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心の時空

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a day in my life

カテゴリ:金継ぎ/古美術/漆芸( 162 )

初めて人様の大切な古伊万里磁器の修理を引き受け、本金直しで金継ぎしました。
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自分のものだと結果オーライでホイホイできるのですが、正式の依頼となるとそういうわけにはいきません。
お預かりしたのは、藍柿右衛門「薄墨片身替鷺文長角皿」2枚と「鷺番文菱型紅小皿」1枚(江戸前期に有田で
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焼かれた古九谷かも?)の計3枚です。    (上と下写真 : 「薄墨片身替鷺文長角皿」)
いずれにしても江戸時代前期の延宝~元禄期に焼成された古伊万里の逸品でした。
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長角皿の修理は、そう難しくありませんでしたが、菱型小皿は、見事に割れ、欠損している破片もありましたので修復するのに手間取り、納得できる本金直し(金継ぎ)になるまで2度金を蒔くことになりました。
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  (上写真 :「鷺番文菱型紅小皿」 )
by blues_rock | 2016-12-16 00:06 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
a0212807_071341.jpga0212807_093366.jpga0212807_0105942.jpga0212807_0145392.jpg輪花の瀟洒な古伊万里色絵柘榴文小鉢(あるいは向付)の小さな欠けを刻苧(こくそ)と呂色漆で整形し、丸金粉(3号・1号)を蒔き磨いただけのシンプルな修理です。

(左写真 : 12時方向にある欠キズを金継ぎ)


普段使いは、OKながら、本金直しなのでレンジの使用だけ不可(厳禁)です。

(左写真 : 5時方向の欠キズを金継ぎ)




