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心の時空

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a day in my life

カテゴリ:人生/愛(Love)( 38 )

a0212807_23201442.jpg日本経済新聞朝刊の文化欄に「永遠の愛マザー・テレサ」と題した記事が、以前掲載されました。
カルカッタ(インド)で、死に逝く路上生活者を救済する「死を待つ人の家」を主宰し、児童養護施設の運営、ハンセン病患者救済活動などマザー・テレサ(1910~1997享年87才)の弱者貧民への無私献身活動を記録し続けた日本人映画監督の記事でした。
私は、無宗教・無信心なので、彼女の信仰や宗教についての詳しいことは分かりませんが、キリスト教カトリックの修道女で1979年度ノーベル平和賞受賞者であることは知っています。
新聞の記事には‥「死を待つ人の家」には、瀕死の路上生活者が、毎日運び込まれ、シスターたちが、一人ずつ面倒をみる。ほどなく彼らは亡くなっていく。「無駄ではないか」との思いがよぎった。だがマザーは言う。「人間にとって最大の不幸は、必要とされないこと。あなたは必要な人であり、望まれて生まれた。生きてきてよかったと思ってほしい。それを伝えたいのだ。」と、ありました。
ヒンズー教の国インドで国葬されるのは、大統領・首相だけですが、異教徒であるカトリック修道女マザー・テレサも国葬されました。
a0212807_2321316.jpg彼女の葬儀には、宗教の壁を超えてインドは言うに及ばず、世界の各宗教の代表者が参列しました。
マザー・テレサの愛の容(かたち)が、多くの人たちから信頼され、宗教・思想・民族を超え広く敬愛されていたことが分かります。
マザー・テレサに「あなたのように影響力のある方が、戦争反対となぜ声をあげないのですか?」と質問した人がいました。
その質問にマザー・テレサは「私は戦争反対という活動には、参加しません。しかし、平和賛成という活動には、喜んで参加しますから、いつでも声をかけてください。」と答えられたそうです。
隣人への笑顔が、平和をつくるのだとも彼女は語っています。
平和賛成の活動‥凡人の私にもできそうな気がいたします。
by blues_rock | 2012-01-05 00:03 | 人生/愛(Love) | Comments(0)
忌野清志郎の曲「トランジスターラジオ」を聴いていたら、私のラジオデイズ‥ラジオ部品が、真空管(~鉱石)~トランジスター~ITチップへと進化していった時代、ラジオから流れていた当時の音楽を懐かしく思い出しました。
a0212807_0545937.jpg10月12日ブログ「真空管ラジオ・アワー‥ウシュクダラ」の続きとして読んでいただけると幸いです。
子供のころ好きな音楽を聴こうと思ったら、木箱の真空管ラジオのスイッチを入れ、真空管が温まるのをじっと待ち、ピィー‥ガガッー‥のノイズが聞えたら、丸いツマミを回しながらラジオ局の周波数を探し出し、音を合わせて耳を傾ける以外に方法はありませんでした。
NHK第一ラジオの周波数を拾い合わせると‥♪朝はどこから来るかしら、‥とか‥♪緑の丘の赤い屋根‥など敗戦を引きずる暗い世相にあって明るくふるまう歌ばかりが、流れていました。
a0212807_0553342.jpg占領軍局(FEN)に周波数を変えると、ビックバンドのスイング・ジャズが流れ‥♪デーオ、デーオ、イテデーオ‥♪ショーショーショージョジ‥♪ユエン、ナシンバラ、ハウンドッグなどの英語の歌が聴こえてきて、それまで聴いたことのない音楽を聴くトキメキがありました。
いつしか巷のラジオは、つまらない歌謡番組が氾濫し、没個性の歌謡曲や洋楽ポップスのカバー曲(粗末な訳詩とヘタな歌手が歌う)が、いつも流れていました。
当時小学生でしたが、双子の女性デュオ、ザ・ピーナッツが好きで、ハーモニーの良さと歌の上手さは、子供の耳にも分かりました。
すぐに真空管ラジオから鉱石ラジオ‥トランジスター(携帯)ラジオへ進化し、オリジナルの洋楽ポップスや初期ロックンロールが聴けるようになるとザ・ピーナッツの歌もいつの間にか聴かなくなりました。
