ブログトップ | ログイン

心の時空

yansue.exblog.jp

a day in my life

カテゴリ:詩/短歌/俳句/小説( 34 )

    シリア砂漠の少年 : 井上靖 詩集「北国」より
a0212807_0312752.jpg
シリア砂漠のなかで、羚羊(かもしか)の群れといっしょに生活していた裸体の少年が発見されたと新聞は報じ、その写真を掲げていた。
蓬髪の横顔はなぜか冷たく、時速50マイルを走るという美しい双脚をもつ姿態はふしぎに悲しかった。
知るべきでないものを知り、見るべきでないものを見たような、その時の私の戸惑いはいったいどこからきたものであろうか。
a0212807_032195.jpg
その後飢えかかった老人を見たり、あるいは心傲れる高名な芸術家に会ったりしている時など、私はふとどこか遠くに、その少年の眼を感じることがある。
シリア砂漠の一点を起点とし、羚羊の生態をトレイスし、ゆるやかに泉をまわり、まっすぐに星にまで伸びたその少年の持つ運命の無双の美しさは、言いかえれば、その運命の描 いた純粋絵画的曲線の清冽さは、そんな時いつも、なべて世の人間を一様に不幸に見せるふしぎな悲しみをひたすら放射しているのであった。
by blues_rock | 2012-11-16 00:00 | 詩/短歌/俳句/小説 | Comments(0)
  初恋     島崎藤村a0212807_0204540.jpg

まだあげ初(そ)めし前髪の
林檎(りんご)のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛(はなぐし)の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへ(え)しは
薄紅(うすくれなゐ)の秋の実に
人こひ(い)初めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情(なさけ)に酌(く)みしかな

林檎畑の樹(こ)の下に
おのづ(ず)からなる細道は
誰(た)が踏みそめしかたみぞと
問ひ(い)たまふ(う)こそこひ(い)しけれ
           ◇
こんな初(うぶ)な恋の詩を作った若い島崎藤村(1872 ~1943)でしたが、1912年40才の時に女学校を出たばかりの姪島崎こま子(1893~1978)と恋愛関係になり、こま子が妊娠出産するというスキャンダルを起しました。
a0212807_11581545.jpg島崎藤村は、この恋愛事件から逃れるようにパリに留学しました。
1916年パリ留学から帰国した藤村が、こま子と再会するとまた二人の関係は戻り(焼け木杭に火が点き)ました。
1919年島崎藤村は、姪こま子がモデルの小説「新生」を発表して、こま子と別れました。
島崎こま子は、当時のことを「二人して いとも静かに 燃え居れば 世のものみなは なべて眼を過ぐ」と自分の心情を歌に残しています。
彼女は、詩人で小説家の叔父島崎藤村を本当に愛していたんでしょうね。
晩年のこま子は、いつも和服で、言葉使いが美しく、静かな気品を湛えていたとか、「人間の幸せとは、美しいものを美しいといえる、うれしいことをうれしいといえることでしょうねぇ。」と語っていたそうです。
by blues_rock | 2012-11-15 00:27 | 詩/短歌/俳句/小説 | Comments(0)
        「わたしが一番きれいだったとき」       詩:茨木のり子

