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心の時空

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a day in my life

カテゴリ:詩/短歌/俳句/小説( 34 )

現代詩の女性詩人石垣りん(1920~2004)は、同じ時代を生きた詩人の茨木のりこ(1926~2006)とどことなく、凛とした雰囲気と透徹した人生観(哲学)が、良く似ているように感じます。
a0212807_21462745.jpg石垣りんは、旧制小学校を卒業したあと14才の時から銀行の事務員として働き、定年で退職するまで勤務しました。
軍国日本の厳しい戦前・戦中、そして戦後の貧しい時代にあって家族のために働きました。
その毎日の生活の中で多くの優れた詩を発表しました。
          ◇
   「表札」    詩:石垣りん
  a0212807_21464810.jpg自分の住むところは
  自分で表札を出すにかぎる
  自分の寝泊まりする場所に
  他人がかけてくれる表札は
  いつもろくなことはない
  病院へ入院したら
  病室には石垣りん様と
  様が付いた
  旅館に泊まっても
  部屋の外に名前は出ないが
  やがて焼き場のかまにはいると
  とじた扉の上に
  石垣りん殿と札が下がるだろう
  そのとき私がこばめるか?
  様も
  a0212807_21104349.jpg殿も
  付いてはいけない  
  自分の住む所には
  自分の手で表札をかけるに限る
  精神の在り場所も
  ハタから表札をかけられてはならない 
  石垣りん
  それでよい
          ◇
   「くらし」    詩:石垣りん
  食わずには生きていけない
  メシを
  野菜を
  肉を
  空気を
  光を
  水を
  親を
  きょうだいを
a0212807_21281696.jpg  師を
  金もこころも
  食わずには生きてこれなかった
  ふくれた腹をかかえ
  口をぬぐえば
  台所に散らばっている
  にんじんのしっぽ
  鳥の骨
  父のはらわた
  四十の日暮れ
  私の目にはじめてあふれる獣の涙
by blues_rock | 2013-09-13 23:30 | 詩/短歌/俳句/小説 | Comments(0)
「 薊(あざみ)の花のすきな子に 」 詩:立原道造a0212807_20551829.jpg
風は 或るとき流れて行った 
絵のやうな うすい緑のなかを
ひとつのたつたひとつの人の言葉を
はこんで行くと 人は誰でもうけとつた
ありがたうと ほほゑみながら
開きかけた花のあひだに
色をかへない青い空に
鐘の歌に溢れ 風は澄んでゐた
気づかはしげな恥らひが
そのまはりを かろい翼で
にほひながら 羽ばたいてゐた… 
何もかも あやまちはなかつた
みな 猟人も盗人もゐなかつた
ひろい風と光の万物の世界であつた
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(写真)
立原道造(上)と彼が恋した水戸部アサイ(左)
立原道造(1914~1939)は、才能にあふれた早世の詩人にして将来を期待された建築家でした。
旧制高校のころから堀辰雄と親しく東京帝国大学(工学部建築学科)に入学後、堀辰雄主宰の同人誌「四季」同人になりました。
立原道造は、建築家としても才能を発揮、東京帝国大学建築学科に在学中、辰野金吾(建築家、日本銀行本店・同大阪支店・東京駅・旧唐津銀行本店など現存する建築多数)賞を3年連続受賞する秀才でした。
1939年詩人立原道造は、第1回中原中也賞を受賞、その1か月後結核のため24才の若さで亡くなりました。
by blues_rock | 2013-09-12 00:50 | 詩/短歌/俳句/小説 | Comments(0)
a0212807_1625821.jpg 明日ありと
 思ふ心の
 徒桜(あださくら)
 夜半に嵐の
 吹かぬものかは

今日3月27日水曜日の午後、昨夜半からの春の雨が、ようやくあがりました。
午前の金継ぎクラスを終え、旧福岡県庁跡(中央公園)横を流れる那珂川沿いの桜(右写真)を見に行きました。
雨上がりのどんよりと曇った空の下、早くも散り始めた桜を眺めながら歩いていたら、徒桜の和歌を憶い出しました。
私の桜への想いは、先人たちの詠んだ和歌(こちら)に倣います。
by blues_rock | 2013-03-27 20:20 | 詩/短歌/俳句/小説 | Comments(0)
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  さくら さくら
  やよいの空は
  見わたす限り
  かすみか雲か
  匂いぞ出ずる
  いざや いざや
  見にゆかん

