革命を引き起こしたのか?
第8章 アラブ世界に広まる民主主義のジレンマ
by blues_rock | 2015-02-18 01:08 | 社会/歴史/思想 | Comments(0)
平安時代1019年、満州族の女真が、対馬・壱岐・松浦・大宰府を襲った「刀伊の入寇」は、後の‘元寇’ほど歴史的に知られていませんが、紛れもなく古代中国の日本侵略でした。
a0212807_015054.jpg鎌倉時代になり1274年と1281年の二度に亘り、元朝の中国が、日本を征服するため侵略(後に‘元寇’と呼ぶ元の襲来です こちら)しましたが、失敗しました。
14世紀、南北朝から室町時代は、明朝中国と「朱印船貿易」による交易で賑わい日中の交流も盛んになりました。
幕府が、認めた「朱印船貿易」以外、勝手に密貿易を行なう倭寇(わこう、日本人の海賊)が、東シナ海を自由に往来し中国沿海州、高麗朝鮮に侵入、村々を破壊して略奪行為の蛮行に及んだのもこの時代です。
当時元朝中国の支配下(元の朝貢国)にあった高麗朝鮮を元の武官(高麗駐在武官)李成桂(1335~1408 満州女真族 上絵図)が、高麗朝鮮王朝をa0212807_0224831.jpg滅ぼし1392年、500年余の長きに亘る李氏朝鮮王朝を朝鮮半島で樹立しました。
その支配は、日本が、1910年に韓国併合するまで518年続きました。
その間、豊臣秀吉が、明朝征服(唐入り)を目論んだ二度の(1952年と1958年)朝鮮出兵もありましたが、この時代以降の中国、朝鮮と日本との三国間の出来事は、多くの歴史書に記述されていますので割愛したいと思います。
いずれにしても東アジアで中国・朝鮮・日本が、隣国同士であることは、巨大隕石の地球激突による大きな地殻変動がない限りどうにもならないことで、人間のチカラでは、未来永劫決して変えられない現実です。
博多に暮らし、天神界隈をブラ付いていると大勢の中国・韓国の若者たちによく出遭います。(こちら
彼らの明るく屈託のない笑顔を見ていると不幸な戦争が、続く東アジアの歴史にピリオド(終止符)を打つ絶好の機会とつくづく思います。
過って日本には、中国清王朝の専制体制に抑圧された庶民、疲弊した封建社会の底辺で貧困に苦しむ人民をa0212807_0234595.jpg解放しようと蜂起した孫文ほか中国革命のリーダーたちを物心両面で支援した日本人が、少なからずいたことを中国の若い人たちに知ってもらいたいと思います。(こちら
私の夢か、妄想か、私は、ユーラシア大陸東の地、東アジア一帯から愚かな偏見、狭量なナショナリズム、覇権による横暴、領土紛争(最悪なのは戦争)が、永遠になくなることを心から願っています。
(上写真 : 連日中国人始め多くの外国人を乗せ博多港に入港する10万㌧超級の大型クルーズ客船)
by blues_rock | 2014-12-27 00:07 | 社会/歴史/思想 | Comments(0)
相変わらず何かとイザコザの絶えない中国と日本ですが、いつぞや日本経済新聞で中国の国家主席と日本の首相との’イヤイヤ握手’写真を見て二人とも大変だなあ‥と思いました。
a0212807_21592085.jpg日本の首相の笑顔は、強張(こわば)っていて、中国の国家主席たるやソッポ向いて素っ気ない顔していました。
お互い国内メディア向け(ニュース写真用)のポーズとはいえ、その表情から国益のためキライな相手と握手しなければならない日本国首相と東アジアで唯一思うようにならない日本にイラ立つ中国共産党総書記(国家主席)、二人の心中が、透けて見えなかなかおもしろい写真でした。
12月14日総選挙(衆議院議員選挙)の前日、その首相が、党首として率いる自民党政権の圧勝予想に慌てたa0212807_2255456.pnga0212807_22457.pngのか、現中国政権の最高権力者(国家主席)が、12月13日南京市で1937年の南京事件に触れ、これまでの強面(こわもて)ぶりを少しトーンダウンして「中国と日本の両国民は、代々にわたり友好を続けなければならない。少数の軍国主義者が、起こした侵略戦争によって、その民族(日本国民)を敵視すべきでない。」と‘有権者(日本国民)’へ日本政府の中国政策に反対するようメッセージしました。
強面(こわもて)が、ウリの国家主席による懐柔パフォーマンスも時すでに遅く不発、下馬評通り自民党の圧勝に貢献した最大の功労者は、‘棄権した50%の有権者’と皮肉なことに‘歴史の墓を掘り起こし日本攻撃した中国と韓国の両政府’で、今ある日本の平和と安寧をこれからも維持しようとする日本国民の不快感を刺激しました。
a0212807_7125083.jpgいまや朝鮮半島をほぼ手中に収めた覇権国家の中国ですが、その朝鮮半島の向こうにある環太平洋の列島、眼目(がんもく)の日本国が、中国のライバル覇権国アメリカと軍事同盟を結び、中国(共産党)を袖(ソデ)にすることに怒り心頭なのを少し抑える作戦なのかもれません。 (1887年フランス人画家ビゴーの風刺画 : 朝鮮半島を獲ろうとする中国と日本、横どりを狙うロシア)
a0212807_2220795.png朝鮮半島38度線以北の北朝鮮は、歴史に鑑みても古代から今に至る中国の朝貢国ですから三代目に少し手を焼いているようですが、中国には赤子の手を捻るようなものノープロブレムでしょう。
朝鮮戦争休戦ライン(38度線)の南、韓国女性大統領は、半島の歴史をご存じないと見え、やたら親中国なので現中国政権にとっa0212807_7343899.jpgて飛んで火に入る夏の虫のようなものです。
古代中国は、3世紀(280年頃)の「魏志倭人伝」を見ても分かるとおり、倭国(古代日本)を魏の朝貢国(中国を宗主国とする属国)と見下した外交政策をとり、一方7世紀の遣隋使(600~618、5回派遣)、7~9世紀の遣唐使(630~200年続き推定20回派遣)では、大和朝廷の勅書(‘日昇る国’の天皇から‘日沈む国’の帝へ臣下扱いの手紙)を帯同、その時の中国王朝は、この受取りを拒否しています。(へ続く)
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参考1 (上写真2枚) : 決死の覚悟で東シナ海を渡った遣隋使(遣唐使) 船/ 1日数便、博多と釜山を往復する
     JR高速船ビートル(片道2時間55分、往復5,000円)
参考2 : 7世紀(663年)朝鮮半島白村江(はくすきのえ)の戦い⇒こちら
by blues_rock | 2014-12-25 00:25 | 社会/歴史/思想 | Comments(0)