a0212807_274739.jpgわたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
a0212807_293184.jpgわたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた
できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのようにね
by blues_rock | 2012-08-08 02:11 | 詩/短歌/俳句/小説 | Comments(0)
        巷に雨の降るごとく
        わが心にも涙ふる
        かくも心ににじみ入る
        このかなしみは何やらん
a0212807_11115532.jpg
        やるせなき心のために
        おお、雨の歌よ
        やさしき雨の響きは
        地上にも屋上にも
a0212807_232649100.jpg
        消えも入りなん心の奥に
        ゆえなきに雨に涙す
        何事ぞ
        裏切りもなきにあらずや
        この喪そのゆえの知られず
a0212807_1112477.jpg
        ゆえしれぬかなしみぞ
        げにこよなくも堪えがたし
        恋もなく恨みもなきに
        わが心かくもかなし     (訳 : 堀口大學)
by blues_rock | 2012-07-07 00:58 | 詩/短歌/俳句/小説 | Comments(0)
私が子供のころ、他人(ひと)のウワサ話を鵜呑みにすると「百聞は一見に如かず」と親は良くお説教しました。
「オマエは自分の目で見たのか?」、「ほんとに自分で確かめたか?」、「その場にいたのか?」など問い詰められ、私が苦し紛れに、いい加減な返事をしてしまうと厳しく叱られました。
a0212807_16565322.jpgそれが、その後の私の性格形成に影響したのか‥他人をあまり信用しない(というか)疑い深い(というか)なんでも自分でしないと気がすまない(というか)少し暗く陰険な性格になりました。
それとの因果関係は分かりませんが、十代半ばの青春期、私の精神形成に内向性ストレスとなり悪い影響を与えたようで「強迫観念症」になりました。
「強迫観念症」とは、不安神経症のことです。
ダレひとり信じてくれませんでしたが‥当時の私は、「森田正馬」精神医学博士(1874~1938)の著書「神経質の本質と療法」をバイブルのごとく肌身離さず読んでいました。
a0212807_17392187.jpgそして体得したのが、森田博士の教え“あるがまま”にでした。
森田博士は、仙厓和尚の「気にいらぬ 風もあろうに 柳かな」を精神のお手本としてしていました。
自分の心に“あるがまま”でいると、時に他人(ひと)の目には“わがまま”に映るようです。
心のあるがままに、のらりくらりしている時など優柔不断に見えるようですが、自分の心の平安が優先します。
まわりの人たちから「変わり者」と見られているかもしれませんが、平気・平気‥“あるがまま”でいるのが精神衛生上一番健康的です。
さて、「百聞は一見に如かず」は、私の価値判断基準のようなもので、物事は自分で実践し経験(体験)することにより人生に本当に必要なものが分かりました。
机上の空論(たわごと)より、現場で体感したことに感動はあり、心が素直に感じるレアリズムをたいせつにしたいと思います。
これからも「わくわくどきどきする心の感動」に素直に殉じて行きたいと思います。
a0212807_17524490.jpg
                     気にいらぬ 風もあろうに 柳かな (仙厓)
ご参考まで
  ○ 森田正馬博士の著書「神経質の本質と療法」については、2012年1月14日「3冊の本」を
  ○ 仙厓和尚については、2011年11月2日「絵の話‥□△○(仙厓)」を ご覧ください。
by blues_rock | 2012-05-12 13:30 | 詩/短歌/俳句/小説 | Comments(0)
今日から卯月(うづき)、福岡市南区の樋井川沿いの桜は、まだ五分咲きです。
私の住まい近くにある花畑園芸公園では、昭和59年(1984年)の開園以来、日々気象観測していますが、今季(ことし)の冬に最低気温氷点下5度(-5℃)を記録、これは開園以来28年の最低気温の記録更新と園芸公園のHPにありました。 (参考:花畑園芸公園はこちら
a0212807_133442.jpgさて、卯月(四月)は、「卯の花」が咲く月(時節)だから、卯月(うづき)と呼ばれたのか、「卯の花」が、卯月(四月)に咲くから「卯の花」と呼ばれたのか、定かではありません。
三月(やよい)の「桜の花」が散ると、四月(うづき)の「卯の花」そして五月(さつき)の「藤の花」と日本人は、移ろう季節の花に心を奪われ多くの歌を詠みました。(上写真:卯の花)
桜と謂われて、私の頭にすぐに浮かぶ和歌三首があります。
a0212807_142362.jpg
願わくは
花の下にて
春死なむ
その如月(きさらぎ)の
望月(もちづき)のころ (西行)
a0212807_144185.jpg









もろともに
あわれと思え山桜
花よりほかに
知る人もなし
(行尊)











明日ありと
思ふ心の徒桜(あださくら)
夜半に嵐の
吹かぬものかは (親鸞)
a0212807_14569.jpg
いつの世も桜は、なぜこうも人の心を惑わすのでしょうか。
by blues_rock | 2012-04-01 01:14 | 詩/短歌/俳句/小説 | Comments(0)
a0212807_2043823.jpgなれる     詩 : 茨木のり子