宮城道雄編曲による「変奏曲さくらさくら」(こちら)をお聴きになりながら、一時の‘さくらの季節’をお楽しみください。
さくらのはらはらと散る風情には、琴の音色が、良く似合います。
by blues_rock | 2013-03-24 07:00 | 詩/短歌/俳句/小説 | Comments(0)
「高瀬舟」は、明治の文豪森鷗外(1862~1922)が、54才の時、中央公論に発表した短編小説です。
(あらずじは中央に、原文はこちらで、読むのが面倒で朗読をお聞きになりたい方はこちらへどうぞ。)
高瀬川は、京都の中心部を北から南へ鴨川に沿って流れています。
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その高瀬川を行き来する小舟が「高瀬舟」で、その小舟で弟を殺した罪人兄の喜助が、島流しの刑を受け、町奉行所の役人庄兵衛に護送され「高瀬舟」で島送りされています。
森鷗外は、軍医だけあって100年も前に短編小説のテーマに“安楽死”を取り上げています。
              ■「高瀬舟」のあらすじ■
a0212807_0463445.jpg今から200余年前の寛政のころ、弟を殺した罪で兄喜助は、高瀬舟に載せられ高瀬川を下り島送りにされました。
町奉行所護送役の庄兵衛は、島送りになる喜助が、悲痛な表情をせず楽しそうな顔をしているので「喜助、お前何を思っているのか?」と訊ねました。
喜助は、「幼いころに両親を病で亡くし弟と二人、今まで助け合って生きてきました。京都の西陣織物屋で働いていたとき弟も病に倒れ、ある日、仕事から戻ると、弟は、ノドに剃刀を突き刺し、血だらけになっていました。弟は、早く死んで兄を楽にしたいとの思いでノドを切ったのですが、切り切れず剃刀を抜けば死ねるので早く抜いて欲しいと懇願しました。」と庄兵衛に言いました。
喜助は、医者を呼びに行こうとしますが、弟は「医者がなんになる、ああ苦しい、早く抜いてくれ、頼む。」と兄に言いました。
喜助は、苦しむ弟のノドから剃刀を抜きました。
その時、近所の老婆が、家の中に入って来ました。
a0212807_1113041.jpgそして老婆は、「あっ!」と言って表へ出て行きました。
庄兵衛は、今までの自分たちの苦しい生活を思えば、罪人とは言え、身も食事も保証される島流しを喜ぶ喜助に、俸給の節約もせず、生活費が足りなくなると妻の実家に支援を仰ぐ自分の姿を省みます。
庄兵衛は、罪人の喜助をいつの間にか「喜助さん」と呼ぶようになりました。
喜助のした行為を「弟殺し」と呼ぶのだろうかと次第に疑問をもつようになりました。
庄兵衛は、自分では判断することができず、奉行の裁きに従うほかないと思いながらも奉行の裁きをそのままa0212807_112359.jpg受け入れ自分の裁きにするには、どうしても腑に落ちないものがありました。
次第に更けて行く朧夜に、沈黙した二人を載せた小舟は、高瀬川の黒い水面(みずも)を滑るように下って行きました。
by blues_rock | 2013-02-11 00:38 | 詩/短歌/俳句/小説 | Comments(0)
川柳は、江戸時代中期に生まれた諧謔(かいぎゃく)精神に満ちた‘五・七・五’調の詩歌文学です。
時実新子(ときざねしんこ、1929~2007)は、現代川柳の第一人者でした。
1987年に発表した川柳句集「有夫恋」は、心の底にある女の情念を謳いあげ‘川柳’の知名度を高めました。
a0212807_15491226.jpg性的な隠喩ある言葉に、相当セクシャルな句も多数ありますが、女の性を素直に表現しているので句に強靭さを感じます。
                ◇
どうしても  好きで涙が  膝に落ち
手が好きで  やがてすべてが  好きになる
たわむれの  鋏が垂直に  落ちた
舟虫よ  お前卑怯で  美しい
膝折って  愛に恥など  あるものか
百合みだら  五つひらいて  みなみだら
どうぞあなたも  孤独であって  ほしい雨
よその男と  命の芯を  みつめ合う
男の嘘に  敏感な  ふしあわせ
ののしりの  果ての身重ね  昼の闇
カザノヴァに  逢いたや指の  反るほどに
空に雲  この平凡を  おそれずに
by blues_rock | 2012-11-22 00:39 | 詩/短歌/俳句/小説 | Comments(0)
       君死にたまふことなかれ (旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて、1904年9月、晶子26才)
あゝおとうとよ、君を泣く
a0212807_2202367.jpg君死にたまふことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