正しく、故忌野清志郎の名曲「トランジスターラジオ」のような少年時代でした。
歌詞にあるような光景‥彼女と校舎の屋上でデートしたり、タバコを吸ったりはありませんでしたが、確かに必死でリバプールに‥ビートルズやマージービートに、周波数を合わせたことは確かでした。
a0212807_056814.jpgあれから半世紀あまり、ザ・ピーナッツのベスト盤CDを聴いていると遠い昔‥昭和30年代の貧しかった日本の暮らしを懐い出しました。
今、街にはあらゆる物が溢れ、欲しいものはいつでも手に入り、安易に欲望は満たされるのに、なんと人々の表情の暗く険しいことか‥心を閉ざしたエゴだけが氾濫し、そのくせ孤独に怯え、自分の不安・不満・不幸を他人のせいにする幼稚な若者たち、そして彼らの親たちの未熟さ、偏狭さ、自己責任のなさ‥ラジオは、デジタル電波で届き、数多くのAM・FM放送局からワンタッチで選局できるようになり、アナログ(真空管)からデジタル(半導体)へ急速に進化しましたが、それと逆行するように日本人は、繁栄の虚構と精神の貧困という現実に、向き合うことになりました。
人間の心は、いつもアナログ‥お互いの心の周波数を探し波動をキャッチしなければ、相手の心が奏でる音楽は、決して聴こえないでしょう。
by blues_rock | 2011-12-16 20:53 | 人生/愛(Love) | Comments(0)
人間は、ダレも奇跡的な偶然から産まれ‥死ぬまでの数十年間、愛し合い憎しみ合い、喜び笑い、時に苦しみ泣きながら生きて‥やがて死期を迎えます。
これだけは、すべての人間に「絶対平等」に与えられ、一人の例外もありません。
古代の権力者・支配者は、自分の永遠の命を求めてミイラになりました。
ミイラの何体かは、後年発掘され博物館で展示されていますが、その価値は考古学的な意味があるくらいで人間の干物が、美しいはずもありません。
黄金の城をもつ王たちもまた、不老長寿を願い、ありとあらゆる努力をしましたが、生き永らえた王は一人もいませんでした。
近代でも独裁者の遺体を防腐加工し、永久保存しようとしていますが、これも愚劣でおぞましく醜悪な趣味といえるでしょう。
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人間ダレもアタマでは、自分もいずれ老いて死ぬのだと分かっていても、いま自分をとりまく現実の不安や不満、恐怖からは、逃れられずに苦しみ悩みます。
拝金(カネ)と虚栄(ミエ)が、氾濫する競争社会では、勝ち組・負け組といった薄っぺらな関係しか存在せず、正直な人ほどストレスで鬱(うつ)になるのも分かります。
いま鬱(うつ)で苦しむ人たちも、子供の頃はきっと天真爛漫で、夜になると明日が待ち遠しく、今日の出来事などすぐに忘れていたと思います。
自意識に縛られるようになり、自信を失くしたり神経が衰弱したりすると、鬱(うつ)といわれる状態になっていきます。
本来人の心には、常に喜怒哀楽の感性があり、それは変幻自在に移ろうもの、それが精神の姿ですが、故障してしまうとどうなるのか‥きっと苦しいだろうと想像します。
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鬱(うつ)病と診断された人の性格は、真面目で正直・潔癖・几帳面・完全主義などの傾向があるので、エゴイズムが蔓延し、閉塞した人間関係の中では、息もできなくなるのかもしれません。
そんな世の中に自信を失くし、自分の心を傷つけ、悶々としてベッドから起き上がれないほど神経を痛めているのでしょう。
そんな自分がイヤで、さらに自分を責め、憔悴(しょうそう)し、いよいよ身動きとれなくなるのです。
私も時に、神経が疲労し精神に穴があいてウツウツしている時もありますが、自分の気分に折り合いを付け、普段の生活をするようにしています。
そんな時は、自分に‥今日(こんにち)ただいま、正になすべきを熱心になせ、と呪文のように唱えながら「鬱(うつ)でええやん」と無ざまに不恰好(ぶかっこう)に‥あるがままに暮らしています。
by blues_rock | 2011-12-07 00:22 | 人生/愛(Love) | Comments(0)
西行の中宮璋子(たまこ)への悲恋物語のエピロークです。