おたがいに
なれるのは厭だな
親しさは
どんなに深くなってもいいけれど
a0212807_2053575.jpg三十三歳の頃
あなたはそう言い
二十五歳の頃
わたしはそれを聞いた
今まで誰からも教えられることなくきてしまった大切なもの
おもえばあれがわたしたちの出発点であったかもしれない
a0212807_2064685.jpg
狎(な)れる
馴(な)れる
慣(な)れる
狃(な)れる
昵(な)れる
褻(な)れる
a0212807_20115430.jpgどれもこれもなれなれしい漢字
そのあたりから人と人との関係は崩れてゆき
どれほど沢山の例を見ることになったでしょう
気づいた時にはもう遅い
愛にしかけられている怖い罠
おとし穴にはまってもがくこともなしに
a0212807_20142949.jpg
歩いてこられたのはあなたのおかげです
親しさだけが沈殿し濃縮され
結晶の粒子は今もさらさらこぼれつづけています
by blues_rock | 2012-02-06 20:15 | 詩/短歌/俳句/小説 | Comments(0)
2012年 新春のお喜びを申しあげます。
a0212807_2585187.jpg
「 倚(よ)りかからず 」  詩 : 茨木のり子
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない 
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
by blues_rock | 2012-01-01 03:04 | 詩/短歌/俳句/小説 | Comments(0)
a0212807_2385022.jpg平安時代(794~1185)の初期に活躍した歌人在原業平(825~888、63才没)は、美男の誉れ高く、在原業平が亡くなった後、業平の歌やよもや話をもとに「伊勢物語(歌物語)」の主人公として歴史文学に名を残しました。
小野小町(809~901、92才没)は、日本の女性史にあって「小町」といえば美女を表すくらい絶世の美女であったと伝えられています。
a0212807_2393558.jpg在原業平より16才年上ですが、業平より13年長生きしています。
平安時代初期、同じ京の都で63年もの同じ年月を共に暮らしたイケメン美男子「在原業平」と絶世のセレブ美女「小野小町」の二人の間に何もなかったのでしょうか?
二人の詠んだ歌に登場する恋の相手(情人)は、どこのダレだったのでしょうか?
a0212807_23234678.jpgそんなことを空想しながら「歌を読む」と1100年以上も昔のことが、身近に感じられます。
二人に遅れること200年余年、平安時代の終わり、貴族公家社会から豪族武家社会に移ろう時代に、西行(1118~1190、72才没)は登場しました。
西行については、拙ブログの7月23日7月27日に書きましたので、ご面倒ながらそちらをご覧くだされば光栄です。
a0212807_23261343.jpg
在原業平
 ・世の中に  たえて桜のなかりせば  春の心は  のどけからまし
 ・月やあらぬ  春やむかしの  春ならぬ  我が身ひとつは  もとの身にして
 ・わすれては  夢かとぞ思ふ  おもひきや  雪ふみわけて  君を見むとは
a0212807_232783.jpg
小野小町
 ・花の色は  移りにけりな  いたづらに  我が身世にふる  ながめせし間に
 ・色見えで  移ろふものは  世の中の  人の心の  花ぞありける
 ・うたた寝に  恋しき人を  見てしより  夢てふものは  たのみそめてき
a0212807_2332925.jpg
西行
 ・ねかはくは  花のしたにて  春しなん  そのきさらきの  もちつきのころ
 ・松風の  音あはれなる  山里に  さびしさ添ふる  ひぐらしの声
 ・春ごとの  花に心を  なぐさめて  六十あまりの  年を経にける
by blues_rock | 2011-12-19 00:03 | 詩/短歌/俳句/小説 | Comments(0)
人に(いやなんです)   詩:高村光太郎  
a0212807_23243175.jpgいやなんです
あなたのいつてしまふのが
花よりさきに実のなるやうな
種子よりさきに芽の出るやうな
夏から春のすぐ来るやうな
そんな理屈に合はない不自然を
どうかしないでゐて下さい
型のやうな旦那さまと
まるい字をかくそのあなたと
かう考へてさへなぜか私は泣かれます
小鳥のやうに臆病で
大風のやうにわがままなa0212807_23251845.jpg
あなたがお嫁にゆくなんて
いやなんです
あなたのいつてしまふのが
なぜさうたやすく
さあ何といひませう まあ言はば
その身を売る気になれるんでせう
あなたはその身を売るんです
一人の世界から
万人の世界へ
そして男に負けて
無意味に負けて
ああ何といふ醜悪事でせう
まるでさう
チシアンの画いた絵が
鶴巻町へ買物に出るのです
私は淋しい かなしい
何といふ気はないけれど
ちやうどあなたの下すつた
あのグロキシニアのa0212807_23322831.jpg
大きな花の腐つてゆくのを見る様な
空を流してゆく鳥の
ゆくへをぢつとみてゐる様な
浪の砕けるあの悲しい自棄のこころ
はかない 淋しい 焼けつく様な
それでも恋とはちがひます
サソタマリア
ちがひます ちがひます
何がどうとはもとより知らねど
いやなんです
あなたのいつてしまふのが
おまけにお嫁にゆくなんて
よその男のこころのままになるなんて

高村智恵子(1886~1938没、享年 52才)が、詩集「智恵子抄」のモデルで、彫刻家であり詩人であった高村光太郎の妻として智恵子の人生はありました。
智恵子は、高村光太郎と知り合った時、女流画家を目指して油絵を描いていました。
a0212807_23351191.jpg
病弱であった彼女は、結婚後ついに精神分裂症(いまの統合失調症)を発症し、転地療養しますが、49才の時、精神病院への入院を余儀なくされました。
智恵子が手先を動かすのは、精神の治療に良いと聞きた光太郎は、智恵子へのお見舞いに千代紙を持参しました。
a0212807_23354177.jpg智恵子は、折鶴を作り始め、次第に色々な千代紙・色紙・包装紙を小さな手バサミで切り、52才で亡くなるまでの3年間に千数百点という「切り絵」を制作しました。
だんだん無口になっていく智恵子‥正気と狂気の間を行き来しながら制作した「切り絵」でした。
智恵子が、制作したすべての「切り絵」は、ただ光太郎に見てもらうために、でした。
高村光太郎は、智恵子が亡くなった3年後、自らの第二詩集「智恵子抄」を発表いたしました。
愛する妻智恵子を失った夫光太郎の喪失感・寂寥感、そして強い情愛を感じる名詩集です。
by blues_rock | 2011-12-04 02:50 | 詩/短歌/俳句/小説 | Comments(0)