堺の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば
君死にたまふことなかれ
旅順の城はほろぶとも
ほろびずとても何事ぞ
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり

君死にたまふことなかれ
すめらみことは戦ひに
おほみずから出でまさね
かたみに人の血を流し
獣の道で死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
おほみこころのふかければ
もとよりいかで思されむ                (与謝野晶子1878~1942、歌人・思想家・評論家)
                        

a0212807_2205542.jpgあゝおとうとよ戦ひに
君死にたまふことなかれ
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは
なげきの中にいたましく
わが子を召され、家を守り
安しときける大御代も
母のしら髪はまさりぬる

暖簾のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻を
君わするるや、思へるや
十月も添はで 別れたる
少女ごころを思ひみよ
この世ひとりの君ならで
ああまた誰をたのむべき
君死にたまふことなかれ
by blues_rock | 2012-11-21 01:28 | 詩/短歌/俳句/小説 | Comments(0)
フランスの詩人アルチュール・ランボー(1854~1891)に心酔、そして大きな影響を受けた早熟な詩人中原中也(1907~1937)は、十代から前衛的な独自の詩を発表、日本近代詩に異才を放ちました。
早熟であった中原中也は、16才の時、女優志望19才の長谷川泰子(1904~1993)と京都で出会い、二人は恋に落ち同棲しました。
1925年春、二人は上京、小林秀雄(文芸評論家1902~1983)に出会いました。
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中原中也18才(写真左)、長谷川泰子21才(写真中央)、小林秀雄23才(写真右)の時でした。、
長谷川泰子は、中原中也の破滅的で攻撃的な(とくに酒癖が悪い)性癖に愛想を尽かし、知的で好男子の小林秀雄に魅かれ、やがて二人は、相思相愛の仲になりました。
中也と別れた泰子は、小林秀雄と暮らし始めました。
中原中也の‘ファム・ファタル(運命の女性)’であった長谷川泰子への未練は強く、中也は泰子と別れた後も小林秀雄宅を訪ね、三人の交友は続きました。
中原中也は、結核性脳炎を患い30才で夭折しましたが、生涯350篇余の詩を書き残しました。
                                  ◇
   汚れつちまつた悲しみに
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汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の皮裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる
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汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おじけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところなく日は暮れる
by blues_rock | 2012-11-20 00:28 | 詩/短歌/俳句/小説 | Comments(0)
a0212807_21352068.jpg北原白秋(1885~1942)は、明治時代後期に歌人・詩人として早くから注目され、1908年あたりから象徴主義・耽美主義の詩人として活躍しました。
1912年26才の時、隣人の男のドメスティック・バイオレンスに苦しんでいた女性(男の妻)と恋愛関係になり、金銭目的の姦通罪(当時の愚劣な法律)で告発され投獄されました。
1918年 夏目漱石門下の小説家で児童文学者鈴木三重吉(1882~1936)は、自分の主宰する児童文芸誌「赤い鳥 」(1918~1936廃刊)で、政府(文部省)が、推奨指導する唱歌を低級で愚かな詩として批判、児童文芸誌「赤い鳥」運動の童謡部門を北原白秋に一任しました。
北原白秋は、それまでの古臭い文語調の唱歌から、幼い子供でも分かる口語体で、子供が、感動する新しい児童文芸(童謡)を目指しました。
1933年鈴木三重吉と思想の違いで決別するまでの15年間に、北原白秋が「赤い鳥」で発表した童謡の数と質の高さは、詩人北原白秋のピークでした。
これから後の北原白秋の詩は、国粋主義的な作風になり、もう往年の‘斬新な詩人’ではなくなりました。
                                  ◇
    五十音
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水馬(あめんぼ)赤いな ア、イ、ウ、エ、オ
浮藻(うきも)に子蝦(こえび)もおよいでる
柿の木、栗の木 カ、キ、ク、ケ、コ
啄木鳥(きつつき)こつこつ、枯れけやき
大角豆(ささげに)に酸をかけ、サ、シ、ス、セ、ソa0212807_21435949.jpg
その魚浅瀬で刺しました