 吉野山
   去年(こぞ)の枝折(しお)りの
     道かへて
  まだ見ぬかたの
    花をたずねむ (西行)

西行は、18才の頃佐藤義清(のりきよ)と名のり、北面武士(ほくめんのぶし:白河法皇創設の御所警護役)として院の御所を警護していました。
まだ10代の若い武士佐藤義清(西行)は、御所の御簾(すだれ)越しに、時おり垣間見る30代半ばの待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)に気が狂わんばかりの恋をしました。
その頃の璋子は、鳥羽上皇の中宮にして白河法皇の愛妾でしたから、その身分の差は天と地ほどで禁断の恋以外の何ものでもありませんでした。
若い恋は、禁断であればあるほど心を熱くします。
10代後半の身分の低いボディガードの青年が、主人であるアラフォー前の色香漂う高貴な女性(中宮)に横恋慕し、ラブレター(和歌)を書き続けました。
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早熟で少女時代から恋多き璋子は、17才年下の西行の一途な恋の情に絆(ほだ)され一夜の契り(‥たぶん)を結びました。
そして恋愛に手練れ多情な璋子は、その後も自分に恋焦がれる若い西行に「あこぎ」と歌を返しました。
当時「あこぎ(阿漕)」とは「しつこい・あつかましい・図々しい」という意味でした。
ここまでくると‥シリアスな恋愛映画のシナリオが一本書けそうな気がします。
待賢門院璋子を恋慕い続けること数年、北面武士の佐藤義清はついに23歳のとき出家しました。
仏に仕え、西行と名を変え、畿内山中の草庵で璋子への思慕(失恋)と花鳥風月の情景に自分の心(もののあわれ・わびさび)を託して、数多くのすぐれた歌を詠みました。
しかしこの歌からは、西行の心の変化を感じ取ることができます。
どんな恋にも、終わりはあるものです。
by blues_rock | 2011-07-27 23:29 | 人生/愛(Love) | Comments(0)
西行(1118~1190没72才)といえば
願はくは / 花の下にて / 春死なん / そのきさらぎの / 望月のころ
と桜を詠んだ歌が、有名な平安時代末期の歌人です。
西行の歌が、好きで、書籍・雑誌・新聞記事などで西行の名を見つけるとつい読んでしまいます。
先日「良寛と貞心尼‥恋愛のかたち」で良寛の恋愛について書きました。
西行も待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ1101~1145没44才)への叶わぬ恋の物語(悲恋)がありました。
a0212807_10473073.jpg西行と待賢門院璋子とは、17才の年の差がありましたが、西行は17才も年上の中宮(皇后)璋子に恋こがれ、想い叶わぬと知ると出家し、それでも彼女が亡くなるまで慕い続けました。
西行は出家しても、中宮璋子の居る京の都から離れられず、京に近い畿内の山中で草庵をあみ、叶わぬ恋の寂しさ、哀しさを歌にして詠みました。
璋子は、皇后ながら宮中内外の男性たちと自由奔放な恋愛をしていたようで、ずっと年下の若い西行もその一人でした。
当時の西行は、出家前で北面武士(ほくめんのぶし:御所の警護役)でした。
史料文献によると、幼い頃から自由奔放であった中宮璋子は、宮中でも何かと艶聞(えんぶん)の絶えない女性だったようで(西行の場合たぶん)‥璋子は、自分を恋慕う17才年下の類まれな歌の才能をもつ若者(西行)に興味をもち、一度は西行を受け入れたものの、すぐに飽きてポイ捨てしたのだろうと思います。