(下写真 : 6時と10時方向2箇所の欠キズを金継ぎ)
古伊万里(藍柿右衛門)の薄手染付鷺文皿(裏に‘二重角渦福’、19㌢)に 2箇所の欠けが、あり本金直し(金継ぎ)にしました。
作業の工程で皿を弄(いじ)るたびに、手の中の皿に ‘おまえは、いつどこで生まれたのだ?’ と訊ねました。(理由は、こちら
皿は、いつも何も語らず沈黙したまま‥私は、江戸中期の生まれと思うことにしました。
追記 : 2017年1月16日、古伊万里コレクターの方に鑑定していただいたら「上手の絵で薄手の染付鷺文は、初めて見た」と言っておられました。
(右写真 : 3時方向の欠キズを金継ぎ)
by blues_rock | 2016-11-29 00:03 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
古唐津の山盃は、小振りながら愛好家も多く人気があり、無疵のものは、なかなか手に入りません。
下の写真は、いずれも径8㎝程度の呼び継ぎ’古唐津山盃です。
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山盃は、安土桃山から江戸初期にかけて酒杯器(盃・猪口の元祖)として唐津で作られ、‘糸きり高台’(下写真)になっているのが、特徴です。
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Ⅰ.銘 朝顔  本金直しの呼び継ぎにしました。
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Ⅱ.銘 朧月  月に見立てた箇所に本金を蒔き、それ以外は、雲に見立て青銀直し(浅葱漆下地)にしました。
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by blues_rock | 2016-11-23 00:03 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
数か月もかかる難儀な金継ぎに悪戦苦闘していると、その合間に簡単なカケ・ヒビのあるものを手掛け(それでもひと月くらいは必要ながら)、ささやかな自己満足に浸ります。 (下写真) 古伊万里 染付矢筈文 江戸後期
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そんなとき、蕎麦猪口のカケ・ヒビは、金継ぎ仕上げとの相性も好いので最適です。
今回掲載した古伊万里の蕎麦猪口 7口は、江戸後期から明治初期にかけて焼成されたものです。
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それぞれ呉須(ごす=コバルト釉のこと)による染付あるいは印判で文様が、描かれています。
(上写真) 古伊万里 染付微塵(みじん)唐草文 幕末~明治初期
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(上写真) 左から 古伊万里 染付竹笹文、印判村雲文、染付草むら文 江戸後期 (村雲文 幕末~明治初期)
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(上写真) 古伊万里 染付 染付矢筈文 江戸後期
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(上写真) 古伊万里 染付微塵(みじん)唐草文 幕末~明治初期
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(上写真) 古伊万里 印判村雲文 幕末~明治初期
by blues_rock | 2016-11-07 00:07 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(2)
a0212807_18279.jpg私が、勤労者(労働者)だったころ仕事で全国津々浦々いろいろなところへ出かけました。
出張先で時間あるときに立ち寄った美術館や博物館の売店、地元の店でおもしろいマグネットを見つけると記念(懐い出)に購入し、しばらくマグネット・コレクション(大切に保管していないので少し大袈裟かな)していました。
a0212807_1101087.jpgこの魚のマグネットは、どこかの水族館で購入したもの、気に入って使っていましたが、いつの間にか目玉を失くしてしまいました。
確か白と黒の目玉だったように憶いますが、定かではなく、失くした目玉を錆漆で作り、青と赤の漆で目を描いたところ神秘的な魚に変身しました。
いまマグネットが、必要なときは、古陶片や身近な材料で作ったもの(「唐変木の陶片朴」・「アバンギャルド漆芸」を参照)を使用しています。
( Le quitté ) Mon atelier de KINTSUGI
by blues_rock | 2016-10-30 00:03 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
金継ぎ工芸会恒例の、秋の研修で上野(あがの)窯を訪ねました。
a0212807_11221481.jpg今回、初めて上野(あがの)を訪ねる私は、他の近在の窯元、唐津、高取、小石原、小鹿田との比較に興味が、ありました。
上野(あがの)窯は、1602年、当時小倉藩主の細川忠興(1563~1646、茶人 細川三斎、細川ガラシャは夫人)が、朝鮮陶工 金尊楷(キムソンカイ)を招き、豊前国(田川郡)上野(あがの)に登り窯を築かせ開窯させたことに始まります。
細川忠興は、帰化した金尊楷(キムソンカイ)に上野喜蔵高国の名を与え、5人扶持 15石と云う破格の待遇(武士扱い)で召抱えました。
その後、細川忠興が、肥後国(熊本)に転封(国替)されると上野に次男と娘婿の家族を残し忠興に同行、八代a0212807_11271864.jpg郡高田(こうだ)に窯を築きました。
有田では、藩祖の鍋島直茂と同格扱いで朝鮮陶工の李参平(帰化名 金ヶ江 三兵衛)を「陶祖」として1917年、陶山神社に「陶祖 李参平碑」を建立、神として祀りました。(詳しくは こちら をご覧ください。)
朝鮮陶磁器焼成の最新技術と知識を有した渡来陶工に名を与え(江戸時代では武士扱い)、敬い石を扶持して(給料を支払って)待遇したことが、良く分かります。
左は、上野焼皿 2枚(上: 径14㌢ 縁に2㌢の窯疵、下:径9㌢ 片身変わり)
by blues_rock | 2016-10-24 11:20 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(2)
a0212807_1245612.jpgその昔、唐津の窯で焼成されていた皿3枚が、崩れて付着し塊(かたまり)となりモノハラに捨てられていた陶片です。
金継ぎ用にもらった古陶片の一つですが、呼び継ぎするにも刻苧(こくそ=地の粉・続飯・刻苧綿・生漆を合わせて練ったパテ材)で形を整え、どうにかしようにもどうしようもなく長い間そのままにしていました。
金継ぎダチョウの卵のために観葉植物のエアープラントを購入したとき、この猪口才な古陶片をプランターにしたらおもしろいかもと考えました。
裏に高台の出っ張りがあり、壁にL字フックを付けると観葉の部屋飾りになるなと思案中です。
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根来塗りに魅入られ材料さえあけば、手当たり次第何でもかんでも根来風の作品にしています。
今回は、根来シリーズ その3の‘根来角盆’(縦横22㌢)です。
a0212807_12113514.jpg私が、一昨年秋、初めて作陶した茶碗 2口もいま‘根来茶碗’に変身させようと目下トライしているところです。
漆工芸の楽しさは、‘漆と遊ぶ’ことに尽きますが、漆と遊んでいると漆から翻弄されている(弄ばれている)ことに気づきます。