立ちましょ、喇叭(らっぱ)で、タ、チ、ツ、テ、ト
トテトテタッタと飛び立った
蛞蝓(なめくじ)のろのろ、ナ、ニ、ヌ、ネ、ノ
納戸(なんど)にぬめって、なにねばる
鳩ぽっぽ、ほろほろ ハ、ヒ、フ、ヘ、ホ
日向(ひなた)のお部屋にや笛を吹く

蝸牛(まいまい)、螺旋巻(ねじまき)、マ、ミ、ム、メ、モ
梅の実落ちても見もしまい
焼栗(やきぐり)、ゆで栗 ヤ、イ、ユ、エ、ヨ
山田に灯のつく宵の家
雷鳥(らいちょう)は寒かろ、ラ、リ、ル、レ、ロ
蓮花(れんげ)が咲いたら、瑠璃(るり)の鳥

わい、わい、わっしょい ワ、ヰ、ウ、ヱ、ヲ
植木屋、井戸換へ、お祭りだ
by blues_rock | 2012-11-19 00:31 | 詩/短歌/俳句/小説 | Comments(0)
萩原朔太郎(1886~1942)は、十代から神経質かつ病弱な子供で学校に馴染めず、学校には行かず独りで森の中を歩きまわり、野原に寝転がって空を眺めているような少年でした。
a0212807_15495575.jpgその後も精神の苦悩で大学を転々(入学しすぐ退学)とし詩作と音楽(マンドリン・ギター)に熱中していました。
「詩と音楽の研究会」を自宅で主宰し神秘主義・象徴主義的な作詩をしていました。
今なら自分で作詩・作曲をする音楽好きの青年のようなタイプでしょう。
同年代の詩人北原白秋・室生犀星との交友で萩原朔太郎は、詩人として成長していきました。
32才の時に自費出版の詩集「月に吠える」を発表、文語調であった詩の概念を破る萩原朔太郎の詩集は、森鷗外により絶賛され一躍大正詩壇の寵児になりました。
1920年代になると萩原朔太郎は、ヨーロッパ的な神秘主義・象徴主義から次第に‘万葉’の古代日本趣味へ回帰していきましたが、紛れもなく日本近代詩を代表する詩人です。
     猫
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まつくろけの猫が二疋         なやましいよるの家根のうへで
ぴんとたてた尻尾のさきから     糸のやうなみかづきがかすんでゐる
「おわあ、こんばんは」         「おわあ、こんばんは」 
「おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ」
「おわああ、ここの家の主人は病気です」
                                  ◇
     恋を恋する人
a0212807_162481.jpgわたしはくちびるにべにをぬつて
あたらしい白樺の幹に接吻した
よしんば私が美男であらうとも
わたしの胸にはごむまりのやうな乳房がない
わたしの皮膚からはきめのこまかい粉おしろいのにほひがしない
わたしはしなびきつた薄命男だ
ああ、なんといふいぢらしい男だ
けふのかぐはしい初夏の野原で
きらきらする木立の中で
手には空色の手ぶくろをすつぽりとはめてみた
腰にはこるせつとのやうなものをはめてみた
襟には襟おしろいのやうなものをぬりつけた
かうしてひつそりとしなをつくりながら
わたしは娘たちのするやうに
こころもちくびをかしげて
あたらしい白樺の幹に接吻した
くちびるにばらいろのべにをぬつて
まつしろの高い樹木にすがりついた
by blues_rock | 2012-11-18 00:56 | 詩/短歌/俳句/小説 | Comments(0)