失恋した若い西行は、山中の庵でひとり璋子への切ない想いを歌に託して詠みました。
待賢門院璋子は、藤原名の幼女のころから48才年上の白河法皇(1053~1129没76才)に可愛がられ、法皇が添い寝するほど寵愛されていました。
平安時代公家の世界では、自由恋愛は普通の習慣でしたが、それでも還暦過ぎの老人と十代の少女が、褥(しとね、ベッド)を一つにする仲睦まじさは、傍目(はため)に普通ではなかったことでしょう。
璋子は、幼少より相当わがままで早熟な少女だったようです。
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白河法皇は、16才になった藤原璋子(当時)を自分の孫である鳥羽天皇(1103~1156没53才)の中宮(皇后)にしました。
23才で待賢門院となるまでの7年間に、璋子は鳥羽天皇との間に5男(親王)2女(内親王)の子供を産みました。(7年に7人の子供はすごい!の一言です。)
鳥羽上皇は、わが子である崇徳天皇(1119~1164没45才)を白河法皇と璋子が、密通して生まれた子と疑っていましたので、崇徳天皇を「叔父子(おじご祖父の子供)」と呼んで遠ざけ忌み嫌ったそうです。
やがて鳥羽上皇は、次第に璋子を遠ざけ、美貌の誉れ高い藤原得子(なりこ:美福門院得子1117~1160没43才)を皇后に迎え寵愛しました。a0212807_10565286.jpg
鳥羽上皇は法皇となり、嫌いな崇徳天皇を無理矢理退位させ、得子との間に生まれた親王を2歳で天皇(近衛天皇)にしますが、16歳で亡くなりました。
璋子の夫である鳥羽法皇と崇徳上皇(璋子と白河法皇との子)は、近衛天皇の後継皇位をめぐって激しく対立し「保元の乱」という内戦が発生しました。
その政変で璋子(と鳥羽上皇)の4男親王であった後白河(1127~1192没65才)に白羽の矢が立ち、後白河が後継天皇として即位しました。
朝廷を二分する内戦にまで至った天皇の皇位継承争いが、すべて璋子の血縁者により行われたのは非常に興味深いことです。
璋子の4番目の親王であった後白河は、自分に天皇の皇位継承が回ってくるなど予想しておらず、4男坊親王の気楽さで昼夜「今様(流行歌)」に熱中し、放蕩三昧の暮らしをしていました。a0212807_1057401.jpg
しかし後白河は、天皇在位3年・法皇34年計37年という長い期間、朝廷の中枢にあって宮中の公家を上手く使い、新興豪族の関東武士集団には、朝廷の権威(官位)と権勢(勅令)を駆使しながら見事な政治的才能を発揮しました。
中世の歴史にその名を残す豪族武力軍勢のリーダーたち‥平家の「平清盛」、源氏の「源頼朝」・「源義経」、地方豪族の「木曽義仲」などに朝廷の威光(権威)を示しながら、官位と勅令の乱発で牽制し従属させました。
平家vs源氏、頼朝vs義経とを対立させ、朝廷の権威でお互いを煽り戦わせた老練な政治的センスは、後白河法皇が朝廷史上ナンバーワンだと私は思います。
西行の恋愛について書くつもりでしたが、西行の悲恋の相手であった「待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)」という女性の波乱万丈の人生の物語になってしまいました。
恋に身を焦がし、京の山中を彷徨った西行に比べ、老いたその晩年に「貞心尼」のような健気(けなげ)で純真な女性に介護され看取られたた良寛は、幸せな人だったと思います。