漆のご機嫌(粘度の状態)を伺いながら塗り残しのないよう薄くでもなく、また縮まないよう厚くでもなく、風呂の温度・湿度に気を使いつつ‥なんて面倒くさいと思われるでしょうが、‘漆うるわし’の徒には、これもまた楽しい作業‥まあ、病気ですね。
by blues_rock | 2016-10-22 00:22 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
金継ぎサークルの仲間から割れた ‘ダチョウの卵’ をもらいました。
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鳥の卵なので、壊れやすいと私は、思っていましたが、厚さ数ミリ (3㍉ くらい)の殻は、ルーターの砥石にも負a0212807_17182613.jpgけないくらいの強度が、ありました。
‘ダチョウの卵’ は、白地なので漆の色(乾くと黒くなる)が、できるだけ殻に染みないように注意しながら少しずつ塗り、乾きと磨ぎを繰り返し、繋ぎ目には、消粉(金粉)を蒔いて仕上げました。
金継ぎ ‘ダチョウの卵’ は、オブジェにしようと思いましたが、それでは、あまりに芸が、ないので、水分補給に手間のかからない(1週間に一度霧吹きするだけの)エアー・プラントを入れ、花器にしてみました。
by blues_rock | 2016-10-10 00:10 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(2)
金継ぎ作業の合間に、漆と遊ぶ(息抜きする)感覚で‘拭き漆か‘根来塗’をしています。
とくに手間のかかる大きな刻苧作業(切粉・錆漆)しているときなどは、少しずつ刻苧を重ね乾かし、切粉・錆漆
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で全体を整え、砥いで呂漆を塗り乾かし‥を繰り返していると無性に他の漆芸が、したくなります。
そんなとき身近に‘拭き漆’や‘根来塗’用の良い木材(木地・木目板)さえあれば(根来なら木地はさほど問わ
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ず)、誰にでも難なくできます。  (上下写真3枚 : 根来小鉢 径 8.5㌢ ‥ 徳利の袴を根来塗に仕立て直し )
もちろん漆に被れる人は、市販されている極薄のゴム手袋を着用してください。
a0212807_14322041.jpg‘拭き漆’なら生漆、‘根来塗’なら呂漆(黒漆)と赤漆が、手元にありさえすれば、後は、根気よく‘拭き漆’ならただ拭き乾かしを10回くらい繰り返すだけ、‘根来塗’なら呂漆(黒漆)と赤漆を交互に2、3回塗り重ね、最後の仕上げを赤根来にするか黒根来にするかは、ご自分の好み(趣味)です。         (下写真 : 塗り箸 ‥ 上から、錫箔梨子地塗、根来塗、赤漆塗立、錫箔梨子地塗)
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簡単、簡単、夢の漆( ‘邯鄲 邯鄲 夢枕’ の比喩)、D I Y( Do It Yourself )です。
漆芸に興味のある方、漆について知りたい方は、‘漆の話’を貼付しますので参考までにご覧ください。
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(付 録) 貰いものの白木杉箸 2膳を ‘拭き漆’ にしました。
拭いた回数は、まだ3、4回なので、当然のことながら漆に艶が、ありません。
あと5、6回から10回くらい拭けば、漆に風雅な光沢が、表れるでしょう。
by blues_rock | 2016-10-04 00:04 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
私は、二十代半ばヨーロッパの美術館でルネッサンス(イタリア・ドイツ・フランドル)絵画を見て脳天を割られ、三十代になると日本の伝統工藝(琳派絵画・漆芸蒔絵・古伊万里や古鍋島の色絵磁器など)に心を奪われ、この世のものと思えない天才たちの作品に感動してきました。
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しかし、不覚にも私の中で‘すっぽり抜けている’のが、書画骨董の類いとして若いころにあまり関心のなかった巻物・硯箱・料紙箱・文台・香炉・香箱・小箱・花瓶・印籠・根付・煙草入・煙管・煙管筒・矢立・刀装金具・帯留・櫛・かんざしなど日本伝統工藝品の数々でした。
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漆芸のひとつ「金継ぎ」をするようになってから漆蒔絵の道具や印籠などを間近で見る機会が、多くなり、私の中で‘すっぽり抜けている’伝統工藝品の逸品を見て私は、「目からウロコ」が、落ちました。
明治・大正・昭和期の天才牙彫家 安藤緑山(萬蔵、1885~1955)の象牙彫刻作品のハイパーリアリズム(超絶
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技巧の職人技)にもダ・ヴィンチやフェルメールの絵を見たときと同じ感動を覚えます。
安藤緑山は、昭和30年まで台東区に住んでいた象牙彫刻家(牙彫職人)くらいの情報しかなく人物像も含め謎に包まれていて、超絶技巧のノウハウ(技術)を伝承する気が、まったくなく弟子もとらず下絵や制作記録などの
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資料・メモ類も一切残していません。
安藤緑山の作品は、国内の皇室を含むごく限られた富裕層に愛好され、海外にも熱烈な愛好家(コレクター)が、いて「緑山乍」の銘で牙彫商の金田兼次郎名義で納品していました。
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安藤緑山の牙彫は、野菜や果物などをモチーフに50数点の作品があるのみで、素材の象牙に鉱石・鉱物の無機系顔料で着色しているのが、最大の特長(個性)です。
牙彫家 安藤緑山の作品を今風に言うなら‘ハイパーリアリズム’、超絶技巧の天才職人技です。
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清水三年坂美術館館長の村田理如氏(村田製作所創業者次男、元専務、47歳のとき退社し江戸・明治・大正期の日本伝統工藝品の収集に専念、清水三年坂美術館を創設)は、「 明治以降、日本は、急速に欧米の文化を取り入れ、生活スタイルも欧米化しました。 学校教育も美術や音楽は欧米のものが、中心でした。 日本人の
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美術に対する関心も、日本の伝統的なものより印象派の絵画や西洋骨董などに集まり、幕末・明治の美術品に関心を持つ人が、ほとんどいなくなってしまったのです。 また、たとえ関心があっても欧米人ほど高く評価しない為、高額な名品は、海外に流出していくのです。 その結果、日本にはガラクタばかり残り、ますます明治の美術
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館に対する評価も下がってしまったのです。」(明治の美術に魅せられて、より抜粋)と日本伝統工藝品の収集にかける情熱を述べておられます。
村田清水三年坂美術館長の言葉は、1868年の明治維新以来の文明開化と和魂洋才により今日までの150年間に喪失した日本伝統文化の総括として蓋(けだ)し名言(箴言)です。
by blues_rock | 2016-09-07 00:07 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)