西行と璋子については、「西行と璋子(たまこ)‥長い余話(六話シリーズ)」で二人の人生と時代背景を詳しく書いていますのでご関心あれば、続けてご覧ください。
by blues_rock | 2011-07-23 10:57 | 人生/愛(Love) | Comments(0)
昨日「夢の傷痕(あと)」を書きながら‥その昔見た映画のラストシーンを憶い出しました。
1974年に公開されたスウェーデンの映画「ある結婚の風景」です。
監督は、20世紀を代表する世界的な名匠イングマル・ベルイマン(1918~2007)で長編映画(2時間48分)ながら見ごたえある秀作でした。
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映画「ある結婚の風景」のオリジナル版は、スウェーデンTVのドラマとして制作された作品で5夜連続全5時間の長編ドラマでした。
ドラマは“延々と続く夫婦げんか”‥激しい口論の末にお互いつかみ合い殴りあう中年夫婦の諍(いさか)い合うストーリーでした。
こんな他愛のない犬も喰わない夫婦ゲンカ物語を5夜連続の5時間ドラマとしてTVで放送したらスウェーデンでは、相当の高視聴率だったそうです。
1960年~1970年代のスウェーデンは、フリーセックス(福祉社会の自由な思想がそう誤解されていた)の国と思われていましたが、当時からすでに成熟した大人の社会(成人の男・女が均等な社会)だったのです。
私は、TV・映画ともに見ましたが、いやいやズシリと心に応えました。
映画は、ベルイマン監督がTVドラマ用に撮影したフィルムを劇場用に編集カットし、長編の秀作映画に仕上げました。a0212807_2424543.jpg
まるで実の夫婦のようなリブ・ウルマン(妻の役)とエルランド・ヨセフソン(夫の役)の演技がすばらしく、夫婦ゲンカの感情むき出しのリアルな演技にじっと見入りました。
映画の夫婦には、娘二人がいて四人家族‥平和で満ちたりた幸福な家庭生活を送っていました。
ある日、このオシドリ夫妻の家族は模範的な家庭として地元新聞の取材を受けました。
その新聞記事を見た夫妻は「自分たち夫婦のあまりのつまらなさ」に愕然としました。
やがて夫婦の間に次第に亀裂が生じていきました。
ベルイマン監督は「神の存在と沈黙」・「愛と憎しみ」・「生と死」など、人間の根源に迫る主題で映画を撮り続けた名映画監督でした。
「ある結婚の風景」では≪結婚≫を忍耐・惰性・諦め・孤独などヒリヒリするような痛みをともなう切り口で鮮烈な映像にしました。
夫婦二人それぞれに、個(ひとり)の人間の本性(欲望とエゴ)を剥(むき)き出しにさせ、愛(という曖昧な感情)を持続させることの難しさを、ベルイマン哲学としか言いようのない執拗(しつよう)さで、男と女の本性を抉(えぐ)り出しています。
a0212807_2433457.jpg私はこの映画のラストシーンが、忘れられません。
いまでは少し記憶が、曖昧ながら、胸を抉(えくら)られるような思いでした。
映画のストーリーへ話を戻します。
夫婦は、激しい諍(いさか)いの末に、離婚しました。
離婚した二人は、その後いろいろな異性と出会い別れ、やがてそれぞれの新しい伴侶を見つけ再婚しました。
長い歳月が、過ぎたある日、二人は、偶然再会し、いつしかお互いの伴侶に隠れて密かに会うようになりました。
元夫婦ながら、今では、再婚していますので、密かにデート(いわゆる不倫の関係)する後ろめたさを持っていました。
二人は、友人の別荘を借りてベッドをともにしました。
ベッドで抱き合い眠るひと時が、二人の安らぐ時間でした。
彼の胸の中で、彼女は眠っていました。
彼女は、夢を見ていました。a0212807_2453028.jpg
昔のように夫と娘二人、彼女は幸せいっぱいで、家族と山にハイキングに行っていました。
夫と娘二人は楽しそうに、自分を置いてどんどん先に行き、小さな橋を渡った向こうの丘に立っていました。
彼女は、家族の後を追い、小さな橋を渡ろうとした時、下は深い谷であることに気がつきました。
谷の向こうで夫と娘二人は「早くおいで、早く」と手招きしていました。
彼女は、小さな橋を渡ることが怖く、不安でした。
彼女の足はすくみましたが、勇気を出して橋を渡ることにしました。
バランスをとり、少しずつ橋を渡り始めました。
途中まで渡り、もう少し手を伸ばせば、家族の手に届きそうでした。
その時、彼女はバランスを崩し、身体が傾きました。
自分の足元の小さな橋を見ると、丸い木を倒して置いているだけの橋でした。
ああっ、谷底に落ちると咄嗟(とっさ)に、家族の手に捕まろうと彼女は一生懸命手を伸ばしました。
だが‥彼女は、その時初めて自分に両腕がないことに気づきました。
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彼女は、悲鳴をあげ、絶望的な恐怖の夢から覚め、ベッドの上で怯(おび)えて震えていました。
彼は、驚き泣き叫ぶ彼女をやさしく抱いて慰めます。
「悪い夢を見たのだね。大丈夫、ボクはここにいるよ。そばにいるから安心して眠りなさい、大丈夫、ここにいるから‥」とやさしく髪を撫でながら抱いていました。
ここで映画は、終わります。
「ある結婚の風景」のラストシーンこそ、ベルイマン監督が自らの哲学「人間の孤独と愛の本質」について映画を道具に映像表現したものと私は思っています。
by blues_rock | 2011-07-19 02:46 | 人生/愛(Love) | Comments(0)
良寛(1758~1831)については、多くの人が、無欲恬淡で高潔な人柄を語り、有名な作家は、自らの人生の理想として多くの名著を残しています。
良寛は、道元(1200~1253)の「正法眼蔵」を生涯の教えとし、寺を持たず、民衆に仏法を説かず、山里の草庵での座禅と乞食(こつじき)により暮らしました。
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生涯、身を立つるに懶(ものう)く
騰々、天真に任す
嚢中、三升の米
炉辺、一束の薪
誰か問はん、迷悟の跡
何ぞ知らん、名利の塵
夜雨、草庵の裡
双脚、等間に伸ばす
号を「大愚」、揮毫(サイン)には、「南無阿弥陀仏」と書いたそうです。
良寛は、短歌・漢詩・書の達人でしたが‥歌詠みの歌、料理人の料理、書家の書を選ばず、そして好まず、遠ざけていました。
人から書を所望されても筆を取らなかった良寛ですが、子供たちから凧(たこ)に字を書いて欲しいと頼まれると喜んで「天上大風」・「いろは」・「一二三」などすぐに書いてあげたそうです。
晩年の夏目漱石は「則天去私」の心境に至り、禅を求め良寛の書を愛して‥大愚到り難く、志成り難し、と良寛への思慕を強くしています。
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融通無碍で、自由な良寛は、般若湯(酒)も嗜み、乞食で山を下りる時は懐に手マリを入れて日暮れまで子供たちと遊び、マリ突きやかくれんぼをしていました。

この里に/手まりつきつつ/子供らと
遊ぶ春日は/暮れずともよし(良寛)

良寛の歌と書を知り、人柄に感銘を受けた貞心尼は、良寛に弟子なりたいと願い出ます。
良寛70才、貞心尼30才の時です。
貞心尼が会ってくれるよう願い出ても、歌詠みの尼僧である貞心尼に会おうとしなかったので、ついに貞心尼は草庵に良寛を訪ねました。
良寛は不在でしたが、貞心尼は持参した手マリと歌を庵に残して帰ります。
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これぞこの/ほとけの道に/遊びつつ
つくやつきせぬ/みのりなるらむ(貞心尼)

このことがあってから良寛は、貞心尼に興味をもち歌を返します。

つきて見よ/ひふみよいむなや/ここのとを
とをとおさめて/またはじまるを(良寛)

貞心尼は、初めて良寛に会った時の喜びを素直に歌にしています。

きみにかく/あひ見ることの/うれしさも
まださめやらぬ/夢かとぞおもふ(貞心尼)

良寛と貞心尼は、良寛が死ぬまでの数年間、お互いを慈しみ敬愛する恋愛が続きました。

天が下に/みつる玉より/黄金より
春のはじめの/君がおとづれ(良寛)
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良寛の恋の歌に貞心尼は、良寛の恋心を茶化し遊ぶように返します。
墨染法衣姿の良寛が、自分はまるでカラスのようだと笑うと、同じ法衣姿の貞心尼は、ならば自分は子ガラスですと返し笑い合ったことを歌にしました。

鳶はとび/雀はすずめ/鷺はさぎ
烏はからす/何かあやしき(貞心尼)
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村人は、二人の仲を噂し心配しますが、二人は一向に意に介する風ではありませんでした。
二人は、度々会って花鳥風月を愛で、仏を語り、歌を詠みました。
そして良寛は、貞心尼に看取られて亡くなりました。

形見とて/何か残さむ/春は花
夏ほととぎす/秋はもみじ葉
(良寛)

良寛は、貞心尼の愛に心からの感謝をこめた辞世の句を贈りました。


うらを見せ/おもてを見せて/散るもみじ(良寛)
良寛の死後、貞心尼は良寛の旅した跡を追い、良寛の遺した歌を集め「はちすの露」という良寛の歌集を自ら編み、それを生涯肌身離さず持っていたそうです。
by blues_rock | 2011-07-15 22:45 | 人生/愛(Love) | Comments(1)
心という文字は、4つの字画(点)でできています。
人は、“頭で理解し心で動く”と言われます。
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国や組織(企業など)のトップが、如何に理念・理想を語ろうとも聞く側(国民・社員や部下など)に、トップの人柄(品格・知性・情熱)に魅力を感じないと、聞く人たちの心は動きません。
国・組織・会社などが、崩壊していく前兆は、‘面従腹背’‥上司の指示をハイハイと聞きたふりをしながらソッポを向いて、指示に従わず無視し続けるところにあります。
心が動くとは、心が何かに感動している状態のことを言います。
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心が感動すると、自然に頭と体は働き始めますから、心とは不思議な存在です。
心は、人の体のどこにあるのでしょうか?
感動したり感激したりすると人は、胸が熱くなったり、高鳴ったり、胸が締め付けられたりします。
胸が、感動で「ドキドキ」したり高鳴りで「バクバク」したり、興奮で「ハラハラ」したり‥そうそう、恋のトキメキには、「胸がキュン」となったりします。
胸の左にある心臓の鼓動(心拍)を古くから、日本人はそう表現してきました。
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心が動揺して不安な時や心苦しく心配ごとがあるときなど、私たちは心臓のある胸を手でそっと押さえます。
心臓は、4つのパーツ(二つの心室・二つの心房)からできており、心の4つの点は心臓を表しています。
自律神経で活動している心臓を私たちの頭(意思・理性・知性)が、コントロールすることはできません。
心は、常に自由でワガママであり、利己的なものです。
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「分かっちゃいるけど止められない」薬物やアルコールの依存症も心の問題です。
胸さわぎするのも、心が何かを直感しているからでしょう。
私が、意のままにならない私の心に、いつも願うことは4つ‥和み、寛ぎ、安らいで、穏やかな心の状態です。
「和・寛・安・穏‥ワ・カン・アン・ノン」と私の心臓が鼓動してくれる時、きっと私の心も至福に満ちているでしょう。
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白洲正子さんは「ドキドキさせるものだけが美しい」と美意識の源泉を喝破されています。
芸術・自然・恋愛において感動する心の状態を、これ以上的確に表現した言葉は、他にありません。
by blues_rock | 2011-07-05 22:47 | 人生/愛(Love) | Comments(0)